第149話:再び その2
金属同士がぶつかり合う音が連続し、衝撃と共に火花を散らす。
俺とランドウ先生では起こり得ない、ほぼ互角の技量の同門による斬り合い。それは互いに傷をつけることなく、剣舞のように幾度も、幾十度も、歯車が噛み合ったように刃の交差を続けていく。
(相手が『魔王の影』でさえなければ……オウカ姫でさえなければ、これ以上心躍ることもないんだが――なあ!)
眼前を切っ先が通過し、一手間違えば即死するような状況が連続し、自然と興奮を帯びていく精神を気合いで抑えつけながら剣を振るう。
剣での斬り合いというのは、本来こうして何度も斬り結ぶようなことは起こり得ない。そもそも刃金同士をぶつけ合えば欠けるし、攻撃を受け損なえば指なり腕なり斬り飛ばされるし、急所を斬られれば即死しかねないし、急所でなくても斬られれば継戦能力が落ちる。
それが互いに剣型の『召喚器』を持ち、技量も近ければこうして本来起こり得ないことが起きてしまう。刃同士がぶつかり合ってもほとんど欠けない『召喚器』の頑丈さが、それを成し得てしまう。
体格差があるにもかかわらず拮抗しているということは、俺の方が技量で劣るのか。互いに切り札は切っていないため、完全に互角というには難しい状況ではあるが。
「――フゥッ!」
「――シィッ!」
鋭く呼気を発して繰り出した斬撃に、硬質な手応えが返ってくる。互いに剣を弾き合い、その反動すら利用して次の刃を繰り出し、再び弾き合って斬り合って。立ち位置を変えつつ、繰り出す斬撃の軌道を変えつつ、何度も何度も交差し合う。
そうして数えるのが面倒になるほど剣を交わし合った俺は、一度仕切り直すために後方へと跳んだ。
(いくら『魔王の影』だからといって、自分よりも小柄な女性と斬り合うのもそうだが……こうして互角だとさすがに凹むなぁ、おい)
本来、戦闘において体格差というのは非常に大きい。巨体ほど動きが遅い、なんてことはなく、身長や体重は大きい方が基本的に強いのだ。
その点で見れば、リンネは非常に小柄だ。俺の知り合いでいえばエリカと同じ程度で、身長が百四十センチもない。その小柄さで物理法則を無視したように重たいということもなく、外見相応の体重しかないのは剣の手応えから伝わってくる。
それでも押し切れず、互角なのだ。それはすなわち、体格差を覆せるほどの技量をリンネが持っているということである。
『魔王の影』に対する評価として適切かはわからないが、剣の才能という点では俺よりも遥かに上だろう。ランドウ先生や透輝には勝てないだろうが、凡人と比べれば隔絶した才能がある。
そんな優れた才能をきちんと磨き上げたのがリンネの振るう剣だ。相手が『魔王の影』ではなく、こんな状況でさえなければ、これ以上ないほどの実戦的な鍛錬とすら言えたかもしれない。
(何が嫌って、しっかりとした研鑽の跡が見えることなんだよな……)
ランドウ先生から見て学んだことを、一生懸命反復練習したのだろう。そう思えるほどに基礎がしっかりとした剣だった。
リンネの剣才に対して俺が互角を演じていられるのは、『召喚器』による身体能力の強化と体格差、努力量の差である。ランドウ先生に剣を教わってから今まで、剣を振るってきた時間がリンネと俺では大きく異なるのだ。
『魔王の影』は不老で、リンネは下手すれば俺が生きてきた時間よりも長く生きてきたかもしれないが、剣を通して見える努力の量は俺よりも少ない。
それでもほぼ互角というのが才能の差を感じさせて、俺としてはなんとも言えないが。
(さて……どうしたもんか)
『瞬伐悠剣』の力を使うか? いや、向こうも魔法を使えばまた互角になるか。かといってこのままだと千日手だ。
ナズナを向かわせたが、生徒達は無事か? 戦闘音が聞こえてくるけど悲鳴は聞こえてこないから、最低でも互角で戦いが推移しているんだろうけど……。
「向こうが気になりますか? でも今はこっちを意識してくださいね」
「……なんだよ、寂しがり屋か? 本当に前回戦った時よりも成長しやがって……」
斬り合ったことで少しばかり乱れそうになった息を整え、リンネの言葉に皮肉を返す。ついでに愚痴をぶつけるように言うと、何故かリンネのお面が揺れた。
「ふふ……ふふふっ。ええ、わたし、寂しがり屋なんですよ。なにせ置いていかれたので」
「……? 置いていった、の間違いだろ?」
なにせ、それが原因でランドウ先生は今も遺品である『召喚器』を探しているのだ。
オウカ姫が命を落としていなければ、剣鬼と呼ばれるランドウ先生は誕生していなかったのではないか、と思えるほどに影響が大きい。
「そう……ですね。そうとも言うかもしれません」
リンネはとぼけるように言うが……初めて会った時も思ったが、俺じゃなくてランドウ先生に直接会いに行かない理由がわからない。弟子としては会ってほしくないけども。
というか、オウカ姫が亡くなった時、俺はまだランドウ先生の弟子じゃなかった。そもそも生まれてすらいなかったのだ。なんでそれで俺に絡みに来るのか、いまいちわからない。
(『魔王の影』として、『サンデュークの神童』に興味が湧いた、とも言ってたっけか? それで確認しに行ったらスギイシ流の剣を使っているし、余計に気を引いた……とか?)
