第170話:武闘祭 その1
日中はともかく、朝晩はだいぶ涼しさを感じるようになった九月末。
来週の武闘祭を前にして、学園内は色々な噂話で持ち切りになっていた。
既に誰がどの部門に出場するか申請が締め切られており、学園内にある掲示板にはその辺りの情報が貼り出され、人だかりができて大騒ぎになるという、学生らしい喧騒ぶりで賑わっている。
武闘祭に関しては舞踏会と異なり、参加は強制ではない。戦いが不得意な生徒を参加させても怪我をするだけのため、参加しない生徒は開催の準備を手伝ったり、応援に回ったりする。
戦いが不得意な子に関しては十一月に文化祭があるため、そちらで頑張ってもらうことになるだろう。
大まかな考えだが、舞踏会は貴族科、武闘祭は騎士科、文化祭は技術科がメインとなるイベントだ。もっとも武闘祭に他の科が参加しては駄目なんて話はないし、文化祭もそれは同様だが。
(……ま、なんとか形にはなったから大丈夫……だよな?)
俺は掲示板に貼り出された武闘祭の出場予定者の一覧を見て、そんなことを考える。
一年生の剣術部門――そこには透輝の名前がたしかに記されており、問題なく出場できることを確認出来てほっと一安心だ。
先日のダンジョンでの実戦でゾンビやゴブリンなどを斬らせてからというもの、透輝の振るう剣は以前にもまして研ぎ澄まされている。
子どもの頃から剣を振るってきた貴族科の男子生徒や、騎士を目指して鍛錬を積む騎士科の生徒達が相手でも、ひとまずは勝負になる水準まで育てることができた。
いくら透輝の才能が破格とはいえ、五月から鍛え始めて五ヶ月間の鍛錬ではどうしても足りない部分が出てしまう。
それでも勝負になるぐらいには強くなったのだから大したものだが、あくまで今回の武闘祭は剣術部門だ。『鋭業廻器』を使っての戦いならもう少し楽なんだろうけど、純粋に剣の技量を競うとなると透輝はまだまだ粗い。
優勝の可能性はゼロではないが、厳しい戦いになるだろう――なんて思う気持ちと、主人公として試合でガンガン成長してあっさり優勝するんじゃないか、なんて思う気持ちがあった。
東部派閥からはナズナだけでなくバリーなども出場するし、他の派閥からも剣が得意な生徒が出場予定のため、透輝も容易には勝ち抜けないだろう。
それでも主人公ならどうにか勝ち抜いてくれるんじゃないか、なんてことも思えるわけで。
(苦戦するならそれはそれで成長の糧になるからな……ま、よっぽど運が悪くなきゃ予選で負けるってこともないだろ)
本戦のトーナメントに進めるのは十六人で、その十六人を決めるために事前に予選が行われる。予選は本番の予習を兼ねて闘技場で、前世でいうところの運動会の練習みたいに授業の時間を潰して行われる形になっていた。
(しかし、予想外というかなんというか……)
俺は掲示板に貼られている出場予定者を見ながら、内心で呟く。見ているのは学年不問、条件不問の俺が出場する部門に関してなんだが……そこに、思わぬ名前があった。
一年生技術科、エリカ。
二年生貴族科、カトレア=リンド=ラビアータ。
二年生貴族科、ジェイド=ネフライト。
三年生貴族科、ゲラルド=ブルサ=パストリス。
知り合いの名前がいくつかあるが、何故かエリカが出場者の中に名を連ねているのだ。家名がないから別人の可能性もあるが、一年生の技術科でエリカ、となると俺は一人しか知らない。
カトレアやジェイド、ゲラルドが参加することに関しては別に構わない。というか、俺も最近知ったことだが去年の学年不問条件不問部門で優勝したのがゲラルドらしく、今年は二連覇を賭けての出場になるらしい。
そんなゲラルドよりも異彩を放っているのがエリカだ。最初にエリカの名前を見た時、思わず二度見したほどである。
たしかに、エリカが武闘祭に参加するなら条件不問での出場になるだろう。エリカは王都の一般家庭出身のため、剣術も他の武術も修めていないし、魔法に関しても素人だ。
そんなエリカが何故学園に通えているかというと、エリカの持つ『召喚器』が強力なためオレア教から入学を推薦されたのである。つまり剣術も魔法も素人だが、『召喚器』特化と言えるのがエリカなのだ。
(でもなぁ、それなら条件不問戦に出るとしても一年生部門で出れば良いんだし……なんでわざわざ学年不問にエントリーしたんだ?)
