第20話:初陣 その1
初陣――初めて戦場に出ること。
思わず言葉の意味を確認したけど、この世界でもそのままの意味だった。初の実戦に挑むことを初陣と呼び、ランドウ先生は俺に初陣を経験させるべくわざわざ帰ってきたらしい。
正直なところ、嘘でしょう? と叫びたい。しかしランドウ先生の手前叫ぶこともできない。将来『花コン』関連のイベントで死ぬ可能性が高い俺だけど、辺境伯家の嫡男という立場上、避けては通れない話なのだ。
もっとも、十二歳で初陣っていうのはこの世界でも割とおかしなことらしい。いくらサンデューク辺境伯家が武を尊ぶ家柄とはいえ、普通は箔をつけるために王立学園に入る直前、すなわち十五歳頃に初陣を経験させるそうだ。それも十分に安全に配慮した上での初陣である。
だが、俺の初陣がどうこうって言い出したのはランドウ先生だ。絶対に安全への配慮が欠けている自信がある。なんならこうして事前に通告してきたのが奇跡だと思えるぐらいだ。
キッカの国では普通だとか、早い奴は十歳で初陣を経験しているだとかランドウ先生は言うけど、ここはパエオニア王国なんです。ランドウ先生みたいな人類のバグ枠が出現する国と一緒にしないでいただきたい。
さて、そんなわけで初陣が決まったわけだが、この時の俺はまだ楽観視していた。いくらランドウ先生とはいえ、初陣で無茶はさせないよねって。初陣といっても簡単な話だよね、と。
だが、俺は甘かった。いや、ランドウ=スギイシという人物を甘く見ていたというべきだろう。
初陣云々は冗談だったとか、そういう言葉が出てくることを期待しながら剣を振って巻き藁を斬ること一週間。
――その日はやってきた。
一口に初陣と言っても、色々なパターンがあるらしい。
昔やランドウ先生が生まれたキッカの国ならいざ知らず、『魔王』の発生を抑えるべくオレア教が影響力を持つこのアーノルド大陸で国同士が戦争をすることは滅多にない。
人が死ねばそれだけ負の感情が発生するため、オレア教が戦争を止めるべく動くからだ。
大規模な戦いが起きないよう、編み出した技術を供与したり武力を背景に踏み止まらせたり、オレア教が日頃から暗躍しているらしい。
暗躍していると聞くと悪役や危険な存在みたいだけど、オレア教が望んでいるのは『魔王』の発生を先延ばしにしてその間に『魔王』への対抗策を編み出すことだ。つまり人類の味方だ。
それでも国境での小競り合いぐらいは発生するし、同じ国に所属する貴族同士でも利権の関係から戦争に発展することがある。領土の境界線で新しい資源が発見されたり、水利権の問題だったりと、争う理由はゼロにはならないからだ。
それらの理由から戦うという行為がゼロになることはあり得ない。特に俺みたいな立場だと、どうしても腕力が物を言う場面が出てくる。
今回もその一環で、俺の初陣として選ばれたのは野盗の討伐だ。
オレア教の努力と王国貴族の協力によって平和な時代が続いているが、どんな世界、どんな時代だろうと楽に生活したいと思う者、暴力を頼りにして生きる者はいるらしい。
商人や旅人を襲う野盗はゼロにならず、時には村を襲撃する規模まで野盗の集団が大きくなることもあるようだ。
大抵はその領地の軍隊が対処するし、オレア教が動いて秘密裏に対処することもある。街道を進む隊商を襲ったら偽装したオレア教の精鋭で、一網打尽にされる野盗も少なくない。
だが、中にはそれなりに頭が働く野盗も存在する。怪しげな隊商には手を出さず、確実性が高い獲物にだけ手を出すような輩だ。
そういった輩は元々どこかの貴族に仕えて働いていただとか、ある程度教育を受けていただとか、相応の理由がある。中には落ちぶれた冒険者が野盗になることもある。
