第15話:できることを探して その1
ウィリアムとの一件以降、俺は空き時間に何か問題がないか調査を始めた。
だが、これが中々に難しい。問題というのは目で見てわかるものは少ないからだ。
それに俺が求めているのは物理的な問題ではない。屋敷の柱が傷んでいるとか、危険物が落ちているだとか、そういった問題は屋敷を管理している家令や執事、メイドさん達の仕事である。
そんなわけで時にナズナを連れ、時に構って欲しがるコハクやモモカを連れ、時に護衛の兵士だけを連れて屋敷内を歩き回るのが最近の俺の日課だった。
ちなみに俺の行動を訝しく思う人もいれば、レオンさんみたいに納得したような顔になり、無言で頭を撫でてくるような人もいる。いきなり変化した俺の行動を見て察しているのだろう。出来が悪い息子としては恥ずかしい限りである。
しかし、意識して探してみると逆に見つからないもので……いやいや、俺が見落としているだけだな、きっと。探せばいくらでも問題っていうのは見つかるものなのだ。
(……うん?)
俺はふと、護衛として同行してくれている兵士の男性に目を向けた。他の護衛の兵士と比べれば歳が若く、二十歳になるかどうか。普段から世話になっている護衛の一人だったが、今日は妙にそわそわとしている。
「何かあったのか?」
気になって声をかけると、若い兵士は挙動不審になって他の護衛達と俺の顔を交互に見た。
「い、いえ、若様がお気になさるようなことでは……」
そして取り繕ったような笑みを浮かべる。おい、なんだその笑顔は。実はいじめでも受けてるんじゃないだろうな? この世界って前世の日本と違って体罰がどうだとか騒がれることはないし、相撲的な意味でかわいがりでも受けてるのか?
だが、他の護衛達は『あちゃー』といわんばかりに苦笑している。その雰囲気は悪くなく、俺が何かに気付いてしまったこと自体がまずかったのだろう。
「あー、若様。そいつぁ身重の……いや、それじゃ通じないか? もうそろそろ初めて赤ちゃんが生まれる奥さんがいましてね? さすがに気が気でないようで……」
「若様は鋭いから絶対に隠せないだろ、って話してたんですよ」
「ほら見ろ。やっぱりバレたじゃねえか」
そう言って若い兵士をからかうように小突く他の兵士達。それらの言葉に嘘はなさそうだったが、若い兵士は申し訳なさそうに頭を下げてくる。
「職務中にもかかわらず、若様の気を散らすような態度を取り……まことに申し訳なく……」
「いや、仕事はいいから帰れよ」
思わず素でツッコミを入れてしまった。すると若い兵士がキョトンとした顔になり、他の兵士達も目を丸くしている。
「奥さんが心配なんだろ? しかも初産とか……産婆がいるとしても絶対に心細いやつじゃないか。下手すると一生根に持たれるかもしれないぞ?」
育児休暇……にはまだ早いか。でも集中できない状態で護衛をされても逆に困るんだが?
俺は若い兵士の腰をバシバシと叩くと、回れ右をして帰るよう促す。他者では代替できない技術を持っているとか、護衛が目の前の若い兵士一人しかいないとか、それこそ命の危険が差し迫っている状況とかなら俺も帰ってほしくはないが、今は平時だ。
「い、いえ! 職務を放り出すわけには! それに俺がいてもできることがなくてですね!?」
「あるだろ。奥さんの手を握ってやるなり、声をかけてやるなり……それも無理なら赤ちゃんが生まれるまで部屋の外でオロオロとしてればいいんだよ。父上だってそうしてたぞ?」
出産間近の奥さんを置いて仕事に出てくる責任感自体は褒めるべきだろう。いや、褒めるべきかコレ? この世界なら当たり前? でも俺の感覚としてはちょっとなぁ。部下の家庭が俺の護衛で一生気まずいものになったら嫌だよ。
あ、というかやばい。サンデューク辺境伯であるレオンさんの威厳が傷つくかもしれないエピソードを暴露しちゃったわ。まあいいか。むしろ父親同士で親近感が湧くでしょ。
「こういう場合、護衛の交代要員はどうなっている?」
俺は一番年長の兵士に尋ねる。すると年長の兵士は苦笑し、俺の前で膝を突いた。
「少々お待ちを。交代の兵士を連れてきます」
「うむ。そうしてやってくれ。俺が許可する」
敢えて偉そうに言い放つ。許可を出したのは俺だから、何かあっても引き受けるという宣言だ。そもそも、交代できるぐらい人員がいるなら最初から休ませた方が精神的にも良いと思うんだが。
