第172話:武闘祭 その3
十月一週目の土曜日。
その日は朝から好天に恵まれ、前世なら運動会日和とでも言えそうな空模様だった。秋が近付きつつあるため気温や湿度も不快さはなく、過ごしやすい涼やかな風が吹いている。
そんな涼やかな空気とは裏腹に、朝も早くから学園の門を開け、王都から続々と馬車だったり徒歩だったりで移動してくる王都の民や貴族を受け入れ、時間が経つにつれて学園内の熱気がどんどん高まっているように感じられる。
お祭りが始まる前の、ワクワクとした期待と興奮を含んだ空気。浮き立って、沸き立つような、そんな空気が漂っているように思えた。
(娯楽はそれなりにあるけど、お祭り騒ぎはどんな世界、どんな時代でも楽しいってことかねぇ)
朝食をとって準備を整え、周囲の目があるということで東部派閥の面々で集まり、大名行列を作って闘技場に向かいながらそんなことを思う。
いつの間に用意したのか、王都の商会と思しき者達が作った出店があちらこちらに建ち並び、飲食物を販売している姿もあった。こりゃ本当にお祭りだなぁ。
王都の民にとっては騒げるイベントで、貴族や王国騎士団にとっては腕が立つ生徒をスカウトするためのイベントでもある。
逆に生徒にとって――特に騎士科の生徒にとっては将来の就職先を見つける絶好の機会でもあった。自分の実力をアピールし、スカウトされれば普通に就職するよりも好待遇で就職できるだろう。
本当に腕が立つ生徒は王国騎士団みたいな精鋭揃いかつ名声も高い組織から声をかけられたり、大貴族から声をかけられたりと、将来の就職先に困らない状況になりそうだ。
そのためサンデューク辺境伯家でも祖父であるジョージさんがアイヴィさんを連れ、デートを兼ねて見に来る予定である。他の貴族も王都に別邸を構えている場合は家の者を派遣し、情報収集をしたり見どころがある生徒に唾をつけるのだ。
ただし、騎士科の生徒達も派閥には無縁ではいられないため、貴族科の生徒を通して既に将来の進路が固まっていることもある。
たとえば、東部派閥で優秀な騎士科の生徒は卒業後、騎士としてサンデューク辺境伯家で召し抱えたり、他の東部派閥の貴族の家で召し抱えたりと、ある程度は進路が固まっているのだ。
もちろんうちよりも好待遇を提示し、それを承諾してそちらに就職する、というのもアリである。引き止められるだけの条件を提示できなかった方が悪いという認識があるからだ。その辺りは駆け引きである。
それらを考えると、コーラル学園長が俺の参加に関して条件を付けてきたのも仕方がない面があるだろう。学年不問条件不問部門に参加させてもらえるだけでもありがたいと思うべきか。
(でもなぁ、透輝と決勝で戦いたかったなぁ……)
さすがにまだ早いだろうが、主人公らしい逆転劇で師匠越えを果たしてくれても良かったんだが……参加できないものは仕方ない。それに俺もまだまだ負ける気はないし、今回はこれで良かったのだろう。
(透輝の奴、優勝したら来年は学年不問条件不問部門に出場させるかぁ。その頃には実力もかなり伸びているだろうし、丁度いいだろ)
コーラル学園長に頼んで、優勝者とエキシビションマッチでもさせてくれないだろうか? 生徒がダメなら来年赴任しているであろう、ランドウ先生と戦わせてくれるだけでもいいんだが。
「若様、楽しそうですね」
俺がそんなことを考えていると、不意にナズナがそんな言葉をかけてきた。どことなく嬉しそうな声色である。
「お祭りは楽しむものだからな。ここまで大規模になるのはさすが王都って感じだよ。観客も……うん、滅茶苦茶多いな」
闘技場に向かって歩いていく、王都の民の多さよ。闘技場は一応万人単位で収容できるはずだが、これだと入れない人も出るんじゃないか? なんて心配になるほどに人が多い。
(観客が多いと緊張して普段通り戦えないって生徒も出そうだな。その点透輝は……『花コン』だと大丈夫だった……よな?)