今回俺達が討伐に向かうのもそういった手合いで、サンデューク辺境伯家と協力関係にある男爵家との領土の境界かつ隣国との国境線、それも大規模ダンジョンに近い場所という面倒な場所をウロチョロとしているのだ。
仮にどこかから討伐の軍を差し向けられれば、他の領地に逃げ込む。それが無理なら大規模ダンジョンに逃げ込んで別の場所から脱出する。そうして常に逃げ道を確保し、実際に逃げ回っているという情報が入ってきていた。
数もそれなりに多く、確認されているだけでも二十人から三十人程度。見張りを配置し、大規模な軍隊が近付けば即座に撤退する慎重さもある。大規模ダンジョンに逃げ込んで軍隊を撒ける程度には腕が立つか、モンスターを避ける何かしらの手段を有していると考えられていた。
俺から言えることは、それだけの頭と腕があるなら素直に働け、の一言に尽きる。逃げ回った結果、こうして討伐の軍が出撃する羽目になったのだから。
今回の件、うちの家から繰り出すのは三十名の兵士と六名の騎士、騎士団長のウィリアムと初陣かつお飾りの指揮官である俺。それと俺と一緒に初陣を経験する羽目になったナズナと、いっそこの人に全部任せたらいいんじゃないか、と思えるランドウ先生だ。
嫡男の初陣なのに人数が少なめなのは、国境付近の街道を巡回してもおかしくない数で、なおかつ相手が逃げるか留まるかギリギリで迷うラインを狙ってのことである。ただし、兵士も騎士も精鋭で揃えてあるが。
これでこちらが精鋭揃いだと見抜いて逃げる相手なら仕方ない。最終兵器ランドウ先生相手に鬼ごっこをしてもらうことになるだろう。タッチされれば鬼を交代する暇もなく死ぬが。
さて、そんな馬鹿なことを考えている俺が現在いる場所。それは国境付近まで延びる街道の近くに存在する村の一つだ。
ラレーテの町と違って石の城壁で囲われてはいないが、周囲に木の柵と空堀が設けられた、この世界だと標準的な防御設備を備えた村である。人口は一千人に届かないぐらいで、村としてはやや大きめ。事前に通達されていたのか、俺達が到着すると村長の老人が出迎えてくれた。
サンデューク辺境伯家の嫡男である俺、従者のナズナ、騎士団長のウィリアム、そしてランドウ先生は村長宅で歓待を受け、俺の護衛を除いた兵士達や騎士達は村に用意された外客用の空き家で村人の世話を受ける形になる。
今回は俺の初陣ということで、進路上の村や町に顔見せしつつ進む予定なのだ。ラレーテの町から外出する理由も特にないし、勉強や訓練に励んでいた俺にとって初めての遠出でもある。初めての遠出が初陣なんて笑えば良いのか嘆けば良いのかわからないが。
「…………」
俺は村長宅の客間で一人、それらの雑念を抱えながら無言で床に座り、壁に背中を預けていた。
今回の初陣に合わせて作られた鎧――心臓などの重要な臓器を守りつつ、身軽さも両立させた部分鎧とその下に着る鎖帷子は脱いでいる。さすがに休憩の時まで重たい防具をつけたくない。
そうして楽な格好になった俺だが、実戦はまだ先だというのにどうにも落ち着かなかった。かといって取り乱すほど中身が若くもないが、今回ばかりは時間の経過が妙に遅く感じられる。
既に日が落ち、夕食も終えた。歓待してくれた村長が用意してくれたものだったが、十分に豪勢だといえるものだった。味の方は……まあ、緊張であまりわからなかったけども。
オレア教の活動のおかげか、村には共用ながら風呂やトイレもある。村長宅には個人風呂もあるため入ろうと思えば入れるが、どうにも動く気にならない。
