第222話:願い
ドアを開けて顔を覗かせると、明らかに安堵した様子で息を吐くナズナ。
そんなナズナの仕草を見た俺は首を傾げる。
「ナズナ……こんな時間にどうしたんだ?」
時刻は既に日付が変わろうかというタイミングで、いくら主従の関係とはいえ異性の部屋を訪れるには不適当な時間だ。そのため疑問をぶつけると、ナズナは俺をじっと見つめてくる。
「普段の若様なら旅からの帰りで疲れていようと第一訓練場で鍛錬に励んでいると思い、足を運んだのですが、一向に見当たらず……何かあったのでは、と心配になりまして。透輝も不思議がっておりました」
「……あー……城から帰ってきたのが遅くてな。それに重傷を負ったし、さすがに疲労も溜まっていたから今晩は訓練はなしにしたんだ」
そう言って誤魔化すように笑う。
たしかにナズナの言う通り、たとえ旅から帰った日だろうと自主訓練は欠かさない。一日でもサボると腕が落ちるからだ。
だが、さすがに今日ばかりはリリィから話を聞いていた関係上、自主訓練もできていなかった。おそらくは俺に用があったのだろうが、普段通り第一訓練場に俺がいると思って足を運び、今まで待っても俺が来なかったため心配になって部屋まで足を運んだのだろう。
「そ、そうでしたか……お休みのところ、申し訳――?」
そこでふと、ナズナが言葉を不自然に途切れさせる。そしてピクピクと鼻を動かしたかと思うと、表情を無機質な物へと変えた。
「若様? 何か……そう、普段と違う香りがしますね?」
「…………んっ、あ、そうか? 王城で色々な人に報告で会ったからな。香水の匂いが移ったかな?」
俺はすっ呆けるように言いつつ、さりげない動きで腕組みをする。さっきまでリリィが抱き着き、盛大に涙を流していた場所だ。今もしっとりと濡れている。
(なんかナズナが怖い……やましいことはないのに問い詰められているような気分だ……)
そりゃまあ、俺としてもたとえば部屋に女性を連れ込んでどうこうしていたのなら後ろめたく思うかもしれないが、リリィは娘だ。咎められる理由はないはずである。たとえるならそう、妹であるモモカが部屋に来たようなものだ。実の娘なら関係性はモモカより近いしセーフだろう。
「若様?」
「どうした?」
じっと見つめてくるため、俺もナズナの瞳を見つめ返す。何も疚しいところはないし、俺の瞳が揺らぐことはない。
「……いえ、わたしの気のせいなのでしょう。若様のご無事が確認できず、気が立っていたのかもしれません。夜更けにご迷惑をおかけいたしました」
「なに、俺もまだ起きていたし、この程度は気にすることじゃないさ。君の忠誠には感謝しかないとも」
俺が普段と違う行動をしていたから気になって確認しにきたのだろう。それだけ俺のことを気にしている、俺を中心に考えて行動していると思えば何も言えない。
だが、俺の言葉に何か思うところがあったのか、ナズナの瞳が大きく揺れる。両手を拳の形に変えて顔を俯かせると、声を震わせながら言う。
「わたしの……忠誠を、知っていただけるというのなら……光栄では……ありますが」
あ、なんかまずいことを言ってしまった。地雷を踏みつけてしまったぞ、なんて思う。いやでも、今の発言に何かおかしな部分があったか?
