第19話:光陰矢の如し
ランドウ先生が大規模ダンジョンに挑む旅に出て、五年近い年月が流れた。
俺は十二歳になって成長期の真っ最中で声変わりし、身長もどんどん伸びて体が大きくなっている。毎日訓練をしている影響か、それとも辺境伯家の食卓が相応に豪勢なのが原因なのか、既に百六十センチを超えて筋肉もしっかりと付き始めていた。
『花コン』でのミナトは悪人顔というか、顔立ちは悪くないのに目付きが悪くて全部が台無しになるような顔だったが、幸い、今のところは多少目付きが悪いぐらいで済んでいる。
さすがにこれから更に目付きが悪くなることはないと思うし、『花コン』だとミナトはイケメンの範疇として描かれていた。そんな悪人顔のイケメンが裏切られたり命乞いしたり『魔王の影』に殺されて成り代わられたり『召喚器』を破壊されたりと、色々散々な目に遭うわけだが。
そんなわけで順調に成長している俺だが、正直なところ焦る毎日である。体の成長を実感するほど年月が経ったということは、それだけ『花コン』の舞台が近付いてきたということだ。
毎日勉学に励み、文官に教わって政務を学んだり、ウィリアム達武官に指揮について学んだり、兵士達の訓練に混ぜてもらって剣を振ったり、剣だけでなく槍や弓の使い方を学んだり、馬に乗った状態での戦い方を学んだり、魔法を学んだり、座学だけど錬金術を学んだり、空いた時間は自主訓練をしたりと忙しない毎日である。
だからこそ毎日があっという間に過ぎていた。なお、五年経ったのに俺の『召喚器』は新しい絵付きのページを増やしてくれなかった。本当、何が条件になっているのかわからなさすぎて最早諦めかけている。
しかし、おかしいなぁ……前世の子どもの頃は一日がもっと長く感じたものだけど。前世を含めれば歳を取っているから? 社会人をやっていた頃より更に早く時間が過ぎている気がする。寿命で大往生できるとしても、このペースで歳を取っていたらあっという間に死んでそうだ。
ちなみに『花コン』の世界では貴族と庶民で大人として扱われるタイミングが異なり、俺みたいに貴族の家に生まれた者は王立学園の卒業に合わせて大人の仲間入り。庶民は十八歳を迎えれば大人として扱われる。
正確に言えば一人前扱いされるのがその年齢で、庶民の場合は早い子だと俺の今の年齢でも既に働いているし、社会に出て五年以上経てば一人前扱いされる子が出るのも当然だろう。
貴族の場合、嫡男なら領地に帰って爵位を継ぐために当主のもとで学び、ある程度形になったら当主の座を継ぐ。
俺の父であるレオンさんも学園から帰ってきて二年ほどで当主になり、先代当主、つまり俺の祖父は王都で隠居生活をしつつもサンデューク辺境伯家のために情報を集め、送ってきている。
それ以上の代――曾祖父や高祖父は領内の村の管理だったり、悠々自適な生活を送っていたりとのんびり過ごしている。現役世代であるうちの屋敷に顔を出すこともなく、助力を乞われれば手伝うが、今のことは今の人間に託すのがこの世界の貴族のスタンスだ。
嫡男以外なら実家で働くか他家に仕えるか騎士として独立するか。変わり種としては商人や芸術家や錬金術師、あるいは学園で才能を見出されて教師になったりする。
そんなわけで王立学園への入学が三年後に迫り、歳を取る度に処刑台への階段を一歩一歩登っている心境の俺である。
そんな俺が今、何をしているか? 答えは日課の自主訓練だ。日が落ちて真っ暗になったけど、それに構わず庭に出て木剣を振るっている。
「鍛錬に励まれるのは良いことだと思いますが、毎日そこまでご自身を追い込まずとも……」
不安を紛らわせるためにも木剣を振り続ける俺に、ナズナが声をかけてきた。その言葉が聞こえた俺は木剣を振る腕を止めないものの、チラリと視線を向ける。
ナズナも成長期を迎えて身長が伸び、体付きも女性らしくなり始めているが、俺との距離感は変わらない。いや、以前よりも少し距離が遠くなったかな? 仲が悪くなったわけではなく、互いに主従としての距離感をしっかりと把握した感じだ。
それでいて幼少の頃からの付き合いとして、時折距離が無意識の内に近付いたり離れたり……弟妹のコハクやモモカとは違った、乳兄弟独特の距離感というわけである。
幸い、白いリボンは以前よりも長くなった髪に結ばれたままで、俺の死亡フラグの証明である鞘に結ばれてはいない。最初に贈ったリボンは使い続けて古くなったため、新しいリボンを贈ったら嬉々として髪に結んでいた。鞘にではない。これ、大事。
「先生から鍛錬は毎日欠かさず行うよう言われているしな。俺としても体を動かさないと落ち着かないんだよ」
