第195話:文化祭に向けて その1
「そ、そこで右に一回、ぐるりとかき混ぜてください」
「右にぐるりと一回転」
「あ、つ、次は左に二回です。軽くです」
「左に軽く二回……あ、今度は少し強めに右へぐるっと一回か?」
「そ、そうです」
生徒会用の錬金工房の中で、そんなやり取りが聞こえてくる。
言葉を交わしているのは透輝とスグリで、錬金用の釜に入っている透明な液体を火にかけ、コトコトと煮立てている。
そして時折スグリが指示を出しては透輝がかき混ぜ、再びスグリが指示を出してと錬金術の練習に勤しんでいた。会話の中に擬音が混ざっているのを聞くと、やっぱり才能がある人間同士だと通じるものがあるんだな、なんて思う。
(うーん……いつ見ても水にしか見えねえな……)
透輝が挑戦しているのは低品質の回復ポーション――の、前段階の更に前段階。魔力石と水を使った溶液の作成だ。
難易度としては初歩も初歩。これが作れなければ錬金術師としての才能はゼロと断言できるような代物だ。俺? もちろん無理だとも。十年かけて無理だったとも。
さて、何故透輝とスグリが錬金術に励んでいるところに俺がいるかというと、そう頼まれたからである。
錬金術をやってみたいと希望した透輝の願い通り、普段の訓練後にスグリに頼んで錬金術を学び始めたのだが、透輝からすると打ち解けたとはいっても引っ込み思案な性格のスグリが相手だと間がもたず、逆にスグリからすると自分だけでは透輝を退屈させてしまうと判断し、俺に同席を頼んできたのだ。
俺としても透輝とスグリがどんな感じで接するか気になったため承諾したが、スグリの指示から自分がやるべきことをすぐに見抜き、魔力の溶液を短時間で作れるようになりつつある透輝を見ると才能って残酷だな、なんてことを思う。
(技術科で錬金術師を目指している生徒も大勢いるだろうに……スグリ以外で透輝より才能がある生徒っているのか?)
透輝が今、急速に身に着けていっている能力と同程度の水準に至るまでに凡人がかける時間は如何程か。俺の場合十年単位で学んできたことを一日で追い抜かされているわけで、才能がない分野だとわかっていても苦笑が零れてしまう。
「こ、ここまでくればあとは煮込み続けて、濃縮したら溶液の完成……です」
「へー、これで大体完成なのか。でも回復ポーションを作るにはまだまだ先が長いんだろ?」
「は、はい。今度は水に薬草を入れて煮立てて、薬液を作り……ます。その後、溶液と薬液の二つを混ぜ合わせて、上手く煮込んだら完成、です」
うん……途中までは俺にもわかったが、最後に出てきた上手く煮込んだら、という部分。これが才能の有無をわける壁で、錬金術師を目指す者がぶつかる壁でもある。
料理の味付けのように、パラっととか、目分量でとか、本人の才能の影響がモロに出るのだ。そしてちょっとのミスで失敗するのが錬金術であり、素材を調達するコストを考えると中々に錬金術師として育ちにくいのが現状である。
スグリのように実家が代々錬金術師の家系で幼い頃から教育を受けているだとか、先日のようにダンジョンの調査に駆り出されて大量の素材を入手しただとか、生徒会の予算を使って素材を買えるだとか、そういった事情がなければ授業以外で練習することすら難しいのだ。
そして錬金術というものは実際にやってみなければ才能の有無がわからない。横から見ているだけでもある程度はわかるかもしれないが、釜の中身をかき混ぜる際の強さや感触など、その辺りは実際にやらないとわからない部分である。
剣を振り続ければ振りの鋭さだったり斬った時の手応えだったりで自分の腕が向上していくのもわかるが、錬金術は素材等を扱う分、成長を実感するのが難しい。
使う素材は全てが均一ではなく、採取した時期、大きさ、下処理の丁寧さ、気温や湿度などで錬金の際の手応えが変わる。つまり非常に複雑なのだ。
剣術も突き詰めていくには頭を使う必要があるが、錬金術の場合はそこに特殊な感覚が加わると俺は考えている。その感覚が魔法の才能以上に欠けている俺にとって、錬金術というのは手に負えない、未知の技術にも等しかった。
そんな未知の技術にもかかわらず、初見ですぐに習得していっているあたりさすがは主人公である。
