第168話:武闘祭を目指して その4
九月に入ると真夏の暑さも多少は和らぎ、朝晩は少し涼しさを感じるようになった。
そのため夜間に訓練する時も暑すぎなくて助かる。それでも何時間も剣を振り続けたら汗だくになるし、きちんと水分や塩分を取らないと熱中症になってしまいそうだ。
そんなわけで今夜も剣を振り回し、日付が変わってしまったためさすがに寮に帰ってきた俺である。
シャワーを浴びてスッキリしたら訓練前に買っておいた肉と野菜が多めのサンドイッチに噛み付く。真夜中に食べるには量が多いが、体を動かした分は栄養を取らないと筋肉がつくどころか痩せてしまうのだ。
そうやって軽く食事をしつつ、本の『召喚器』を発現する。いつもやっている寝る前のチェックだ――が、以前と違って中々ページが増えない。
一応、ここ最近というには時間が経っているが、野外実習で火竜を倒した時に一緒に戦ったナズナやモリオン、アレクのページが増え、この間、ルチルを透輝に紹介した時のことが追加のページに表示されているが……。
(ルチルは透輝に紹介した時と、その後に俺が巻き藁を斬ったのを見ているところの二ページ分、か。透輝に紹介しただけで新しいページが増えるとか、それだけルチルにとって大きなことだったのか?)
大きなことといえば、野外実習でカリンが透輝に押し倒された件に関しては特に本に記されていない。おそらく、カリンもあれは事故だって認識なんだろう。
そんなわけで、五十四ページ目に俺が火竜の首を斬った時の姿を見つめるナズナ、五十五ページ目にナズナと同じ感じで俺を見ているモリオン、五十六ページ目のアレクも同じ感じと、野外実習で三ページ分、新規に増えたことになる。
五十七ページ目、五十八ページ目はルチルだが、これを機に俺に対しても少しは打ち解けてくれれば良いんだけど……とりあえず透輝と良い感じに接触できたから良しとする。
一応、毎晩寝る前のチェックは欠かさないけど、俺の『召喚器』が相変わらず謎すぎて困る。相変わらずメリアは本に記載されないし……あの子、放課後や訓練中に姿を見せてはこっちを眺め、気が付いたらどこかに行ってるんだよな。
(用件があるのなら話しかけてくれればいいんだけど……喋っても短い言葉でちょっと喋るだけだし、意思疎通が難しいんだよな。でもまあ、観察していると表情とか仕草とかである程度は感情が読めるけどさ)
透輝に話を聞いてみると、透輝の方にも時折姿を見せているみたいだし。まあ、少なくとも悪意を持ってのことじゃないから、今はまだ見守ることぐらいしかできないか。
そんなことを考えつつ、俺は机の上に一枚の紙を広げて万年筆を手に取る。そして内容について少し悩んだ後、筆を走らせて文面を書き上げていく。
これはオレア教の教主であるオリヴィアに宛てた手紙である。手紙といっても文通をしているわけではなく、こちらの要望を記入して協力をお願いするだけだ。
(透輝もだいぶ仕上がってきているし、ここらで一つ、実際に斬らせてみるか……)
十月の一週目に武闘祭があるため、それまでに実戦に放り込めれば良いな、なんて考えていたのだが、本当に実戦に放り込めるぐらい透輝が育ってきたため、それじゃあ放り込むか、と思ったのだ。
透輝は既に実戦を経験しているが、戦ったことがあるのは獣型モンスターだけである。そのため他の種類のモンスター……特に人型のモンスターを斬らせてみようと思ったのだ。
なるべく学園に近いダンジョンで、出現するモンスターの強さもそこまで強くない、透輝でもきちんと斬れる程度。それでいて人型、つまりはゴブリンなんかの亜人系モンスターが出やすいダンジョンについて手紙で情報を求める。
こうすれば生徒会宛ての依頼としてオリヴィアが手を回してくれるだろう。
(問題は、近場に手頃なダンジョンがあるかどうかだが……なんか最近、ダンジョンが増えてるらしいんだよな)
俺は以前協力をもちかけた色街からの報告書を取り出し、目を通す。
リンネに関する情報がまったく集まらないからか、気を利かせて客から聞いた話で報せても問題ないものを選び、報告してくれているのだ。
情報源は王都の騎士や兵士らしいが、ここ最近、王都周辺で次から次へとダンジョンが発生しているらしい。
ダンジョンは生まれたばかりで小さく、できたてだと出現するモンスターも少ないことから容易に攻略できているが、数が多くて面倒だと愚痴っている客が多いらしい。
(俺個人に回してくれたら訓練がてら行ってみるんだが……できたての小規模ダンジョンじゃそこまで身にならないか。逆に透輝の練習台には丁度良さそうだけど……)
できたてのダンジョンなら直径で数百メートル程度しかないパターンが多い。『王国北部ダンジョン異常成長事件』では異常成長してどんどん地形も変わったけど、普通のダンジョンなら変化はもっとゆっくりだ。