それがわからん、と首を傾げる。本当に謎だ。最難関の学年不問条件不問部門で優勝すれば『百花勲章』をもらえるが、金や名誉に固執する性格でもない。
(俺みたいに参加して良い部門が限定されたとか? エリカの『召喚器』だと一年生が相手だと過剰かもしれないが……きちんと操ることができればの話だからな)
エリカの『召喚器』――『天震嵐幡』はそれだけ強力だ。
『花コン』ではスグリと同様に生徒会への加入条件が緩いが、これまたスグリと同様にステータスや才能値はそこまで高くない。しかし加入当初から『召喚器』を発現することができ、運が良ければ敵全体に大ダメージを与えてくれる。
そう……運が良ければ、だ。
生徒会に加入した当初は半々の確率で敵味方のどちらかにダメージが飛ぶ。厄介なのは敵だけでなく味方にダメージが及ぶ際も全体ダメージになる点で、一応の救済措置なのか何度くらったとしてもHPが一だけ残って死ぬことはないが、モンスターの追撃をくらうと普通に死ぬ。
エリカの個別イベントを進めていく度に『召喚器』の扱いが上手くなり、敵にダメージを与える確率が上昇していくため後々になると使い勝手も良くなるのだが……エリカはサブヒロインのためグッドエンドがなく、使い勝手を求めて好感度を上げ過ぎると詰んでしまう。
スグリもそうだったが、便利さを求めて好感度を上げると『魔王』が倒せないルートに入るという罠っぷりよ。
そんなわけでエリカの『召喚器』は非常に脅威だが、性格的にエリカが武闘祭に出場するということには違和感を覚える。
一対一なら『天震嵐幡』で味方を巻き込むこともないし、よーいドンで試合が始まるから素人のエリカでも勝ち目があるのはたしかなんだが。
(かといって、なんで出場するの? なんて聞くのもなぁ……まあ、友人付き合いをしているし、聞くこと自体はおかしくないか?)
機会があったら尋ねるとして、まずは予選を勝ち抜かなければならない。油断していたら予選で負けて本戦に出場できなかった、なんてこともあり得るのだ。
透輝に剣を教えている身として、そして何よりもランドウ先生の弟子として、恥ずかしい試合はできないと、そう思った。
思った――んだけど。
「予選一回戦は相手の棄権により、ミナト=ラレーテ=サンデューク君の勝利とする!」
「…………」
授業を潰して行われる学年不問条件不問部門の予選。天気にも恵まれたこの日、一回戦から早々に棄権されて試合以前の話だった。
予選は学園内にある闘技場で行われており、生徒達が試合を行うアリーナと、アリーナを囲む形で観客席が設けられたスペースがある。
その外見は前世でいうところの円形闘技場だ。生徒の数が多いこともあってアリーナでは四部門同時並行で試合が行われており、観客席では試合に出ない生徒達が歓声を上げている。
俺はアリーナから引き上げ、今日試合を行う者達の控室になっている部屋へ向かおうとした。しかし未練がましく振り返り、アリーナへと視線を向ける。
一回戦の相手は二年生の先輩だったが、一合たりとも剣を交えることなく棄権されるとは思わなんだ。それならなんで最難関部門に出場したんだよ……学園内の強者と試合ができると思っていたこのワクワク感、どこにぶつければいいんだ?
「ミナト君がやる気満々だからこそ、相手が逃げちゃったんじゃないかしら? 勝てない相手からは逃げるのも兵法といえばそうだしね」
「カトレア先輩……」
試合が近いのか、控室の方向から歩いてきたカトレアが苦笑しながら話しかけてきたため、俺は困ったような声を返す。
そりゃあ俺だって相手がランドウ先生だったら戦わずに逃げろって言うけど、実戦ならどうせ逃げ切れないんだし立ち向かった方が良いでしょう? あ、今回は試合で逃げられるから逃げたのか。それとランドウ先生なら相手が最初から全力で逃げたら呆れて追わないか。
そんな風に思考をずらして、やるせない気持ちを流す。
相手は二年生で、来年にもチャンスがあるから対戦を辞退したのだろう。逆に俺は今回限りっていう噂がどこからともなく流れているし、棄権も一つの手ではある。予選は学園内の生徒ぐらいしか見ないし、将来の就職にも大きな影響はないからだ。
でも、それでも、だ。肩透かしというか、試合なんだから命のやり取りまではいかないし、棄権はしなくてもいいじゃないか、なんて思う気持ちもあるわけで。
(透輝なら実力差があっても向かってきただろうに……っと、いかんいかん。アイツを基準にするとまずいな。アイツは実力差があっても向かってきて、土壇場で覚醒して逆転勝利するタイプだからな。そんな奴は滅多にいないか)
それとも、もしかしてだけど、俺って試合だろうと容赦なく斬り殺すような人間だと思われているとか?