ふと不安が過ぎったが、大丈夫だろうと自分に言い聞かせる。『花コン』でもそうだったが、透輝は本番に強い。だから大丈夫のはずだ。
大丈夫じゃなかったら今後の修行メニューが厳しくなるだけだが、まあ、きっと大丈夫だろう、多分。
「ずいぶんと観客が多そうだが、ナズナは大丈夫か?」
「上級モンスターと真っ向から戦うプレッシャーと比べれば、大したことはないかと。なにせ観客からのプレッシャーで死ぬことはありませんから」
「ま、それもそうか。モリオンは……大丈夫そうだな」
ナズナの言葉に納得した俺はモリオンに話を振るが、普段通り落ち着いた様子だったため納得の声を漏らす。モリオンならそうだよなって感じだ。
「影響がゼロとは言いませんが、実戦においてプレッシャーで魔法の制御に失敗すれば死につながりますからね。むしろ良い修行になるかと」
「ははは、さすがだな」
平然と言い切るモリオンに対し、俺は笑い声を向けた。それから背後を振り返り、派閥の生徒達を見るが……うーん、こっちは硬くなっている生徒がちらほらといるな。
本戦に出場が決まった一年生の内、その割合が一番大きいのは東部派閥である。剣術部門に出るバリー以外にも、魔法部門や剣魔部門、それに条件不問部門に出場する生徒が複数いる。
実戦経験がある生徒の多くが本戦出場を決めており、派閥の頭としてはそれが誇らしくもあるのだが――。
「やれやれ、ナズナとモリオンはともかく、どうした諸君。ずいぶんと表情が硬いじゃないか」
俺は大名行列を止め、本戦に出場する生徒達へ声をかけることにした。するとバリー達が顔を上げ、傍の生徒と目線を交わし合う。
「そうは言いますが、やはり緊張をしてしまう部分もありまして……」
「実戦とはまた別の緊張感がありますよ、これ」
「初陣前の緊張感みたいな……落ち着きません」
それぞれがそんなことを言ってくるが、この辺りは踏んできた場数の違いか。そうなるとやっぱり透輝のことが少し不安になるが……大丈夫だよな? あとで一応声をかけておくか。
「ははっ、いいじゃないか。その緊張も楽しむといい。何百人といる学生の中で代表として本戦に出るんだからな。緊張して、楽しんで、戦って。それでいいじゃないか」
透輝のことは別として、俺は薄く微笑みながらバリー達に声をかける。微笑ましさすら覚えそうだ。ある意味、武闘祭を心から楽しめているのは彼ら、彼女らみたいな生徒なのだろう。
俺も緊張がゼロとは言わないが、緊張で剣が鈍ったらランドウ先生になんて言われるかわからないし……なんてことを考えながら、バリー達に向ける笑顔を深くする。口の端を吊り上げて、大きく笑う。
「なに、緊張するのは他の生徒も同じ……つまり、条件は一緒だ。それを乗り越えられるかどうかで勝敗が決まる。だから、楽しんで乗り越えて勝ってこい。いいな?」
『はいっ!』
「よおし、良い返事だ」
バリー達派閥の生徒の士気を上げた俺は、そう言って笑って闘技場へと足を踏み入れるのだった。
本戦の出場者が闘技場のアリーナに整列し、開会式が行われていく。
開会式では選手宣誓が行われるが、これは参加者のうち、昨年度の武闘祭において優秀な成績を修めた者の中から選抜される。
今年でいえば学年不問条件不問部門に出場して優勝したゲラルドだ。ここでは直臣陪臣関係なく、実績だけが物を言うらしい。
そしてなんと、宣誓する相手は国王陛下だ。武闘祭は学生のイベントではあるが、毎年国王陛下が観覧し、入賞者を表彰したり、学年不問条件不問部門で優勝した者には手ずから『百花勲章』を授与するのだ。
本戦なら棄権者が出ないだろう、と俺が考えたのも、観客と国王陛下の存在があってこそである。さすがに国王陛下の前で棄権するっていうのは逆に度胸がいるよな、ってね。
「日頃の鍛錬の成果を十二分に発揮し! 正々堂々戦うことをここに誓います! 選手代表! ゲラルド=ブルサ=パストリス!」
