第148話:再び その1
『穏やかな風吹く森林』は『花コン』におけるチュートリアルのダンジョンで、本当に難易度が低くて危険も少ない場所である。
そのはずだというのに、そんな危険が少ない場所で何故か今、『魔王の影』であるリンネと向き合っていた。
(まさか、とは思っていたんだが……)
昨日、途中から妙な気配があるとは思っていたが。まさか本当にリンネが出てくるとは思わなかった。
『魔王の影』ならダンジョンを操作し、本来出ないはずのモンスターを出現させたとしてもおかしくはない。小規模ダンジョンにボスモンスター以外で中級モンスターを出現させるというのも、『魔王の影』が手を加えれば可能なのだろう。
「モンスターにしては気配が大人しすぎると思っていたんだが……久しぶりだなぁ、おい」
「ええ……ふふっ、お久しぶりですね」
『瞬伐悠剣』の柄を右手で強く握りしめて己を律しつつ話しかけてみれば、どことなく嬉しそうな声で返事があった。リンネの傍にいる中級モンスター二匹の姿がなければ、旧友と再会したように見えなくもなかっただろう。
「若様、アレは……」
「以前話した『魔王の影』だ」
ナズナの声に短く返答し、相手の出方をうかがう。生徒達は大急ぎで農場へと撤退しているようで、送り届ければモリオンとアレクも加勢しに来てくれるだろう。
「アレが……少女に見えますが……」
「外見に惑わされるな。前回戦ったのは三年近く前だが、外見が全然変わってないぞ。髪の長さすら変わったように見えん」
リンネの姿を観察しながら答えるが、俺としても少しばかり驚きを覚えていた。
『花コン』だと『魔王の影』は不老の存在で、他者に化けられる一体以外は全員、外見が変わらない。そのため三年近く経っても髪の毛の長さすら変わっていないリンネを見ると、その外見の不変さで『魔王の影』だと確証を得ることができるんだが――。
(俺の予想が正しいなら中身はオウカ姫なんだろうけど……本当に『魔王の影』なんだな。というかチュートリアルダンジョンに『魔王の影』が出てくるなよ……)
俺は複雑な心境を誤魔化すように、そんなことを考える。
『魔王の影』と名乗っているが、俺としては純粋にリンネを敵だと思うことができないでいた。もちろん、『魔王の影』と化した彼女をランドウ先生に会わせるわけにはいかないし、悪事を重ねるぐらいなら俺の手で仕留めたいと思う気持ちもあるが。
「俺が斬ったお面、直したのか? 綺麗になってるじゃねえか」
今はとにかく、生徒が避難する時間を稼がなくてはならない。ワイルドベアやグリフォンをけしかける様子はないが、まずは会話で時間を稼ごう。
「そうでしょう? 自分で彫ってみたんですけど……似合っていますか?」
まるで新しい服でも自慢するように尋ねてくるリンネに対し、俺は口元を僅かに歪める。
「そのお面以外見たことがないからな。ま、似合ってるんじゃないか?」
「ふふっ……そうですか」
どことなく嬉しそうに聞こえるリンネの声色。それに小さな疑問を抱きつつも、俺はどうしたものかと思考を巡らせる。
(前回戦った時はお面は斬れたが、体自体は斬れなかった……今なら斬れるか? 斬れないとすればどんな仕掛けがある?)