護衛の兵士が傍を離れる、と聞くと死亡フラグっぽい。でも今ってランドウ先生が屋敷に滞在しているから、仮に手練れの侵入者がいても侵入した段階で気付いて始末してそうだ。
そうして一分とかけずに交代の人員が到着したため、俺は若い兵士を追い払うように手を振る。
「ほら、早く奥さんのところに行ってやれ。あと、他の兵士も似たようなことがあれば最初から報告しろ。俺から父上やウィリアムに言って調整するよう頼む」
ついでに出産祝いってことで栄養のある食べ物でも届けるよう、規則を作るよう促すか? それはさすがにやりすぎかな? 俺のポケットマネーから出しておけばいいか。
俺がそうやって悩んでいると、年長の兵士が苦笑しながら俺に話しかけてくる。
「申し訳ございません、若様。我々兵士の雑事にお手を煩わせることになるとは」
「何を言う。雑事ではなく慶事だし、子は宝だぞ。それこそこの領地、いや、国の宝だ。奥さん共々無事に産まれて、周囲に祝われて、しっかりと育ってくれれば施政者冥利に尽きるってもんさ。そのためにも父親にも頑張ってもらわんとな」
なんだかんだで人間の多さは力だし、赤ちゃんが生まれない国や領地とか未来がないからね。
この世界にはポーションや魔法があるから死産する可能性や出産で女性が命を落とす危険性が前世の中世なんかと比べると桁違いに低いけど、それでも夫が傍にいた方が奥さんも心強いだろ。
仮に邪魔者扱いされたとしたら……ま、それもまた一つの思い出ということで。
「……子どもである若様にそう言われますと、違和感がすごいですな」
「なあに、うろたえる父上の姿を見た実体験とアンヌ母さんの教えの賜物さ」
七歳児が言うことじゃないのはたしかだけど、それっぽい理由を作るのは得意だ。
(しかし、これも問題の解決になるのかねぇ……)
そんなことを思いながら、慌てた様子で早足で去っていく若い兵士の背中を見送った。
(うーん……探せば問題点が見つかると思ったのに、案外見つからないもんだな……)
後日、相変わらず屋敷の中をうろうろとしつつ、俺はそんなことを考えていた。
俺にできる範疇で負の感情が発生することを減らし、逆に正の感情……幸福感のようにポジティブな感情を得られるようにするにはどうすればいいのか。
護衛の兵士が常に一緒だから俺がいるってすぐにバレるし、この屋敷だけでなくサンデューク辺境伯家の領地で働く人々の生の声は中々聞くことができない。
嫡男の俺がいると本心では話しにくいようだ。いっそのこと俺を利用して私腹を肥やそうとする悪い家臣――文官や武官がいれば、なんてことすら考えてしまいそうになる。
(うん? 文官と武官、か)
政治や事務作業を主とする文官と、戦うことや治安維持を主とする武官。その二つを並べた場合、俺の前では言えないことがいくらでもあるだろう。
そんなことを考えた俺はウィリアムのところへ突撃することにした。今日はうちの屋敷にあるウィリアム用の執務室に詰めていると聞いたからだ。
「我々武官と文官の間にある問題とは何か……ですか?」
そして俺は真正面から直球勝負を行う。色々考えたり腹芸したりするの苦手なんだよ。
「ああ。仕事中にすまないが、早速教えを乞いたいと思ってな」
俺に教えたいって言ってたもんね。言質、取ったからね。だから聞きに来たよ。
そんな意図を込めてじっと見つめると、ウィリアムは苦笑を浮かべる。
「これは困りましたな。私としてはもっと別のことをお教えしたかったのですが」
「つまり、何か問題があるということだな?」
よし、予想通りだ。末端の兵士も大事だけど、やっぱり頭には情報が集まっている。
俺に解決できるかは別問題だし、俺に話せることはレオンさんも把握しているだろうから、負の感情を減らすっていう目的に沿うかは微妙なところだけどな。レオンさんやウィリアムが問題を放置するとは思えないし。それでもまずは行動である。
「ふむ……そうですなぁ」
ウィリアムは顎に手を当て、目を細めながら何かを考えている様子だった。そしてしばらく考え込んだかと思うと、執務用の机に何も書かれていない紙を広げる。
「サンデューク辺境伯家には多くの武官、文官がおります。私のように爵位を頂いている者もいれば、何かしらの役職に就いている者、役職に就いている者の手足となって働く者、様々です」
そう言いつつ、白紙の紙に何やら書き込んでいくウィリアム。それはレオンさんを頂点としたサンデューク辺境伯家の組織図であり、レオンさんの下に武官の筆頭であるウィリアムと文官の筆頭となる人物が、そしてその更に下に線が伸びて大雑把ながら役職が記されていく。