ゲラルドが選手宣誓を終えるのを聞き、俺は拍手をする。いやぁ、こういうのって運動会っぽくていいな。前世の学生の頃を思い出すわ。年数で言えば二十年以上前になるから、記憶が曖昧な部分も多いけど。
そんなわけで開会式が終わり、早速本戦が始まる。
本戦は予選と違って観客を入れての試合になるが、学年および学年不問部門ごとに剣術部門、魔法部門、剣魔部門、条件不問部門と十六部門存在することになる。
そして部門ごとに十六人によるトーナメント戦が行われるということは、一回戦で八回、二回戦で四回、準決勝で二回、決勝で一回の合計十五回試合があることになる。
そのため二回戦までは予選と同じように四カ所に別れて同時進行し、時間の短縮が図られていた。準決勝からはアリーナの中央で戦うことになり、ある意味ここからが本番といえるだろう。
試合の順番は一年生、二年生、三年生、学年不問の流れで進められ、準決勝以降は一年生の剣術部門から始まって学年不問の条件不問部門で終わる形になる。それぞれの学年で剣術部門、魔法部門、剣魔部門、条件不問部門の順番で進むってわけだ。
午前中の内に二回戦まで消化し、午後から準決勝が行われる段取りとなっている。試合数が多いものの、一試合ごとの時間はそこまで長くないためこのぐらいで丁度良いらしい。
最初は一年生の各部門で試合が行われるため、他の生徒は控室や観客席へと向かう。試合が近い生徒、集中したい生徒は控室を利用し、それ以外の生徒は他の生徒と同様に観戦して楽しむわけだ。
「透輝」
「あ、ミナト……」
そんな中、俺はこれから試合に出場する透輝へ声をかけにいった。すると透輝はすぐに反応するが、その表情はどことなく硬く見える。
「緊張しているようだな」
「はは……やっぱりわかる、よな? さすがにこんなに大勢の人の前で何かをしたことってなくてさ……正直、頭の中が真っ白だよ」
受け答えはしっかりしているが、視線が安定せずにキョロキョロとあちらこちらへと向けられている。いやぁ、緊張してるね。若さを感じるわ。
「実戦とは別物の緊張感があるだろ? その緊張感を楽しめ……なんて言って楽しめたら苦労はしないか。そうだなぁ……」
俺は観客を見回すように視線を巡らせる。そして貴賓席にいる国王陛下に視線を向けた。
「ほら透輝、あそこに国王陛下がいるだろ?」
「……ああ、いるな」
「あの人がアイリス殿下の父親だ。つまり、ここで無様を晒すとどう思われるかな?」
「なんで余計にプレッシャーをかけてくるの!? 鬼すぎるだろししょー!」
俺が笑って言うと、透輝は目を剥きながらツッコミを入れてくる。いやぁ、良い反応だ。
「ハッハッハ。緊張にも波があるからな。今、一番緊張していれば試合の時に楽になるだろ?」
「えっ……な、なるほど、そういうことかっ!」
「理由はたった今、思いついたんだけどな」
「そこは黙っていてくれよ!?」
よしよし、ツッコミを入れる度に緊張が解れていっているな。
それを確認した俺は内心で笑うと、透輝の背中を二度、三度と強く叩く。
「ま、緊張を乗りこなして戦えればどうにかなるさ。応援席で見ているから、これまでの訓練を思い出しながら戦うといい。せっかくの晴れ舞台だ。楽しんでこい」
俺の言葉を聞いた透輝は、どことなくポカンとした顔になった。しかしすぐにこちらの言っていることを理解したのか、大きく頷く。
「おう! あとやっぱり、最初のからかいはなしで言ってくれると嬉しいなあって思うんだ!」
「許せ許せ。緊張して固まっているのを見ると、つい、からかいたくなってしまうんだよ」
俺個人の性格というか、この辺りは年齢差が原因かね? 若い子が緊張していたら微笑ましく思うようなものだ。
そんなわけで透輝の緊張を少しでも解ければ、と思ったのが功を奏したのか。
緊張で動きが硬くなりやすい初戦ながら、透輝は見事に勝利を収めて二回戦へと駒を進めるのだった。