俺は中身の年齢が年齢だし、最初から才能がないとわかっていたからそこまで気にしないが、さすがに少しは気にする。それでも才能の差を受け止め、苦笑と共に飲み込むことができるぐらいには歳を重ねているつもりだ。
これが正真正銘同年代の同級生の場合、透輝の才能を知ればどう思うか。錬金術師を志す者以外なら『すごいな』の一言で済むかもしれないが、技術科の者達が知ればどうなるか。間違いなく嫉妬されるだろう。
才能という面では透輝と同等、あるいはそれ以上のものがあるスグリの場合は幼い頃から厳しく教え込まれているし、実家が錬金術の四大家である。そのため嫉妬を受けるとしても才能以上に環境と努力量が前提としてあるし、納得もされるだろう。だが、透輝の場合は違う。
(錬金術を覚えてもひけらかすような真似をしないよう、注意しておくか)
剣術の腕を磨いてもむやみやたらに振るわないのと一緒だ。幸い、俺が真剣に伝えれば素直に頷いてくれるし、あとで注意しておけば大丈夫だろう。
そうやって俺が透輝とスグリのやり取りを眺めていると、スグリが俺の方へと近付いてくる。そして上目遣いに俺を見上げ、どこか不安そうに口を開く。
「ど、どう……ですか? 一応、錬金術を学んだことがない人でも、こうやって指導ができる……んです、けど」
「ん? ああ、すごいじゃないか。俺にはできそうもない……というか、俺も教わりたいぐらいだよ」
俺がそう言うと、スグリが小さくガッツポーズをするのが見えた。
「じゃ、じゃあ! わ、わたしで良ければ、お教えしますよ?」
「あー……すまないな。教わりたいと言っておいてなんだが、俺は錬金術の才能がまったくないんだ。これでも実家で十年近く学んだ身でね。知識だけはそれなりだが、実践は駄目なんだよ」
実家で雇っている錬金術師の女性の見立て以上に才能がなかったんだよなぁ……十年経ったら低品質の回復ポーションぐらいは作れるかもしれないって言われたけど、実際はそれ以前の段階で足踏みをし続けている。
いや、本当に全然わからないんだよ。数えきれないほど挑戦したけど、挑戦する度に素材の鮮度や大きさが違うから調合しても成功しないんだよ。
苦手な魔法でさえ上達の手応えを感じることができたというのに、錬金術はそれ以上に駄目だった。なんでここまでできないのかと不思議なぐらいだ。ミナトの才能のなさを舐めてたよ、本当に。
「そう、ですか……残念です……あ、でもでも、透輝さんみたいに才能がなくても、きちんと教えられますから……ね?」
そう言ってどこか期待するような視線をぱっつんな前髪越しに向けてくるスグリ。うーん……これはまあ、なんというか……サンデューク辺境伯家への就職アピールと見るべきか、俺個人へのアピールと見るべきか、その両方か。
最近、一緒にいる機会が多かったから以前にも増して秋波が飛んできている気がしてならない。これで俺の勘違いなら自意識過剰ってことで笑い話になるんだけど、貴族として培ってきた観察眼も勘違いの可能性を否定している。
ただ、母親の命の恩人だから、錬金術に関して心から褒めるから、何かと気にかけてくれるから……それらの要素があるから純粋な好意とも言い難い感じがする。いや、そもそも純粋な好意なんてものはこの世に存在しないのかもしれないが。
さてどうしたものか、なんてことを考える俺だったが、スグリや透輝以外の視線を感じ、さりげなくそちらへ意識を向ける。すると錬金工房の扉がほんの僅かに開いており、こちらを覗き込む人影を見つけることができた。
(……何をやってるんだろうな。まあ、やりたいことはわかるんだが……)
隙間からこちらを覗いていたのは、アイリスである。悪戯をする子どものような雰囲気を感じるが、王女では中々できないことだろう。ただし、誰かに見られるとまずいため、俺はスグリの視線から逃れるように中座する旨を伝えてから扉へと向かう。
すると慌ててアイリスが扉から離れ、パタパタと駆けていく音が聞こえた。そのため俺はそれを追うように扉を開け、音がした方向へと歩いていく。
