第167話:武闘祭を目指して その3
夏本番の暑さが到来した八月。
夏季テストも無事終わってほっと一段落したが、透輝の育成に関しては一段落する暇がない。
毎日放課後に剣を振らせ、休日は朝から晩まで剣を振らせ、毎日少しずつ、しかし確実に成長させていく日々だ。
幸いなのは透輝が剣術を飽きることがなく、厳しく指導しても弱音を吐かないことだろう。無茶ぶりすれば悲鳴を上げるけど。
そんな、毎日の訓練の中。真夏の暑さとなった日の放課後、ルチルを通して目的の代物を入手できた俺は上機嫌で第一訓練場に足を運んで訓練の準備を進めていた。
「いやはや、サンデューク殿から注文を受けた時は何事かと思いましたが……それらを使って一体何をするので?」
珍しく、というか、初めてのことだが訓練場に足を運んだルチルがそんなことを尋ねてくる。
シトリン商会に注文して取り寄せてもらった代物――竹とゴザを使って巻き藁を作る俺を不思議そうに眺めながらの質問だ。
「ああ、これか? 竹にゴザを巻きつけて水で湿らせると、人体に近い感触になるんだよ」
「人体に……え? それで何をすると?」
「そりゃあもちろん、斬るに決まってるだろ?」
巻き藁があったら斬る。それは剣士にとって、物を落とせば地面に落下するのと同じぐらい当然のことだ。多分。
「俺も剣の師に教わったんだがね。コイツで事前に人を斬る感触を手に馴染ませておくのさ。もっとも、俺がコイツを斬る意味を知ったのは実際に人を斬ってからだったけど」
なんとも勘が鈍いことだが、と付け足して俺は苦笑する。ランドウ先生は色々と考えて俺を指導してくれていたんだなぁ、なんて改めて実感した。
「……そう、なんですね」
ルチルはリアクションに困ったように視線を彷徨わせ、最後に目を伏せる。うん、話しておいてなんだけど、十二歳の子どもにいきなり真剣での実戦をさせる人だからね? 俺は尊敬しているけど、万人が尊敬できるかと言われるとどうだろう、って感じだ。
そうやって巻き藁の準備をしていると、動きやすい服装として体操服に着替えた透輝が第一訓練場に姿を見せた。そして駆け寄ってきたかと思うと、巻き藁を見て目を輝かせる。
「うっわ! すっげえ! コレ時代劇で見たことあるぞ! えーっと……そうだ! 巻き藁だ巻き藁! そうだよな?」
「そうだぞ。とりあえず透輝は準備運動してから素振りをして体をほぐせ。その後コレを使う」
そう言いつつ、巻き藁の締め具合いを確認する。一つ作ったら二つ、三つと作り、全部で五つほど巻き藁を作って地面に突き刺し、固定していく。
「ルチルも良かったら見ていってくれ。剣士として次の段階に進む試験みたいなものをやるからさ」
「は、はあ……興味がありますし、話のタネになりそうなので見ていきますが……」
歯切れが悪く答えるルチルだが、言葉の通り興味はあるのだろう。俺の指示通り準備運動を始めた透輝をじっと見ている。
「しかし、決闘で戦った割にテンカワ殿と仲が良いのですな。普通はもっと仲が悪くなりそうなものですが……」
「決闘が終わった以上、その辺りは水に流したさ。それに透輝を鍛えることに関しては色々とあってね」
国王陛下とか、過保護なアイリスの父親とか、一応は血縁関係がある俺の大叔父とか。
「ルチルは透輝と面識があるのかい?」
俺はルチルと会話しつつ、良い機会だからと探りを入れる。
「いえ、テンカワ殿に関してはサンデューク殿ほどではないですが噂が流れてきますからね。こちらが一方的に知っているだけですよ」
「そうか……それなら良い機会だな。透輝! せっかくだから自己紹介をしておけ! そっちの巻き藁の材料を用意してくれたルチル=シトリン殿だ!」
本気でこの状況を狙っていたわけではないが、ルチルが顔を出してくれたから自然と透輝に紹介することができる。
そのため準備運動を終えて素振りを始めようとしていた透輝を呼ぶと、不思議そうな顔をしながら寄ってきた。
「え? 巻き藁の材料を? ってことは……山に行って竹を集めたり?」
「ふふっ……もしそうだったら本当に恩人だな」
透輝の発言に思わず笑ってしまった。ルチルが山に行って竹を取り、ゴザを編む姿を想像してしまったのだ。
「はじめまして! トウキ=テンカワ殿! サンデューク殿のご紹介に預かりましたが、私はルチル=シトリンと申します!」
商人としての皮を被って元気よく自己紹介をするルチルだが、その瞳に探るような色が宿る。
「私の実家については、御存知ありませんか?」
