第217話:娘 その2
リンネの返答……母親が誰かを答えてもらった俺は、再度となる混乱の極致にいた。
(め、メリアが母親? え? 俺、メリアと結婚するの? いや、結婚せずに子どもだけ作った可能性も……うっそだろ? え、嘘だよな? メリア? 同姓同名の別人……いや、ねえわ。じゃああのメリアで合ってる? 本当に? 本当、え、嘘っ? 本当?)
そんな疑問を言葉に出さないだけの自制心は、辛うじて残っていた。それでも一秒間に五回ぐらい瞬きをしながら、形容しがたい焦りと共に思考をぶん回す。
(となるとカリンは? 婚約者候補のカリンはどうなった? もしかしてカリンが婚約者候補じゃない? いや、そもそもこの子が言う父親と俺は本当に同一人物なのか? 中身は俺か? いやいや、『花コン』のミナトだったらメリアと結婚なんてできないだろ……)
様々な疑問が脳裏を飛び交う。だが、それも仕方がないだろう。俺としては仕方がないというしかない。未来の俺の娘という、とんでもなく貴重な情報源の言葉なのだ。いや、情報源って表現も響きが悪くて嫌だけども。他に言い様がないのだ。
「んっ、んー……んん。あー、えーっと……その、リンネ? 俺としては命の恩人である君を疑いたくはない……ないんだが、さすがに納得ができないというか……ほ、ほら、髪の色も俺やメリアとは全然違うから、どうにも……ね? ね?」
そう言いつつも、なんか顔立ちや目付きが俺にちょっと似てるなぁ、なんて思ったりもする。今はまだ可愛いと言える顔立ちだが、成長すると美人になるんじゃないだろうか? 自覚はないんだがこれが親の欲目か?
ただ、本当に娘だとしたら親から『君、本当に俺の娘?』なんて疑われるのは辛いだろう。そのためどう伝えたものかと微妙な言い方になってしまう。
「……ぅ、ん……ちょっと、待って……」
そんな俺の疑問も当然だと思ったのか、リンネは再びリュックサックに手を突っ込む。随分と使い古したリュックサックだが……サイズ的に、リンネが使うには大きい。成人男性が使うサイズだ。
そうやって観察していると、リンネがリュックサックから一本の瓶を取り出す。ポーションかと思ったが、俺が今まで使ったことがない色合いだ。
(これは……何のアイテムだっけ? これまでに見たことはあるけど……)
はて、と首を傾げていると、何を思ったか、リンネが瓶に入った液体を髪に振りかける。
「えっ……あっ、あー……なる、ほど……そういうことか……」
そしてリンネに起こった変化を見て、俺は思わず納得の声を漏らしていた。
それまで黒かったリンネの髪が、液体に触れた場所から徐々に変色していく。錬金術で作れるアイテムの内の一つ、髪の染色剤だ。いや、この場合は染めていた色から元に戻す脱色剤か。
王都のファンシーショップや色街で見かけたことがあったが、こうして実物を使うところを見るのは初めてだ。
(うわぁ……マジか……)
思わず内心で呟く。染色剤が触れた場所が徐々に艶のある銀色へと変わっていくのだ。メリアの髪色とそっくりな、銀色の髪へと。
(メリアは瞳の色が青色で……ああ、そっか。そうなるとリンネの瞳の色は俺からの遺伝か……あと、顔立ちが少し俺に近い……父親に似ると美人になるんだっけ? 迷信か?)
