第18話:弟妹
ランドウ先生が旅立ったが、俺の生活が楽になるかといえばそうではない。
元々やっていた運動や剣の訓練が再開したため、体を動かす時間自体は変わらないのだ。
それでもランドウ先生が行う訓練より楽だから精神的な余裕はできた――と言いたいけど、これも変化がなかった。先生に言われた通り、自主訓練を始めたからである。
さすがにすぐには戻ってこないだろうが、後々サボっているところを確認されたらアウトだ。そのため手を抜くことなく、自主訓練も頑張る日々である。
他に変化があるとすれば、俺の『召喚器』に新しいページが増えていたことぐらいだろう。それはランドウ先生が旅立った際の絵で、不器用に笑った時の顔が描かれている。他にページが増えた様子はなく、これで三枚目の記録となった。
(この『召喚器』って本当になんだろうな……絵が描いてあるページが増える度に強くなっている気がしないでもないけど……)
どれぐらい身体能力が向上したか正確にはわからない。毎日の運動で体が鍛えられているから、と言われてしまえば納得しそうな程度の変化である。
魔法の中には短時間――ゲームで言えば数ターンの間能力を強化する魔法もあるが、今のところはそれらの魔法と比べても遥かに劣るだろう。絵があるページ数が増えていけばもっと強化されるかもしれないが、ページが増える基準も強化の割合もわからない。
(ゲーム的な考えで推理するなら、イベントが起きたからページが増えた? 『花コン』関連のイベントを超えたから……でもその場合、今回ページが増えた理由にならないんだよなぁ)
ナズナに白いリボンを渡すのも、ランドウ先生に師事をするのも、『花コン』であったことだ。師事した期間が異なるし、印象が大きく異なっている自覚はあるが、『ランドウ先生に師事する』というイベントを起こした後に3ページ目が増えたのは何故なのか。
(『花コン』がどうとかいうなら、コハクとモモカもこの本に載るはずだし……)
『花コン』におけるミナトとコハク、モモカの兄弟仲は悪い。コハクとモモカは双子だからか、あるいはミナトという共通の嫌う相手がいたからか、普通の兄妹ぐらいの仲だったが。
(待てよ? 小さい頃のモモカとはそうでもなかったんだっけ? ミナトが傲慢になったから嫌いになったって話がモモカルートであったな)
ミナトに何かあれば家督を継ぐコハクと違い、何もなければ他家に嫁ぐことになるモモカに対してはミナトもそれなりに優しかったらしい。それでも成長していくにつれて傲慢になるミナトに対し、モモカの方が嫌いになったのだ。
コハクの方は立場上、ミナトと不仲になるのが早かった。兄とは一歳違いで、なおかつコハクの方が品行方正かつ優秀となると周囲の家臣も黙ってはいないからだ。
『花コン』の世界では基本的に長男が家督を継ぐ。長男が死んだ場合や病弱な場合、著しく能力に欠ける場合、娘しか生まれずに婿を取るしかない場合等、相応の理由がなければ例外はない。
実際、『花コン』でもミナトが家督を継ぐはずだった。人格、能力共にコハクに劣っていたとしても、よっぽどのことを仕出かさない限りコハクが家督を継ぐことはなかったはずなのだ。
それだというのにコハクを推す家臣が多く、なおかつミナトは王立学園でよっぽどのことを盛大に仕出かすわけで。
(コハクルートの情報だと、コハクを支持する家臣は全体の七割ぐらいだったか。文官はほぼ全員。ウィリアムはナズナやアンヌ母さんの関係でミナト側についたけど、武官が四割程度コハクを推してたから……)
もしもミナトが無事に王立学園を卒業できたとしても、家督を継げなかった可能性があるな。
これが俺自身の話でなければ笑い話で済んだかもしれないけど、残念ながら俺はミナトである。今のところ家臣に見限られるようなことをした覚えはないし、コハクやモモカとの仲も良好だから大丈夫だと思いたいけど。
(でも、そうか……仮に学園での立ち回りが上手くいっても、家督を継げないような怪我をしたり死んだりすればコハクが継ぐんだよな……)
死にたくないから生存できるルートを目指すけど、俺が生存しても『魔王』が発生してサンデューク辺境伯領がなくなったり、立場が失われたりする可能性もゼロではない。というか『花コン』でもサンデューク辺境伯家がなくなるルートが複数あるしな。
たとえばナズナルートの場合、サンデューク辺境伯家はコハクとモモカ、それと領民を除いて消滅。ナズナのところに婿入りした男性主人公が『魔王』退治の功績で辺境伯になる。女性主人公の場合でもナズナと二人三脚でパストリス子爵家を盛り立て、後年に直臣として辺境伯になる。
他のルートでもミナトが主人公と敵対したことが尾を引く……というか、主人公と敵対するってことは主人公を召喚した王家の姫君とも敵対するってことだ。致命的とまではいかないけど、その辺りを利用してミナトをその立場から追い落とすキャラが何人もいる。
俺は主人公と敵対する理由がないから大丈夫だと思いたいが、原作通りのイベントを起こそうと思えば敵対する必要があるわけで。
(何度考えても頭が痛くなる……あと胃も痛ぇ。どうすりゃいい? 何が正解なんだ? そもそも正解はあるのか?)