そのためダンジョンが発生してから短期間で攻略すれば元々の地形に大きな変化もない。道を進んで振り返ったら木が生えていた、なんてことが普通に起きた『王国北部ダンジョン異常成長事件』がおかしかったのだ。
ただし、全てのダンジョンがそうとは限らないし、成長が早いものも中にはある。それに『魔王の影』が手を加えれば色々と変化を起こせるはずだ。
(できれば日帰りできる距離……それが無理でも土曜日の放課後から向かって、一泊で学園に戻ってこれる距離だと助かるな)
長距離を短時間で移動できる竜騎士なら楽なんだろうが、俺が用意できる移動手段は馬か馬車が精々だ。距離が近いなら鍛錬がてら走っていくんだが。
(『花コン』で移動手段のドラゴンが手に入るのは二年目に入ってからだったな……ま、ないものねだりをしても仕方がないか)
手頃なダンジョンがなかった場合、亜人系モンスターじゃなくて野盗を探し出して透輝と戦わせることも検討しよう。
そんなことを考えつつ手紙を書き終えた俺は、備え付けのタンスの一番上の引き出しに放り込み、祈るように手を合わせてから就寝の準備に取り掛かるのだった。
そして五日ほど時が経つとオリヴィアから返事が送られてきた。
タンスに入っていた手紙を読むと、こちらが提示した条件に合致するダンジョンが出現したらしい。小規模ダンジョンで、なおかつ人型のモンスターが出現することも確認済みなようだ。
学園からの距離も……うん、近いな。馬を使っても良いけど、街道を走っていけば二時間程度で到着できる。よし、走っていこう。道中で野盗が現れたらそれはそれで丁度良いしな。亜人系モンスターより人間の方が透輝も剣士として気が引き締まるだろう。
まあ、仮に野盗が襲ってきても、相手を斬れるかどうかは透輝次第だ。それに俺も今の時点ではそこまでは求めない。
いくら才能があるといっても、本格的に剣を学び始めてまだ四ヶ月程度なのだ。多分、斬らせようと思えば技術的には斬れるだろうけど、精神的にそれが可能かといえば微妙なところである。
そのため野盗が出れば本気で戦わせるが、とどめが必要なら俺が刺す。目的は命を賭けたやり取りであって、人型の生き物を斬らせるだけならダンジョンに行けばいいのだから。
ただし、人型だろうとモンスターならいくらでも斬って良いかと言われると微妙なところである。ないとは思うが、人型のモンスターを斬ったことで人間を斬ってみたいと思ってしまう可能性があるからだ。
その辺りをしっかりと見極め、透輝が妙な方向に突っ走らないか指導する必要がある。俺の初陣みたいに、いきなり一対一で野盗と殺し合わせたりはしない。事前に可能性を伝えておくし、とどめを刺すのは俺だからまだ優しいだろう。
俺の初陣に関しては、アレだけ強烈なことをやらないと剣士として一皮剥けないってランドウ先生が判断した可能性が高いけどさ。凡才を育てるのってそれだけ大変なんだろうなって。
「――と、いうわけでだ。今日は事前に伝えていた通り、ダンジョンに行って実戦を行いたいと思う」
「お、おう……うん、聞いてはいたけど、人型のモンスターが相手、かぁ……」
日曜日の早朝。
俺は動きやすさを重視して、学園の実習服を着用させた透輝を前に今日の目標を宣言していた。携帯食料や水、回復用のポーションなどを詰め込んだリュックも準備したし、日帰りで帰ってくる分には十分の物資がある。
「モリオン殿も来られるのか……若様の供はわたしだけでも十分なのですが……」
「ミナト様とナズナ殿、それにテンカワだけでは攻撃方法が物理攻撃に偏ってしまいますからね。何かあった時の備えですよ」
そして、休日の早朝にもかかわらずナズナとモリオンの姿もあった。俺が透輝を連れてダンジョンに行くにあたり、同行を頼もうと話を振ったら向こうの方からついてくると言ってきかなかったのだ。
まあ、二人がいれば仮に何か起きても助かる。『王国北部ダンジョン異常成長事件』みたいなことが起きたとしても、ナズナとモリオンが一緒なら透輝を庇いながらでもダンジョンを突破してボスモンスターのところまで行けるだろう。最低でもダンジョンからの脱出は可能なはずだ。
(『花コン』だと『魔王』関係のイベントが本格的に起こり始めるのは二年目からだし、警戒のし過ぎかもしれないけどな……)
チュートリアルダンジョンの『穏やかな風吹く森林』で『魔王の影』を名乗るリンネが襲ってこなければ、ここまで警戒もしなかったんだが。
それでもナズナとモリオンがいれば並大抵の相手には負けないだろう。そんなことを思いながら、まずはダンジョンに向かって出発する。
天候は快晴で、ここ数日は雨も降っていないため街道がしっかりと乾いていて移動には困らない。準備運動がてら走ってダンジョンまで向かうが、足場が良いから予定よりも早く到着するかもしれないな。