現実逃避するようにそんなことを考えつつ、リンネをじっと見る。頭頂部から毛先に至るまで銀色の髪になったその姿は、たしかにメリアによく似ていた。
俺が何と言うべきか迷っていると、髪色が元に戻るまでじっとしていたリンネが俺を見上げてくる。そしてどこか不安そうな様子で口を開いた。
「……どう? お父さん、信じて……くれる?」
「……ん、あ、ああ。こりゃ、まあ、なんだ……お母さんによく似た……うん、別嬪さんですね?」
どうしよう、こういう時にどんな態度を取れば良いのか、さすがに実家の教育でも習わなかったわ。いや、未来から娘がやってきた時の対応方法なんて、習うはずがないんだが。
「し、しかし、こう言っちゃなんだが、将来の俺は自分の娘にリンネって名前をつけたのか……いや、メリアがつけたのか?」
とりあえずそんな話を振ってみる。するとリンネは何故か頬を膨らませるように不満そうな顔をした。
「もう! お父さんったら、自分の娘に付けた名前を忘れちゃったの?」
「うん……まだつけてないからね?」
怒られてしまったが、未来のことはさすがにわからないよ? そんなツッコミを入れると、リンネははっとした様子で慌て出す。
「そ、そうだった……久しぶりにお父さんとおはなしできたから忘れてたけど、ここは過去だもんね? わたしもつい泣いちゃって、混乱しちゃった」
そう言って恥ずかしそうにするリンネ。その表情だけを見れば外見相応の幼さがあり、多少は落ち着きを取り戻してくれたか、と俺は内心だけで安堵する。
「色々と……そう、色々と聞きたいことがあるんだ。でもモリオン達のことも気になるし、今はとりあえず重要なことだけ簡単に教えてくれないか?」
「重要なこと……」
俺が頼み込むと、リンネは考え込むように視線を彷徨わせた。しかしすぐに何かに思い至ったのか、ずい、と前のめりになって俺を見上げてくる。
「えっと、それじゃあね、わたしの名前! お父さんがつけてくれたわたしの名前!」
それが重要なことか? なんて疑問は口には出さない。事情も状況もわからないが、こうして過去に来てまで行動しているリンネにとって、とても重要なことだろうから。
「というか、偽名だったんだな」
「うん! でもお父さんったらひどいんだ……リンネテンセイって何度も言ってたから大事な言葉だと思って偽名に使ったのに、わたしのこと、全然気づかないんだもん!」
「……未来の俺が、そんなことを?」
自分の娘には自身に前世があると、輪廻転生したと伝えていたのだろうか? あとリンネさん? 娘が過去から来たなんて普通は気付けませんよ?
(あ……でもアレクがなんか言ってたな、リンネが偽名じゃないかって……うわ、オウカ姫が偽名で名乗ってるんだと思ったけど、こっちかぁ……)
思わず友人の慧眼に戦慄する。ということは、リンネが仮面をかぶって顔を隠していたのも俺やメリアの娘だとバレないようにするためか。アレクと顔を合わせたら即座に気付きそうだしな。
そうやって納得していると、リンネは一度咳払いをする。そしてどこか不安そうな顔をしながらも、自らの名前を口にした。
「わたしの名前はね……リリィ。お父さんがつけてくれた、大切な名前だよ?」
たしか、百合の花の英語名だったか? 『花コン』のヒロインが花をモチーフにした名前だからそれにあやかったのだろうか。あるいはリンネ――リリィの髪の色を見て、百合の花を連想したのか。
「……リリィ」
「っ! うん……うんっ!」
俺が確かめるようにその名前を呼ぶと、リリィは涙を浮かべながら再度抱き着いてくる。
俺はようやく動けるようになった体でリリィを受け止めると、怖々と、赤ん坊を抱き上げるような慣れない手付きでリリィを抱き締めるのだった。
リリィの名前を聞き、泣いてしまったリリィをあやした後、ポーションが効いて体を動かせるようになった俺はひとまずモリオン達と合流することにした。
本当はリリィから色々と話を聞きたい。未来に何があるのか、何が起きて俺がメリアと結ばれてリリィが生まれたのか、何故リリィが過去に来たのか。
予測できることもあるが、本人の口から話してもらう方が良いだろう。そっちの方が確実だ。俺としても今すぐに聞きたい――が、今の俺は『魔王の影』であるバリスシアに一対一で立ち向かい、殿として兵士やモリオン達を逃がした身だ。
無事に生きていることを伝えなければ大変なことになってしまう。『飛竜の塒』だった場所を『木竜ノ嵐霹』が薙ぎ払ったのは遠くからでも見えていただろうし、せっかく逃がしたモリオン達がバリスシアと遭遇して殺されでもしたら元も子もない。