「それは……気持ちはわかりますけど、もう少し体を労わってください」
区切りが良いところで木剣を振る腕を止め、汗を拭いながらそう答える。
大規模ダンジョンに挑むべく旅立ったランドウ先生だったが、最短で一ヶ月、最長で三ヶ月と空けずにこの屋敷を訪れるのだ。どうやら休暇を兼ねて大規模ダンジョンで得た情報やアイテムをレオンさんに渡しに来ているらしく、来る度に稽古をつけてもらう。
レオンさんからはその対価として、ダンジョンで発見された後に市場で出回っている『召喚器』やパエオニア王国内で新たに発生したダンジョン、他にもランドウ先生の想い人が使っていたものに類似した外見の『召喚器』が出回っていないか、情報をもらっているらしい。
ちなみにランドウ先生の想い人が使っていた『召喚器』は短刀で、同じような刃渡りだと両刃の短剣が主流のパエオニア王国では珍しい外見になる。そのため情報も集まりやすいはずだが、短刀型の『召喚器』は今のところ見つかっていないようだ。
そういうわけで、ランドウ先生は自力で大規模ダンジョンに挑みつつ、サンデューク辺境伯家の情報網を活用している。そのついでに俺が訓練をサボっていないか確認し、土産といわんばかりにダンジョンで見つけたポーション類を置いていく。
ありがたいけど高品質なポーションってどのタイミングで使えばいいの? 死ぬ直前? 水で薄めたら低品質のポーションを大量に作れたりしない? 俺、前世だと貴重な消費アイテムを溜め込むエリクサー症候群だったんだけど。
そんなことを考えながらも俺は訓練を再開し、木剣を再び構える。ある程度考え事をしていても素振りができるぐらいランドウ先生が教えてくれた戦い方が体に馴染んだが、思わぬ怪我をするから集中しないとな。あ、その前にナズナにちゃんと返事しないと。
「体ならきちんと労わってるさ。でも、訓練で手を抜いていると次に先生と会った時すぐにバレそうだし、それこそ俺が気付かない内にどこからか見られているかもしれないしなぁ」
俺は冗談っぽくそう言って、視線を庭の木々へ向け――木陰に立つ何かと、目があった。
「っ!?」
「ようやく気付いたか……自主訓練を欠かさないのはいいが、それ以外は落第だな」
それは、言葉にしたばかりのランドウ先生である。つい先日屋敷を出発したため、さすがに虚を突かれた気分だ。
「せ、先生? 一体いつからそこに……」
恐る恐る尋ねる俺。本当、一体いつからそこにいたんだこの人。
「お前が鍛錬を始めた頃からだ。俺が刺客なら死んでるぞ? もっと周囲に気を配れ」
「……見回りの兵士もいたはずですが」
「あの程度、俺にとっては散歩気分で通れる。その辺りもレオンに注意してやらんとな」
いや、いくら見回りの兵士を増やして警戒させたとしても、あなたを見つけるのは無理でしょ。日中なら可能性があるけど、夜間に潜まれたら難易度が高すぎる。
「それに……」
俺が戦慄していると、ランドウ先生は僅かに目線をずらしてナズナを見た。しかしすぐさま視線を俺へと戻し、口から出しかけた言葉を飲み込んだ様子で首を横に振る。
「いや、なんでもねえ。それよりミナト、そろそろ休め。明日からしばらく滞在する予定だからな。朝から稽古をつけてやる」
「えっ? あ、はい。わかりました先生」
最初に半年間教わって以降長期間教わることがなかったため俺は戸惑ったが、すぐに頷く。理由を聞くにはタイミングが合わなかったのもあるが、ランドウ先生の雰囲気が妙だったのだ。
別にランドウ先生が偽物だとか、そういう話ではない。観察するような、推し量るような、反応に困る目をしていたのである。
(な、なんだろう……まさか無理矢理ダンジョンに連れて行かれたり……うわ、先生ならあり得る。寝て起きたらダンジョンの中だった、なんてこともありそうだわ)
俺は今後訪れるであろう事態に密かに震えた。未知とは恐怖であり、ランドウ先生が何を仕出かすかわからないのが純粋に怖い。
それでも俺はランドウ先生の指示通り、自主訓練を止めて寝ることにした。休める時に休むのも大事なことで、明日何があってもいいよう、しっかりと体を休めておきたかったのである。
そして、夜が明けて翌日。
俺は顔を洗い、身支度を整えて朝食を食べ、歯を磨き――そこでふと、ランドウ先生がまだ何もしてきていないことに疑問を持つ。
朝起きたらダンジョンの中というのも、半分は本気だったんだが。
(本当に訓練だけ? 少しまとまった時間ができたから、手ほどきしてから帰るかー、みたいな? でも割と定期的かつ頻繁にうちの屋敷に来てるしな……いやもう、本当になんだろ?)
