第23話:初陣 その4
俺がこの世界で学んだこと、そして初めて指揮を執ってわかったことは、戦いの場において一対一で向き合って剣を交える機会は意外と少ないということだ。
距離があれば弓矢や投石、あるいは魔法で攻撃し、ある程度近付けば間合いが広い槍での殴り合いや突き合い、それを超えてようやく剣の出番となる。それもただ剣で斬り合うのではなく、打撃や投げ技、締め技といった体術を交えた何でもありの接近戦だ。
兵士達もわざわざ一対一で戦うことはせず、一人の敵に複数で当たることを徹底していた。二対一で戦えば一人が相手の攻撃を防ぎ、もう一人によって相手が攻撃した隙を狙えるからである。
中には数の不利を覆せる達人もいるが、それは非常に稀だ。素人ならまだしも、敵がある程度訓練を積んでいれば精強で知られるサンデューク辺境伯家の兵士でも複数人相手は極力避ける。
そのため敵の首領と一対一で戦う羽目になっている現状は、かなりのレアケースだった。
(さて、どうしたもんか……)
野盗の頭目と三メートルほど距離を取った状態で向き合い、剣を構えてじりじりと間合いを詰めていきながら思考する。
ランドウ先生は手頃な相手だと言った。つまり、俺でも勝ち目があると判断したのだ。
しかしながら俺は身長が百六十センチを僅かに超える程度だが、敵の頭目は百八十センチ近い身長があった。成長期の俺と違って既に成長しきったその体は大きく、たくましい。
腕の長さや体重、筋力や瞬発力といった身体能力、そして何よりも実戦経験の差がある。それらを覆すには間合いが広い武器を持つか、遠距離から魔法で撃つぐらいしかないだろう。
だが、俺も相手も互いに剣を握っている。魔法に関しては俺の才能が乏しい。下級の魔法をいくつか使える程度にはなったが、この状況で使うにはまだまだ慣れが足りない。魔法の準備をしている間に斬られるだろう。
そうなると、最早勝ち目はないように思える。それでもランドウ先生の見立てが間違ってなければきちんと勝ち目がある――はず、だ。
俺は牽制と時間稼ぎを兼ねて剣先を揺らすが、相手は動こうとしない。こちらの動きを油断なくじっと見詰め、上段にどっしりと構えたままだ。このまま待てば相手の腕が疲れそうだが、そうなる前に攻めてくるだろう。
この状況で勝つにはどうすれば良い? 俺の『召喚器』を出して警戒させる? 片手が塞がって不利になるだけじゃないか? それとも相手の剣を『召喚器』で防いでカウンター狙い? 頑丈だけど本当に防げる保証は?
「はぁ……はぁ……」
集中し過ぎて視界が狭まり、思考が加速していくのを感じる。同時に緊張から呼吸が乱れ、全身から汗が噴き出す。それをなんとか抑えようとするが、意識して止まるものではなかった。
それでも、俺は相手を必死に観察する。上段に構えたということは胴体ががら空きだ。相手の振り下ろしの速度次第だが、なんとか先に斬ることができるかもしれない。
一応構えに合わせてこちらの剣の切っ先を相手の肘へと向けているが、ここからどうするか。
(胴体ががら空き……先んじて踏み込んで斬るしかない……相手よりも先に斬ることができれば俺の勝ち……いや、相打ちだろうと先生がくれたポーションがある……即死さえ避ければ……)
綺麗な勝ち方に執着できるような技量も経験もない。そうなると相手との相打ちを狙い、なおかつ生き残ることぐらいしかできそうにない。幸い高品質のポーションがあるため、よっぽどのことがなければ生き残ることができるはずだ。
――本当に?
技量はわからないが体格が上という時点で俺から見れば相手の方が格上である。相手はシンプルに、俺が踏み込んだ瞬間上段に構えた剣を振り下ろすだけで良いのだ。
重力を味方につけた振り下ろしは俺が繰り出す剣よりも間違いなく速い。いくらこれまで訓練を欠かさなかったとはいえ、剣の速度で勝てると思い上がれるほど俺は自惚れていない。
しかも軽装の相手と違い、こっちは部分鎧を身に着けている。強襲した結果、防具を身に着ける暇がなかったのだろう。野盗の頭目はダボついた上着に動きやすそうなズボンと靴だけを身につけ、手甲のような腕を守る防具もない。
つまり体格差を逆手に取ろうにも防具の重さの分、速度で負ける。それならどうすればいい? どうすれば勝てる? いっそ剣を投げる? でも弾かれるだろうし、がら空きの胴体を突く? そのためには正面から踏み込んで……突く前に頭蓋を割られて死ぬな。
(防具がない手足を狙って……これも剣を振り下ろされて死ぬか。体格の分、向こうの方が間合いが広い……)
ここまでで何秒経ったのか。体感としては数分だが、極限状態で加速した思考が正確な時間の経過を教えてくれない。いや、どれぐらい時間が経ったかなんて意味はないんだ。相手の腕が疲れるよりもこっちの消耗の方が早い。だから時間なんて――。
(……そういえば、なんでコイツと魔法使いは隠れ家から遅れて飛び出してきたんだ?)