一人になりたい気分だったためナズナも傍におらず、先に風呂に入ってくるよう勧めてある。俺は馬での移動だったが、ナズナは徒歩で一日中移動し続けて汗だくだったのが理由だろう。恥ずかしそうにしながらもそそくさと風呂に向かったため、しばらく帰ってこないと思われた。
(……剣でも振るか)
どうにも落ち着かず、結局は素振りでもしていよう、という結論になる。ウィリアムが同行しているし、ランドウ先生も一緒だから命の危険はないと思う。それでも初陣を前にしてどっしりと構えられるほど肝が太くないのだ。
そうして俺が立ち上がり、客室から出ようとした――が、その前に何やら足音が近付いてくることに気付き、動きを止める。ナズナが戻ってきたのかと思ったが足音が違うし、その足音は客室の前で止まり、躊躇ったように一向に入ってこない。
「……誰だ?」
剣の柄に手をかけながら扉を開けた俺だったが、部屋の前にいたのは見知らぬ少女だった。
年齢は俺より僅かに上で、まだ成人はしていないだろう。背中あたりまで伸びた金髪が綺麗に整えられ、健康的に焼けた肌がまるで湯上りのように朱色に染まっている。顔立ちは可愛らしいものの肌と同様に耳まで真っ赤に染まっており、緊張した様子だった。
護衛の兵士が扉の前まで通過させたということは、怪しい人物ではないのだろう。しかし今回の討伐に同行した者にナズナ以外の女性はおらず、一体誰だ? と俺は疑問に思う。
「わ、若様のお相手を務めるよう、村長より命じられてきました」
「…………」
その発言を前に、俺は思わず脱力して天井を仰ぎ見た。領地のお偉いさんの一族、それも将来当主を継ぐであろう嫡男が村を訪れたのだからと村長さんが気を利かせたらしい。
廊下を覗いてみれば、普段は扉脇に立っているはずの護衛がそれとなく距離を取っているのが見えた。そんな気遣いはいらないし、この娘を止めてほしかったんだが。
「お相手? 何の相手だ? 今から素振りをしようと思ったんだが、まさかその細腕で相手をしてくれるのかな?」
俺は精神的な疲れを感じつつも、わざととぼけた。ここで本当に剣の稽古の相手を申し出たら逆に驚くが、間違いなく男女のアレコレだろう。夜の御勤めってやつだ。将来の領主に媚を売っておこうって魂胆で、それ自体は割とよくあることである。
村長の気持ちもよくわかる。ここで媚を売っておけば将来何かしらの利益が得られるかもしれないのだ。露骨な贔屓はないものの、何かしらのリターンが見込めると判断したのだろう。
だが、俺としては勘弁してほしい。こちとら初陣が控えた身だぞ。抱けるなら抱きたいけどそんな気分じゃないし、小さい頃から俺を護衛してくれている兵士達の耳がある。
そんな状況で女性を抱けるほど性に奔放じゃないんだよ……いっそのこと本当に素振りの受け太刀でもしてくれた方が嬉しい気分だ。
(さすがにそれは無理でも、相手さんにも理由と都合があるんだよな……)
とぼけた俺の発言に戸惑っている少女を前に、そんなことを思う。この娘もこの娘で、村長に命じられては断れなかったのだろう。しかも相手が辺境伯家の嫡男となれば、断るより受けた方が大きな利益があると判断したのかもしれない。
「お、お相手というのはですね、その……えっと……」
金髪の少女はどう説明したものか、と言わんばかりに慌てていた。それを見た俺は苦笑し、少女の手を優しく握って自分の方へと引き寄せる。
「すまない、冗談だ。君の献身を嬉しく思うがこれでも初陣が控えた身でね。君のような美しい女性の誘いを断るのは心苦しいけれど、こちらにも貴族としての義務があるんだ」
耳元に顔を寄せて囁くように言う。いやもう、本当にお気持ちだけでけっこうですから。お気持ちだけで嬉しいですから。
「村長殿にもよろしく伝えてくれるかい? あなたの気持ちはよく理解した、とね」
