第241話:厚意 その2
電気のスイッチでも切ったように意識が途切れ、再び目を覚ましたらスグリの膝の上だった。
俺の身に起きたことを簡単に説明するとそうなるが、特に後半が何故そうなったのかがわからない。
「だ、大丈夫です、か? み、ミナト様、急に眠ってしまったんですよ?」
そう言って困ったような声をかけてくるスグリだが、工房の壁際に設置されたランプが照らし出すその顔は何故か真っ赤になっている。全体が見えるわけではないが、首から頬、耳にかけて健康的な赤みで染め上がっていた。
そんなスグリを見ながら、俺は頭がボーっとしていまいち理解が進まない。ここ最近というか、一ヶ月以上睡眠不足だった脳が強制的にシャットダウンし、そこから強引に起動して無理矢理動いている感じだ。
端的に言って、頭が働かん。
(いかん、気を抜いたらまた眠りそうだ……今、何時だ? 外は暗い……何時間か経ってる? その間ずっと膝枕をしていたのか? というか人前で意識を失うなんて……安らぎのポーションの効果? いや、安らぐってレベルじゃないぞ……)
全身麻酔でも打ち込まれたのかってぐらい意識がストンと消失した。大丈夫? 安らぎのポーションって言ってたけど実はヤバい成分が入ってない? 安らぐも何も、さっき攻撃されたら反応もできずに死んでたぞ、俺。
(いやいや、スグリが攻撃する理由もないし……ないよな? でも膝枕はされてるし……ううむ……この前カリンが膝枕をしていたところを見られたし、対抗心か? でもスグリ、色々と危ないぞコレ……)
下品な話、目の前にスグリの胸があってリアクションが取り辛い。普段背中を丸めて猫背にしているスグリだが、プロポーション自体はすごいのだ。視界がほぼ覆われていてスグリの顔も全体が見えないほどだ。
「あー……スグリ? とりあえず起きた……目が覚めたから、まずは背筋をまっすぐ伸ばしてくれないか? 俺が起き上がれないんだが」
「えっ、と……で、でも、急に起きたら危ないかも、ですよ?」
そう言いつつ、俺の頭をがっしりと掴むスグリ。待って待って、胸が顔に当たるから待って。なんで今、俺の頭を掴んだ?
スグリは俺の隣に腰を下ろし、俺の頭を横からふとももへと乗せている。ソファーが沈み込んで丁度良い高さになっていたのか、ずっと同じ体勢だったっぽいのに少し体が痛い程度で済んでいた。
「スグリ? スグリ嬢? 急に眠ってしまったのはこちらの落ち度だが、異性に気軽に膝を貸すものじゃないよ。ほら、起き上がれないから……」
「――気軽でなければ、いいんですか?」
とりあえずこの体勢から脱しなければ、と思って声をかけたら、そんな言葉が返ってきた。普段のどもるような言葉ではなく、強い感情が込められた言葉である。
俺の頭に乗せられた手が、離したくないと言わんばかりにしっかりと込められた力を伝えてくる。それと同時に、僅かに震えているようにも感じられた。
「ミナト様は、わたしが気軽に異性を膝枕するような女だと……そう、思いますか?」
「……いや、そうは思わないさ」
失言だと謝罪しようとしたが、それを封じるようにスグリの瞳がこちらを射抜く。
普段は前髪に隠しているその瞳は、不安と羞恥で揺れていた。それでも真っすぐに、強い感情を乗せてじっと見つめてくる。
「あっ、で、でも、ミナト様には婚約者候補の方がいて、そういう意味ではこんなことはしちゃ駄目だって、わかってはいた……んです、けど……」
言葉を濁し、スグリは僅かに視線を逸らす。
「でも……それでも……っ……」
俺の頭に置かれていたスグリの手が、小さく拳を作る。まるで何かを決意するかのように、ぎゅっと。
「ミナト様」
そして、固く強張るような声で、俺の名前を呼んだ。
「わたしは、み、ミナト様のことが――」
スグリがそこまで口にした瞬間だった。
ドンドンドン、と荒っぽく扉をノックする音が響き、スグリが体を跳ねさせる。
「すまない、スグリ殿! まだいるか!? こちらにミナト様が来られなかっただろうか!?」
続いて聞こえてきたのは、ナズナの焦ったような声だ。以前と同様に、俺の姿が見えないからと探していたのだろうか?
