第21話:初陣 その2
初日に泊まった村を発ち、街道を進むこと五日あまり。
日暮れ前に村や町に立ち寄って夜を過ごし、日中は歩兵がついてこれる最大速度で移動していると、ようやくというべきかとうとうというべきか、国境線にだいぶ近いところまで進んでこれた。ここまでくれば大規模ダンジョンにも近く、数時間とかからない内に行くことができる。
ちなみに騎兵だけなら半分以下の日数で到着できるらしい。ランドウ先生も普段は馬を使って行き来しており、馬が潰れない程度に飛ばせば二日とかけずにラレーテの町まで戻れるそうだ。
わざわざ歩兵を混ぜて行軍したのは俺の初陣だから、という理由が大きいが、相手が森の中や大規模ダンジョンに逃げ込んだ場合に馬が邪魔になるからである。
馬の餌や水を運ぶのも大変なため、村や町で補給を受けつつ荷物は最小限で移動してきた。年齢と体力的に途中からはナズナを俺の馬に相乗りさせたが、そのおかげで上機嫌になったのは良かったのやら悪かったのやら。ウィリアムが少しばかり渋い顔をしていたのが印象的だった。
それでも野盗の一団が行動している地域が近付いてくると、自然と空気が引き締まっていく。こちら側の斥候は既に放っており、情報を持ち帰るのを待ちながらゆっくりと街道を進んで行く。
数は少ないが斥候も精鋭で固めているため、何かしらの情報を持ち帰ってくれるだろう。問題があるとすれば、ここに来るまでに相手が他所の地域へ移動していないかだが――。
「若様、斥候が敵の痕跡を見つけました」
斥候の報告を受けたウィリアムがそう言ってくる。それを聞いた俺は緊張で心臓の鼓動が早まるのを自覚しつつも、馬上で遠くを見る。
俺の初陣とはいうが、こうして補佐にウィリアムがいるのだ。指揮官としての初陣でもあるため、得られた情報はきちんと精査する必要がある。
「痕跡とはいうが、いつのものだ?」
「斥候の見立てでは昨日から一昨日の間に複数名、森の中を固まって移動した跡があるようで」
「猟師の可能性は?」
「ありません。近隣の村には野盗を片づけるまで森に入らぬよう、事前に通達しております」
「冒険者の可能性は?」
「……ゼロではありませんが、わざわざ街道から逸れた森の中を通る理由がありません」
打てば響くように答えが返ってくるが、最後の質問には僅かに詰まった。そんなウィリアムを横目で見たが、俺は再度前を向いて顎を軽く撫でる。
「事前の予想通り野盗はまだいる……か」
今回の件では確実に野盗を追いつめるべく、協力関係にある男爵家からも兵士が動いている。街道を巡回する兵士の数を普段より増やすだけだが、サンデューク辺境伯家側は普段と変えていない。そのため大量の兵士を避けるならこちら側に移動しているだろう。
更に移動して隣国に逃げ込まれると面倒だったが、幸い根城を変えることはなかったようだ。
「それでは先生、もしもの時は手筈通りお願いします」
「おう。任せとけ」
まあ、隣国に逃げ込んでいても問題がないようランドウ先生がいる。野盗が隣国に逃げていたらこっちの方まで追い立ててもらう予定だったのだ。
野盗が逃げ込んだからとうちの兵士が越境すれば大問題だが偶然……そう、偶然だ。運悪く、凄腕の旅人が野盗に襲われたものの反撃し、そのまま追撃を仕掛けるだけなら問題はない。旅人と野盗のどちらの運が悪いかは、まあ、確実に後者だが。
「更に痕跡を発見したようです」
ウィリアムが前方を見ながらそう言うが、一体何があったのか。というか、斥候が報告に来た様子がないんだが。
俺が疑問に思っていると、遠目に斥候の姿があった。数百メートルほど離れた森の中で、こちらだけに見えるよう何やら身振り手振りで合図を送っている。
「む……」
いつの間にか単眼鏡を取り出したウィリアムが斥候の身振り手振りを確認し、迷うような声を漏らす。そして腕を上げようとしたものの動きを止め、俺へと視線を向けてくる。
「相手側の斥候を発見したようです。斥候の数は二人。指示を乞う、と」
「こちら側の斥候は気付かれていないんだな?」
「そのようです」
事前情報通りとはいえ、斥候を出していたか。しかしこっちの斥候の方が上手だったのか、相手に悟られずに情報を送ってこれたようだ。
(斥候を始末したら相手の目を潰したようなもんだが、どうするか……)
――時間が経っても斥候が戻ってこなかった場合、野盗はどう動くか?
