第175話:武闘祭 その6
二十メートルの距離を挟んでエリカと向き合う。
俺は『瞬伐悠剣』を、エリカは『天震嵐幡』を握っているが、俺と違ってエリカの表情には困惑の感情が浮かんでいた。
「ふわぁ……ミナト君、今、パッと消えた……消えたよね? すごいなぁ……」
いや、困惑でいいのかな? 感心したように、手品でも見たように、目を輝かせているんだが。
「なに、開始と同時に踏み込んだだけさ……それで? のんきに構えていていいのかい? 今度は油断するなと、そう言ったはずだが?」
こっちは『瞬伐悠剣』を抜いたんだ。試合だから斬り殺すわけじゃないけど、必要以上に手加減もしない。それに、二十メートル程度なら俺の間合いの中だ。踏み込んで斬れるし、『一の払い』で刃を飛ばすこともできる。
警告する俺に対し、エリカはきょとんとした顔になる。しかしすぐに苦笑を浮かべると、どこか申し訳なさそうな顔をした。
「うーん……なんか、怒らせちゃった? あたし、何かひどいこと言っちゃった?」
「いや、怒ってはいないとも。今の君だとわからないっていうのも理解しているつもりさ。だから今回の戦いは、そう……君の危機感を煽るためって感じかな」
エリカの『召喚器』は本当に強い――が、本人の意識がその強さに追いついていない。だからこそ、少しは『召喚器』に見合った意識を持ってほしいもんだが。
(難しい話だけどな……平和に過ごしていた王都の民に危機感を持てっていうのはさ)
エリカにとっては『魔王』なんて御伽噺みたいな存在だし、『魔王の影』が暗躍しているなんてことも知らないだろうし、そもそも学園に来るまでは王都の外の世界すらろくに知らなかったはずだ。
オレア教がエリカほどの『召喚器』を持つ者を直々に育てず、学園に推薦して入学させたのも、その意識の薄さが原因なのだろう。いくら才能があったとしても、本人のやる気がなければどうしようもないのだ。
オレア教に属する者達はなんだかんだで世界平和のため、『魔王』をどうにかするために必死になっている者達の集まりである。才能の有無にかかわらず、仮に戦えないとしても新しい技術を生み出したり、娯楽を生み出したりと、負の感情が少しでも溜まらないように尽力している。
そこにエリカみたいな意識の少女を入れて育てるというのは中々に困難だと思われた。メリアみたいに生まれた時から育てていくのなら話は別だが、性格がある程度固まるまで育ってからだと矯正も難しいだろう。
「危機感? んーっと……なんの?」
「そうだな……たとえば、だが」
俺は軽く剣を振り、『一の払い』で魔力の刃を飛ばす。間違ってもエリカを両断しないよう、魔力の収束は甘めにして。
「っ!」
狙い通りエリカが握る『天震嵐幡』の旗竿に『一の払い』が直撃し、その衝撃でエリカが『召喚器』を落としかけた。それを見た俺は思わず苦笑する。
「君の『召喚器』はたしかに強力だが、それだけだ。能力を発動しなければただの旗だし、『召喚器』を操る君がそのザマでは宝の持ち腐れというやつだよ」
今、こうして会話に乗っていることも油断だよ、なんて言葉は飲み込んで、俺はエリカを指導するように言う。
「魔法なら君も警戒したんだろうが、世の中にはこういう形で攻撃できる者もいる。試合だから手加減したが、実戦なら既に死んでいるぞ? そもそもついさっき首に手を添えられたことを忘れたか?」
「……ミナト君、やっぱり怒ってる?」
透輝を指導する時みたいに接してみると、エリカは少しだけ不安そうにしながら尋ねてくる。これは……アレか? 実戦経験がないっていうのもあるけど、エリカにとっては攻撃イコール怒っているって感じるのか?