一応、リリィが言うには既にバリスシアは立ち去っているはず、とのことだが。
(命令して撤退させたけど、ナズナや透輝がどうなっているか……モリオンは多分大丈夫だと思うけどさ)
特にナズナは俺を守るために盾の『召喚器』を発現したのだ。そんなナズナに俺を置いて逃げろと命令した。
あの時はそうするしかないと思ったし、実際にナズナがあの場にいても死体が増えただけ……それもリリィが助けに来たあとでは無駄死にだったとわかっているため、最適な命令だったと断言できる。
だが、ナズナが心から納得できるかは別の話だ。俺が死んだと思ったら後を追いかねない。主君を危地に置いて自分だけ撤退したとなれば、そんな判断をしてもおかしくない。
そのため急いで『飛竜の塒』の傍にあった兵舎へと向かう。リリィは後々、学園に顔を出してくれるらしい。どうやって顔を出すのかは謎だが、あの子ができるというのならできるのだろう。
そう思って兵舎に辿りついた――のだが。
「離してモリオン殿っ! 若様が! 若様がぁっ!」
「落ち着けナズナ殿! ミナト様がそう簡単に死ぬものか! 死体も見つかっていないのに自裁しようなどと……ええい! 力が強い! テンカワも手を貸せ!」
「お、おう!」
錯乱して短剣を抜いているナズナ。
そんなナズナを羽交い締めにするが、身体能力の差で取り押さえられないモリオン。
モリオンの要請を受けてナズナの腕を押さえる透輝。
バリスシアと戦い、リリィに救われてから兵舎に戻ってくるまでで一時間近く時間が経った。おそらくはここまで戻ったきたものの、俺を助けに行くかどうかで揉めているのだろう。ナズナは違う理由で騒いでいるようだが。
「……何をやってるんだ」
思わずそんなことを呟いてしまう。いや、ナズナが取り乱しているのは予想通りといえば予想通りだが、短剣で腹でも切るつもりか?
「っ!? わ、若様!? 若様ぁっ!」
俺の声が聞こえたのか、ナズナが泣きながら駆け寄って抱き着いてくる。リリィといい、よく抱き着かれる日だ。
「すまん、心配をかけたな。今もどったぞ」
「私は当然のことだと思っていましたが……さすがにあの規模の魔法を見ると肝を冷やしましたよ。ご無事でなによりです」
「うわっ!? ミナト、ボロボロじゃねえか! え? むしろなんでそんなに平然としてるんだよ!?」
平然としつつもどこか安堵した様子のモリオンと、俺の格好を見て驚く透輝。ナズナは抱き着いたまま泣いている。
「二度と! 二度とあのような命令はしないでくださいっ! するなら一緒に戦え、一緒に死ねと命じてください!」
「すまんな、あの場はアレが一番生存確率が高いと思ったんだよ」
ナズナの発言を肯定はせず、苦笑しながら言う。実際はリリィが助けてくれなければ死んでいたんだが、それを言うつもりはなかった。
「あれ? 剣はどうしたんだ?」
ナズナに答えていると、透輝が不思議そうな顔をする。そうだ、バリスシアが本当に立ち去ったかを警戒しながらになるが、『瞬伐悠剣』を回収しにいかないといけないな。
「色々とあってな……剣はあの場に残してきた。短剣も砕けちまったよ」
「ミナトが剣を手放すなんて、マジかよ……『魔王の影』だっけ? そんなに強かったのか?」
「……ああ。逃げるだけで精一杯だった」
リリィのことは伏せてそう答える。俺自身、リリィに関してはまだよくわかっていないのだ。そのため死にかけたことも伏せる形になるが、透輝は俺の話を聞いて顔を引きつらせている。
「逃げるだけで精一杯って……ミナトが? 嘘だろ……」
「いや、なんとか最上級魔法をしのいだが、それで限界を迎えてな。相手も俺が死んだと思ったのか、追撃はなかったよ」
そう言って誤魔化しつつ、俺は今後のことに関して思考を巡らせる。
(剣を回収したら王都に戻って国王陛下やオリヴィアさんに今回の件を報告しないとな……リリィについては……まだ、伏せておくしかないか)
『飛竜の塒』を破壊した『魔王の影』と遭遇した、というだけでも一大事だ。リリィという未来の情報を知っている存在に関しても伝えなければならないが、俺自身、何もわかっていないに等しい。そのためまずは話を聞かなくてはならないだろう。
抱き着いたまま泣いているナズナをあやしながらも、今後の展望に関して重苦しいものを感じた俺は内心だけでため息を吐くのだった。