こうなったら腹をくくるしかない。俺はそう自分に言い聞かせて動きやすい服装に着替え、屋敷裏手の練兵場に向かう。ランドウ先生との訓練はいつもこの場所で行うからだ。
「……なんだアレ?」
練兵場に向かった俺は、見慣れない物が複数存在していることに気付く。
なにやら緑色でところどころに節がある棒状の物体が地面に突き刺さっており、その物体の先にはゴザのような物体が巻き付けられていた。ゴザを丸めた物体の太さは俺の腕ぐらいで、長さは一メートル程度。棒の部分を含めれば全長は一メートル七十センチといったところだろう。
(んん? なんだっけ、これ……昔テレビで見たことがあるような……)
よく見ると棒の部分は今世で初めて見る竹だった。地面に突き刺した竹にゴザが巻き付けてあるのだ。そんな物体を上から下まで眺めた俺は首を傾げるが、十秒ほど経ってから手を叩く。
(……あっ、これって巻き藁……だっけ?)
時代劇で見た気がする。でもなんでそんな物体がこんなところに? しかも湿っているというか、ゴザが水で濡れてるんだけど。
「時間通りに来たな」
俺が巻き藁らしき物体を観察していると、特に気配を隠すこともなく先生が近付いてくる。その手には普段通り木剣が――おや?
「先生、それは……」
「真剣だ。レオンに確認したが、こっちでも訓練をしてるんだろ?」
そう言って渡された真剣を慌てて受け取る。鞘付きだけど、木剣とは異なる重みがあった。
当然ではあるが、木剣は真剣を模したものである。日頃から真剣を使って訓練するのは危険なため、形や大きさ、重さを似せて作ったのが木剣だ。
兵士達は木剣だけでなく刃を潰した真剣を使って訓練することもあるけど、その場合でも刃がないだけで凶器と変わらない。殴れば人が死ぬぐらいには立派な凶器だ。まあ、木剣も普通に人が殺せる凶器なんだけどね?
「使ったことはありますが、素振りぐらいで木剣ほど扱えませんよ?」
さすがに木剣と同じようには扱えない。重心が違うし、振り方次第では自分の体を斬りかねないのだ。思いっきり振り下ろしたら止め損ねて自分の足を斬る、なんてこともあり得る。
「十分だ。まずは体をほぐせ。それぐらいは待ってやる」
「は、はあ……それでは」
俺はなんとなくランドウ先生の目論みを察しつつも、準備運動に取り掛かる。実戦でそんな暇はないだろうし、振ろうと思えば剣を振れるが、言われた通りにした方が良いと思ったのだ。
俺はしっかりと時間をかけて体をほぐすが、ランドウ先生は何も言わない。そして俺の体が十分に温まったと見るや、指で巻き藁をさした。
「よし、アレを斬れ」
「いきなりですね、先生」
巻き藁なんだから斬るためにあるんだろう、とは思っていた。しかしあまりにも雑なランドウ先生の指示に俺は苦笑し――す、と意識を落ち着かせる。
「ふぅ……」
呼吸を整え、剣を上段に。そして目測で巻き藁との距離を測り、間合いを詰めていく。
何故、と理由を問うことはしない。ランドウ先生は無駄なことはしないタイプの人だ。ついでにちょっと言葉が足りない時がある。
それでも、必要だから用意したのだろう。自分の時間を削ってでも、ここに来たのだろう。それならば、教え子としては素直に従うだけである。
緊張するが、意識し過ぎると体が硬くなる。そのため敢えて体を脱力させ、剣の始動を重力に任せることにした。
ヒュ、と呼気が口から漏れる。普段の素振り通りに踏み込み、重心を移動させ、それでいて剣先をしっかりと当てることを意識し。
「――――」
剣先に素振りの時はなかった抵抗があった。それでも振り下ろした剣の切っ先が袈裟懸け――巻き藁を斜めに両断し、僅かな間を置いて地面へと落下していく。