そんなことを思っていると、ナズナが顔を上げ、真っすぐな眼差しで俺を見つめてくる。
「若様」
「……なんだ?」
改めて俺を呼ぶナズナに、内心で少しだけビビりながら答える。気まずいというか、妙な圧力があるのだ。
「わたしが若様を探していたのは、先日の件に関してお話がしたかったからです。あの時の若様の判断はきっと正しかったのでしょう。わたしがあの場にいても邪魔になるだけで、若様が一人で戦う方が逃げ切れる可能性が高かった……」
どうやらバリスシアと戦った時のことに関して話があったらしい。そのため俺は黙って頷きながら聞くと、ナズナは一歩、前に踏み出して俺を見詰めてくる。
「それでもです――改めて、お願い申し上げます」
俺を見詰めてくるナズナの瞳は、先ほどと比べてもなお大きく揺れていた。感情の高ぶりがそうさせるのか、あるいは不安がそうさせるのか、そこまではわからないが。
「若様、わたしは貴方の盾です。貴方が望んでさえくださるのなら、この身が砕けるまで貴方を守り通します。たとえどんな相手、どんな魔法だろうと、絶対に」
そこまで言って、ナズナは顔を伏せる。表情を、その瞳に宿った感情を隠すようにして、言う。
「だから若様。お願いですから……お願いだから」
――わたしを置いていかないで。
それは主従ではなく、ナズナという少女個人の願いだったのだろう。
同時に、つい先ほどリリィから聞いた『何故置いていったのか』という問いかけが脳裏を過ぎり、ナズナとリリィでは意味が違うだろうと頭を振る。
「ナズナにそんな風にお願いされるのなんて、初めてだな」
「申し訳、ございません……従者の領分を超えた願いだと、わかってはいるのですが……」
途切れ途切れに言葉を紡ぐナズナは、今、何を思っているのか。それでも、ナズナの言っていることは何もおかしな話ではないのだ。
主人が殿に残って従者を逃がすなど、本来はやってはいけないことである。ナズナとしても許容し難い出来事だったのだろう。普通なら逆で、ナズナが殿に残るべきだった。
それはわかっているが、あの場にナズナを残していけば確実に死んでいただろう。俺もリリィが助けに来てくれなければ死んでいただろうから大きな事は言えないが、ナズナよりは俺の方が生存確率が高かったのは間違いではない。
『花コン』のメインキャラだから死なせるわけにはいかなかった、なんて理由もあったが、あの状況で生還できる可能性が一番高かったのは俺だ。全員で残っていたら時間を稼ぐことぐらいはできただろうけど、最後には力尽きていただろうし。
だけどまあ、ナズナの立場と心情的に、こうして俺に言いたくなる気持ちもわかる。ナズナからすれば主人を置いて逃げるなどとんでもないことだしな。『花コン』のメインキャラ云々っていうのは俺しか認識していない情報、基準だし。
「いや、ナズナの気持ちと忠誠心は嬉しいよ。今回はその上で撤退するよう頼んだんだ。ナズナ、君をないがしろにしているわけじゃない。普段から頼りにしている……が、今回は逃げるところまで含めて考えると、俺以外適任がいなかった。それだけの話なんだ」
ナズナはそれでもと言うだろうが、俺としてもこの点は譲れない。ナズナの気持ちはありがたいが、あの場に残られても本当に無駄死にするだけだった。
従者だから自分が殿に残る、なんて気持ちはありがたいし、立場上当然のものかもしれないが。それでも俺としては……俺個人としてもあの場に残して死んでほしくなかった。
「しかし」
「ナズナ」
言い募ろうとするナズナを、遮るようにしてその名前を呼ぶ。するとナズナは口を閉ざし、俺の言葉を待つように見つめてくる。
「君が俺を守りたいと言うように、俺も君を守りたかった。ただ、それだけのことなんだよ」
繰り返しになるが、リリィの助けがなければ死んでいたという点から考えると大言壮語もいいところだろう。ナズナを逃がした結果、あの場で死んでいたのだから。
「若様……それでもわたしは、貴方を――っ!」
それでも本音として告げると、ナズナは何かを言おうと口を開き――そのままグッと飲み込むように口を閉ざす。
「……いえ……夜分に、申し訳ございませんでした……若様のご無事を確認出来て、安心しました」
そう、絞り出すように言って、ナズナが背を向ける。それを見た俺は咄嗟に右腕を伸ばしかけ――その直前で思い留まり、下ろした。
「……迷惑をかけるな。寒くなるから、風邪をひかないよう温かくして休んでくれ」
今の俺に、ナズナに言える言葉はない。そう判断して、ナズナの背中を見送るのだった。
「あれがナズナさん、かぁ……お父さんの幼馴染み……小さい時から一緒だったんだよね?」
ナズナを見送り、扉を閉めて鍵までしっかりかけると、ベッドの下からリリィが出てくる。そして興味深そうに、それでいてどこか同情するような色を瞳に浮かべてナズナが去った方向へ視線を向けた。
「……未来でナズナのところには行かなかったのか?」
何を聞けば良いかもわからず、とりあえず思いついたことを尋ねる。するとリリィは記憶を探るように目を細めた。
「えっと……さっき、ウィリアムさんとゲラルドさんが火竜相手に戦死したって言ったよね? その影響でナズナさんが実家を継ぐことになって、色々と大変だったみたい。お婿さんがー、とか、騎士団長がーって」
「……ああ、そうか。そうなるのか」
騎士団長であるウィリアムが死に、その跡を継ぐはずだったゲラルドも死んだとなると、ウィリアムの娘であるナズナに白羽の矢が立つか。
実力や適性を考えると別の者に騎士団長を任せるべきかもしれないが、軍役で奮戦して命を落とした騎士団長の遺児、となるとレオンさんも放ってはおけない。婿の手配といい、色々と大変だったことだろう。
「ナズナに対しては……何も思うところがないのか?」
カリンに対する態度と全然違う。なんというか、興味自体がなさそうな反応だ。
「お母さんからも聞いたことがなかったし……お父さんがね、昔のことを教えてって頼んだら教えてくれたから知ってるの。それぐらいかな?」
「そうか……」
大規模ダンジョンでの修行がなかったとすれば、ナズナが盾の『召喚器』を発現するようなこともなかった……はず……ん?