よっぽと慌てていたのか、足音を隠すという考えすら思い浮かばなかったのだろう。遠ざかっていく気配をしっかりと捕捉し、そのまま生徒会室へと足を踏み入れる。
「……あら、ミナト様……どうか、されましたか?」
生徒会長の席に座り、ほんの少しだけ息を乱しながらアイリスがすまし顔で尋ねてきた。生徒会室にいたカトレアに視線を向けると、困ったような顔で微笑んでいる。
「どうかしたも何も、はとこ殿はあんなところで何を?」
「……一体なんのことでしょうか?」
「いや、さっき見えてましたから。誤魔化せませんって」
思わず苦笑しながらツッコミを入れてしまう。するとアイリスの頬が桜色に染まり、きょときょとと視線を左右に彷徨わせる。
「なんのことかはわかりませんが……多分、目の錯覚だと思います……よ?」
「いや、別に隠さなくていいじゃないですか。というか俺と一緒に見ていれば良かったじゃないですか。透輝ならきっと、殿下に良いところを見せるんだってはりきったと思いますよ?」
「そ、そうですか? あ、いえ、違います。今のは違います。わたしはここで書類の決済をしていましたから違います」
アイリスは必死に誤魔化そうとするが、普段そんなことをしないからかボロが出まくっている。いやぁ、こういうところは実年齢より幼いんだよな。
俺だけでなくカトレアも微笑ましいものを見るような顔になり、アイリスをじっと見る。するとアイリスはいたたまれなくなったのか、しばらくすると降参するように、恥ずかしそうに俯いてしまった。
「だ、だって、一週間ぶりに透輝さんが帰ってきたと思ったら、錬金術をやってみたい、なんて言い出すんですもの……何事かと思うのはおかしいですか?」
「おかしくないですよ。透輝が構ってくれなくて寂しいって思うのもおかしくないです」
「そうですよねって違いますっ! そ、そういう理由じゃありませんっ!」
机に積んであった書類の山を薙ぎ倒しながら声を上げるアイリス。うーん、あまりからかいすぎると拗ねちゃうかな? でもアイリスが透輝に向けている感情はそんな感じだろうしなぁ。
(恋愛感情……にはまだ届かないか。でもそれなりに執着心があるというか、透輝のことを重く考えているというか……)
いいね、実にいい。さっきまでちょっと痛んでいた胃が軽くなった気がするわ。若い子のこういう反応を見ていると、気分が浮き立つようだ。
学園には昨日帰ってきて、俺はその日の内に王城に行ってダンジョンの調査結果や発生して即座に破壊したダンジョンに関して報告し、国王陛下やネフライト男爵に労われてから学園に戻ってきた。
その間に透輝はアイリスに帰還の報告をしていたし、今日も日中はアイリスと一緒にいることが多かったというのに、アイリスとしてはもう少し一緒にいてほしかったらしい。
なお、余談としてダンジョンの調査で得られた報酬に関しては既に参加者に分配している。錬金術で使用するからとスグリは素材を多めにもらうことを希望して金銭は少なめ、残った金銭を四分割してわけてあった。
透輝にとってはアイリスからの小遣いではなく、自分で稼いだ金である。大切に使うよう言い含めておいたが何に使うやら。今度アイリスが好きなものについてこっそり教えておこう。是非とも好感度を稼いでほしいものである。
「まあ、心配せずとも時間が過ぎれば透輝も帰ってきますよ。今は錬金術っていう新しく取り組む分野に興味津々なだけですって」
しかも乾いた砂地に水を撒くが如く、どんどん知識と技術を吸収しているところだ。アイリスへの興味が一時的に薄れるのも仕方がないことだろう。
「そう……でしょうか? あっ、いえ、わたしはあくまで透輝さんの後見人として気になっているだけですからね?」
そう言って一生懸命誤魔化そうとしているアイリスの姿に、俺はカトレアと目線を合わせてどちらからともなく笑い出す。するとアイリスは俺とカトレアの反応を見て、ますます恥ずかしそうに頬の赤みを濃いものへと変える。
「な、なんで笑うんですか?」
「さて、なんででしょうね?」
拗ねたように尋ねてくるアイリスに対し、俺は久しぶりにほっこりとした気持ちになって微笑む。
俺が自分で言うのもなんだが、そうやってまっすぐな感情が垣間見えるアイリスが羨ましくもあった。




