第157話:夜の密会 その1
オレア教の教主、オリヴィアとの夜の密会――そう表現するとそこはかとなく危険な香りがするが、その内実は世界の危機的な意味で危険を帯びている。
外見は二十歳程度でややスレンダーながらも女性らしい外見に、整った顔立ちのオリヴィアと一対一で面と向かって接するのは年頃の少年として喜ぶべきかもしれないが、俺の年頃なのは外見だけだ。
まあ、出会った時からそうだったが、オリヴィアの感情を感じさせない瞳が異性を感じさせないし、今は疲れが溜まっているのか余計に目が死んでいるのが何とも言えない。
そんなオリヴィアからリンネと透輝に関する報告を行うように言われた俺は、机の上に俺が提出した報告書が置かれているのを見つけてそちらへ視線を向けた。
「リンネに関しては報告書に記したことで全部ですが……」
「報告書に記載しようがない、貴方自身がリンネから感じた印象などを聞かせてください」
「わざわざ呼び出したんだし、そうですよね。それでは」
今日は本当に余裕がないのか、外向きの態度が崩れない。しかしそれを指摘してもどうにもならないため、俺は先日交戦したリンネのことを思い浮かべる。
「オレア教の教主である貴女の前でこう評価するのも何ですが……俺の印象としては、単純に『魔王の影』で敵である、という感じはしないです。何か別の、現状では推測できない理由をもとにして行動している……そう感じました」
「その目的の中にはミナトさん、貴方を鍛える意図がある……そうですね? 前回会った時と比べて更に一皮剝けた印象があります」
さすが、というべきか。ネフライト男爵もそうだったが、一目見ただけで俺の技量を見抜いたらしい。
「先に言っておきますが、鍛える意図があったとしても貴方が『魔王の影』とつながっているとは思っていません。つながっているにしてはやっていることが中途半端というか、意味がないことばかりですからね」
「もちろんつながってはいませんが……自分で言うのもなんですが、怪しいのでは?」
「ええ。怪しいです。ですが、それだけ怪しまれることをやっているのに、目的が貴方を鍛えること? 『魔王の影』らしからぬ行動です。人類の利益にこそなれど、『魔王』を発生させるには何の役にも立ちません」
どうやら俺に関する疑いはないらしい。そのことに内心だけで安堵するが、オリヴィアから見てもリンネの行動がおかしいという意味では頭を悩ませるわけで。
「そういう意味では、ダンジョンに出現するモンスターの基準を狂わせたことの方が重大です。ただ、これまでそういう行動を取っていなかったものの、オレア教の内部では予測されていたことでもあります」
「そうなんですか?」
「ええ。そもそもダンジョン自体、理不尽の塊みたいな場所ですからね。過去の件からダンジョンを作れることはわかっていましたし、モンスターに関しても何かしらの操作をできるのではないか、と考えるのも当然でしょう?」
たしかに、モンスターが出現するわ宝箱が出現するわ、挙句の果てに地形まで変わるわで理不尽といえば理不尽だ。
「ただし、ダンジョンの規模に見合わぬ強さのモンスターを出現させたといっても、それが『魔王の影』であるという証拠にはなりません。現状、そう名乗っていることとそれらしい言動をしているというだけです」
そう話すオリヴィアに、俺は信じ難いといわんばかりに目を瞬かせる。
「……リンネは『魔王の影』ではない、と?」
「その可能性もある、という話ですよ。仮に本当に『魔王の影』だったとして、今の段階で表に出る理由は? それもやっていることが学園生の実習の妨害? 『魔王の影』を名乗る愉快犯だと言われた方がまだ納得できます」
俺はリンネがオウカ姫ではないかと疑い、その点から純粋な『魔王の影』ではないのではないか、なんて疑っているがオリヴィアはこれまでの情報から似たような結論に達しているようだ。
もちろん、そう思わせておいて本当は『魔王の影』だった、なんてこともあり得るが、そうなると今度は何故そんなことをしているのか、という疑問が出てきてしまう。
「前回の王都での一件だけなら、『魔王の影』と言われても納得ができました。しかし今回の件でそれが疑わしくなったのです……何か知っているんでしょ? そろそろ吐きなさい」
あ、ちょっと教主としての仮面が剥がれてきたな、なんて思わせる口調と視線だった。そのため俺は頷きを返すと、ここだけの話ですが、と前置きしてから話し出す。