『花コン』では様々な援護の魔法があるが、攻撃を完全に防ぎきるような魔法は存在しない。それは物理攻撃、魔法攻撃を問わず、味方の防御力を上げる、あるいは敵の攻撃力を下げてダメージを減らすことぐらいしかできないのだ。
速度を上げて回避すればダメージはゼロだが、前回リンネと戦った際、全力で斬撃を叩き込んだのに斬れなかった。間違っても回避されたわけではなく、その肉体に傷をつけられなかったのだ。
「きゃあああああああああぁっ!」
「うわあああっ! な、なんだぁっ!?」
そうやって思考を巡らせていると、農場に向かって避難を始めている生徒達から悲鳴が上がった。それを聞いた俺はリンネから視線は外さず、意識だけ後方に向ける。
(この音は……他にもモンスターがいたか? 剣を振ってる音もするが……この音は透輝か。チッ……モリオンとアレクなら大丈夫だと思ったが、前衛が足りんか)
おそらくは周り込んできたモンスターがいたのだろう。いくらモリオンとアレクがいるとはいえ、生徒の数が多かったため手が回っていないらしい。
「ナズナ、すぐに後方へ向かえ。ここは俺が抑える」
「し、しかし……いえっ! わかりました!」
ナズナは一瞬、俺の命令に反論しようとした。しかしすぐにそれを飲み込むと、後方へと駆けていく。
「あら……いいのですか? あの女が傍にいなくて」
「なあに、そこのモンスター共が邪魔だが、一対一は嫌いじゃないんだ。せっかくだから踊ろうぜ」
ナズナを指して、あの女と呼んだ瞬間に声色に滲んだ感情。そこに否定的な色を感じ取ったが、聞いても答えることはないだろう。
(カリンに対してもそうだったな……いや、カリンに向けるものよりはマシか? アレクに向ける警戒とも違うが……)
単純な殺気ではない、僅かながらも複雑さを感じる負の感情。それに疑問を覚えつつも、俺は現状を整理する。
(他の『魔王の影』は……いない、か? 前回と同じで単独行動……しかしこうしてモンスターを本来出ない場所に出現させた以上、『魔王の影』としての力はある……)
『花コン』の設定上では『魔王の影』は全員、大なり小なりダンジョンを操る力があった。『魔王の影』の中にはダンジョンの操作に特化した個体もいたが、中級モンスターを出現させる程度は『魔王の影』全員ができたはずである。
「踊るのは構いませんが……まずは貴方の今の力を見せてもらいましょうか」
そう言ってリンネが手をかざすと、それまで動かずにいたワイルドベアが一気に駆け出してくる。その後ろにはグリフォンが続くが、距離を開けて魔法による遠距離攻撃を行うつもりのようだ。
「ガアアアアアアアアアァァッ!」
その巨体を活かした、真っ向からの突撃。ぶつかれば何十メートルと撥ね飛ばされそうだ。巨木にぶち当たればそのまま圧し折りそうな勢いである。
まあ――当たれば、だが。
「邪魔だ」
交差し、すり抜けるようにして刃を一閃。真横から両断した俺はワイルドベアに一瞥もくれず、バチバチと音を立てながら『雷撃槍』の発射準備を整えたグリフォンへと視線を向ける。
木属性の中級魔法である『雷撃槍』は着弾した場所で弾け、周囲を巻き込む範囲攻撃だ。それでいて単体に直撃させることもできる使い勝手の良い魔法である。俺は使えないけど。
つまり、回避すると後方の生徒達に被害が及ぶ危険性があった。
「――ヒュッ!」
だから、斬った。
放たれた『雷撃槍』を『一の払い』で叩き斬り、そのまま霧散させる。上級魔法なら斬撃を飛ばして威力を減衰する必要があるが、中級魔法なら俺でも斬れるのだ。
そして剣に魔力を乗せたついでに、返す刃で斬撃を飛ばす。威力は軽く、速度を優先し、『雷撃槍』を両断したことで動揺しているグリフォンの視界を潰すための刃だ。
「ッ!? ゲギャッ!?」
狙い違わずグリフォンの眼球を切り裂き、視界を奪えたためそのまま踏み込む。瞬時に間合いを潰して剣を横に薙ぎ、グリフォンの首を斬り飛ばす。
「――それで? お前はこないのか?」
ワイルドベアもグリフォンもしっかりと仕留めたことを確認した俺は、剣を血振るいしながらリンネへと尋ねた。
すると、リンネはお面越しでも伝わるほどの喜色を滲ませながら拍手をしてくる。
「もう、中級モンスターでは相手になりませんか……すごいですね。どんどんあの人に近付いていってます」
「……近付けば近付くほど、その強さに圧倒されるけどな」
ランドウ先生のことを指しているんだろうけど、あの人の強さを肌で感じ取れるようになった分、あまりの強さに嫉妬すら起きないからな。
「いいえ、きちんと近付いてますよ。ふふふ……」
どこか嬉しそうに笑うリンネ。相変わらず解せない反応をする奴だ、と思いながら剣を構え直す。しかしすぐには斬りかからず、俺はリンネをじっと見た。
「一つ、聞きたいことがある」
「なんでしょうか?」
リンネは剣を抜くことすらせず、俺から十メートルほど離れた場所に立ち、こっちを見てくる。
今の俺なら一息で詰められる距離だが、以前と同じで刃が通らないのか、それとも瞬時に迎撃できるという自信があるのか。
「お前さんの目的だ。学園の、それも未熟な一年生のピクニックにわざわざ顔を出すなんざ、暇すぎねえか? 『魔王の影』ってのはもっとやることがあるだろう?」
『魔王』を発生させるため、裏で暗躍するのが『魔王の影』というものである。こうして『花コン』でのチュートリアルのダンジョンに顔を出すなんて、予想外にもほどがあった。
(どこの世界にチュートリアルで中ボスが顔を出すゲームがあるんだ……いや、前世でも探せばそういうゲームはあったか?)