「役職を持つ者だけで数十を超え、その直属の部下を含めれば百を超え、末端の兵士まで含めれば軽く千人を超えます。さて、それだけの人間がいれば問題は必ずある。そうですね?」
「大小問わず、となると数えきれないほどあるだろうな」
そうやって聞くと、俺に解決できる問題が本当にあるのかと疑問に思ってしまう。人間三人いれば派閥ができるというし……でも、ここで大きな問題を解決できれば『魔王』が発生するタイミングが数日だけでも後ろ倒しになってくれるかもしれない。
もちろん大失敗すれば『魔王』の発生が早まる危険性もあるが、高々七歳児にできることなど限られているだろう。それなら何もしないでいる方が良いのかもしれないけれど、俺の精神衛生上何かしていないと不安になってしまうのだ。
なあに、話を聞くだけなら大きな問題も起こるまいよ。
「それでは若様、一体どのような問題が起こり得ると思いますかな?」
前世でも初対面の相手や職場では政治と宗教と贔屓にしている球団に関して口にするな、なんて聞いたことがある。この世界だとオレア教が一強だから宗教を抜いて、野球がないから贔屓の球団を抜けば割と平穏……いや、問題になりそうなことは普通にたくさんあるわ。
「派閥、政治、信条、役職の違いからくるぶつかり合い。きつい、危険、汚い、給料が安い、やりたい仕事じゃない、適性が向いていない。あとは個々人での性格の合う合わない、自分に協力してくれないから嫌い、明確な理由はないけど気に食わないから嫌い……色々とあるだろ?」
「もう少し子どもらしい返答を期待していたのですが……ありますなぁ」
思い当たる節があったのか、ウィリアムは遠い目をしながら頷く。というか子どもらしい返答ってなんだろう? 後半の部分なんて子どもらしいと思うんだが。理由はないけど嫌い、なんてのは最たるものだろうに。
「ううむ……我が妻ながら、アンヌの教えは大したもののようで。いや、それなら何故ナズナはもっと成長せなんだか……もっと家庭を顧みるべきか……」
ちょっと待ってほしい。問題を解決するべく相談しにきたのに、パストリス子爵家の家庭問題が勃発しそうなんだが?
「以前も言ったが、ナズナはよくやってくれているぞ?」
あの子もあの子なりにしっかりと成長しているんだ。そこは父親として温かく、そして長い目で見てあげてほしい。俺がそんなニュアンスを込めて言うと、ウィリアムは小さくため息を一つ吐いて腕組みをする。
「次代のサンデューク辺境伯家が安泰なのを喜べば良いのか、傍付きをナズナに任せたことを不安に思えば良いのか……若様も長い目で見てくださるようですが、甘やかすのはあの子のためになりませぬ。不足があればご指摘くださいますよう、伏してお願い申し上げます」
「伏さんでいい伏さんでいい。今のところナズナに不足も不満もないからな」
俺は頭を下げるウィリアムに苦笑する。ナズナが何かやらかすなら『花コン』の本編が始まってからだろう。精々実家に断りも入れずに主君を乗り換えるだけだ。うん、普通に大問題か。
そんなことを考えた俺だったが、ウィリアムは存外、真剣な表情で俺を見る。
「いいですか、若様。不足も不満もないというのは、言い換えればそれ以上期待もしないということです。本当に優秀な人物に対してそう仰るのなら私も納得しますが、ナズナはまだ七歳。何かしらの不足や不満があって然るべきなのです」
ウィリアムの指摘に対し、むむ、と俺は黙り込む。たしかに現状で満足するようでは後が続かないかもしれないが、ウィリアムが言う通りナズナはまだ七歳だ。七歳児に求めるには水準が高すぎるようにも思える。
「手厳しいな……だが、こうして諫言してくれる者がいるんだ。大きな問題にはならないさ」
それでも俺はウィリアムの言葉を受け入れる。俺とナズナのことを思っての言葉だと感じ取れたからだ。
「それで、娘にも厳しい我が騎士団長よ。そこまでの厳しさを持つ貴殿なら、部下達が抱える問題も把握しているだろう?」
受け入れはしたが、形勢の不利と話題を逸らされていることを悟った俺は軽口混じりでやり返した。するとウィリアムは肩を竦めて苦笑する。
「誤魔化されて欲しかったのですが……御所望とあらば仕方ありませんな。とはいっても、若様には解決のしようがない問題が多いのです。それでもよろしければ」
「是非教えてくれ」
さて、改めてお勉強の時間だ。
普段とは異なる教師を前に、俺は背筋を伸ばして傾聴の姿勢を取ったのだった。