「あくまで俺の予想なんですが、『魔王の影』ではあるものの、その中身の人格が俺が知っている人物なんじゃないか、と」
「貴方が知っている人物?」
「ええ。キッカの国にいたサクラという姫君……俺の師匠であるランドウ=スギイシのかつての主君がリンネなんじゃないかと疑っています」
この辺りのことに関してはオリヴィアにもはっきりとは伝えていなかった。そのため改めて伝えると、オリヴィアは小さく眉を寄せる。
「その根拠は?」
「俺が教わっているスギイシ流の技を使うからです。ランドウ先生には俺以外弟子がいませんが、先生の技を長年間近で見ていて、なおかつ既に亡くなっている若い女性がいまして……あり得ない話ではないと思いました」
「ふうん……それで? そのサクラ姫とやらが貴方に執着する理由は?」
「それはさっぱりで。執着するならランドウ先生の方になる……はず、なんですがね」
その点は俺もわからない。そのため素直にそう伝えると、オリヴィアは考え込むように顎に手を当てる。
「前回、王都に現れた時の情報をもとに探してみたけれど、足取りが掴めなかったわ。その時点でただの人間ではない。かといって純粋な『魔王の影』とも言い難い……いいわ、この件は棚上げにする。今の時点では判断ができない……それがわかったわ」
悩んでも答えが出ないことは先送りにするらしい。俺としても答えが出ないし賛成だ。
「それで? トウキ=テンカワについてだけど、色々とやっているみたいね。こちらはどうなっているの?」
「まだ剣術を教え始めたばかりですよ。ただ、才能は間違いなくあります。透輝は強くなりますよ」
「貴方より?」
「ええ、それは確実に。ただ、それがいつになるかは現時点では不明でして。三年生になる頃までは俺も負けるつもりはないんですが……」
そう言っておきながら、透輝が予想以上の成長を見せて俺をあっさりと抜くかもしれない。それはそれで喜ばしいけど、剣を教える側としては少し寂しくもあるな。
「光属性の魔法に関してはどうするつもりなの?」
「まずは剣術の基礎を固めて、そこから魔法について教えようかと。いくら強力な魔法を覚えたとしても、それを扱うにはなんだかんだで体力も必要ですから。教える際は魔法が得意な友人にお願いしようと思っています」
「ああ、ユナカイトの神童ね。あの若さで上級魔法まで扱えるのだし、適任といえば適任かしら」
さすがというべきか、モリオンに関してもきちんと把握しているらしい。そんなことを考えていると、オリヴィアがじっと俺の目を見詰めてくる。
「答えがわかっていることを聞くのってあまり好きじゃないのだけど、敢えて聞くわ。そのトウキ=テンカワという生徒、オレア教で育てては駄目なのかしら?」
様々な教育の手法が揃っているわよ、とオリヴィアが言う。しかしそれでは意味がないと彼女もわかっているのだろう。
「お気持ちは嬉しいのですが、学園での交流も必要なことでして……その代わりといってはなんですが、以前お話したように、オレア教の力を借りたい時にご協力いただければ、と」
ダンジョンの攻略とか、オレア教からの要請でもない限り生徒会に依頼が来てもどうしようもないからなぁ……土曜日の放課後から出発してダンジョンまで行って攻略して、月曜日の授業が始まるまでに帰ってくる、なんてのは強行軍もいいところだ。それじゃあ小規模ダンジョンしか攻略できないだろう。
「……ま、それぐらいなら構わないわ。その時は手紙を出しなさい」
そう言って再び書類に目を通し始めるオリヴィアだが……わざわざこんな時間に呼び出した割に、内容がないというか。もっと何か、重要なことを告げられるんじゃないかと警戒していたんだが。
(いや、単純に忙しくてこの時間しか空いてなかっただけか? オリヴィアからすると俺は『魔王の影』じゃないけど胡散臭い、未来予知みたいなことを口にする奴だし……会ってもらえるだけありがたい、か)
互いの認識のすり合わせみたいになってしまったが、こうして顔を合わせるということは最低限、一応程度だが俺の話も信じてもらえているのだろう。
だが、無表情というか無感情というか、いつも以上に目が死んでいるオリヴィアを見ているとわざわざ俺に時間を割かなくても、なんてことも思ってしまう。いや、会ってもらえるのは本当にありがたいんだけどね? その分、寝てもいいんじゃない?