『花コン』をプレイした時みたいに、周回済みで主人公が最初からある程度強いとか、主要な攻略キャラの好感度が上がりやすければ『魔王』を倒す難易度が低くなる。しかしその場合、俺の行動がこれまでと違うから警戒されそうだ。
この世界で周回しているのなら話は滅茶苦茶楽なのだが、希望的観測すぎてどうにもならん。そもそも本当に主人公が召喚されるのかという問題に戻ってくる。
「……ん? モモカか」
今日の分の勉強は終わったため、自室で自主勉強という名の考え事をしていると部屋の外から慌ただしい足音が聞こえてくる。
廊下は絨毯を敷いてあるし、頑丈な造りだから本来は足音なんて聞こえないんだけどなぁ。ドタドタ、バタバタと駆け回るような音が聞こえてきてしまうぐらいその人物はお転婆なのだ。
「お兄様! 遊んでー!」
俺の部屋の扉をノックもせずに開けて入ってきたのはモモカだった。普段着用の簡素なドレスの裾が翻るのにも構わず、一直線に俺の元へと突っ込んでくる。
「おっと……モモカ、今はお勉強の時間だろう?」
「飽きた! お兄様と遊びたいっ!」
じゃれつく猫のように飛びついてきたモモカを受け止めた俺は、今の時間にモモカがやっているべきことを思い浮かべる。今の時間帯は……マナー関連の座学だったか。お転婆に育ちつつあるモモカにとって座学が苦痛であることは間違いない。
(うーん、今日の授業は退屈だったかぁ)
モモカは毎回授業から逃げ出して遊ぼうとするわけではないし、サンデューク辺境伯家の長女として相応しい知識と教養を身に着けるべく、きちんと努力をする。
だが、どうしても授業がつまらなく感じるとこうして俺に遊んでほしがる。本当はしっかり叱るべきだが、兄としては無邪気に慕われるとそれはそれで構いたくなるもので。
開いたままの扉へ視線を向けてみると、モモカの教育担当の女性が申し訳なさそうに頭を下げているのが見えた。モモカが逃げ出す先などお見通しということだろう。
本当に大切な授業だった場合、モモカもそれを察して真面目に受けるから今日は逃げ出して良い日だったのかね。変にストレスを溜めるよりはマシか。
ちなみに俺とナズナのように、コハクやモモカにも従者がついた。俺は三歳の時にナズナと引き合わされたが、二人に傍付きの子が与えられたのは本格的に勉強が始まる五歳になってからだ。
コハクの傍付きは筆頭文官の長男、モモカの傍付きは屋敷の差配をする家令の長女。ナズナが筆頭武官であるウィリアムの長女なあたり、政治的なバランスを感じる采配だった。
なお、コハクはともかくモモカの傍付きの子は普段からモモカに振り回されており、今も教育担当の女性と一緒にあわあわと焦った様子でこっちを見ている。うちの妹がごめんね?
それはそれとして、どうしたもんか、と俺は頭を悩ませる。
これは前世で知人の小学校教師に聞いた話だが、学校に通い始めた一年生に授業を行う際、最も大変なことは何か。
簡単な授業にする? わかりやすく説明をする? 興味を惹くために小道具を用意する?
何が大変かというと、授業の時間中椅子に座らせておくことである。そう、幼い子どもというのは椅子に座ってじっとし続けるのが難しいのだ。
モモカもこれまで教育を受けてきているし、普通の子どもよりは忍耐力があるものの、どうしても飽きてしまったり他のことがしたくなったりする時がある。
体を動かす訓練は大好きなんだけどね。その点コハクとは正反対で、二人を足して割るとちょうど良い感じになりそうだけど、兄としては元気に育ってくれればそれだけで満足である。
しかし、学ぶべきことを学べていないと将来恥をかくのはモモカなわけで。
「……よし、モモカ。今日は俺も先生になろう。それならどうだい?」
授業をサボらせて遊んであげるわけにはいかないけど、一緒にいるぐらいはいいだろう。そう判断した俺は自分の復習も兼ねてそんな提案をしてみる。なお、俺が先生になるといっても、あくまで本来の教育係の補助として動くだけだ。その辺の職分は侵せない。
「えっ!? お兄様が教えてくれるの!? それならがんばるっ!」
俺の提案に満面の笑みを浮かべながら頷くモモカ。お兄ちゃん、すごく嬉しいけど教育係の女性が落ち込んでるからほどほどにしてね?
