第175話:武闘祭 その7
エリカが『召喚器』である『天震嵐幡』を振り払った、その瞬間だった。
「っ!」
ボッ、と空気を圧縮したような音が鳴り響き、アリーナとしてしっかり押し固められているはずの地面から砂塵が巻き上がる。
(こいつはなんとも……!)
砂塵によって可視化された風の動きはまるで津波のようだ。回避する隙間がないほどに巨大な風の波が放たれ、二十メートルという距離を瞬く間に詰めて襲い掛かってくる。
棒立ちしていたら観客席まで吹き飛ばされそうなほどの暴風だ。そのため俺は瞬時に伏せ、地面と水平になるほどの前傾姿勢で一気に前へと駆け出す。
スギイシ流ではどんな足場、どんな体勢だろうと攻撃を繰り出せるようにする。たとえ人間が容易に飛ばされるほどの風が吹こうとも、その程度では飛ばされてはやれない。
だが、さすがにそれほどの暴風を受けて普段通りに動くというのは無理だ。三、四歩もあれば詰められるところを五歩かけて踏み込み、エリカの『召喚器』に斬撃を叩き込んで弾き飛ばそうとする。
「えーいっ!」
こちらが距離を詰めるよりも早く、エリカが旗を振り下ろしていた。そして自分ごと暴風で吹き飛ばすことで俺との距離を強引に空ける。
さすがに至近距離で爆風が炸裂すると回避しようがない。『一の払い』で斬って追撃しようと思ったが、ここは敢えて風に乗り、後方へと大きく跳んだ。
「ミナト君! いっくよー!」
俺が着地すると、三十メートルほど離れた場所に立つエリカが『天震嵐幡』を大きく振りかぶっているのが見えた。野球のバッターのように旗竿を両手で握り、周囲全てを薙ぎ払うようにフルスイングする。
その瞬間、大気が揺れた。いや、『召喚器』の名を示すように天が震えた。空気が圧縮され、物理的な圧力すら伴った風の壁となって俺へと迫りくる。吹き飛ばすのではなく飲み込んだ者を押し潰すような、無色にして無形の凶器だ。
本気でこいと言ったのは俺だが、直撃すれば圧死しかねないほどの威力があるだろう。そう感じさせるだけの圧力がある。
スギイシ流――『一の払い』。
そのため、俺は真っ向から風の壁を両断する。というか、両断するしか回避する方法がない。上も下も左右も全部が効果範囲で、さっきみたいに地面スレスレを走って回避するなんてことはできそうになかったのだ。跳躍して回避しようにも、風使い相手に空中戦を挑めば詰むだろう。
だからこそ斬ったのだが、両断した風の塊が背後で解け、観客席へ到達して観客から歓声とも悲鳴ともつかない声が上がる。斬ったことでただの強風になったが、体重が軽い人なら浮き上がりそうな威力の風だった。
(斬った手応えは……中級魔法以上、上級魔法以下ってところか? 旗を振るだけでこれだけの威力の風を、広範囲に向かって発射できるっていうのはとんでもないな)
しかも、エリカは本気でこそあっても全力ではない。『花コン』では『風刃』のように相手を斬り刻む形で風を飛ばすことができたため、こちらのエリカも同じことができるはずなのだ。
そう考えた俺を、ある意味でエリカは超えてくる。
旗をフルスイングした勢いでもう一度横に回転したかと思うと、更に勢いをつけて、下手すれば『召喚器』がすっぽ抜けて飛んでいくんじゃないかと思えるほどの力強さで振り抜く。
「ええええぇぇーいっ!」
気が抜けそうな掛け声と共に放たれたのは、巻き上がった砂塵によって目視可能となった竜巻だった。魔法ではなく、『召喚器』のちょっとした操作で逆巻く風の渦をこちらへと放ってきたのだ。
(なんだ……やればできるんじゃないか)
直撃し、飲み込まれれば全身をズタズタにされそうな竜巻を前に、俺は『瞬伐悠剣』を握る手に力を込めて笑う。口の端を吊り上げるようにして、楽しさを零すように。
少なくとも、風で吹き飛ばそうなんて温いことは考えていない一撃だ。いや、エリカのことだから考えずに全力を出しただけかもしれないが。
迫り来る竜巻を前に、俺は剣を交差させるように二度振り抜く。そうすることで『一の払い』を二度飛ばして竜巻に叩きつけることで威力を弱め、最後には上段に振りかぶって刃を振り下ろす。
