第214話:魔王の影 その3
最上級魔法はそれぞれの属性の竜を冠する魔法になるが、その威力は並の魔法とは一線を画す。最上級と名前につくだけあり、それも当然だ。
そもそも中級魔法でさえ対人で使うには過剰な範囲攻撃だというのに、その上の上級魔法の更に上。『花コン』のメインキャラでさえ使えるようになる者が少ないのが最上級魔法なのだ。
木属性の最上級魔法である『木竜ノ嵐霹』もその中の一つで、名前の通り嵐と雷で相手を撃ち砕く魔法となる。『花コン』では敵全体に大ダメージを与え、大規模ダンジョンだろうと雑魚モンスターならまとめて薙ぎ払える威力がある。
――そんな魔法が俺目掛けて放たれた。
轟音と共に放たれた『木竜ノ嵐霹』は嵐と雷を圧縮した巨大なレーザービームのようだ。触れれば風で切り刻まれて電撃で焼かれるだろう。あるいは触れた端から消滅するかもしれない。そう思えるほどに威圧感と迫力がある。
回避は不可能。そもそも回避しようにも広範囲を飲み込みながら放たれているため、今の俺では回避しようがない。
防御も不可能。ただの人体で防御態勢を取ったとして、一体どれほどの効果があるというのか。死ぬのがコンマ一秒遅くなれば僥倖だろう。
つまり、回避も防御も無理なら打ち破るしかない。
「くっ……そぉっ!」
せめて『瞬伐悠剣』が手元にあれば抵抗のしようもあるが、俺の手には短剣しかない。それでも諦めるわけにはいかず、短い刀身に魔力を通して瞬時に何度も振るう。
スギイシ流――『一の払い』。
今となっては使い慣れた技だ。しかしながら武器が異なるため感覚が狂った状態で繰り出す魔力の刃は普段と異なり、弱くて脆い。それでも少しでも『木竜ノ嵐霹』の威力を削がなければ、死あるのみだ。
繰り出した刃は十度。迫りくる凝縮された嵐と雷を僅かとはいえ削れたか、あるいは生きたいと願う俺の脳が魔法が削れたという幻を見せたか。見た目ではほとんどわからない。
迫りくる破壊の権化が、やけにスローモーションに見える。『一の払い』で刃を飛ばす際の動きも加速する意識と違って緩やかだ。『王国北部ダンジョン異常成長事件』でボスモンスターのデュラハンに殺されかけた時のように、視界がゆっくり動いているように見える。
だが、あの時と違って本の『召喚器』を発現しても無理だろう。武器を防ぐのならまだしも、今回の魔法は俺の全身を飲み込んで余りある。本の大きさの分だけ防げるかもしれないが、押し寄せる水のように持ち手ごと飲み込まれて終わるだろう。
「――――」
死だ。死が迫っている。逆転の一手もなく、回避の手段もなく、防御の手段もなく。悪あがきのように繰り出した『一の払い』もどこまで削れたかわからない。百が九十ぐらいにはなっただろうか。
(そうか……死ぬのか)
迫りくる魔法を見て、そう思う。二度目の死が目前に迫っている。これまで何度も死線を乗り越えてきたが、今回ばかりは駄目なようだ。
まあ、なんだ。凡人なりに頑張ったんじゃないか? これはもうどうしようもないし、諦めても仕方ないだろう。よく頑張ったよ、俺は。
中途半端だが透輝を鍛えることができたし、あとは来年度に学園に現れるであろうランドウ先生に託すしかない。その辺りはモリオンが察してどうにかしてくれるさ。あるいはオリヴィアがどうにかしてくれるか。
きっと、剣を教えた友人の亡き意志を汲んで、主人公らしく奮起して、『魔王』を倒してくれるだろう。そう思えるぐらい才能があって、すごい奴だから。
そう。だから、俺はここで終わりだ。二度目の生は、ここで幕を下ろすのだ。
(なんて――折れていられるかよっ!)