こちら側の強襲が上手くいったからバラバラに飛び出す羽目になった? いや、それにしては遅過ぎるしタイミングがおかしい。いくら強襲が上手くいったといっても、もっと組織だった抵抗も可能だったはずだ。
魔法使いが『火砕砲』を使うための時間稼ぎ? あり得そうだが、慣れた者ならそこまで時間はかからないはずだ。明らかに魔法使いと呼ぶべき風体の者が、ウィリアムと比べて極端に魔法の行使が遅いとは思えない。というか、それこそ防具を着込む時間もあったはずで。
(もしかして……)
相手のダボついた服を見る。体形を隠せるほどぶかぶかの服だが、敵に掴まれる危険性を考えれば裸の方がマシなはずだ。そうなると、服の下に何かがあると考えるべきか。
(鎖帷子か『召喚器』か。『花コン』でもいたな、鎧型の『召喚器』を使うキャラ)
ランドウ先生が手頃な相手と言ったのは、俺が見抜くと判断してのことだろう。初の実戦、初の殺し合いの最中に相手が隠して身に着けているであろう防具に気付けとか、スパルタすぎてこんな状況なのに笑ってしまいそうだ。
「ははっ……」
いや、いっそのこと笑ってしまえ。引きつりそうな頬を頑張って引っ張り上げて、余裕があるように笑ってみせろ、俺。そっちの方が相手も警戒する。
防具を着込んでいると仮定した場合、がら空きの胴体は明らかな誘いだ。鎖帷子の場合、斬撃は防げても衝撃は通る。そのまま肋骨を折られかねないから鎧、あるいは類似した『召喚器』の線が濃厚だ。これで勘違いだったら? 俺が死ぬだけだ。
「……この状況で笑うとは度胸があるな、坊主。初陣だろう?」
汗を垂れ流しにしながらも笑った俺を見て、それまで動こうとしなかった野盗の頭目が口を開く。初陣であることを思い出させて緊張させようって魂胆か?
「応とも。指揮官としても剣士としても初陣だ。でも指揮官としての初陣は終わったから折り返しでね。アンタを倒せば全部終わりだ」
相手が動かない理由にアタリをつければ、気分が楽になった気がした。軽口を叩く余裕も戻ってくる。それまで狭まっていた視界が元に戻り、相手の全体像が見えてきた。
わざわざ『召喚器』を隠している理由はなんだ? 逃げる時、背後から飛んでくる攻撃が胴体に命中するのを防いで動揺を誘うためだ。
弓矢だろうと槍だろうと、的が小さいから頭を狙うことは滅多にない。そうなると的が大きな胴体を狙う。そうすれば多少ズレたところで体のどこかに当たる。だが、服の下に『召喚器』を着込んでいれば胴体への攻撃を防ぎ、逃げ切ることができるかもしれない。
そんなことを考えながら隠れ家を焼き払って飛び出したら、サンデューク辺境伯家自慢の精兵が待ち受けていた――そんな相手の心境は如何に?
元々逃げ切ることは不可能で、ランドウ先生までいる。そんな絶望的な状況でランドウ先生から生き延びることができるかもしれない提案をされたとなると、どう考える?
何が何でも勝つ。たとえ先に一撃を打ち込ませたとしても反撃で仕留める。こちらが相打ちを狙っても耐えきれると、そう考えても不思議ではない。
それなら俺に取れる手段は二つ。最初の一撃で仕留めるか、こちらが反撃で仕留めるか。
「…………」
俺は無言で剣を引き、構えを変える。左肩と左足を前に出し、剣が相手から見えにくいよう脇構えの形を取った。そんな動きに野盗の頭目の表情が僅かに変わり――俺は一気に前へと出る。
「オオッ!」
前傾姿勢を取りながら踏み込み、短くも腹の底から気合いの声を出す。そして左足で大きく踏み込んで相手のがら空きの胴体目掛けて剣を振るい。
「っ!?」
――思い切り空ぶった。
剣の切っ先が相手に届かず、何の痛痒も与えられず。それが逆に困惑をもたらしたのか、野盗の頭目が剣を振り下ろすのがほんの刹那、遅れた。
その間に、俺の体は更に前へと進んでいた。空ぶりした勢いもそのままに、更に一歩、右足を外側へと踏み出しながら上体を左の脇構えへと移行する。
振り下ろされた剣が俺の左肩をかすめ、更には脇に構えたことで右の手甲を削るようにして通り過ぎていく。肩の端から血が吹き出たが構わない。手甲が削れて火花が散ろうと構わない。
剣を振り下ろした頭目の目が見開かれる。肩をかすめただけで筋肉も神経も無事だ。剣を振り下ろしたことで、頭目は隙だらけになった。
咄嗟に剣を跳ね上げようとするのを視界の端で捉えつつも、俺の方が一手早い。体を捻り、体重を移動し、脇に構えた剣を奔らせる。
「――――」
剣の切っ先に、ここ最近で慣れた感触があった。ランドウ先生に斬るよう言われた巻き藁と同じように、竹にゴザを巻いて水で湿らせたような、そんな感触が。
――嗚呼、このためだったのか。
信じ難いものを見るように目を見開いた、野盗の頭目。その顔が、首から上が地面に落下していくのを見て、俺は今更ながらに悟る。
ランドウ先生の斬るための練習というのは、まさに言葉通りのものだった。斬り方だけでなく、人の体を斬る感触に少しでも慣れさせようとしていたのだ。
それに気付かなかった自分の間抜けさに、何を思えば良いのかわからない。ただ、俺が勝ったことで周囲の兵士達が上げた歓声が、遠くに聞こえた気がした。




