第16話:できることを探して その2
この世界において兵士は身近な存在である。
サンデューク辺境伯家の屋敷はもちろんのこと、ラレーテの町でも治安維持のために昼夜問わず兵士が歩き回っているからだ。
現代でも警察官がパトロールをするが、この世界だと頻度と歩き回る兵士の数が桁違いになる。これは現代と違い、何かあれば携帯電話で即座に通報して兵士を呼ぶのが難しいからだ。
兵士は町や村の治安維持だけでなく街道を見回ったり、野盗を捕殺したり、街道の行き来に邪魔なダンジョンを破壊したり、小規模から中規模に成長しようとしているダンジョンを破壊したり、ダンジョンから溢れ出したモンスターを排除したりと非常に大変な仕事だ。
そんな兵士達をまとめるのが騎士であり、騎士達をまとめ上げて騎士団として運用しているのが眼前のウィリアムである。
なお、兵士は専業の者もいるが賦役――完全なただ働きは滅多にないためそう呼ぶのが正しいわけではないが、町人や村人の中から志願者を募って運用している者もいる。
見所があれば正規雇用もあり得るため、実家や田畑を継げず、次男のような長男のスペアにもなれない三男以下の者達の就職先として人気があったりもする。危険ではあるが職業として安定しているため、冒険者になる者よりも兵士を志す者の方がはるかに多い。
つまり、ウィリアムは末端の兵士まで含めれば本当に多くの人員を率いているわけで。
「我が騎士団では日頃から大小様々な問題が起こりますし、仮に解決しても次から次へと新しい問題が発生します。まずはそれをご理解ください」
永久的な解決はできないってことだな。いや、仮にできても新しい問題が起きるだけか。
「若様の最近の行動を見るに、どうやら多くの民を幸福にするべく貴族としての義務に目覚められたご様子。その上で騎士団に起こり得る問題の中でも大きなものをお教えしましょう」
曖昧にぼかした言い方をするが、『魔王』と負の感情の関係を指していると判断して俺は続きを促す。多くの民を幸福にって言ってるし、子爵家の当主でもあるウィリアムなら知っていて当然か。
「一番大きなものは兵士の死亡です」
「それは……そうだろうな」
ウィリアムに言われれば、そうとしか返せない。人間の数は無限ではなく、騎士団の人的損失はそのまま大きなダメージとなるだろう。
いくら回復用のポーションや回復魔法があるといっても、命を落とす者はどう足掻いてもゼロにはならない。
「それでは若様。兵士が死亡した場合に起こることとして、我々貴族にとってまずい要素はなんでしょうか?」
「戦力が減るし、遺された家族は悲しむし、相応に手厚く報いなければならんだろう」
「そうです。そして減った戦力は新たに補充しなければ戻りません。しかし補充したとしてもその新兵を鍛える期間と手間は? それにかかるコストは? 支給する装備は?」
話を聞けば、それはそうだろうと納得するしかない。だが、騎士団長として実際に多くの人の生き死ににかかわるウィリアムの言葉はひどく重い。
「遺族も嘆き悲しみます。それが家族に愛されていた者ならば尚更で、そうでない者は最早天涯孤独か独り身の流れ者か……それでも長く共にいた者ならば、騎士団の仲間達が悲しみます。それは止められません」
「今の俺には想像することしかできないが、そうだろうな……」
困った。想定していたものより何十倍も重たい話題だ。万が一、いや、『花コン』のルート数から考えると百に一つの確率で生き延びることができたとして、家督を継いだらこんな重たいものを背負わなければならないのか。
「そして、若様は遺族に手厚く報いると仰いました。これは上に立つ者として必要不可欠な要素で、若様が理解されているのは嬉しく思います。死んでも何もしてくれないとなると、兵士達が命を懸けることなどなくなりますから」
もちろん、他国に攻められているだとか、抵抗しなければ人類が滅ぶ『魔王』の発生なんかは話が別なのだろう。ウィリアムもその辺りは省き、語気を強めながら話を続ける。
「それでは、手厚く報いるとしてもその期間は? 金銭で補償するとすれば全額でいくらになるのか? 死んだ兵士に妻と子ども、他にも両親や親類がいたとして、補償する相手の範囲は? 妻や子どもにだけ渡す? それとも両親が老いていればそちらへも渡すべきか?」
「…………」
話を掘り下げていくウィリアムに対し、俺は無言で聞き入る。というか、話がもっとも過ぎて聞き入ることぐらいしかできない。
