第144話:野外実習 その3
「というわけで、これがモンスターの実物だ。獣系の下級モンスター、ファングウルフだな。攻撃魔法を使ってくることはないし、特殊な攻撃をしてくることもない。ただ、俺達人間からするとかなり低い位置を駆け回るし、動きも速めだから攻撃を当てにくい点には注意だな」
せっかくの機会ということで、俺は仕留めたファングウルフを見せながら簡単な講義を行うことにした。
「えぇ……ウルフって……さすが異世界。狼がいるんだな」
透輝が呆れたように、感心したように呟く。透輝? たしかに現代日本だと狼は絶滅していて存在しなかっただろうけど、世界中を見渡せばあちらこちらに生息していたはずだからな?
「見ての通り、そして名前の通り、牙が発達しているだろ? ファングウルフの攻撃方法は噛みつきだけだが、牙が大きくて鋭いからな。急所を噛まれたら死ぬこともあるから注意だ」
そう説明するが、仕留めたばかりで傷口からドクドクと血が溢れ出るファングウルフの姿を見て、一部の生徒は目を逸らしたり気分が悪そうにしていたりする。
「ついでに説明すると、この『穏やかな風吹く森林』で現在確認されているモンスターはファングウルフとホーンラビットだけだ。ホーンラビットの方は名前の通り、角が発達している。コイツの攻撃方法はシンプルに角での刺突だ」
俺はついでにとこれから遭遇するであろうホーンラビットに関しても説明を行う。こっちは兎を巨大化して鋭利な角をつけたような外見のため、見ればすぐにわかるだろう。
「ちなみに攻撃方法がシンプルな分、威力がある。槍で突かれるようなものだから、間違っても正面に立って攻撃を受けるなよ。こっちも当たり所によっては死ぬからな?」
体重が何十キロとある野生の獣が、槍を突き出しながら全力で飛び掛かってくるのと変わらないのだ。正面に立っていた場合、角が刺さらずとも衝突するだけで痛手になる可能性がある。
(というか、今の俺にとっては手頃な動く巻き藁みたいなもんだけど、攻撃をまともに喰らって当たり所が悪ければ死ぬっていうのは本当なんだよな……前世と比べれば命が軽い世界だけど、死ぬかもしれないのに護衛は先輩のみっていうのもスパルタというかなんというか……)
実際、今しがた先輩達の警戒網を突破されたわけだし、これで俺やナズナ達みたいに実戦経験者がいなければどうなっていたか。
(……いや、もしかするとわざと通したのか? こっちで対処できるし、一年生達の気を引き締めるのには丁度良かっただろうし……)
そう思って先輩達の様子を確認するが……うーん、わざとなのか本当に見落としたのかわからんな。まあ、仮に駄目だったとしてもこっちで警戒していれば問題は起きないし、起こさないが。
(こっちは実戦経験者が多めだから、今回護衛に参加した先輩達の中では腕が悪い面々を集めたとか? それなら他の一年生達が安全だって前向きに考えられるな)
そうやって良いところを探していると、興味深そうにファングウルフを見ていた透輝が挙手をする。
「ミナトせんせー、質問です」
「はい、透輝君。なにかな?」
授業の時のように先生呼ばわりされたため、俺もそれにノッて薄く笑って答える。
「今さっき、先輩達よりも先にこのファングウルフ? が近付いてくるのに気付いていたっぽいけど、どうやって気付いたんだ?」
「うーん、良い質問ですねぇ……それでは透輝、逆に聞くけどどうやって気付いたと思う?」
「えっ? えー……近付いてくるのが見えた?」
質問に質問を返して恐縮だが、俺が尋ねると透輝は首を傾げながら答える。
「それもある……が、答えは気配を探って見つけた、だ」
「……気配を……探る?」
「そうだ。目で見て探すのも選択肢の一つだが、音や匂い、空気の揺れ、殺気の有無……それらを探ることで相手の位置を割り出したわけだ」