そうなるとすぐにでも退室した方がいいんだろうか、と疑問に思ったが、オリヴィアに会ったら聞いておきたかったことを思い出した。
「そういえば、メリア嬢について聞きたかったのですが……先日の舞踏会で俺と踊るよう指示をした、なんてことはありませんよね?」
「してないわよ。そんな指示に何の意味があるのかしら?」
「ははは、一応の確認ですよ。しかしそうですか……してないんですか……」
そうなると自分の意思で舞踏会に来て、俺と踊ったってことなのか。あと、メリア嬢じゃなくてメリアって呼ぶように言われたけど、どんな意図があるのやら。
そんなことを考えていると、それまで書類を見ていたオリヴィアが再び俺をじっと見つめてくる。
「わたしがあの子に自由にさせている意味……それも知っているのかしら?」
「……一応は。こう言っては印象が悪いかもしれませんが、思い出作りみたいなものと」
『花コン』では『魔王』との戦いで命を確実に落とすことになるメリアが初めて口にしたワガママということで、学園へ通うことが許可されていたはずだ。そしてメリアは人生で初となる、同年代、同級生達との共同生活を送ることになる。
それは何もかもが新鮮で、驚きの連続で、メリアという何もない、『魔王』を倒すためだけに育てられてきた空っぽな機械みたいな少女を人間に変える日々だった。
俺が知っているのは、あくまで『花コン』での話だ。そのためちょっとぼかした言い方をしたが、オリヴィアはほんの少し、声に感情を乗せる。
「思い出作り、ね……言い得て妙だわ。それが悪い方向に転ぶ可能性もあったのに、許可を出したわたしも度し難いけれど」
「……そうですか? 自分が守るべきものを知らずに戦うよりは良いと思いますが」
俺が幼い頃から剣の修行に明け暮れ、できることは色々とやってきたのも世界を守るため――と言うと規模がでかすぎるか。家族を守り、俺自身が生き抜くためだ。
両親にコハクにモモカ、祖父母に屋敷の使用人達と、守りたいもの、守るべきものがある。あとやっぱり死にたくない。守りたいものを守るために命を差し出す必要があるのなら仕方ないが、可能な限り死にたくないのだ。
「教主殿にも守りたいものがあるでしょう?」
俺は話の流れとしてそう尋ねる。オレア教の教主なんてやって、人類を少しでも幸せにして、『魔王』の発生を少しでも先延ばしにしているのが彼女なのだ。
だからこそ当然のように返答があると思って尋ねた――のだが。
「…………」
オリヴィアは答えなかった。ただ冷たく、感情が見えない瞳で俺をじっと見てくる。
「……そう、ね。ある……のよね」
「教主殿?」
それはなんとも妙な反応だった。感情が見えないなりに近いものを当てはめるとすれば困惑だろうか。
思わぬオリヴィアの反応に、俺は若干焦りながら口を開く。
「お疲れなのでは? 疲労が溜まると感情の動きが鈍くなりますし、思考も鈍りますからね」
「……いえ、大丈夫よ。この程度ならどうってことはないわ」
いや、大丈夫には見えないから心配しているんだけど。人類の守り手であるオレア教の教主なのに、守りたいものに関して尋ねて反応が返ってこないってのは相当だと思うんだが。
「大丈夫に見えないんですが……俺が口出すことではないですが、今日のところは仕事を切り上げては?」
残業のしすぎで精神をやられているんじゃないか、なんて疑いを持つほどに感情が読み取れない。この世界では色々な物や技術が開発されているが、労働基準法は存在しないのだ。
「本当に大丈夫よ。わたしはね、この程度の疲労では死なないのよ」
「肉体は無事でも精神が死にそうなんですが……あと比喩表現ですよね?」
人は過労で死ぬ生き物なのだ。そのため俺が心配しながら言うと、オリヴィアは不思議そうな顔をした後に納得した様子で頷く。
「なるほど、貴方の予知にはわたしに関する情報が含まれていないのね。以前、年齢を尋ねてきた時に百より先は数えていないって言ったでしょ? アレは嘘でもなんでもなく、事実なの」
「……と、仰いますと?」
「わたしはね、前回『魔王』が発生した時からずっと、今まで生き続けてきたのよ」
苦笑するようにして、オリヴィアはそんなことを言うのだった。