(ナズナが盾の『召喚器』を発現する直前にリリィの……あの時はリンネか。その干渉を疑ったことがあったが……別のルートで修行がなかったのなら、リリィはどうして干渉を? やっぱり俺の勘違いで、リリィは干渉していなかったのか?)
あの時期は何かあればリンネの干渉を疑っていたが、リリィの目的を思えば干渉する理由が見えてこない。
これまでの話から、リリィが過去に来てやろうとしていたことは大きくわけて二つ。
一つは、先日のバリスシアとの戦いで俺が死なないようにすること。
これは非常に重要で、俺が死んでいたら透輝が『宝玉』を使って復活させ、その結果『魔王』対策が詰むというとでもない事態に発展するところだった。
もう一つは、俺が強くなれるようサポートをすること。
俺個人としては非常に助かるが、俺が少しでも強くなれるよう自ら『魔王の影』を演じたり、火竜をけしかけたりと、様々なことをしてくれた。
だが、本当にその二つだけが目的なのか、現状ではわからない。
「なあ、リリィ。君は俺が死なないようにすること、俺を強くすることを望んで今の世界に来てくれたみたいだけど、他に目的はないのか?」
「え? あるよ?」
「……あるんだ」
あっさりと肯定されて、思わず呟いてしまう。するとリリィは俺をじっと見つめて頬を膨らませた。
「バリスシアの件はわたしが知っている歴史よりかなり前倒しで焦ったけど……大きな目的がもう一つあるの。それはお父さんとお母さんの存在が消滅しないようにすること。そのためにお父さんに強くなってもらって、名前を売ってもらったんだよ?」
「名前を……売る……?」
そう言われて、脳裏に様々な情報が飛び交う。なんというか、俺の名前がやたらと売れている気が以前からしてはいたのだが。
「……学園に入学する前、野盗をけしかけたか?」
「アレは向こうが勝手に集まってたんだよ? 学園に向かう新入生を捕まえて身代金を要求しよう、なんてことを企んでたの」
「あの時点でそれなりに名前が売れていた俺が通る場所で、わざわざ?」
「名前が売れていたからこそ、じゃないかな?」
そっちの方が捕まえた時に野盗に捕まったという風評を隠すべく、多額の金を支払った可能性が高いということか。いや、それはなんとも……捕らぬ狸の皮算用すぎる。その結果が『野盗百人斬り』だぞ? まあ、俺が実際に百人斬ったわけじゃないけどさ。
(これまでの会話でわかったことがあるが……この子、かなり危ういな)
俺はリリィについてそう評価を下す。俺のことを父親として慕っていて、俺のことを思って行動していたようだが、その節々に過激さが滲んでいる。
良く言えば純粋、悪く言えば常識がない。育った環境が環境だけに、それも仕方がないといえばそうなのだが。
(俺の存在が消えないよう名前を売るっていうのも、俺のことを多くの人が知っていれば大丈夫ってことか? たしかに別ルートの俺と比べると桁違いに名前が売れていそうだが……)
存在が消えるというのなら、消えないぐらい有名にすればいい――そんなところだろうか。
そのために被害が出ても構わないと思っているのか、そもそもそこまで考えていないのか。どうしたものかと悩んだが、俺からすればまだまだ付き合いが浅い相手である。
その辺りを指摘するとしても、今はまだ、時期ではないだろう。
「……夜も遅い。今日のところはそろそろ休むとしようか」
そう判断した俺は今日のところは切り上げて休むよう提案した。聞いた話を整理する時間も欲しいのだ。
とりあえずシャワーを浴びて着替えて、それから寝るとしよう。俺がそんなことを考えていると、リリィが俺の服の袖を摘まみ、引っ張ってくる。
「あの……えっと、ね……お父さん、一緒に寝ても……いい?」
そして、甘えるようにそんなことを尋ねてきた。リリィにとってはもう、二度と叶うことがなかったであろう願いを。
「……ああ。構わないとも」
俺にその願いを拒絶することは、どうにもできなかった。