「あわっ、わわわっ……」
それまでの態度が嘘のように、顔を真っ赤にして慌てたようになるスグリ。俺と一対一のところに他者の存在が入ってきたことで、冷静になったのだろうか。
(今の内に……)
俺は体勢を変え、スグリの膝枕から脱出する。そしてソファーから立ち上がり、錬金工房の扉を開けた。
「っと……ミナト様? 姿が見えなかったので探していたのですが、何故ここに……」
「スグリが安眠しやすいようにとアイテムを作ってくれたんだが、それを飲んだら寝てしまってな。さっき起きたところだ」
下手に誤魔化すよりは、と判断して事情を説明する。
「俺を起こすのも忍びないと思ったようでな……ところで今、何時だ? 起きたばっかりだから時間も聞いてないんだ」
「そろそろ午後八時になりますが……」
答えつつ、俺をじっと見つめてくるナズナ。その視線が素早く上下に動き、何かを確認するような色を帯びる。
(なんだ? 服は……横になっていたけど、別に乱れてもいないし……)
何か変なところがあるだろうか、なんて思うが気になるところはない。
(ああ、いや、服の乱れ……そういうことか。俺がスグリとよろしくやってなかったかを確認しているのか)
本当に眠っていたし、何なら今でもまだ眠いし、俺は何もしていない。そのため無実だと断言できる。
「そうか……探させてすまんな。俺としてもここまで効果があるとは思わなかったんだ」
安らぎのポーションがここまで効くとは思わなかった。多分、調合したスグリもビックリなぐらいの効きっぷりだった。
「いえ、ご無事だったのなら何も問題ありません。スグリ殿も急に失礼をした」
そう言ってスグリに視線を向けるナズナ。
俺が膝の上を占領していたためスグリも動くに動けず、錬金工房は明かりが少ししか点いていないため薄暗い。そのためか、ナズナは先ほどまで顔を赤くしていたスグリの様子にも気付いていないようだった。
「俺も迷惑をかけたな……すまない。わざわざ安らぎのポーションを作ってくれたのに、飲んでそのまま眠るなんて……」
何かを言おうとしたスグリに向ける言葉としては、きっと正しくないのだろう。ナズナが来なければスグリが告げていたであろう言葉にアタリをつけながらも、俺は何事もなかったかのように振る舞う。
本当は、はっきり断るべきだとわかっている。俺にはカリンという婚約者候補がいる――のだが。
『花コン』がどうとか、断って透輝の方に行かれたら困るだとか、いくつかそれらしい理由が浮かびはした。
しかし、俺はスグリのことを嫌っていないし、むしろ好ましく思っている。錬金術師として邁進する姿を尊敬してもいる。
それなのに理由をつけてきっぱり断るのが、とてつもなく重く、苦しく感じられた。
(でも、悪役が『花コン』のメインキャラとどうこうって……そりゃ駄目だろ。いや、待て、俺。そんなことを考えること自体、失礼だ。それでも、俺は……)
俺個人としての思考と、『花コン』で結果的に悪役として行動することになるミナトの立場から、取るべき行動ではないのではないか、なんて考えがぶつかり合う。
「とりあえず、作ってくれた分は試させてもらうよ。代金は持ち合わせがないから後日で構わないかな? なんなら今から持ってくるが……」
「えっ、あ、いえ……それは、いつでも……」
「ありがとう。感謝するよ、スグリ」
酷い行いだとわかっていても。結局、俺にできたのは心情や状況を誤魔化すように曖昧に笑い、この場を立ち去ることだけだった。
「ふぅ……」
ため息を一つ吐き、寝る準備を進めていく。安らぎのポーションの効果が続いているのか、今なら眠れそうなのだ。
ただ、その前にいつもの習慣として本の『召喚器』を発現する。今日の出来事を振り返ってみれば、きっと――。
(……やっぱり、か)
新しくページが一枚増えているのを確認して、心中で呟く。