試合では降参するか気絶するか、あるいは審判が負けだと判断すれば負けとなり、万が一、殺してしまえば反則負けだ。回復魔法の使い手が待機しているし、ポーションもたくさん用意されているから即死させない限り死ぬことはないんだが。
「なんだか色々と考えているみたいだけど、強い人と当たったら棄権するっていう生徒は去年もいたわよ? 中には胸を借りて正々堂々戦うって性格の人もいたけど、勝てないのなら最初から戦わないって言ってたわ」
「……将来、逃げることができない強い相手と戦うことになったらどうするんですかね?」
俺なんて将来、『魔王』や『魔王の影』、それに『魔王の影』が操るモンスターっていう逃げることができない人類の脅威と戦うことを念頭に置いているんだけど……それが意識の差か?
「さあ? 抵抗せずに殺されるのか、逃げようとするのか……そもそもそんな状況にならないよう、立ち回ることができるって思っているのかもね」
それ、津波のように発生したモンスターの群れを前にしても同じこと言えるんですかね? いやまあ、それを言えるってことは貴族の生まれでも嫡男以外か、あるいは騎士科、技術科の生徒かもしれないが……領民を守る盾である騎士を目指す騎士科の生徒なら、余計駄目か。
俺がそんなことを考えていると、カトレアが妙に色気と凄味を感じさせる流し目を向けてくる。
「強い人と正々堂々戦うことができるのに、戦う前から逃げるなんて意味がわからないけど……ね? あくまで試合だけど、模擬戦よりは実戦に近い。ミナト君も楽しみでしょう?」
おっと、これはお誘いか? 闘志をビシバシと飛ばしてくるカトレアに、俺は笑って返す。
「否定はしませんよ。俺もまだまだ未熟な身ですが、切磋琢磨できる機会は逃したくありませんからね」
「ええ、わたしもよ。勝てないとしても、戦いたいと思えた相手と剣を交えることができる……それは剣士として幸せなことだもの」
うふふ、あはは、と笑い合う。そしてそうそう、これだよこれ、なんて思った。試合なんだから正々堂々、真っ向から戦えばいいんだ、なんて。
そうやってカトレアと笑い合っていると、不意に突風が吹く。あまりの風の強さに、試合をしていた生徒達が全員動きを止めるほどの強風だ。
その中で一人、風に煽られたのか男子生徒が吹き飛んでくる。重力を無視したように水平に、錐揉みしながら飛んできたのだ。
「ま、参った! た、助けっ!?」
試合の途中なら放置するが、降参を叫んだ上で助けを求められてしまった。そのため俺はすぐさま男子生徒を受け止め、衝撃を逃がすようにその場でクルリと横に回る。
「あわわっ! ごめんなさーい! だいじょーぶですかー!?」
そして何やら聞こえてくる、慌てたような声。その声に視線を向けてみると、二メートルほどの長さがある大きな旗を振りながらこっちへと声をかけてくるエリカの姿があった。
「勝者、一年技術科のエリカ君!」
降参の声が聞こえていたからか、審判が勝敗を告げる。それを聞きながら男子生徒を地面に降ろすと、小声で『死ぬかと思った……』なんて呟きが聞こえた。
そりゃまあ、自分の意思に関係なく水平に数十メートル飛べば死ぬかと思うわな。頭から落ちたら首の骨が折れて死にかねないし。あれ? そうなると俺がキャッチしなかったらどうなってたんだ?
「あっ! ミナト君だー! ごめんね! ありがとー!」
笑顔でフリフリと旗を揺らしながら謝罪するエリカを見ながら、そんなことを思った。