そんな俺を見てどう思ったのか、ウィリアムは語気を平常に戻して一度咳払いをした。
「若様、我々騎士団……いえ、軍隊が行動するにあたり、重要なことがいくつもあります。それが何かわかられますか?」
「……兵站? あとは規律と……練度と士気?」
「そこで兵站が真っ先に出てくるあたり、よくお勉強をなさっておいでだ」
そう言って褒めてくれるが、反応から察するにウィリアムが求めた答えではないようだ。高得点だけど満点じゃないって感じの反応である。
「たしかに兵站は重要です。屈強な兵士も食料や水、塩がなければ動けません。それらを運ぶ輜重隊も兵站を消耗しますし、軍馬の水や餌も必要です。兵站と比べれば劣りますが部隊として規律を保ち、練度や士気を高い水準で維持することも重要です」
他に答えがあるぞ、と言わんばかりの口振りだった。そのため何が答えかと俺は注目する。
「ですが、それ以上に重要なものは情報です」
「あー……なるほど、情報か」
言われて納得する。そりゃそうだ。腹が減っては戦ができぬ、なんて考えて俺は兵站を挙げたけど情報は大事だわ。兵站がどれだけ必要かっていうのも情報の一つだし。
「何か問題が起きたとして、その時点で得られている情報をもとに必要な兵の数を算出し、目的地までの距離から必要となる兵糧や資金を算出し、それらを運ぶ輜重隊の規模を決定します」
ウィリアムは執務用の机に新たな紙を置くと、自分が語った内容を手早く記していく。
「兵を出しても目的地まで無事に到達しなければ意味がありません。進路上に敵がいないか、進軍を妨げる異常がないか、待ち伏せに適した危険な場所がないか。戦時なら敵軍の斥候を先に捕捉して可能なら排除する。それらを担うのが斥候です」
「情報を得るのと、こちらの情報を相手に渡さないために、だな」
「そうです。先に敵を見つけられれば先制攻撃できますし、迂回したり引き返したりもできます。逆にこちらの斥候が先に見つかった場合、あるいはこちらの斥候をすり抜けて敵の斥候に偵察された場合、そしてこちらの斥候が排除された場合は先制攻撃を受ける危険性が高まります」
話を聞けば聞くほど情報が重要だってわかる。そして命懸けで情報をもたらす斥候に関しても同様だ。ただし、俺が最初に求めた問題点からは逸れていっているような……?
「モンスターは別ですが、相手が軍隊ならこちらと同じく斥候を放ってきます。野盗が相手でも規模によっては斥候を放つでしょう。そのため損耗しやすく、既定の時間までに戻ってこれなかった場合は『戻ってこれなかった』という情報をもとに以後の判断を行う必要があります」
いや、今は話に乗っておこう。これはこれで勉強になるからな。
「モンスターや野盗に襲われたり、移動中に怪我をしたりして既定の時間内に戻ってこれない場合もあるだろ? 判断をするのが難しい……いや、複数の斥候をまとめて動かせばいいのか」
「その通りです。状況にもよりますが、基本的に斥候は複数人でのチームを複数の方向、進路に向けて放ちます。多少の怪我なら他の仲間がカバーしますし、動けないほどの怪我ならそれを伝えにチームが分散して動きます」
「つまり一人も帰ってこない場合、その斥候達が向かった方向には『複数の斥候が情報を持ち帰ることもできない何か』が存在する……そんな情報が得られるわけか」
なるほどなぁ、と納得する。前世みたいに軍事衛星で偵察する、なんてことはできないから人力で調べるしかないわけだ。
「望遠鏡で偵察するのは?」
「斥候の装備として配布されていますが、あれは仕組みが簡単ですから相手も使用してくるんです。それに望遠鏡を使っても人の目で確認する以上、どうしても見落としが発生しまして……望遠鏡で確認したからと安易に進めば痛い目を見ますな」
対策、工夫は既にしてあるわけか。いや、俺に解決できそうな問題がますます減っていくな。
「そういうわけでして、行軍の段階でさえ兵士を損耗する危険性があるのです。指揮官としてはそんな兵士達に少しでも良い思いをさせたい。そう考えるのはおかしな話ではないでしょう?」
「それはたしかに……?」
だが、ここにきて俺は首を傾げる。話が逸れたように感じたからだ。
そんな疑問を込めてウィリアムを見ると、彼はニヤリと笑う。
「話を簡単にすると、兵士達に報いるとしても資金が必要となるのです。しかし、その資金を申請しても必ず出るとは限りません」
