第26話:思わぬ別れ
ウィリアムが訪れ、ナズナを傍付きから外したという衝撃的な話を聞かされた俺の心情を一言で表すなら『なんで?』である。
ランドウ先生に一人前――あの人の基準だと半人前だけど、剣士として認めてもらえて喜んだ後の不意打ちだ。あまりにも強烈すぎて眩暈を起こしそうである。
「理由、は……そう、理由を聞かせてもらえるか?」
だが、ウィリアムも意味なくそんなことをしないだろう。昨晩娼館に行ったことに対してナズナが怒って職務放棄をしているのなら、まだ話もわかるのだが。
「若様が初陣を乗り越えた今ならばお話できますが、ナズナも同様にテストをしていたのです。若様の傍付きとしてどんな行動を取るのか、相応しい行動を取れるのかというテストです」
「…………」
ウィリアムの言葉に俺は思わず沈黙した。時折ナズナを意味深に見ているとは思っていたが、裏ではそんな思惑があったらしい。しかし、なんでそんなテストをしたのだろうか?
「そのテストにナズナは合格しなかった。だから俺の傍付きから外した……ああ、話はわかった。それで? 何故そんなことを?」
語気が強くなるのを自覚する。だってそうだろう? ナズナが俺の傍付きから外れれば、『花コン』は最初から成立しない。すなわち俺の生き死にだけでなく人類が滅ぶ瀬戸際なのだ。
……いや、待て俺。落ち着け。『花コン』云々を知っているのは俺だけだ。ウィリアムにも何かしらの理由があってのことなんだ。
というか、理由もなしにこんなことはしないはずだ。なにせ俺の立場は辺境伯家の嫡男で、ナズナは幼い頃からの傍付きという側近中の側近。将来は出世コースに乗れる立場だ。
そんなナズナを傍付きから外すとなるとよっぽどの事態である。ウィリアムからすれば自分の娘が将来重用される可能性が高いのだ。少なくとも俺なら傍付きから外さない。
「昨晩の一件、報告を受けました」
その話の切り出し方に、俺はピクリと眉を動かす。
え? 昨晩俺が娼館に行ったことが広まってるの? 報告を受けたってことはナズナを送っていった兵士が情報源だろうけど……。
「ナズナも連れて行くようスギイシ殿に頼んだのは私です。そしてナズナは……私の娘は、傍付きとしての役目を放棄しました。まず、父親としてその点を謝罪したく」
そう言って深々と頭を下げるウィリアム。その表情は苦々しく、心の底から申し訳なく思っていることがうかがえる。
「謝罪は受け取るが、ナズナは年頃の娘だ。ああいった場を嫌うのも無理はないと思うが」
護衛としてついてきた兵士達が複雑そうな顔をしていたのも、予めナズナのテストだと知らされていたからだろう。そう考えると腑に落ちた俺だったが、今しがた言った通り、ナズナの反応も無理はないと思ったのも本心である。
三歳の頃から一緒に育ってきた異性が娼館に行くんだぞ? 俺がナズナの立場だったら何を考えているんだって張り倒して……あー……。
「いや、そうか……俺を止めきれなかったことがまずいのか」
「はい。その通りです」
まさかと思って尋ねてみると、顔を上げたウィリアムに肯定された。
「ナズナは若様を止めきれませんでした。それだけならまだしも、自分の感情を優先して若様から離れ、帰ってしまった。スギイシ殿が一緒とはいえ、若様を危険に晒す行為を取るなど傍付き失格です」
一応ナズナは俺を止めようとしていた、というのは通じないだろう。実際問題、ナズナは怒って帰ってしまったのだから。
「以前から危ういと思っていました。あの娘は傍付きのなんたるかを理解せず、ただ、若様の傍にいるだけでした」
「それは……悪いことなのか?」
『花コン』云々を抜きにしても、三歳の頃から一緒にいたんだ。親しみを覚えるし情も湧く。だからこそ、俺は素直にウィリアムの話を飲み込めないでいる。
「ええ、悪いことです。幼い頃から傍付きとして近くにいたのです。他の家臣にはできない諫言、主君の心を汲んだ行動をするべきだというのに、あの子にはできていない。いえ、しようとしていなかった。だからこそ御当主様に伝え、スギイシ殿と共謀して今回のテストを行いました」
初陣の時も若様の足を引っ張るだけでした、とウィリアムが付け足す。それを聞いた俺は、ウィリアムがナズナに向けていた視線の意味を理解してため息を吐く。
「……あの子は、十二歳だぞ」
「ええ、そうです。若様と同じ十二歳です」
ナズナの年齢を盾にしようとしたら、俺を引き合いに出されてしまう。
「若様は初陣にもかかわらず、ご立派に戦われました。指揮を執り、事前にスギイシ殿からの申し入れがあったとはいえ一対一で敵の頭目を仕留めた。同年代の貴族の子女と比べても、若様ほどに突出した功績を残している者はいないでしょう。そんな若様と比べて私の娘は……」
ウィリアムは嘆かわしそうに首を横に振る。心底情けない、申し訳ない、と言わんばかりだ。
――俺は、何か、間違えてしまったのだろうか?
