第14話:連鎖する問題 その2
「……突然だな、ウィリアム。気に入らない事態っていうのは?」
俺はナズナの父親――ウィリアム=ブルサ=パストリスへと尋ねる。
場所は俺の私室で、時刻は夕刻。ランドウ先生との訓練も終わり、今日の分の勉強も片付けたタイミングである。
ウィリアム以外、他には誰もいない。わざわざ訪ねてきたと思ったらナズナもアンヌさんも退室させ、一対一で話すことを求めてきたのだ。
ウィリアムはパストリス子爵家の当主にしてサンデューク辺境伯家の騎士団長を務める立場だ。領有しているブルサという町は先代の当主や親族に運営を任せ、本人は騎士団長としての職務に専念している。これはパストリス子爵家代々のことである。
年齢はレオンさんと同じで、その関係は俺やナズナと一緒だ。レオンさんが幼い頃から一緒に育ち、王立ペオノール学園にも共に通った忠臣にして重臣と言える。
レオンさんと同じく二十代の半ばを超えているが、ウィリアムの方が年上に見えた。ナズナの緑髪を更に濃くした色の髪を短く刈り、それでいて精悍な顔立ちをしていて顎髭を生やしているからそう感じるのだろう。
身長も高く、百八十センチを超えている。肉体も筋骨隆々といった外見で子爵という爵位を持っている割に生粋の武人と形容した方が適切に思えるほどだ。
なお、子爵といってもサンデューク辺境伯と違い、国王の直臣ではない。あくまでサンデューク辺境伯家の直臣であり、国王から見ればウィリアムは陪臣である。
俺からすると面倒臭い話だが、サンデューク辺境伯が保有する爵位の中に子爵位があり、ウィリアムの名前の中にあるブルサ――ラレーテと比べれば小さいものの、村と呼ぶには遥かに大きなその町を領有する者の証として授けられているのだ。
その辺りもアンヌさんから教わったけど、他所の直臣や陪臣に関しても知っておかなければ色々と困ったことになる。国王の直臣同士なら辺境伯と騎士を比べても爵位の違いこそあれど一応は同格になるが、直臣の騎士と陪臣の子爵では国王からの扱いも変わるからだ。
家臣の家臣は国王にとって家臣ではなく、命令権も存在しない。直臣こそが家臣であり、陪臣にはノータッチだ。ただし、優秀な陪臣に目をつけて直臣に引き上げることもあるみたいだけど。
直臣だろうと陪臣だろうと互いに敬意を払って接していれば問題は起きないが、世の中には陪臣だからと馬鹿にする輩もいるわけで……『花コン』での俺なんだけどね。
攻略対象のヒーローの中に陪臣の子がいるんだけど、見下したり馬鹿にしたりと好き放題して。最後はお約束のようにミナトが死ぬわけだ。
まあ、その辺りは今は横に置こう。問題は目の前のウィリアムだ。
ウィリアムに関して『花コン』では立ち絵どころか名前すら出ていない。しかしながらナズナの父親がサンデューク辺境伯家の騎士団長だという情報は出てくる。
ナズナの個別ルートではウィリアムが自分の息子や部下達と共にサンデューク辺境伯領の領民達を逃がしつつ、命がけで『魔王』や大量発生したモンスターを相手に奮闘し、主人公達が到着するまで時間を稼ぐという描写があったりする。
何故ウィリアムがそんなことになったのか? 答えは簡単で、ナズナルートだと東の大規模ダンジョンで『魔王』が発生するからだ。事前にダンジョンを攻略しておいてもナズナルートだと関係なしに確定で発生するあたり、俺からすると非常に困る。
『魔王』という規格外の存在に加え、ゲーム上の描写では『津波のよう』とまで評される規模のモンスター達。それらを前に奮闘し、最後の一兵に至るまで全滅するまで戦い抜く。
ウィリアムはそんな壮絶な最期が読み取れたことから、誰が呼んだか『名前のない英雄』というあだ名がプレイヤーの間でつけられた人物である。ついでに言うと、主君をミナトから主人公へと変えたナズナへの当て擦りとして『忠義の人』なんてあだ名もあったりする。
それらを思えば個人的にも尊敬できる人物だが、主家の嫡男である俺の方が立場は上になる。そのため敬語を使わずにいると、ウィリアムは真剣な表情で口を開いた。
「ランドウ=スギイシ……たしかに高名な人物なれど、サンデューク辺境伯家には多くの武人がおります。職務上私めが戦い方を教える時間的余裕はありませんが、わざわざ外様の人間に教えを乞う必要もありますまい」
そんな不満を口にするウィリアムに、あ、これ面倒臭い問題だ、と俺は察した。
ウィリアムが言う通り、サンデューク辺境伯家には多くの武人がいる。普段から俺やコハク、モモカの護衛に当たる兵士も手練れを選抜しているし、騎士として任命されている者もいるのだ。