「それとモモカ。君もそろそろ淑女らしい口調を覚えた方がいいかもね」
無邪気で可愛らしいけど、貴族令嬢としての体面もある。そのため俺がそんな提案をすると、モモカは不思議そうに首を傾げた。
「淑女らしいって、どんな感じ?」
「……語尾にですわってつけるとか?」
咄嗟に出てきたのはそんな言葉だった。お嬢様っぽい言葉として定番だと思うけど、『ですわ』ってつけると関西弁っぽくも聞こえるけどね。この世界、さすがに関西弁はないと思うけど。
「……勉強より遊びたいですわ?」
「そうそう、そんな感じ」
早速使ってみせるモモカに俺は笑う。疑問形なのが可愛らしい。あとは状況によって『ですの』とか『ですわね』とか使い分ければそれっぽく聞こえそうだ。
(そう考えると、三歳で俺の傍付きになったナズナはすごかったんだな)
俺達のやり取りを邪魔しないよう、壁際に立っているナズナを見てそんなことを思う。もちろんナズナもすごいのだが、三歳児に敬語や礼儀作法を教え込んだ人もすごいだろう。アンヌさんが俺の乳母をやっている時以外の時間で教えたのかもしれないが。
「むむむ……ですわ、ですの、ですわね……難しいですわ」
「まあ、モモカはそのまま真っすぐ育ってくれるのが一番かなぁ」
そう言いつつもどこか楽しげなモモカの手を引き、俺は臨時の先生役としてモモカの私室へと向かうのだった。
そしてその日の夜のこと。
無事にモモカの教育を乗り切った俺だったが、夕食後の自由時間になると今度はコハクが自室を訪ねてきた。自主訓練をしようかなと思っていたタイミングでの来訪である。
「兄上、入ってもいいですか?」
突撃してきたモモカと違い、コハクはきちんとノックしてから扉を開け、隙間から顔を覗かせてくる。俺がそんなコハクの言葉に快諾すると部屋に入ってくるものの、どこか遠慮がちに、それでいて不満そうな顔をした。
「さっきモモカに勉強を教えたって聞きました。兄上はモモカにばっかり甘いです」
「ん? そう感じるか。そりゃあ……すまんな」
俺としては平等に接しているつもりだが、それをどう感じるかはコハク次第だ。コハクとしてはモモカの方に多く構っているように感じたのだろう。そのため素直に謝るついでにコハクの頭をガシガシと撫で回す。
「コハクはしっかりと勉強をしてたんだよな? 偉いぞー。すごく偉い。さすが俺の弟だ」
「あ、兄上……ぼくはもう、そんなに子どもじゃないですよ」
そう言って恥ずかしがるコハクだが、俺の手を跳ねのけることもない。ふっふっふ、愛い奴め。
コハクは年齢の割に自制心が強く、それでいてとても優秀だ。『花コン』で嫡男のミナトではなくコハクを推す家臣が多かったのも納得の才児かつがんばり屋さんである。
この世界だとミナトの中身が俺だから、さすがに勉強や訓練で負けることはない。いやまあ、魔法や錬金術に関しては才能差で負けてるけど、総合力では勝っているだろう、多分。六歳児に多分勝っているとしか言えないのが悲しいけど、嬉しくもあるのは兄心か。
まったく、この子の将来が楽しみだ――と言いたいところだが。仮に『花コン』の舞台が幕を上げて、どうにか上手く立ち回れて『魔王』の対処ができたとして、だ。
『魔王』を倒せるよう、原作通りのイベントを起こすと俺は命を落とす可能性が非常に高い。昼間に考えたように、俺が死ねばこの子が家督を継がざるを得ないんだよな。
そんなことを考え、思わずコハクをじっと見てしまう。
俺もさすがに『花コン』同様のやらかしは控えるつもりだから、サンデューク辺境伯家が丸々なくなることはないと思う。しかし『魔王』を倒すのに有効で、なおかつ嫡男として相応しくない行動を取らざるを得ない場合、俺はその行動を選ぶしかない。
自己犠牲なんてごめんだが、俺一人の命で世界が救えるとすればどうだろうか。死にたくないし、仮に死ぬような方法を選ぶとしても最後の最後まで迷うだろうけど。それでもこの世界が、人類が救えるとなったら、選ばずにいられるのか。
「よーし、それじゃあ子どもじゃないコハクに俺からちょっとした授業だ」
そう言って俺は腰を折り、目の前のコハクと目線の高さを合わせる。一歳差だからそこまで大きな差はないけど、それでも俺の方が背が高いのだ。
「授業、ですか?」