『花コン』のミナトが迎えたような死に様を迎えたくないと、死にたくないと、頑張ってきたつもりだ。その結果がコレか?
今から放蕩息子でも演じる? 十年遅いし、周囲の大人達の目を誤魔化せるとは思えない。バレて何故そんな真似をするのかと疑われるだろう。
初陣を切っ掛けにもっと横暴で乱暴な性格を演じる? いや、駄目だ。そんな真似をしても見抜かれそうだし、なによりランドウ先生にボコボコにされて無理矢理矯正されそうだ。
つまり、今の方向性でナズナと元の関係に戻る必要があるわけで。
「何故、ナズナにそれを伝えなかった?」
「こういったことは自分で気付かなければ意味がないからです。実際に、若様はサンデューク辺境伯家の嫡男として相応しい態度と行動を心がけているではありませんか」
まずはウィリアムを説得しなければならないだろう。ナズナがいなければ駄目なんだと訴えて……いや、無理か。ナズナが傍にいると俺のためにならないと判断したから引き離したんだ。
それも昨日今日考えたことじゃない。よくよく思い返してみれば、ウィリアムは以前からナズナに関して不満を零していた。ここでいう不満は自分の娘としてではなく、俺の傍仕えとしての適性、能力に問題があるという不満だ。
「ウィリアムの言いたいことはわかった。パストリス子爵家の立身出世ではなく俺のこと……ひいてはサンデューク辺境伯家のことを思っての行動、その忠節をありがたく思う」
ウィリアムのように実の娘を切り捨てるような行動を取れる者がどれほどいるか。俺が不満を持っていないのだからとそのまま仕えさせることを選ぶ者の方が遥かに多いだろう。
「だが、俺はナズナと幼い頃から常に共にいたんだ。十年近い付き合いがある子だ。信用も信頼もしている、大切な相手なんだ。そんな子と突然引き離されてはさすがに思うところがある」
ウィリアムが何を思っているかはわかったが、俺の方にも思うところがある。
ナズナの能力に関して不足があると判断したのはウィリアムだ。そうなると、俺から訴えるべきは別の面だろう。実際問題、優れた能力を持った野心家よりも、信用と信頼が篤い者の方がありがたいと思うことが多い。もちろん、そのどちらも上手く扱えてこそなんだろうが。
「今回の件、ナズナが傍付きとして物足りないと考えず、何の対策もしなかった俺の落ち度でもある。その点を考慮し、ナズナにはもう一度チャンスを与えたいのだが」
能力がどうとか別に気にしないからナズナを俺の傍付きに戻してください……そう言いたいのをぐっと堪え、対案を出す。
ナズナがいなければ『花コン』が始まらない――かもしれない。そう、あくまでかもしれない、の段階なのだ。
『花コン』の主人公が召喚されず、『魔王』も発生せず、平穏無事に王立学園を卒業できる可能性もゼロではない。そうなった場合、問題児を演じているとそれはそれで困ったことになるだろう。
これまで勉強してきたが、領主なんて柄じゃないし面倒で責任重大で放り出したいほどだ。しかし放り出した先にはコハクがいるため、簡単に実行するわけにはいかない。
真面目に頑張ってきた分、ナズナへの期待が高まりすぎて今回の件を招いたともいえるが、そこは俺も心を鬼にして厳しく接していくことでカバーする。
ウィリアムからは以前、『不足も不満もないというのは、言い換えればそれ以上期待もしないということです』って諭されてたのにな。習ったことを活かせないこの身が嫌になるわ。
愚者は経験に学び、賢者は歴史に学ぶって言ったのは誰だったか。ウィリアムに諭されたのに経験から学ぶことができない俺は、果たして何と言われるんだろうな。
兎にも角にも、まずはナズナに戻ってきてもらわないと話にならない。そこだけは譲れずにウィリアムをじっと見つめていると、ウィリアムは深々とため息を吐いた。
「……ここまで直言し、既に行動に移しておりましたが、私もまだまだ甘い部分を捨てきれぬようで。若様ならばそう言ってくださるのではないか、と期待しているところがありました」
「と、いうと?」
おい、いきなり変化球を投げてくるのはやめろ。俺はまっすぐ飛んできたストレートの球すらきちんと打ち返せない男だぞ。
「私とて、あの子が憎くてこのようなことをしたのではありません。しかし若様の傍付きとして物足りないのは事実。そのためしばし時間を頂きたいと思っておりました」