「……ここでそうつなげるわけか」
てっきり俺に勉強をさせるつもりで軍事について話していたのかと思ったが、俺がウィリアムのもとを訪れた理由についてもしっかりと回答してくれるわけだ。
「つまり、財布を握っているのが文官だ、と」
現場で命がけで働く兵士や騎士達武官と、後方で財布を握る文官。そこに問題や軋轢が発生しないなどと頭がお花畑みたいなことを言えるはずもなく。
(そりゃ問題はいくらでも発生するわけだ……よく隠さずに教えてくれたもんだよ)
一つの問題が解決しても次の問題が。その問題が解決しても更に次の問題が、といつまで経っても問題がなくなることはないだろう。なくなるとすれば、それこそ人類が滅んだから問題もなくなりました、なんて本末転倒な状況ぐらいか。
(ハハハ……はぁ……笑えないし、俺にはどうすることもできそうにない、なんて結論を得られたのが成果か)
色々と影響力があると思った、辺境伯家の嫡男という立場。しかし家督を継いでいない俺にできることは本当に少ないのだ。先日の出産間近な奥さんを置いて仕事に来ていた兵士を家に帰したように、非常に小さな部分でしかできることがない。
規則を整えようにも、それが普通だと思うようになればありがたみも薄れるわけで。
(本当にできることがないな……)
天才と呼ばれる人種なら一発逆転の妙策でも思いつくのかもしれないが、ただの凡人にできることは少ない。特に、人の生き死にによって発生した銭勘定に関するわだかまりなど、容易に解決できるはずもない。
「兵士は死ぬことも仕事の内だろう、と言われれば至極御尤も。しかしながら斥候だけでなく他の兵士達も危険なのです。不意の戦闘、予期せぬ悪天候、思わぬ病気や怪我。行軍するだけでも疲労が溜まります」
俺が沈黙していると、何を思ったのかウィリアムが話を再開する。
「まあ、文官達の言いたいこともわかりますがね。軍隊というものは農民と違って作物を育てるわけでもなく、商人のように利益をもたらすわけでもない。平和や安全を確保し、与えられた給料で領の経済を回す面もありますが、基本的に物資を消費するだけの存在です」
せっかく話をしてくれているのだし、とりあえず無言のままで頷く。
「文官達としては少しでも軍費を抑えたいのでしょう。それは理解しています……が、必要最低限の資金や物資では士気を保つにも限度があります。それに不測の事態に陥った際、物資が足りなければ助かるものが助からないことも起こり得ます」
「……そうだろうな」
俺が解決できる問題なら、とっくの昔に誰かが解決しているだろう。元現代人の視点で何か解決できれば、と思ったが、ここは現代ではない。たとえ『花コン』の、ゲームの世界だとしても、現代とは違うルールや価値観で世界が動いているのだ。
「それらを考えれば武官と文官は自然と不仲になるものですよ。私の場合は貴族でもあるので、文官の考えもよく理解できるのですがね」
「無い袖は振れないからなぁ……」
武官達から申請されるがままに資金を提供していては、他の部分で支障をきたす。だからこそ財布の紐を締められる時は徹底的に締めるのだろう。
「無い袖は振れない。なるほど、状況を的確に表していますな」
俺の返答をどう思ったのか、ウィリアムはおかしそうに笑う。そんなウィリアムの教えに俺は感謝し、できることはないと全てを諦める――その前に、することがある。
「……よし、武官側の言い分は理解できた」
ウィリアムの話はどれも真っ当だと思えたし、勉強にもなった。だが、最後付近はともかく、あくまで騎士団長――武官側に立っての話が多い。
それならば文官側の話も聞くのが筋というものだろう。片方だけの話を聞いて判断するなんて、痛い目をみてくれと言わんばかりじゃないか。
「忙しい中、話を聞かせてくれてありがとう。次は文官の方に行ってくるよ」
俺がそう言うとウィリアムは目を見開き、数秒経ってからその目尻を下げて柔和に笑う。
「いってらっしゃいませ、若様」
「うむ」
大仰に頷いた俺はウィリアムの執務室を退室する。
「……いやはや、我が妻は本当に……どうやってあそこまでお育てしたのやら……」
扉が閉まる前に、そんな呟きが聞こえた気がした。
「武官の方々が仰ることも一理あります。自分達は命をかけて戦っているのだからもう少し待遇を良くするべきだという意見も、当然といえば当然でしょう。特に、職務で命を落とした者の遺族への補償などは手厚くするべきだと私も思います」