当主の嫡男や他の子女を守れると見做されるほどの手練れ、あるいは騎士として認められる技量を持つ者ともなれば、ただの兵士よりも腕が立つ。わざわざランドウ先生に教えを乞うのではなく、そんな彼ら、彼女らに教えを乞うべきだというのは筋として正しいだろう。
(うーん……筋としては正しいんだけど、先生を連れてきたのはレオンさんなんだよなぁ……)
俺に言うな、レオンさんに言え――とは言わない。
わざわざウィリアムが、サンデューク辺境伯家の領地の治安を守るべく忙しい日々を送っている騎士団長がこうして進言しに来たのだ。そこには裏があり、意味がある。
「ウィリアム、それはお前自身がそう思っているということか?」
ナズナやアンヌさんと比べて交流があるわけではないが、ウィリアムの性格ならレオンさんかランドウ先生に直接言うだろうと判断できるぐらいには付き合いがあったりする。
つまり、今回の話の出所は別にある。そう判断して問いかけるとウィリアムはにやりと笑った。
「さて、どうでしょうな? こうして妻と娘を遠ざけてまで若様に直言するということは、相応の不満を持っていると考えるのが自然では?」
「ははは、それは逆だろう? あの二人がこの場にいたら、不満を持っているというのが本当になってしまうぞ」
試すような物言いに、俺はわざとらしく笑って返す。レオンさんもそうだけど、うちの家臣って遠回しに試すような発言が多いんだよなぁ……これって絶対嫡男としての教育の一環だろ。
「うぅむ……私程度の腹芸では騙せませんか。成長なされましたな」
「騙されたら俺が後で父上に叱られるだろう? それで、本題は?」
俺は座っていた椅子に背を預け、余裕があることをアピールしながら尋ねる。すると、ウィリアムは表情を引き締めてから囁くように言葉を紡ぐ。
「私も多少の不満があるのは嘘偽りない本音です。しかしながら、御当主様のお考えも理解できるため納得しております……が、現状に不満を抱えているのは若様の周囲にいる兵士達ですぞ」
「……そう、か」
思わず、といった感じで俺は声を出す。そこにあったのは納得であり、同時にウィリアムがわざわざ報告に来た理由を探すためでもあった。
ランドウ先生が俺の師匠になるまで、俺に剣の稽古をつけてくれたのは普段から護衛として周りにいる兵士達である。ランドウ先生みたいにボコボコにしてくることはないが、幼い子どもでしかなかった俺でも無理がない範囲で体の動かし方、剣の振り方を教えてくれた。
そんな兵士達の役割が、突然現れた外国の男に取られたのである。いくらランドウ先生が高名な人物とはいえ、悪く言えばぽっと出の人物に嫡男の教育者という役割を奪われればどう思うか。
(まあ、不満に思うのも当然だわなぁ……)
それでも俺に直接言ってこない点から、今の段階では兵士同士の内輪での話と見るべきだろう。見た目は幼い俺にランドウ先生に対する愚痴を吹き込んで排除しようとはしないあたり、お行儀が良いのかランドウ先生の技量自体は評価されているのか。
だが、俺の耳には入らずとも、騎士団長として軍事全般を担うウィリアムの耳に入るぐらいには不満の声が大きい、と。
どんな組織、どんな人物だろうと不平不満というのは必ず出るものである。前世で社会人をやっていた身としてもそれはよく理解できる話だ。
能力が低い者に対する嘲りもそうだが、有能な者に対する妬みも必ず出てくる。それは人間である以上仕方がないだろう。違いがあるとすれば、それを表に出すか出さないかだ。
(貴族の嫡男ってこういうことまで対処しなきゃ駄目なのか……面倒臭い立場だとは思っていたけど、人間関係のアレコレなんてトップじゃなくて現場でどうにかしてほしいぞ)
そう思いつつ表には出さない。今回の件は俺にも関係があり、どう対処するかでウィリアムからの評価も変動するだろう、という見立てが立つからだ。
不満をなくすのは無理だとしても、減らすにはどう答えるべきか。
(というか、こういう不満も負の感情なんだよな。今回は不満に思っている兵士の数も多そうだし、『魔王』の発生が前倒しになったら洒落にならん……)
サンデューク辺境伯家の嫡男としてもそうだが、将来『魔王』が発生する可能性が非常に高いと考えている俺からすると死活問題になりかねない。
前世だと貴族の嫡男みたいなボンボン、色々と自由にできそうで羨ましいなぁ、なんて思ったこともあるけど実際になると違うわ。若くしてストレスで禿げそう。あるいは胃に穴が開きそう。酒とか女とか麻薬とかに溺れて破滅する人がいたって話にも納得である。
「ウィリアム……いや、パストリス子爵にして当家の騎士団長よ。貴殿に問おう」
「はっ! なんなりと!」