「ルチルの実家? そんな振り方をするってことは、ミナトみたいに貴族……とか?」
そう言って自信なさそうな顔をする透輝だが、ネフライト男爵みたいに領地を持っていない貴族の場合はミドルネームを名乗らないし、ルチルの名乗りでも貴族の可能性がゼロじゃない。その辺りは幼い頃から学習して知識として知っていることが前提、みたいなところがあるからな。
ただし領地がない貴族の場合、ネフライト男爵の次男であるジェイドでたとえると、『ネフライト男爵の次男のジェイド=ネフライト』みたいに爵位と合わせて名乗る。そのため間違えることは早々ない。
「……私の実家を知らない、と?」
「えっ? ゆ、有名なのか? ごめん、俺、この世界に来てまだ四ヶ月ぐらいだから、そういうのに詳しくなくて……」
学年の有名どころに関してはアイリスから習ったはずだが、ルチルのシトリン商会については教わってないのか。あるいは教わったけど覚えていないだけかもしれない。
そんな透輝の反応を受けたルチルはといえば――。
「そうか……そうかっ! いや、いいんだ! 改めて、ルチルだ! 家名は気にしなくていい! トウキと呼ばせてもらってもいいかい?」
透輝の反応が琴線に触れたのか、表情を自然な明るいものに変えて一気に距離を詰め始めた。
「お、おう? それは……うん、別に構わないけど……」
「トウキ……トウキ、透輝……発音はこれで合っているかな? いやぁ、今日は良い日だ。この良き出会いに感謝するよ!」
すごい。これまで見たことがないぐらいのテンションでルチルがはしゃいでいる。含むところが何も感じられない笑顔を浮かべているぞ。
(あー……実家に対して思うところがあるから、実家を知らない透輝の反応が嬉しいのか。『花コン』で知ってはいたけど面倒な性格をしてるなぁ)
透輝が最適解を選んでくれたわ。俺の場合、透輝と同じことを言っても立場が違うからこんな反応は引き出せなかっただろう。
(しかし、『花コン』だとルチルは主人公に対して割と最初からこんな感じだったよな? で、それは演技で、好感度を上げて個別イベントを進めていくとその内心がわかるっていう……)
ルチルの様子を確認するが、演技の色はない。透輝の反応を見て純粋に喜んでいるようだ。
(『花コン』だと数少ない、ミナトに対する好感度がそれなりにあるキャラだったけど……俺への好感度が低い分、透輝への好感度が上がったか? ま、まあ、嬉しい誤算だけどさ)
ルチルはメインヒーローなのに技術科に在籍しているし、透輝と知り合わせる機会がなくてどうしたものかと困っていたところだ。だが、この調子なら今後は透輝と仲良くしてくれそうである。
「そ、それじゃあ俺は素振りに戻るから……」
「わかった! 見ているから頑張ってくれたまえよ!」
勢いに押されて戸惑う透輝と、そんな透輝にエールを送りつつ見守る気満々のルチル。しかし俺の視線に気付くとハッとした様子で動きを止め、一度咳払いをしてからしっかりと視線を向けてくる。
「何か?」
「いや、何も?」
何かってなんだよ。そんな反応されたらとぼけるしかないじゃないか。
そんなことを考えつつ、俺は素振りをする透輝へと視線を向ける。
(うん、ちょっと動揺しているけど剣筋はブレてない。剣術が体にきちんと染み付いている証拠だな)
思わぬルチルの反応に驚かされたが、今日の目的は透輝に巻き藁を斬らせることだ。そのため透輝が素振りをして体をほぐすのを見届けると、用意していた真剣を手に取る。学園に申請して貸し出してもらった片手剣だ。
「体は十分にほぐれたな? それじゃあこの剣で巻き藁を斬ってもらうが……」
そう言って、俺は過去の記憶を掘り返す。俺が巻き藁を初めて斬った時は、ただ斬るように言われたっけなぁ。
「敢えて何も言わないでおこうか。まずは剣を確認してみるといい」
「了解。あ、でも、『召喚器』じゃなくてもいいのか?」
「君の『召喚器』は切れ味が良すぎるからな。まずは普通の剣で斬ってみろ。そっちの方が手に残る感触もわかりやすいはずだ」
『鋭業廻器』は武器として上等すぎるから、使い手が下手でも簡単に巻き藁を斬れてしまうだろう。それよりも数打ちの剣の方が自分自身の技量を感じ取れるはずだ。
「最初は袈裟懸けに斬れ」
「わかった……いくぞっ!」
俺が指示を出すと透輝が剣を構え、呼吸を整えてから踏み込む。そして剣術を教え始めた頃と比べれば雲泥の差がある、綺麗な太刀筋で巻き藁を斜めに両断した。
「次、隣の巻き藁を下から切り上げて両断」