俺ならどうする? 決まっている。その場から逃げる。
相手の指揮官の性格次第ではその場に留まって再度斥候を出すかもしれないが、これまで上手く逃げ回ってきた点から、危険を感じればすぐに逃げるタイプだと思う。
――そんな相手を逃がさないためには、どうすればいい?
敵の斥候は二人。ここで単独行動をさせないあたり、相手は手堅いし用心深い。だが、事前の情報では敵の数は二十から三十程度。斥候として繰り出せる数は何人だ?
斥候として教育を受け、経験を積んだこちら側と比べれば敵は練度が低いだろう。数自体は出せるかもしれないが、逃げることを優先するなら手駒の数は多い方がいい。
さすがに薩摩隼人みたいに少数の死兵を置いて捨てがまりを実行できるだけの練度、統率力はないと思われる。そんな器の指揮官なら野盗なんてやってないだろうし、仮にできたとしても、精鋭で揃えたこちら側の面々なら食い破れる。ただしその場合、逃げる時間を稼がれる危険性がある。
それらの思考を十秒程度でまとめ、俺はウィリアムを見る。
「敵の斥候を動かしたい。こちらの斥候は待機。本隊を動かすぞ」
「ほう……その意図は?」
「敵の斥候にこちらの姿を見せればその情報を持ち帰るだろ? それを追跡させろ。伝令以外に斥候が残った場合は……」
そこまで口にした俺は僅かに戸惑った。しかし今更止めるわけにもいかず、言葉を続ける。
「排除しろ。案内役は一人いれば十分だ」
「的確な命令ですな。了解いたしました」
ウィリアムがそう言って前方の斥候に向かって数回手を振る。それだけで意図が伝わったのか、ウィリアムの指示で俺がいる本隊が前進の速度を速めた。
俺は今、明確に人を殺すであろう指示を出した。相手が野盗で被害を出している以上、排除するのはサンデューク辺境伯家の嫡男としての責務であり義務でもある。
だが、少しばかり驚くこともあった。
(思ったより、動揺しないもんだな……)
自分の手で殺したわけではないからか、心に圧し掛かる重さは予想より大きくない。心が麻痺しているだとか、この世界が『花コン』の――ゲームの世界だからと現実逃避をしているだとか、そういうわけでもない。もちろん、快楽殺人の気質を持っているわけでもない。
ただ、この体に生まれ変わって十二年の時を経て積み重ねてきたものが、動揺を許さないのだ。
初陣とはいえ動揺し、安易に味方の被害を出すような命令を下す姿を見れば兵士達がどう思うか。ウィリアムが止めるだろうが、そんな命令を口にした時点でどんな印象を与えるか。
「ふぅ……」
馬を前へと進めながら、意識して深呼吸をする。少しでも堂々としていると思われるよう、背筋をまっすぐに伸ばして前を見る。そんな俺の挙動に何かを感じたのか乗っている馬が心配そうに振り向いたため、苦笑して首筋を叩いた。なあに、大丈夫さ。虚勢は張れるとも。
「ふむ……いやはや、つくづく惜しいですな」
俺が愛馬と戯れていると、隣に並んだウィリアムが呟きを零す。
「何がだ?」
「贅沢な悩みですが……将来の主君と思えば頼もしいですが、一人の指揮官として鍛えてもみたかった、と思いましてな。いや、実に惜しい」
そう言ってウィリアムは笑う。俺の虚勢と違い、実戦の空気に慣れた自然体での笑みだった。
「さすがは我が騎士団の団長だ。この状況でずいぶんと余裕を見せてくれる。だが、評価を下すのはまだ早いだろう? このまま進んで敵とぶつかり合ったら恐怖で逃げ出すかもしれんぞ」