あまり長く考え込んでもいられない。そのため俺は今回の件に関して問題点を脳内でピックアップし、それなりに説得力を持たせつつ辺境伯家の嫡男らしい姿を見せなければと口を動かす。
「当家はパエオニア王国の東部、その国境を預かる家だ。その当家の騎士団長たる貴殿はこの国でも有数……いや、五本の指に入る優秀な指揮官である。そうだな?」
「っ……身に余るお言葉です」
おっと、ヨイショが過ぎたかな? ウィリアムの顔に驚き半分、残り半分はよくわからない感情が出ている。でも多少大袈裟に褒める方が貴族的には正解ってアンヌさんにも習ったしなぁ。
「そんな貴殿が率いるのは、たとえかつての『魔王』が復活しようとも食い止めることができるであろう忠勇無双たる屈強の兵士、騎士達だ。その上で、敢えて問う」
一日という時間だけだが、『魔王』が発生してもモンスターの群れごと食い止めることができるという『花コン』における事実。それを知る俺は確信を込めて話すことができる。ウィリアムから見ても本音だとわかるだろう。
「それらの護衛を突破してでも俺を殺し得る者がいるとすれば――それはどんな人物だ?」
俺は嘘偽りは許さない、といわんばかりにウィリアムの目をじっと見詰める。するとウィリアムは数秒ほど考え込んでから答えた。
「そこまで信頼していただけるとは恐悦至極にございます。我々はたとえどんな相手だろうと、若様をお守りする所存であります――が、若様の問いにお答えするとすれば、それこそランドウ=スギイシ殿のように突出した技量を持つ手練れによる暗殺が候補に上がります」
俺を守ると言いつつも、俺が殺される可能性を挙げるウィリアム。俺の意図を見透かしてのことか本音かまではわからないが、ランドウ先生の名前を出してくれたことに内心で安堵する。
「俺もそう思う。この国屈指の指揮官にして武人である貴殿がいて、なおかつ優秀な兵士達が守ってくれたとしても、だ。世の中に絶対というものはなく、ごく僅かとはいえ危険性があるのならそれに備えておくことも必要だとは思わんか?」
ここで必要なのは実現の可能性ではない。今のところランドウ先生が俺を殺す理由はないだろうし訓練は厳しすぎるけど、案外優しくて甘いところがあると知っているから尚更だ。
だが、一緒に考えて納得できる理由を提示されて、それに頷いてしまえばあとは簡単だ。自分で考えて納得したことならば、多少の不満や理不尽は飲み込んで消化できるだろう。ブラック企業の手口みたいだけど。
「それは……たしかに、必要性があると思います」
ウィリアムは納得七割、といった様子で頷いた。それを見た俺はそれまでの偉そうな態度を脱ぎ捨て、敢えて軽く笑う。
「ウィリアム、泥棒が家に侵入するのを防ぐ手段を知っているか?」
「……は? あ、いえ、いきなり何を?」
前振りもなく話を変えた俺に対し、ウィリアムは困惑したように目を瞬かせた。それを見た俺はククッ、と小さく笑い声をあげてから大仰に両腕を広げる。
「簡単な話だ。泥棒の手口を知るんだよ。そうすれば対策が打てるだろう?」
前世でもよく聞いた話だ。泥棒に入られないためにはその手口を知る。それこそが素人でも安価で簡単にできる対策である、と。詐欺に引っかからないための対策と同じだ。
「つまり、そんな人物にこそ教えを乞うておけばいざという時の対応が取れるという話さ。それが先ほど言った備えだ」
俺はそう言ってランドウ先生に師事する理由を締め括った。もっとも、本当に暗殺を防げるかどうかは俺の努力と運次第だろう。だから、追加で言葉を付け足す。
「最初の一撃……それを防げればこちらの勝ちだ。あとは兵士や騎士達が俺を守り抜いてくれると確信しているからな。そうだろう?」
ランドウ先生が相手だった場合、仮に最初の一撃を防いでも無理だと思う。けれど、ウィリアムも武人としての矜持があるはずだ。俺にここまで言われて否定できるのか、どうか。
そんなことを考えながらウィリアムの反応を待っていると、何を思ったのかウィリアムがその場で突然片膝を突き、右手を胸へと当てて一礼した。
「手口を知る、すなわち戦い方がわかれば対策も取れる。若様の仰る通りです」
「……だろう?」
勢いで突っ走った感があるけど、どうやらウィリアムは納得してくれたらしい。ウィリアムが見せたのは『花コン』の世界における騎士の最敬礼だけど、嫡男相手とはいえ少し過剰じゃない? いきなり押しかけた詫びも込みだとは思うけどさ。
ウィリアムは数秒経ってから顔を上げると、その表情を柔らかいものへと変えた。
「しかし口惜しいですな……騎士団長の立場に在ることをここまで後悔したことはありません」
(えっ? いきなり何?)