エリカが放った竜巻は上級魔法に近い威力があると判断しての対処だった。そしてそれは正しく、風を斬っているにもかかわらず硬質な物体を切り裂いているような手応えを両手に感じつつ、剣を振り切って竜巻を両断する。
その瞬間、解けた竜巻が荒れ狂い、周囲を飲み込むようにして流れていった。その拍子に俺達やモリオン以外の試合を行っていた生徒達が動きを止め、驚いたようにこちらを見てくる。邪魔してすまんね。
(同等とは言わんが、やっぱり上級魔法に近い威力があるな……直撃してたら死ぬか)
試合で使うには過剰な威力だが、エリカにそんな制御はできない。俺の言う通り全力を出した結果だろう。
「もう――ひとぉつ!」
そしてエリカは、更に動いていた。俺が竜巻を両断すると思っていたのか、ただの勢いか。どこか楽しそうにしながら横に回転し、『天震嵐幡』の能力を三回連続で解放する。
その余波で周囲に風が飛び交い、味方がいれば巻き込んで薙ぎ払っているほどの暴風が発生する。風の中心にいるからかエリカは吹き飛ばされずに済んでいるが……いや、あれは全周囲から風に圧迫されて動けないだけだな。下手すれば圧死するぞ。
僅かに心配するが、エリカは『天震嵐幡』の力を解放できていることが楽しいのだろう。
未だに能力の解放に関してうんともすんとも言わない俺の『召喚器』では体感のしようがないが、エリカの表情からは雁字搦めの束縛から解放されたような、清々しさを感じさせる明るさがあった。
そんな笑顔と共に放たれたのは、先ほど両断したものと同じ威力の竜巻が三つ。それぞれが意思のある蛇のように蛇行しながら俺目掛けて飛んでくる。
「――ハハ」
それを見た俺は思わず笑っていた。上級に近い威力の竜巻が三つとなると、その威力は上級魔法を超えてくるだろう。さすがに最上級魔法には届かないだろうが、大規模ダンジョンでも中々お目にかかれない威力の攻撃だ。
だからこそ、真っ向から迎え撃つ。
ヒュッっと音を立てながら鋭く息を吸い込み、瞬時に意識を集中。『瞬伐悠剣』を握る手に力を込め、可能な限り魔力を流し込みながら左足を前へと踏み出し、脇構えに剣を構えて自分から竜巻へと突っ込んでいく。
エリカの全力に応えるよう、こちらも全力で応じる。
スギイシ流奥義――『閃刃』。
踏み込むと同時に繰り出した刃が、こちらを引き裂いてバラバラにしようとする竜巻を端から食い破っていく。
踏み込みから剣を振り切るまでかかる時間はほんの刹那程度。しかし僅かなタイムラグが俺の左半身を切り裂き、細かな裂傷を刻み込んでいく。だが、その程度では止まってやれんぞ、俺は。
「オオオオォォッ!」
迫りくる三つの竜巻を横一文字に両断する。前にして踏み込んだことで竜巻に巻き込まれた左半身から血が飛び散るが、痛みと出血があるだけで戦闘は可能だ。少なくとも決着をつけるまでは何の影響もないだろう。
竜巻を両断した俺はそのまま前へと進む。駆けることはなくゆっくりと、尻もちをつくようにして地面に座り込んだエリカへ一歩一歩近付いていく。
「あっ……えへへ……すごいね、ミナト君……あたし、こんなにこの子の力を引き出したの、はじめてだったんだよ?」
「ああ、初めてにしちゃあ上出来だ。大したもんだったよ」
体力をもっていかれたのか、疲労困憊といった様子で力なく笑うエリカに俺は貴族としての仮面を外して素で答える。
恐るべきは、『天震嵐幡』の力か。エリカの口ぶりから察するに、まだまだその力の全てを解放したわけではないのだ。現にエリカは自身の『召喚器』の名前すらわかっていない。
『召喚』か『活性』の段階で止まっているというのに、あれほどの威力を発揮したのだ。これで『掌握』に至って『天震嵐幡』の名前を知ったり、『顕現』に至って必殺技を使えるようになったらどうなることか。
「この子ね、本当はね、もーっとすごいの。でも、あたしが耐えられないから、ずーっと我慢してたの……今日は……うん、ちょっと満足そう」
「ははは、あれでちょっとか。そいつはすごいな」
そう言いつつ、俺はエリカの傍に立った。エリカは尻もちをついたまま見上げてくるが、これ以上の戦闘は無理なのだろう。本当に疲れた様子で微笑む。
「えーっと……こういう時、なんて言うんだっけ……あ、そうだ。負け……ました」