「は、はぃ……」
アンヌさんや礼儀作法の先生に習ったことだが、俺からすると割と気障ったらしく思える言動がこの世界では受けるらしい。俺の立場もあるけど、引き寄せたついでにダンスのように腰を軽く抱いた少女はそれまでと違った様子で顔を真っ赤にしている。
俺みたいな悪人顔でも立場が上等だと割とウケがいいんだな、なんて思いつつ、笑顔で少女を送り出す。そしてその背中が見えなくなってから、さりげなく護衛できるよう距離を詰めてきていた兵士に俺は視線を向けた。
「もったいねえ。抱かねえんですかい?」
顔馴染みの年配の兵士のからかうような軽い言葉に、俺はにっこりと笑う。
「初陣の前に立ち寄った村で嬉々として女を抱く嫡男ってどう思う?」
「若様は大変剛毅なことだ、と今回の件が終わった後の酒の肴にしますね」
「それ、兵士の間ですぐに広まるやつじゃないか」
嫌だよ、シモの事情で兵士にそんな噂されるの。ある意味気安いというか、打ち解けているって前向きに捉えておきたいけどさ。
「行軍するより疲れたぞ……え? 次の村でもこんな感じなのか?」
俺は思わず愚痴のように呟く。すると年配の兵士はからかうように笑った。
「若様、今みたいなのが嫌なら夕食の時にでも相手方に言い含めておくんですよ。そうじゃないから今みたいなことになるんです」
「……最初に教えておいてくれよ」
「騎士団長殿から、これも一つの勉強だろう、と止めないよう言われてましてね」
どうやらランドウ先生に負けず劣らず、ウィリアムも教師として手厳しいようだ。さすがに不意打ち過ぎたわ……次からそうしよう。
「――若様?」
俺が兵士とそんな会話をしていると、不意にそんな声が響いた。なんというかこう、無機質というか、響きが冷たいというか、妙にヒヤリとする声である。
その声に視線を向けてみれば、そこにいたのはナズナだった。先ほどの少女と同様に、風呂上がりらしい健康的で赤らんだ肌をしている。それだというのに目が冷たく感じるのは俺の気のせいか。何か負い目でも感じてしまっているのか。
「今、顔を真っ赤にした女性とすれ違いましたが……何か、ありましたか?」
「……いや? 村長殿の使いで部屋に来たから伝言を頼んだだけだが?」
それだけだよ? 何もないよ? あと兵士共、素知らぬ顔でそっと距離を取るな。タイミング的に気まずいのはよくわかるけども。
「本当に?」
「う、うん。本当だとも」
あとナズナ……ナズナさん? どうして距離を詰めて念押しするように尋ねてくるんです? 何か気に障るようなこと……あっ、さっきの娘が原因?
(ええ……なんでこんなに敵意剥き出しというか、嫉妬したみたいに……自覚してるのか?)
なんだよ、嫉妬してるのか? なんて気軽に聞くわけにもいかない。いや、聞くだけなら可能だけど、何が悲しくて初陣の前にそんな爆弾を抱え込まないといけないのか。
「あー、俺は庭で剣の素振りをしてくるから、ナズナはゆっくりと休んでおきなさい。一日中歩き通しで疲れただろう?」
もうそんな気でもなくなったけど、雰囲気を変えるために俺はそんなことを言ってみる。精神統一して素振りをすれば自然と落ち着くだろう。
「なんの素振りをするんですか?」
「剣って言ったよね?」
「わたしがお相手します」
「風呂に入ったばっかりだよね?」
大丈夫? 何かパニクってるというか、自分が何を言っているかわかってないんじゃない?
俺は助けを求めるように兵士達に視線を向けるが、さっと逸らされた。主君の体だけでなく、心も守ってほしいなって思うんだけど。
そんなこんなで、初陣前とは思えない気の抜けた夜を過ごす俺だった。