ウィリアムの言葉に内心でビビりが入る俺。今の立場に後悔が、とか言われたら怖いんだが。
「私も若様を鍛え、教え、導いてみたかったですぞ。いやはや、妻が羨ましいです。妻は『若様は自分で勝手にお育ちになった』などと謙遜しておりましたが、見事、次代のサンデューク辺境伯を育て上げているようで……身内のことながら誇らしくも思います」
「……アンヌ母さんには俺も世話になっているし、いつも色々と教えてもらっているよ」
なんか以前にも似たような言葉を聞いた気がするな……でも色々と世話をしてもらってるし、この世界の常識なんかを教えてくれたのはアンヌさんだ。実の母はローラさんだけど、接した時間はアンヌさんの方が遥かに長いぐらいだし。
「娘の教育に関しては不手際が多いと思っておりましたが、私もまだまだ見る目が甘いですな。家庭を妻に任せきった男親の目は曇るようで……いや、お恥ずかしい」
「ナズナもよくやってくれているとも。それにウィリアムの職責の重大さ、困難さは皆が知るところだ。恥じることはないさ」
話がランドウ先生への不満から雑談に変わっていく。それを感じ取った俺はこっそりとガッツポーズをすると、それから数分ほど雑談に付き合ってからウィリアムを見送るのだった。
「――ぶはぁー!」
ウィリアムを見送った俺は、誰も部屋に入ってこないことを確認してから盛大に息を吐き出す。ついでに椅子の背もたれに全身を預け、ぐでーんと力を抜いて天井を見上げた。
(乗り切った? 本当に乗り切れた? あれで納得してくれたか? 大丈夫か?)
ウィリアムは納得した感じだったけど、それが本心からのものか見抜くことはできない。もっと年齢を重ねて経験を積めば可能かもしれないけど、今の俺には土台無理な話だ。世界が違えば常識も変わる。いくら前世の記憶があるといっても、前世の感覚で見抜くことはできない。
「あー……疲れたし胃が痛ぇ……」
精神的に疲れた。そして、それと同時に軽く凹む。
『嫡男たるもの、普段から周りのこと、家臣のことに気を配っておきなさい。今日は何もなかったが、明日には何かがあるかもしれない。それに気付いて対処できればいいが、気付かずにいれば後々大きな問題になることもある』
俺は、以前レオンさんから語られたことを思い出していた。屋敷の中を探索し、子どもの目線でいいから問題点を探せと言われた時のことをだ。
「……身についてなかったなぁ」
あの時のレオンさんの言葉は、きっとこういう時のためのものだったんだ。ウィリアムが来るまでランドウ先生に対する不満が出ているなんてろくに考えもしなかったのだから。
ランドウ先生の訓練が厳しかった、他にもやることがあった――そんな言い訳はいくらでも思い浮かぶ。だけど、それで放置して良い問題ではないのだ。
貴族ってのは本当に大変だ。これは本当に若くして禿げるか胃に穴が開くか、その両方か。
(ポーションって薄毛にも効くのか、明日ランドウ先生に聞いておこう……)
胃に穴が開いてもポーションを飲めば治りそうだが、さすがに薄毛には効かないかもしれない。そんな冗談を考えつつ、俺は見上げていた天井から視線を落とした。
今回の件はどうにかなった――かも、しれない。
だが、他にも周囲の人間が不満を抱えているかもしれないのだ。ランドウ先生に師事できたことで将来の死亡フラグは減ったと思うけど、俺の立場は思ったよりも大きく、重い。
俺が死ににくくなった代わりに、『魔王』の発生が早まって人類が滅亡する危険性が増したかもしれない。それはその時になるまでわからない時限爆弾みたいなものだ。しかも、時間が減ったか増えたか把握できない時限爆弾である。
(解決できるかわからないけど、『魔王』の発生を少しでも遅らせるために確認だけでもしておいた方がいいな)
今日もまた一つ学びを得た気分だ。でも、さすがに動くのは明日からにしよう。
ウィリアムと話している間にほとんど日が落ち、俺の気分みたいに暗くなっているから。
なお、翌日ランドウ先生に回復用のポーションは薄毛に効くのか尋ねたら、俺の頭頂部をじっと見つめて数秒経った後、珍しく心の底から申し訳なさそうに『すまん。さすがに知らねえ』、なんて答えが返ってきた。
その日の訓練が普段よりも少し優しく感じられたのは、きっと気のせいだろう。