再び俺の指示に従い、透輝が剣を振るうが……うん、こっちも綺麗な太刀筋だな。巻き藁の断面も綺麗だ。
「最後。隣の巻き藁を水平に斬れ」
「おうっ!」
透輝は大きく頷いてから動き出し、これまた綺麗な太刀筋で巻き藁を真横から両断する。
(……十二歳の頃とはいえ、俺が初めて巻き藁を斬った時よりも上手く斬ったな。大したもんだ)
それを見届けた俺は思わず苦笑してしまった。巻き藁に近付いて確認してみるが、切り口が綺麗で潰れていない。これが剣を教えて四ヶ月に満たない者の剣か? なんて思ってしまう。
(将来、『魔王』や『魔王の影』を倒すため、と考えると頼もしい限りだが……やっぱり羨ましく思えるな)
これだけの才能があれば、どこまで伸びることか。おそらくは同じ年数をかけるか、それ以上の速度でランドウ先生と同じ領域までたどり着けるはずだ――俺とは違って。
「やった! 見てくれミナト! 綺麗に斬れたぞ!」
自分が斬った巻き藁を見て、喜びの声を上げる透輝。たしかに、今の太刀筋は喜んでいいぐらい綺麗だったよ。
「ああ……よくやった。剣を教えて半年も経ってない奴の太刀筋とは思えないぐらいだ」
俺は素直に褒める。すると透輝は照れたように頭を掻き、剣を鞘に納めてから俺へと渡してくる。
「そ、それじゃあミナトが斬るところも見せてくれよ。お手本ってやつ」
そう言われて、俺は剣を受け取る。透輝と違って『召喚器』による身体能力の強化が働いているから、条件が一緒ってわけじゃないんだが。
それでも、手本を見たいと言われれば応えよう。俺は剣を抜き、巻き藁へと無造作に近付いていく。
(……昔を思い出すな)
初めて巻き藁を斬った時、ランドウ先生が見せてくれた太刀筋を脳裏に思い描く。人はここまで綺麗に動けるものなのかと感動すら覚えた、あの動きを。
「――――」
俺はかつてのランドウ先生の動きをなぞるようにゆっくりと、滑らかに踏み込む。
水平に放った斬撃が巻き藁を両断するが、切断した上の部分は僅かに揺れただけでその場に残る。そのため更に刃を奔らせ、バツ印に交差させて巻き藁を分割した。
(最後に縦に――っ!?)
ランドウ先生なら、ここから更に縦に両断した。そう思って剣を振り下ろそうとしたが、その前に巻き藁が崩れてしまう。
それを見た俺は残心を取ってから剣を鞘に納めると、思わず苦笑を零してしまった。
もう少し切れ味が良い、斬ることに特化した武器なら縦に両断することもできたかもしれないが……まあ、まだまだランドウ先生の背中は遠いってことか。
(それでも、たしかに近付いてはいる……よな?)
最後の一太刀を繰り出せるかどうかが天才と凡人の差だろうが、それでも昔は遠くかすんで見えなかったランドウ先生の背中がほんの僅かに見えた気がした。近付いたつもりが蜃気楼だった、なんてオチかもしれないが。
「す……すっげぇ! え!? なんだ今の動き!? なんで斬ったはずの巻き藁がそのまま残ったんだよ!? どういうことだ!?」
だが、透輝にとっては十分驚きに値する斬撃を見せることができたようだ。目を見開いて驚く透輝の姿に、俺は苦笑を深める。
「俺の剣の先生なら斬った巻き藁を微動だにさせず、最後に縦に両断するんだが……すまんな、今の俺じゃあこんなもんだ」
「いやいやいやいや! 十分すごかったって! 何がすごいかわからないぐらいすごかった! ビックリした! はー……人間ってあんなに綺麗に動けるものなんだなぁ」
透輝が心底感心したように、ため息を吐くようにして言う。それは、その評価は、かつて俺がランドウ先生に対して抱いたもので――。
(嬉しい評価だよ、透輝……でも、俺じゃあ届かないんだよな……)
透輝の目から見れば十分にすごかったのかもしれない。だが、俺が憧れたあの太刀筋には、きっと。
「っと、ルチル、どうかしたかい?」
「……いえ、なんでもありません……ええ、なんでも」
ルチルの視線を感じて、表情を整えてから問いかけてみれば、神妙な顔で首を横に振られる。俺はそうかと頷くと、透輝に視線を向けた。
「当分の間、訓練の締めに巻き藁を斬らせる。今の感触を覚えたな? 次に斬る時はもっと上手く斬れるよう意識しろ。上手く斬れると感覚でわかるからな」
「おっす! 頑張ります!」
俺が見せた太刀筋も少しは透輝のやる気を燃やす燃料になってくれたのか、気合十分といった様子で意気込む透輝の姿に。
「……ああ、頑張ってくれ」
――俺は笑顔を作って、しっかりと頷いてみせた。