透輝がカリンを押し倒すという、『花コン』でのイベントが発生した癖に。こうして予想もしなかったイベントまで押し寄せてくるなんてどうなっているのやら。やっぱり現実とゲームは違うってことなのか。
そんな疑問を抱きながらの問いかけに対し、リンネはクスクスと笑い声を漏らす。
「ふふっ……前回も言いましたが、余興みたいなものです。タイムリミットまで時間があるから遊びにきたんですよ」
「……ああ、そうかい」
『魔王』が発生するタイミングが変わっていなければ、タイムリミットまで三年も残っていない。そこに至るまでの暇潰しと言われれば、そうなのか、と思いつつも腹立たしいわけで。
「それじゃあ質問を変えようか。他の『魔王の影』は何をしているんだ?」
「さあ……それぞれ遊んでるんじゃないですか?」
「遊び、ねぇ……遊びで滅ぼされる側の人間としちゃあ、そのまま遊び呆けて『魔王』のことなんて忘れてほしいがね。それで? いつ頃『魔王』サマとやらは出てくるんだ?」
「いつでしょうかね……明日かもしれませんし、明後日かもしれません。もしくは一年後、三年後、十年後かもしれませんよ?」
情報を引き出そうと質問を変えてみるが、とぼけるようにはぐらかされる。まあ、素直に答えるなんて期待はしていなかったさ。
「そうかい。それじゃあ、少しでも発生を先延ばしにするために……そろそろ斬らせてもらおうか」
『瞬伐悠剣』の柄を握る手に、しっかりと力を込める。たしかに以前は斬れなかったが、俺も以前とは違う。ランドウ先生に師事し直して強くなったし、それを実感している。
前回戦った時、剣の技量はこちらがやや劣っていた。
身体能力は援護の魔法抜きなら俺が有利で、『召喚器』による強化なしなら俺が劣る。
戦いの経験値に関しては大規模ダンジョンでの修行でたくさん積んだ。今なら俺の方が上回っているだろう。
防具は互いになく、携えた一振りの剣を武器としての戦いだ。俺は予備の武器として短剣も持っているが、扱いは剣ほど得意ではない。
総合すれば、前回戦った時よりも俺の方が有利――のはずだ。
差があった技量は追いつき、追い越している可能性すらある。
本の『召喚器』のページが増えたことで身体能力が増し、援護の魔法抜きでも互角以上に動けるはずだ。リンネは『疾風迅雷』を使えるが、それ以上の援護魔法がないのなら最低でも互角の勝負に持ち込めるはずである。
そう自分を鼓舞し、剣を構えた。そんな俺の構えに応じるようにリンネも剣を抜き、ゆっくりとした動きで構える。
「――――」
「――――」
動き出したのは同時で、互いに無言で踏み込み、刃を交わす。牽制でもフェイントでもなく、一撃必殺の意志を込めて繰り出す斬撃は学園での決闘の時とは比べ物にならない鋭さがある。
当たれば必殺にして必倒。急所を狙い、筋を断ち、四肢を刎ね飛ばすような、加減抜きの刃の応酬だ。
風を切る音が連続し、一秒間に五回を超える刃金の交差。『瞬伐悠剣』とリンネの剣がぶつかり合う度に火花が散り、瞬間的に互いの顔を照らす。
(ッ……こいつっ!?)
そして、刃を重ね合わせるにつれて気付く。
前回のリンネなら既に斬り伏せているだろうに、互角で斬り合っている現状の異常さに。
前回は本気を出していなかったのか、事前に援護魔法をかけていたのか。
いや、違う、そうじゃないと思考が判断を下す。明らかに以前と比べて剣閃が鋭くなっているのだ。
「――以前戦った相手が成長しないとでも思いましたか?」
俺の思考を読み取ったように、リンネが言う。俺の考えを肯定するように、どこか楽しげに。
「ハッ――上等だぁっ!」
だから俺も歯を剥き出すように笑って、剣を握る手に更なる力を込めるのだった。