こうして言葉を交わし、きちんと会話が成立するのも『魔王の影』としては異質に思える。
以前、俺が『魔王の影』ではないかと疑われてラレーテの教会に連れて行かれた時に聞いた話だが、『魔王の影』は人間のふりこそ可能なものの人間ではなく、人間を対等に思ったり慈しんだりすることもない。
それは『花コン』でも語られていたことで、無機質というか無感情というか、人間に対して興味を示さない面があった。
それこそ『花コン』の序盤では人間の顔を覚えることすらせず、人類側の指し手であるオリヴィアぐらいしかきちんと記憶していなかったほどだ。
性別問わず『花コン』の主人公が活躍していくにつれて興味を持つが、それは主人公が光属性の魔法の使い手だというのが大きい。
同じく光属性の魔法が使える、オレア教の切り札たるメリアは表に出てこないため把握されていないが、主人公が活躍する――具体的にいうと小規模ダンジョンをクリアすると『魔王の影』に認識される。あくまで認識されるだけで、興味はまだ持たれないが。
そんな『魔王の影』と比べた場合、眼前のリンネはかなりイメージからずれる。
俺を個人として認識しているし、名前を覚えているし、カリンやアレク、先ほどのナズナに対してなど、何かしらの感情を見せる感性がある。
それなら『魔王の影』ではなく別の何かか、と思えるが先ほどモンスターを操るところを見たわけで。
(オウカ姫の性格……存在? 魂? が何かしらの影響を与えて人間っぽくなっている……のか?)
ここまで会話が通じるのなら、対話によって『魔王』の発生を防げるのではないか、なんて思えるほどにリンネには感情がある。あくまでリンネに対する印象としてそう思えるだけで、他の『魔王の影』は全くの別物って可能性もあるが。
(まあ、その辺は横に置いておくとして、だ……)
俺は打ち込みを誘うように剣先を軽く揺らしつつ、リンネを見る。前回もそうだったが、今回も唐突に現れたことがいまいち解せない。いや、今回は昨日の奇妙な気配がリンネで間違いないのなら、事前に観察されていたということになるのだが。
「聞きたいことがあるんだが……前回はともかく、今回はなんでここに来た? サンデュークの神童が気になったのなら、前回の戦いだけで十分だろう?」
答えるかはわからないが、聞くだけならタダだ。そう思って尋ねると、リンネは小さく首を傾げる。
「先ほども答えましたよ? 余興です」
それが何か? とでも言わんばかりに答えるリンネに対し、俺は思わず苦笑を浮かべてしまった。
「おいおい、それで誤魔化せると思っているのか? 俺はこう聞いているんだぞ? どうしてまた、俺に会いに来たのかってな」
前回の、王都で遭遇した時ならまだ理解できる。『魔王の影』が王都に侵入するという一大事を引き起こせば負の感情を得ることができるし、そのついでにサンデュークの神童と呼ばれた俺を見に来たのだと思えば筋も通る。
だが、今回は別だ。
『穏やかな風吹く森林』という、『魔王の影』にとって何の価値もないであろうダンジョンにわざわざ顔を出し、昨日の気配の持ち主がリンネなら二日に渡って滞在しているのだ。
そこまでやって余興と言われて、そうなのかと納得するのは無理だろう。
俺と斬り合ったものの、こうして会話に応じているところを見ればリンネの目的が俺にあるのではないか、と推測するのもおかしな話ではないと思える。
そんな意図を込めた俺の問いかけに対し、リンネはお面の口元に指を当てながら言う。
「あなたがとても興味深いから……それと、前回と比べてどれだけ成長したのか気になっちゃいまして」
「……『魔王の影』に興味を持たれるほど、特別な何かがあるわけじゃないんだがな」
前世の記憶があってこの世界には転生してきた、なんていうのはさすがに違うだろう。リンネがそれを知っていたらどうやって知ったのか、と新しい疑問が生まれてしまう。
かといってランドウ先生の弟子の成長が気になった、なんて点から会いに来たのだとすれば、とっととランドウ先生本人に会いに行けば良い、なんて話になる。
俺としてはランドウ先生に会わせたくないが、『魔王の影』ならランドウ先生の居場所を探し出し、会いに行くことも容易だろう。
俺のそんな言葉をどう思ったのか、リンネは小さく笑ってから声色を変質させる。
「あとは、そう――『召喚器』から召喚された男の子について」
「…………」
俺はピクリとも表情を動かさなかった。これまで受けてきた貴族としての教育がそれを実現させたが、内心には焦りの感情が浮かび上がる。
(おいおい……ずいぶんと的確じゃないか。『魔王』を倒し得る才能を持つ透輝を、『魔王の影』がこの段階で認識する? 俺は功績が目立ってたし、ランドウ先生の弟子だから認識されやすかったのだとしても、透輝は現時点じゃ光属性の魔法を使ってすらいないんだぞ?)