七十七ページ目。そこに、新しくスグリのページが出現していたからだ。だが、やっぱり、と思いながらも描かれていた光景は予想外のもので。
(これは……)
俺は内心で困惑の声を漏らす。そこには、膝枕をした状態で眠る俺に対して、くっ付きそうなほど顔を近づけているスグリの姿が描かれていた。
唇が触れるか、触れないかという距離。しかしスグリの髪によって口元が隠れており、実際にどうなったかはわからない。
キスをしたのか、思い留まったのか。熟睡していた俺にはわからない。
この体ではファーストキスになってしまうが、別段、キスの一つや二つ、恥ずかしがってどうこうするほど中身の年齢も若くないし、初心でもない。
だが、俺個人がどう思うかは別として、俺の立場上まずいのはたしかだ。俺はカリンという婚約者候補がいる身なのだから。
(さすがにスグリもそのへんを意識して寸止めのはず……いや、まあ、寸止めでなくてもそこはいい。良くないけど。とりあえず横に置こう)
スグリが本当にキスをしたかどうかは、本人に聞かなければわからない。聞いても嘘を吐くかもしれないが……まあ、反応を見ればわかるだろう。つまり確認さえしなければ俺にとってキスをしたかという事象は確定しないわけだ。
スグリも俺の『召喚器』でやったことがバレる、なんてことは想定していなかったのだろう。知っていてもやった可能性はあるが……とりあえず、横に置く。
(これは……どういうこと、だろうな?)
スグリのキス云々を横に置こうと思ったのは、新しく記載されたページに今までにない変化があったからだ。
(なんだコレ……なんで光ってるんだ?)
スグリが俺を膝枕しているページが、淡く光っているのである。それはこれまでのページにはないことで、過去のページを確認してみるが光っているページは一枚もない。
これまでに記載されたスグリのページを確認してみるが内容に変化もなく、ただ、一番新しいページだけが淡く光を放っている。
(七、八、九、十……十ページ目か。スグリ以外だと一人で十ページまで到達した相手はいないから……十ページが上限とか? それともキスをしたから? 未遂だったら余計にわからなくなるが……)
これまでに記載されたページの内容からゲーム的に考えると、好感度が一定に達したか、上限に達した合図だろうか。
(でも、キスで上限ってことはないだろ……その先もあるんだし……)
好感度が上がったことで光るモノといえば、『花コン』の主人公が扱う『召喚器』にはめ込まれた『絆石』が思い浮かぶ。
『絆石』は好感度が一定以上に到達して個別イベントを最後まで進めると『絆』状態と呼ばれる状態になり、『召喚器』から与えられる強化が強くなる。
仮にそれと同じだとすれば、俺の身体能力が大きく強化された可能性が――。
(……いや、特に感じないな……一ページ増えた分、少し強化された……か?)
自分の体を見下ろし、腕などに力を込めてみて確認するが目立って強化された感覚はない。
(ぐ……わからん……いつものことではあるが、全然わからん……ページが光った? だから何? って感じでしかないぞ……)
自分の『召喚器』が謎なのはいつも通りだが、これまでにない反応を見せた癖に何もわからないというのも腹が立つ。
(明日以降、スグリと顔を合わせた時の反応から推測してみるか……)
もしかすると俺ではなく、スグリに対して何か効果が働いている可能性もある。
今日のことがあって再び顔を合わせるのは少し……いや、かなり気まずいものがあるが。
(う……ん……とりあえず、剣を振ってくるか……)
眠るつもりだったし、眠気もあるが、頭の中をスッキリさせるために剣を振ってこよう。ついでに身体能力に大きな変化がないかを確認しよう。
そう考えた俺は、様々なことから目を逸らすように部屋を後にするのだった。