ナズナとウィリアムとランドウ先生と家臣一同に失望されるだろうから、絶対に逃げられないけどな。そう考えると虚勢を張るか、失望されてもいいから怯えて全部任せるかの二択しかない。
それでも軽口を叩いてみると、ウィリアムは楽しそうに笑った。
「大丈夫でしょう。私の初陣と比べれば遥かにまともな、堂々とした指揮ぶりですから」
「……ウィリアムは指揮官として先達で、初陣の経験者でもあるのに話を聞こうとすら考えていなかったんだが?」
時間があったんだし、こういう時の心境とか心構えとか事前に聞いておけば良かった。今更になって気付くあたり、やっぱり無意識の内に緊張していたのかもしれない。
「そうやってすぐに答えられるだけ若様は優秀ですよ。頭が真っ白になって何も考えられず、気が付けば初陣が終わっていた、なんてこともよくあります。ほら、見てください」
ウィリアムがそう言って視線を向けたのは、俺と同じで今回が初陣となるナズナだ。もうすぐ接敵する可能性が高いから俺の馬から下ろしているが、ガチガチに緊張しているのが見える。
「いくら俺の従者といっても、ラレーテの町に置いてきて良かったと思うんだがなぁ……」
ナズナのあまりの緊張ぶりを見ていると、逆に俺の気が抜けてしまいそうだ。というかもう抜けた。少なくとも肩の力を抜くことができた。
「主君が危地へと赴くのに、安全な町の中で待っている従者など必要ありません。馬を任せるので戦いには参加させませんが、せめてギリギリまで供をさせて実戦の空気を感じさせましょう」
だが、ウィリアムは自分の娘に対しても非常に厳しかった。以前から何度かあったが、どうにもナズナへの当たりがきつく感じられるのは気のせいか。
その辺り俺としても気になったが、さすがに実戦を前にして聞くわけにもいかない。それをウィリアムも感じ取ったのか、前方をじっと見つめながら口を開いた。
「若様の予想通り、敵の斥候は二手に別れたようですな。残った斥候は排除できたようです」
「他に潜んでいる斥候は?」
「今のところ見つかっていないようで。敵の人数的に伏せていないでしょうし、敵の斥候が持ち帰った情報でどう動くか……ここからは行動の速さが肝ですぞ」
様子見はここまでで、あとは素早く動けってことね。
俺は馬を操って敵の斥候がいた森の傍まで近付くと、馬から下りて自分が身に着けている部分鎧や剣帯で吊っている剣に異常がないことを手早く確認する。
敵を前にして剣が抜けなかった、鎧がズレていて致命傷を負ってしまった、なんて事態が起これば笑い話にもならないのだ。
俺が下馬するとこの場に残った斥候が駆け寄ってくる。その手には血で濡れた短剣が握られており、それが何を意味するのか察して心臓が早鐘を打つのを感じ取った。
「御苦労。敵が逃げた方角は?」
それでも動揺を隠し、斥候に尋ねる。状況が状況だけに声を張り上げるようなことはしない。
「こちらです。追跡した者が合図を残しています」
言われて見てみれば、木の幹に傷がつけられているのが確認できた。これを追っていけばいいのだろう。
「よし……行くぞ。ナズナは兵士二名と共に馬を頼む」
俺は愛馬の手綱をナズナへと託す。他の騎士達も乗っていた馬の手綱を託すと、それぞれが管理する兵士と隊列を組んだ。
「ご、ご武運をっ!」
ナズナは体を震わせながら激励の言葉をかけてくれるが……うん、もう少し静かにね?
「…………」
俺は無言で眉を寄せるウィリアムから少しだけ距離を取りつつ、森の中へと踏み込んでいくのだった。