そう言ってウィリアムが俺の目をじっと見つめ返してきたかと思うと、おもむろに片膝を突いて頭を下げ、最敬礼をしてくる。
「ブルサの町へと送ったのは、二度と若様と会わせないためではありません。もう一度若様の傍仕えとして一から教育し直すためです。事後承諾かつ恥知らずで申し訳ございませんが、その許可を頂きたく存じます」
どうやらナズナを実家に送ったのは教育のためらしい。そして仮に俺がナズナが傍付きから外れることを認めれば、そのまま引き離しておくつもりだったのだろう。
「そう、か……それならこれ以上は何も言わないさ。できれば挨拶ぐらいはしたかったが……期間はどれぐらいになる?」
せめて手紙ぐらいは送った方が良いんだろうか。元気にしているか、無茶をしていないか、気遣うぐらいなら問題ないだろう。そう思って問いかけた俺に対し、顔を上げたウィリアムはこれ以上ないほど真剣な顔をしていた。
「ナズナの出来次第です。変わろうとしない、成長しないというのならそのままどこぞに嫁がせます。当家は陪臣とはいえ子爵位をいただく身ですから、嫁がせる先には困りませぬ故」
「…………ナズナの努力に期待しよう」
胃が軋む音を上げた気がして、それ以上のことは言えなかった。
「はぁ……もう、マジでどうなってんだよ……」
ウィリアムが退室したあと、俺は自室のベッドに寝転がってそんなことを呟く。下手すると先日の初陣以上に疲れたかもしれない。いや、精神的には確実に疲れたわ。あと胃が痛い。
というか、ナズナがいない間の傍付きはどうなるんだ? アンヌさん? いや、今回の件だとナズナの母親だしその辺にいるメイドさんに頼んだ方が無難か? 思考がまとまらないし、このまま眠ってしまいたい……あっ。
(そういえば、『召喚器』の確認をしてなかったな)
ふと、そんなことを思う。初陣のゴタゴタで忘れていたが、日課にしていた『召喚器』の確認をここ最近やっていなかった。
俺は寝転がったままで『召喚器』を発現する――ん?
(あれ? 胃の痛みが消えた? というか、体が軽いような……)
体に違和感を覚えた俺だったが、今まで感じていた胃の痛みが消えた気がした。そして体を起こしてみると、先ほどまでと比べて明らかに体が軽い。
『召喚器』のページが増えたんだろうか、なんて思いながら本を開く。そして今まで増えることがなかった六ページ目以降を確認する。
(おお……増えてる……というかよりによってこの時かよ……)
六ページ目に描かれていたのは、俺が野盗の頭目を斬った瞬間の絵だった。野盗の首を刎ねる俺の絵が描かれており、少しばかりげんなりとする。
(ま、まあいい。とりあえずページが増えたんだ。次のページは……ん?)
七ページ目を開いた俺は思わず首を傾げた。そこにあったのは今しがた見たものと同じで、野盗の首を刎ねる俺の絵である。
あれ? ちゃんとページをめくったよね? なんて考えながら六ページ目を見てみるが、そこにあった絵が変わることはない。
(なんだコレ……バグった? 次のページは……同じ?)
八ページ目を開くが、そこにあった絵も全く一緒だった。そのため次のページも確認するが、九ページ目、十ページ目、十一ページ目と連続して同じ絵が描かれている。
(どこまで続くんだ……って、ここまでか)
さすがにそれ以上は同じ絵が続くことはなかった。ただし、十二ページ目には顔を真っ赤にしながら俺の腕を引っ張るナズナの姿が描かれており、十三ページ目以降は白紙になっている。
(一気に七ページも増えたけど、その内六ページが同じ絵ってのは……)
自分の『召喚器』のことながら、相変わらず意味がわからない。俺が野盗の頭目を斬ったところが『召喚器』に載っているはまだいいとして、なんで同じページが連続してるんだ?
ただし、一気にページが増えた影響なのか明らかに体が軽い――身体能力が向上しているように感じるのは、やはりこの『召喚器』が補助系の能力を持っているということなのだろう。
確認するまで効果を感じなかったことから、『召喚器』を取り出す、あるいは取り出して開かなければ追加の効果を得られないということか。『召喚器』を消しても効果が継続しているあたり、補助系の『召喚器』としては便利である。
便利ではあるのだが――。
「身体能力が上がった? それなら技を教えるのに丁度いいな。徹底的に叩き込んでいくからしっかりと覚えろよ?」
それをランドウ先生に伝えたら、強制的に技を叩き込まれることになる俺がいたのだった。