そりゃまあ、平和に生きてくれば暴力を振るわれるとすれば相手が怒っている時ぐらいか。実際にはただの手段として暴力を用いる者がいたり、嫌がらせ程度の意識で暴力を振るう者もいたりするが、エリカの性格ならその標的になることもそこまでなかったのかもしれない。
王都は国王陛下のお膝元で治安がしっかりとしているし、サンデューク辺境伯家みたいに国境に接していて常に緊張感があるってわけでもない。王都なら近隣に野盗が出るってこともないだろう。
(うーん……こりゃあ、透輝よりも指導に困るタイプだな)
透輝は平和な世界から召喚されたが、性格的に割と順応しやすい部分がある。才能があるからか剣を振るうことを嫌がらないし、技術だけでなく心構えに関して教えても素直に飲み込んでくれる。
その点、エリカは元々の認識がズレているというか……技術に関しては飲み込みが早くとも、心構えに関してはどうだろうかってタイプか。その純粋さが良い方向にも悪い方向にも作用する感じだ。
(そうなると、同年代の中で切磋琢磨するかもしれないって期待して学園に推薦したオレア教が正しい、か……)
どうしても戦いに向かない性格の人間というのは、いるところにはいる。俺みたいに幼い頃から剣を振り続け、それが当たり前になる人間もいれば、その逆もあり得るだろう。平和な環境で生きてきたから、どうしても戦いに向かないって性格の人間だ。
(……エリカの意思を尊重するなら、すぐにでも気絶させる方が良いんだろうな。『天震嵐幡』の力は惜しいが……)
そう思い――それでも、もう少しだけ様子を見ようと思った。
「怒ってはいないよ。ただ、少し呆れてはいるかな。これじゃあ君に負けた先輩達が可哀想だ」
「……かわいそう?」
「ああ。理由はそれぞれ違うだろうけど、少なくともエリカ、君よりも真剣に、勝ちたいと願って武闘祭に出場していただろうからね。それを思うと可哀想だ」
そういう意味では俺も彼らほどの熱意はなかった。そのためどの口で言うのか、と自嘲する部分もあるが、少なくとも勝ちたいという意欲はある。できれば強い相手と戦いという欲望もある。
「君みたいに友人に勧められたから出場を決めた、なんて生徒はほとんどいないだろう。いても予選で負けていると思う」
これは本音だ。本当に、エリカみたいな理由で参加している生徒はほとんどいないと思う。前世でたとえるなら友達や家族が応募したからミスコンに参加しました、って言うようなもんだしな。内容はミスコンと違って危険で血生臭いけど。
そんなことを話しつつ、俺は視線を僅かに横へ向け、俺と同じく二回戦を行っているはずのモリオンを見る。すると既に相手を倒し終えたモリオンは何故か退場せず、遠くから俺をじっと見ていた。
モリオンみたいに、自分の実力をしっかりと把握した上で学園最強の魔法使いになるべく出場した、みたいなタイプなら俺もとやかく言わないんだが……エリカは戦う覚悟を固める以前の問題だからなぁ。
学園の武闘祭に覚悟を求める方が間違っているのかもしれないが、それほど遠くない未来に『魔王』が発生すると知っている身からすればもどかしいわけで。
(いっそ『魔王』が発生することを公表したら気が引き締まるのかもしれないけど……恐怖で一気に負の感情が溜まって即座に『魔王』が発生しそうだし、無理だよなぁ)
王族や貴族、オレア教など、知っている者達だけで『魔王』に関して備えている状態だが、全人類で一丸となって協力する、なんて手段が取れないのが痛いところだ。
そんな風にズレそうになった思考を中断し、俺はエリカをじっと見る。
「エリカ、君がそれでも構わないというのなら俺もこれ以上は何も言わない。このまま勝負を決めさせてもらう。だが、少しでも思うところがあるのなら」
そう言いつつ、俺は『瞬伐悠剣』の切っ先をエリカへ向ける。僅かにでも届くものがあればと願って。
「――全力でかかってこい」
俺がそう言うと、エリカの瞳が僅かに揺れた。そして視線が左下へと向けられ、眉を寄せる。
それまでと異なる、迷いを含んだ空気。隙だらけだが敢えて攻めることはなく、エリカの反応を待つ。
そうして十何秒ほど過ぎると、エリカが顔を上げた。まるで怒られることを怖がる子どものような顔で。
「でも……でもね、危ないよ? あたしのコレは、本当に危ないんだよ?」
エリカは自らが握る『天震嵐幡』を見せながら、そう言う。なるほど、『天震嵐幡』の強さと危険性を理解しているからこそ、ジェイドと戦った時も吹き飛ばすだけに留めていたのか。
つまり、エリカの普段の振る舞いは素の性格もあるだろうが、多少なり演技していた部分もあるってことか? それでもわざわざ武闘祭に出場してきたあたり、自らの『召喚器』に対して何か思うところがあるのかもしれない。
迷うように言葉を紡ぐエリカに対し、その迷いを少しでも振り払えればと俺は小さく笑った。
「構わんさ。君の全力、俺が受け止めてやる。だから本気でこい」
これは、思ったよりもエリカの意識を改善できるかもしれない。そう思った俺が快諾すると、エリカの瞳がにわかに輝く。
「うん……うんっ! 本気? って出したことがないけど、頑張るねっ!」
その言葉に、ん? と俺は疑問を覚える。しかしその疑問を表に出すよりも早く、エリカが纏う空気が大きく変化した。雰囲気が、ではなく、空気が変化したのだ。
(っと……これは……)
気圧が下がったような違和感を覚えた俺は、なるべく背後に人がいない方向へと移動する。周囲は観客席になっているから、既に試合が終わっているモリオンの方を背後にして、と。
「それじゃあ――あたしの全力、受け止めてね?」
こちらの動きの意図に気付いているのかいないのか。それまでとは異なる種類の笑みを浮かべたエリカが、宣言と共に『召喚器』を薙ぐように振り払うのだった。