ちなみにだが、今のメンバーでなら本の『召喚器』で身体能力が強化されている俺が一番速く、持久力もある。次はナズナで、三番目はモリオンだ。モリオンとは『王国北部ダンジョン異常成長事件』の際にもっと体を鍛えた方が良いと話したが、あれからずっと体を鍛えてきたらしい。
透輝が一番足が遅く、体力が少ないのも本格的に剣術を始めて四ヶ月少々だから仕方がない。それでも元々それなりに運動ができていたため、大きく遅れるということはなかった。どうしてもきつい場合は『鋭業廻器』を発現させればいいしな。
そんなこんなで街道を駆け、野盗が襲ってくるかな、と周囲を警戒していたが襲撃もなく。時折休憩を挟みながらオリヴィアから手紙で教えてもらった通りに街道を進み、途中からは脇道に逸れて進むと目的地へと到着することができた。
これがゲームならダンジョンが生成された時点で名前がつくのだが、さすがに現段階では名前がついていないらしい。それでもオレア教の手の者やダンジョンを発見した者が中に入り、出現するモンスターなどを大まかに調査しているため情報がゼロってわけではない。
(『花コン』でなら出現するモンスターの種類や出現率によってダンジョンの名前も決まっていたが……まあ、ゲームだと名前ないと不便だしなぁ)
たとえばチュートリアルダンジョンの『穏やかな風吹く森林』みたいな名前だと、『穏やかな』ってついてるからモンスターの出現率が低く、なおかつ『森林』だから獣系モンスターが出現するっていう命名規則になっていたはずだ。
ランダム性があるからダンジョンの名前に沿わない種類のモンスターが出現することもあるし、複数の種類のモンスターが出現することもあるから、あくまで目安程度だが。
『花コン』だと『平和な』ってついていたら操作キャラよりもレベルがかなり低いモンスターしか出なかったり、『苛烈な』ってついていたらその逆だったり、モンスターの出現率が高く設定されていたりするが、現実となったこの世界だとどうだろうな?
誰がその名前を付けるのかって話だ。『穏やかな風吹く森林』は国で管理しているから、おそらくは国の方で名前をつけたんだろうけど。
兎にも角にも、ダンジョンの名前がわからずとも人型のモンスターが出るってことだけわかっていればそれで十分だ。オリヴィアからの紹介だし、ダンジョンに入ってみたらドラゴンが群れを成して襲ってきた、なんてことはないはずである。
「うわぁ……こうして改めてダンジョンに来ると、なんか緊張するな」
ダンジョンのすぐ傍まで移動し、突入前に休憩を取っていたら透輝がそんなことを呟く。そりゃあ『穏やかな風吹く森林』と比べたら危険度が高いし、緊張もするか。
「なあに、ダンジョンといってもできたてで規模も小さい。なんなら破壊してもいいからな?」
「えぇ……ボスモンスターって強いんだろ? 小規模のダンジョンだと……強めの中級モンスターぐらい……でいいんだっけ?」
おっと、きちんと勉強しているな。感心感心。
「何か異常事態が起きなければそんなもんだな。ま、俺もなんだかんだで普通のダンジョンに潜ったことがないし、実物を見てみるのもいいかもしれん」
俺が潜ったことがあるのは異常成長したダンジョンか、大規模ダンジョンか、チュートリアルダンジョンかだ。何気に人生で初となる、普通のダンジョンである。
そんな雑談をして、休憩を済ませた俺達はダンジョンの境界線を越えて踏み込む。するとダンジョン特有の気配――威圧感にも似た空気が全身に圧し掛かってきた。
それと同時に、俺は違和感を覚える。いきなり問題が発生したってわけじゃない。ダンジョンに入り、流れてきた風の匂いに疑問を覚えたのだ。
「……臭うな」
俺がそう呟くと、バッと音が立つ速度でナズナが俺の傍から離れた。いや待て違う。たしかに二時間近く走ったから汗を掻いてるけど、そうじゃないよ。それに以前は大規模ダンジョンで長期間修行してたし今更じゃないか。
(亜人系モンスターにしては臭いがきつい、か?)
そんなことを思いつつ、警戒しながらダンジョンの中を進んでいく。ダンジョンの中は多少木が生えた平原がダンジョン化したようで、今のところはそれほどでもないが追加で生えたと思しき木が視界を遮るようにところどころに生えていた。
そうしてダンジョンを進むことしばし。索敵しながら進んでいるとこちらに接近してくる気配を感じ、透輝達に合図をして警戒態勢を取る。どんなモンスターが出てきても大丈夫……と、思ったのだが。
(あー……なるほど、そっちかぁ……)
姿を見せたモンスターは、人型は人型でも亜人系モンスターではない。
パッと見は人間と大差ないものの、明らかに生気が感じられないモンスター――ゾンビだった。