敗北を宣言する時、僅かに言葉に詰まるエリカ。そこに何か意味があったのか、あるいは疲れで言葉が途切れただけか。
「そこまでっ! 勝者、ミナト=ラレーテ=サンデューク君!」
駆け寄ってきた審判の教師がそう宣言すると、エリカは意識を失ったように倒れるのだった。
「若様は無茶をし過ぎです。勝つだけなら試合開始数秒で終わっていたでしょうに」
「すまんな」
エリカとの試合が終わり、治療のために控室に引っ込んだら試合を見ていたナズナからお叱りの言葉をもらってしまった。
控室には治療に用いる消毒液や包帯、ポーション類が常備されている。あとは試合までくつろげるよう椅子や机が準備されているため、簡単な治療をするだけなら十分だ。
「もう……こんなに傷だらけになって! 実習服を脱いでください! 綺麗にしてポーションをかけますからね!」
「いや、治療に関しては担当の者が控えているんだが……」
まあ、派手に出血しているけど重傷ってほどでもない。ナズナに任せていいか。
「テンカワもそうですが、見どころがあると思えばこうして無茶をしてでも指導して……若様の悪い癖ですっ!」
ごめんて……従者であるナズナからすれば心配するしかないんだろうけど、本当にごめんって。でも似たようなことがあればまたやるだろうから、心の中でもう一度謝っておこう。ごめんなさい。
ナズナは慣れた手付きで傷を消毒すると、その上で低品質の回復ポーションをかけてくる。傷の手当は大規模ダンジョンで修行していた時に慣れたからなぁ……お互い、こうして傷周りを綺麗にして治療してと、本当に慣れたもんだ。
あとナズナ? 悪い癖とは言うけど、これが将来の『魔王』対策につながると思えば必要なことであってだね……ナズナの立場だと言わざるを得ないんだろうけどさ。
(でも、こうして注意できるようになっただけナズナも成長しているんだよな……良いことだわ)
正直なところ、唯々諾々と従うだけの従者なら俺も必要と思わないしな。『花コン』みたいに『忠偽』を仕出かされると困るけど、今のナズナならその心配もないはずだし。
俺がそうやってナズナの手当を受けていると、控室に近付いてくる気配があった。誰かと思って視線を向けると、ノックの音がしてから扉が開く。
「……あのー、ミナト君……いる?」
そして扉から恐々顔を覗かせたのはエリカだった。女性だから俺とは別の控室に運び込まれたが、どうやら気絶から目覚めたらしい。エリカは怒られるのを怖がる子どものような仕草で控室の中を見回してくる。
「いるが……エリカ? ノックをするのは良いけど、返事を待ってから開けるんだぞ?」
「あっ、そうだった……ごめんなさい」
俺が返事をするとエリカが控室へと入ってきた。うん、別に構わないけど、入室許可を得てから入ろうね?
「えっと、ね? その……怪我、大丈夫?」
どうやら自分が負わせた傷が気になって訪れたらしい。エリカらしいというかなんというか。
「この程度、大したことはないさ。それにもう治療して治ったよ」
そう言って俺は左半身を見せる。あちこち裂傷を負って出血していたが、今ではきちんと治って傷が塞がっていた。
「わわっ、すごい筋肉……えっと、うん、それなら良かったよー」
チラチラと俺の左半身を見て、ほっと安堵したように息を吐くエリカ。長年剣を振り回してきたから脂肪が一切なく、筋肉で引き締まった肉体をしているが、さすがに『召喚器』には勝てなかったわ。
そうやって無事をアピールすると、エリカは視線を床へと向けた。
「……本当に、ごめんね? それと、ありがとね」
申し訳なさそうに謝罪し、同時に感謝もしてくる。それを聞いた俺は思わず苦笑してしまった。
「なあに、気にすることはないさ。これから少しずつ自分の『召喚器』の扱いについて慣れていけばいい。そのために協力が必要ならいつでも手伝うからな?」
これほど強力な『召喚器』の使い手なら、喜んで訓練を手伝うとも。そんな意図を込めて笑うと、エリカはきょとんとした顔になったあと、花がほころぶようにして笑う。
「――うんっ!」
そして大きく頷くのを見て、俺もまた笑顔で頷きを返すのだった。