「おう。コハクの兄貴として……いや、サンデューク辺境伯家の嫡男として、だ」
俺より一歳下、すなわち六歳児のコハクに話すべきことじゃないと思う。それでも、日頃から言い聞かせておくべきことがあった。
「コハクも毎日勉強や訓練をやってるけど、それって何のためだと思う?」
「……この家に生まれた者としての責務です。それに、ぼくも兄上のようになりたいからです」
うーん、賢い物言いだ。それに俺のようになりたい、か……可愛いがるしかないじゃないか。
「はっはっは! 俺のようにか! まったくもう、いじらしいことを言うなぁコハクは!」
本当に可愛いやつだと、俺は心の底からそう思う。兄冥利に尽きるってもんである。
――俺は、そんな子に全てを託さざるを得ない立場なのだ。
「たしかに、この家に生まれたからっていうのもある。でもな、一番は俺がいなくなった時、コハクが父上の跡を継ぐためなんだ」
「兄上が……いなくなる?」
「ああ。病気かもしれないし、事故かもしれないし、何者かに殺されてのことかもしれない。そんな時、コハクが家督を継いでも困らないよう今から勉強しているんだよ」
当然ではあるが、嫡男の俺と次男のコハクでは勉強の量も密度も違う。というか、なんでこんなに多いんだろうって考えるぐらい俺に課される勉強量が多い。子どもの覚えやすい脳みそで、なおかつ中身が成人してなかったら到底覚えきれないぐらいだ。
コハクの場合は家督を継いだ際に困らない程度の質と量だが、俺は領地をより発展させるべく、様々な分野をより広く、より深く勉強している。
コハクの立場を悪く言うなら俺のスペアだ。便利なアイテムや回復魔法が存在するこの世界では子どもが死ににくいため、家督を継ぐのに過不足ない程度の教育で済むのがコハクである。
だからこそ三歳から勉強を開始した俺と違い、コハクは五歳から本格的な勉強が始まった。それもこれも、コハクが次男だからだ。
(勉強をした期間と質に大きな差があるのに、コハクの方が優秀だって家臣から思われたらミナトも歪むか……人類を裏切る言い訳にはならないけどさ)
『花コン』で描写された感じだとミナトはそもそも人類を裏切っている自覚を持っていないし、なんならそんなことを考えるよりも先に殺されていたけども。結果として人類を裏切り、実家を滅ぼす引き金を引いたのはミナトなのだ。
中身が俺である以上、サンデューク辺境伯家を滅ぼすような真似は避ける。それでいて『魔王』を滅ぼして人類も救う。その上で可能なら俺も死なない。逆に言えば、俺の命はサンデューク辺境伯家や人類を守ること、『魔王』を滅ぼすことと比べれば軽い。
「だからコハク、もしもの時はこの家と家族を頼む。喧嘩してもいいから、モモカともなるべく仲良くしてくれると兄ちゃんは嬉しい。頼めるか?」
俺がそう言うと、コハクは泣きそうな顔になりつつも数秒経ってからしっかりと頷いてくれた。少し難しいかな、と思ったけど理解してくれたようだ。
そんなコハクの頭を再度撫でると、俺はそれまでの空気を切り替えるように笑う。
「今から素振りをしてくるけどコハクも来ないか? ランドウ先生みたいには無理だけど、教えられることがあれば教えるからさ」
「っ……うんっ!」
コハクはまだ六歳だし、甘やかせるところは甘やかしておこう。そう思って誘う俺に、コハクは大きく頷くのだった。
そうして俺は一日を終える――その前に、普段の日課として『召喚器』を発現した。
何がきっかけで絵のあるページが増えるかわからないため、一日一回、寝る前に確認するようにしているのだ。
「……増えてる」
そして、何故かページが増えているのを確認して呟く。しかも今回は二ページだ。
片方は、俺が先生役をして勉強をするモモカの姿。
片方は、俺と一緒に素振りをするコハクの姿。
その二つを確認した俺は『召喚器』をそっと閉じ、深く、長く深呼吸してからもう一度『召喚器』を開く。
「……増えてる」
やっぱり見間違いじゃなかった。二ページ増えて、全部で五ページになってる……え? なんで? 本当にどんな条件でページが増えるの?
モモカ相手に勉強を教えたことはこれまでにもあるし、コハクと一緒に素振りをしたことなんて数えきれないぐらいある。
結局、眠りに落ちるまで考え続けた俺だったが、コレだという答えは出なかった。