揺らぎかけた意思を瞬時に押し固める。たとえ死ぬとしてもただでは死なねえ。俺に二度目の死を与えるというのなら、対価として殺し返すぐらいしなきゃ死んでも死にきれない。
「まだ、まだぁっ!」
頼りない短剣に、あらん限りの魔力を込める。剣がないなら作り出せ。『一の払い』で魔力の刃を飛ばせるのなら、飛ばさずにそのまま維持すればいい。実体はなくとも魔法を斬るだけなら十分だ。
素直に殺されてなどやるものか。最後の一瞬、最後の一太刀まで足掻く。これが最後なら、人生最高の一太刀を繰り出してみせる。
魔力は絞り出した。あとは体力と気力を絞り出す。最上級魔法? 知ったことか。両断してそのままぶった切ってやる。
「おおおおおおおおおおおおおおぉぉっ!」
大きく振りかぶり、地面を陥没させる勢いで踏み込む。魔力で形作った刃を大上段から振り下ろし、『木竜ノ嵐霹』へ真っ向から斬り込む。
きっと、俺が憧れたあの人の刃なら、この程度の苦境は切り開けるから。
スギイシ流奥義――『閃刃』。
武器は不慣れな短剣で、刃は出来合いの魔力の塊。それでも繰り出す刃は本物だ。ランドウ先生の動きを完全に模倣し、全身の筋肉がブチブチと悲鳴を上げるように断裂するのに構わず、破壊の嵐を割断していく。
『木竜ノ嵐霹』がそうさせるのか、魔力を込め過ぎたか、握った短剣が刃先からボロボロと崩れ始める。それでも構わず剣を押し込んでいくが、風の刃が指や腕、肩や足と、接触した場所から切り刻んで血煙が舞い上がった。同時に、傷口が電撃で焼かれて痺れと痛みが走る。
「――――!」
自分の声すら聞こえない。あるいはそれは、誰かが叫んだ声だったのか。今の俺にわかるのは、手の中の剣の感触だけだ。
振り下ろした刃が『木竜ノ嵐霹』を切り裂き――その途中で短剣が粉々に砕け散る。七割ほど両断したが、残り三割が迫りくる。
(……届かん、かぁ)
全身を衝撃が襲う。切り裂かれて痺れて焼け焦げて、痛みを感じるよりも先に体が浮き、暴風に飲み込まれた木の葉のように吹き飛ばされる。
それでも、まだ。
吹き飛ばされながらもなんとか、残ったポーションを全て体にふりかけ、飲み込み、必死に防御する。両腕を交差して体を丸め、上も下もわからない状態で錐揉みしながら吹き飛ばされる。
「――ガッ!?」
背中に強い衝撃があった。どうやら木か岩か何かにぶつかったらしい。ざっくりと切れた額から流れ出た血が視界を塞ぐが、それに構わず赤く染まった視界で状況を確認する。
運が良いのか、本の『召喚器』が体を強化しているからか。どうやらギリギリのところで生をつないだらしい。周囲は木々が根こそぎ薙ぎ倒され、あるいは消滅すらしているが。
俺の体もボロボロで、痛みを超えて最早熱さしか感じない。腕や足が変な方向に曲がっているし、体のいたるところが切れているし、奇跡的に五本揃っている両手の指はあちこちが炭化しているように見えた。
「……驚いた。ああ、きっと、この感情こそを驚き、というのだろう」
ぐわんぐわんと、耳の中に声が反響する。バリスシアが言葉通り驚いた様子で――僅かに目を見開いただけだが、たしかに感情を感じ取れる声でそんなことを言ってくる。
「たしかに『木竜ノ嵐霹』を撃ったはずだが……まさか原型を留めているだけでなく、息があるとはな」
そう言いつつ、バリスシアはパチパチと拍手をした。先ほどと違って魔力を集めるわけでもなく、純粋に手を叩いているようだ。
「賞賛しよう、ミナト=ラレーテ=サンデューク。貴様と出会うのがあと五年も遅ければ、あるいはこの首に剣が届いていたやもしれん」
「ぅ……ぉ……」
くそ、と言葉にしたつもりが、出てきたのは掠れた小声だけだった。もたれかかっているのは木か岩か、それすらもわからないが顔を上げるだけで精一杯だ。
(ま、だ……まだ、だ……)
それでも、だ。まだ生きているのだ。相手は余裕ぶって油断している。今なら、体が動けば、剣があれば、戦えるのだ。
だが、体が動かない。力を入れても指先一つ動かない。短剣は砕け散った。『瞬伐悠剣』はバリスシアが腕から引き抜き、遠くへ放り投げている。ポーションも尽きた。
残ったのはボロボロで動かない体だけで。
「ま、ぁ……ぁ……」
「ほう? まだ? まさか、その様でまだ戦うと言うのか? 年齢に見合わぬ、大した精神力だ。そんな体で戦意を失わない人間は初めて見たぞ……アスターが警戒したのは正解だった、というわけか」
そう言いつつ、バリスシアは俺の状態を確認するようにじっと見つめてくる。その瞳には先ほどから、僅かながらも感情が乗っているように思えた。
「だが、動くことすらできないだろう? 声を出せるだけでも大したものだが、最早指先一つ動かせまい。そうなると、だ」
バリスシアは左腕を持ち上げ、こちらへと向けながら言う。
「せめてもの情けだ。これ以上苦痛が長引かないよう、とどめをさしてやる。火属性魔法でいいか? あまり得意ではないが荼毘に伏すには丁度良かろう?」
煽っているのか本心なのか、手の先に火の玉を発現するバリスシア。火球は徐々に大きくなり、人ひとりを燃やすのに十分な火力と勢いまで成長していく。
「それでは……さらばだ。永久に眠るといい」
『火砕砲』が放たれる。動かない体では回避はできず、最早迎撃もできない。そもそも斬ろうにも武器がないし魔力も尽きた。
つまり、詰みだ。
(く、そぉ……)
火球が迫る。俺を燃やし尽くし、とどめをさしてこの世から退場させる魔法が直撃する――その瞬間だった。
俺にできることはもうない。だが、それでも助かる道があるとすればそれは、他者の助力以外あり得なかった。
飛来する巨大な火球が両断される。赤く染まった俺の視界の中で、たしかに両断された。見間違いでも幻でもなく、魔法が遠距離から斬られたのだ。
(まさ、か……ランド、ウ……せん、せい……?)
もしもそうなら最高だ。そこで余裕ぶった顔の『魔王の影』をぶった切ってもらえる。自分で斬りたかったが仕方ない。ランドウ先生が相手なら譲るとも。
なんて、現実から逃げるように思考する俺の前に立つ影があった。小柄な体躯で、右手に剣を携えた少女の姿が。
「貴様は……」
ほんの僅かに警戒を含んだ声でバリスシアが呟く。
「――間に合った」
そこには、俺を庇うようにして立つリンネの姿があったのだった。