「あ、そこは普通に納得してくれるのか」
そして、文官の筆頭に当たる男性のところへ突撃して話を聞くと、なんともリアクションに困る返答をいただいた。
武官と対立していると思ったから、もっとこう……知るかボケ、それが仕事なんだから文句言うな、みたいな反応が返ってくると思ったわ。
「納得しますとも。ですが、職務で命を落としたといっても状況によって変わるでしょう?」
「と、いうと?」
まずは聞く体勢になる。ここまでくると徹底的に勉強だ。
「たとえば、国境付近で侵略してくる他国の軍に気付き、その情報を命がけで伝えて力尽きた。そんな英雄の遺族に対して補償を少なくしろ、などという文官がいれば私が張り倒します。兵士が殴りかかってきても止めませんし、むしろ突き出します」
「う、うん」
目の前の男性、文官だけど割と過激である。外見は三十代手前で眼鏡をかけた優男って風貌なんだが。
「ですが、行軍中に不注意で足を滑らせて頭を打って死んでしまった兵士がいたとして……その補償を手厚くしろと言われれば我々文官はどう考えると思いますか?」
「た、多少は削ってもいい……かな?」
どうしよう、ウィリアムとは違った迫力がある。目の前の文官だけなのか、文官っていうのは全員似たようなものなのか。
「多少どころではなく、全部削ってしまいたいぐらいですよ。その兵士を育てるのにかかった費用、全てが無駄になったのです。それでも遺族に相応の補償金を手配しましたが、その兵士の仲間からは少ないと文句が出ました」
ちなみにこれは実話です、と付け足されて俺は曖昧に笑った。
「兵士の待遇に関しては勤続年数や挙げた功績によって改善されるようになっております。失態があればその逆もまた然りですが、功績には恩賞を与え、失態には処罰を与える。それはどのような場所、立場であろうとも必要でしょう?」
「……つまり、どんな対処をしても不満は必ず出てくるということか」
結局はそこに行きつくのか、と俺はため息を吐く。
功績を挙げた者に恩賞を与えると言っても、それに対して嫉妬する者は必ず出てくる。逆に失態に対して処罰を与えた場合もそれを見下す者が出てくるだろう。中には満場一致で文句の一つも出ないこともあるかもしれないが、それはレアケースだ。
そして困ったことに、それらの不満が表に出るとは限らない。表面はニコニコと笑顔なのに腹の中では不満を蓄積させている、なんてことも普通にあり得る。
「それでは若様。ここまでの話を聞いた上でどのような対応をすれば良いと思われましたか?」
目の前の筆頭文官も、笑顔でそんなことを聞いてくる。仕事中に話を聞きに来てごめんなさい。本当にお邪魔でしたね。
「……すまない。最適解が浮かばん。功ある者に褒賞を、失態が多い者に処罰を。それらの判断を適切に下せるよう、注意することぐらいしかできないと思う」
ウィリアムの時も思ったけど、各人が自分にできることをやっている。嫡男といっても実務に携わっていない子どもが思い付きで調べて回っても、そりゃあ問題点の解決はできないわ。
「若様、これだけは覚えておいてください。貴方様だけではありませんが、家督を継ぐとその領の最終的な責任が全て降りかかります」
凹む俺を見てどう思ったのか、筆頭文官の男性は思いのほか柔らかく微笑みながらそんなことを話し始める。
「領内の政治、家臣の統制、領民の生活、他の領や王家との折衝や比較、外交の重圧……その領における喜びも怒りも悲しみも、満足も不満も、全てがその身に圧し掛かってくるのです」
ウィリアムもそうだったが、筆頭文官の男性も俺の疑問に対してしっかりと話をしてくれている。それがありがたくも、重たい。
「ですから若様、今はまだ焦らずとも良いのです。よく学び、よく遊び、よく休み……ゆっくりとお育ちくださいませ」
子ども扱いされている――というわけではないのだろう。一足飛びで学ぼうとしてもどうにもならないと、諭してくれているのだ。
それを悟った俺が感謝を込めて頭を下げると、筆頭文官の男性も頭を下げてくる。
「ご無礼のほど、平にご容赦を」
「いや……忠言、感謝する。子どもの浅知恵だった……本当に、な」
感謝の言葉を伝えて、そのまま部屋を後にする。そして自室へと戻った俺はベッドに身を投げ出すと、ぼんやりと天井を見上げた。
「ゆっくりと育つことができれば、なぁ……」
自分にできることの少なさを嘆き――吐いた言葉は、ため息と共に宙に消えた。