その間に剣を構え直した俺は残心を取り、落下した巻き藁が動かなくなってからランドウ先生へ視線を向けた。
「……どう、ですか?」
こういう時、なんて聞けばいいんだろう。迷って問いかけると、ランドウ先生は俺が両断した巻き藁に近付いてその断面を観察し始める。
「次。隣の巻き藁を切り上げて両断しろ」
「はい」
何か反応が欲しかったが、返ってきたのは次の指示である。そのため俺は言われた通りに動き、隣に立ててあった巻き藁を下段からすくい上げるようにして斬る。
「っ……」
振り下ろした時と違い、鈍い手応えがあった。それでも巻き藁の両断に成功すると、切断した巻き藁が宙を舞い、落下してくる。
「次。水平、横一文字に斬れ」
「はい」
今度は剣を脇に構えてから踏み込み、横薙ぎの一閃を繰り出す。斜めに斬った時と違い、切断する面積が一番小さいため楽に斬れる――と思いきや、返ってきた手応えは一番大きい。
それでもなんとか、辛うじてといった有様だったが巻き藁を両断できた。それは俺の剣の腕というより、剣の重さで斬り飛ばした感じだが。
ランドウ先生は俺が斬った巻き藁を無言で確認していく。なんだこれ、なんで急にこんなテストみたいなことをしているんだろう? 先生が無言だから滅茶苦茶緊張するんだが。
「……ま、訓練は欠かさなかったみたいだな」
そう言って手に持っていた巻き藁の残骸を地面に置くランドウ先生だが、これまでの付き合いからわかることがある。これが本当に何かのテストで、なおかつランドウ先生が満足できるギリギリ最低のラインで合格したことを。
「ご期待に沿えなかったようで……申し訳ございません」
合格したとは思うけど、俺はそう言って頭を下げる。事前にしっかりと体をほぐし、気息を整えた状態でこの様なのだ。準備が整っていなければ最後の水平斬りは失敗していただろう。
「いや、この剣でこれだけ斬れれば十分だ。そもそもこの剣の形と俺が教えた剣の振り方はそこまで合ってないからな」
「え? 間違った振り方を教えていた、という話じゃないですよね?」
わざわざそんなことはしないだろう、と思いつつも尋ねる。するとランドウ先生は顎の無精ひげを撫でつつ、小さく苦笑した。
「剣の振り方は教えたが、斬り方は教えてないからな。『召喚器』のページは増えたか?」
「いえ、五ページから進んでませんけど……」
急に話を変えたランドウ先生に内心で首を傾げながら答えると、何を思ったのかランドウ先生は腰に差した己の剣――キッカの国で使われる刀に手を伸ばした。そして巻き藁に無造作に歩み寄ったかと思うと、ごく自然な動きで抜刀する。
多分、俺に見せるためにランドウ先生なりにゆっくり動いたつもりなのだろう。しかし目で追えるギリギリの速度で巻き藁に横一文字の線が走り、続いて斜めに二つの線が入る。
俺の時と順番が違うが、同じ斬り方を実演したのだ。そして最後に刀を縦に振ったかと思うと、巻き藁に真っすぐな線が走る。
「すげぇ……」
思わず俺は呟いた。何がすごいって? 俺と違って斬った巻き藁が微動だにしてないんだ。
どうやればそんなことが起こり得るのか。最初はともかく、両断して支えを失った上部分なんて簡単に動くと思うんだが。というか、いつの間に納刀したんだ。
――人は、ここまで綺麗に動いて剣を振るえるものなのか。
ランドウ先生の実力は知っていたつもりだったが、今になってようやく崩れた巻き藁を見てそんなことを思う。
「今日からしばらく……短くて三日、長くて一週間、また面倒を見る。そのあと初陣だ」
「はいっ! ……はい?」
え? 今、なんて言った? ういじん? 初陣って言ったのか?
冗談だと思った俺だったが、真剣な顔のランドウ先生を見て、あ、本当に初陣なんだ、なんて間の抜けたことを思ったのだった。