現時点の透輝を『魔王の影』が警戒するに足る理由はないはずだ。
『召喚器』から人間が召喚されるというのはたしかに珍しい……というか、俺が知っている限りだとこの世界でも初めてのことだろうが、召喚された透輝は現時点では素人同然の存在である。
召喚されて二週間足らずで自らの『召喚器』を発現し、『活性』の位階に至った点はたしかに非凡に映るかもしれないが……やっぱりそれも、『魔王の影』が警戒する理由としては些か以上に弱い。
しかし意味もなく名前を挙げるにはピンポイント過ぎる。もしかするとその程度の異常だろうと『魔王の影』は把握し、認識し、排除することで『魔王』の発生を早めてきたのかもしれない。
(……透輝を鍛える理由が、新しく増えたな)
まずはこの場を乗り切る必要があるが、可能な限り早く、可能な限り強く、透輝を鍛えなければ。人類にとって『魔王』への切り札になり得る存在を弱い段階で殺されては堪らない。
「でも、わたしとしては貴方の方が評価が高いですよ? 『サンデュークの神童』、『王国東部の若き英雄』、最近では『野盗百人斬り』でしたか……そう噂されるだけの功績、実力があるんです。未知数の英雄よりは……ね?」
「ハッ……未知数の英雄ねぇ」
俺は思わず、繰り返すようにして呟く。そんな呼び方をするってことは、まさか――。
「お前さん、まさか俺の同類か? いや、俺とは逆に『花コン』を潰すつもりか?」
透輝は突入したルートによっては英雄のような活躍を見せる。それを指して未知数の英雄と呼んだのか、と疑いながら尋ねた。
「……ハナ、コン?」
だが、予想外にというべきか、リンネは心底不思議そうな声を発する。
「転生したわけじゃないのか? あるいは……あー、なんだっけ? 異世界から転移してきた?」
前世でそういう単語を聞いた覚えがある。生まれ変わったのか、あるいはどこかの世界からこの世界に来たのか。
「テンセイ? イセカイ、転移……いまいち、よくわかりませんが……」
演技か、本気か。リンネは声にも困惑の色を乗せている。
(この世界は日本語が通じるし、英語も一部通じるのに……いや、待てよ? 転生って仏教だか他の宗教だかの言葉だっけ? この世界の宗教で俺が知っているのはオレア教だし、オレア教に転生の概念がない? だから通じないとか?)
今まで考えたこともなかったが、前世に存在してもこの世界には存在しない言葉があるのか。でもそれならなんで透輝を未知数の英雄なんて言った?
俺がそんな疑問を覚えていると、リンネはゆっくりと左右に首を振る。
「理解できない話より、楽しいお話をしましょうか。今日はわたし、貴方にプレゼントを持ってきたんです」
「……プレゼント?」
なんだ突然、と不思議がると、リンネはお面越しでもわかるぐらい、楽しそうな雰囲気を発した。
「――――――――」
そして、こちらに聞こえないほど小さな声で何事かを口にする。するとリンネの背後が突如として光り出した。
「っ!?」
視界を潰されないよう僅かに目を伏せ、リンネがどう動いても対応できるよう注意する。しかしリンネは動かず、何事かと思っていると奇妙な、なんとも形容しがたい気配がリンネの背後に集まっていく。
こちらから動いて仕掛けるべきか、待つべきか。そう逡巡したほんの数秒の間に、ソレは出現していた。
人体を遥かに上回り、数十倍でも足りるのかわからないほどの巨体。
肌や鱗の色は赤く、四肢で地を駆け、背中に生えた巨大な翼を使えば空すら飛べる威容。
『花コン』においては『魔王』や『魔王の影』、大規模ダンジョンの固定ボスモンスターを除けば、最強に近い強さを誇るモンスターの一角。
もしも中規模ダンジョンのボスモンスターとして出現すれば、その強さから多くのプレイヤーが操る主人公をゲームオーバーに追い込んだ元凶。
「まだ、倒したことがありませんでしたよね? だから呼び出しました」
そう告げるリンネの背後。そこに現れたモンスターを見た俺は、思わず笑ってしまった。
「おいおい……ここは大規模ダンジョンじゃないんだぞ?」
これまで見たことはあっても、倒したことはないモンスター。
ドラゴン系モンスターの一体――火竜がそこにいた。