気配を探るっていうのは根拠もなく相手を見つけられる技術じゃない。五感を使って様々な情報を得て、そこから相手の位置を探っていくのだ。
逆に気配を隠すには足音や呼吸音、衣擦れの音まで消し、動きを止め、なおかつ物陰なんかに潜むと気付かれにくい。当然ながら殺気なんかも全て抑え込む。
「……ミナトせんせー、音とか匂いはまだわかりますけど、殺気ってどうやって感じ取るんですか?」
「……慣れ?」
ごく自然と説明していたけど、たしかに殺気ってどうやって感じ取るんだろう。俺もランドウ先生の指導を受けている内に自然と感じ取れるようになったから、どうやって、と聞かれると返答に困ってしまう。
「相手が殺気を放ってくると、肌がピリピリと震えるような感覚がするだろ? それだ」
「それか……どれだ……」
透輝がなんとも言い難い、微妙な顔をしている。まあ、君なら才能の塊だからすぐに感じ取れるようになると思うよ。
「そうだな……こんな感じだ」
そう言って俺は透輝に向かって殺気を叩きつける。具体的には『瞬伐悠剣』で真っ二つにするという思いを視線に乗せる。
「っ……えっ? 何だこれ、怖っ!?」
最初は戸惑っていた透輝だが、やがてはっきりと殺気を感じ取れたのだろう。慌てた様子で俺から距離を取った。
「感じ取れたか? 今のが殺気だよ」
「お、おう……すげえな、ミナト。殺気を操れるなんて漫画の人間みたいだ……やべぇ、これが達人ってやつか、こえぇ……」
せっかくだからと透輝を指導してみると、当人には若干怖がられてしまった。それと透輝? 俺みたいなギリギリ一流の人間で驚いていたら本物の達人の殺気を浴びると死ぬぞ?
「ちなみに、本物の達人の殺気を浴びると気絶することもあるから俺はまだまだだ」
「ははは、うっそだー」
「ははは、実体験だよ。俺に殺気を向けたわけじゃなかったけど、首から上が刎ね飛ばされる光景が頭に浮かんで軽く気絶したからな」
冗談だろ、と笑う透輝に俺も笑って答える。冗談だと思うだろ? 実話なんだよなぁ。
そうやって簡単な講義をしていると、俺の感覚に引っかかるものがあった。動きはファングウルフよりも遅い……ホーンラビットか。
「先輩、そっちの方からホーンラビットが近付いてきているんで通してください」
「えっ? 嘘だろ? ってうわっ! マジか!?」
慌てた様子でホーンラビットの進路上から飛び退く先輩。するとその数秒後、鋭利な角を突き出しながらホーンラビットが駆けてくる。
そんなホーンラビットの姿に、生徒達が慌てたように後ずさるのが聞こえた。うん、逃げるつもりなら後ずさるんじゃなくて横に逃げような。
「丁度良いな……っと!」
前に出るとホーンラビットが飛び掛かってきたため、横にズレつつ下からホーンラビットを蹴り上げる。するとホーンラビットの体が一回転、二回転と空中で縦に回転し、そのまま地面へと落下した。
『グルルルルルル……』
しかし手加減して蹴ったからか、あるいは獣らしい頑強さがあるのか、地面に落下したホーンラビットはすぐに起き上がって威嚇するような声を上げる。俺からすると微弱な殺気だが――。
「というわけで、これがモンスターの放つ殺気だ。ホーンラビットは獣系モンスターの中だと最弱だからわかりにくいかもしれないけど、強いモンスターほど殺気も強くなると思ってくれ。中には殺気を隠せるモンスターもいるだろうから殺気の強さだけで判断するのは危険だけどな?」
「な、なるほど……」
「わかるような、わからないような……?」
ホーンラビットから目線を外さずに解説をすると、数名から返事がある。まあ、すぐにわかるものでもないか。
「せっかくの機会だ。透輝」
「えっ? な、なんだ?」
「アレを斬ってみろ。君の『召喚器』なら当てさえすれば勝てる相手だ」
とりあえずホーンラビットを殺気で牽制しつつ、透輝にそう促す。いやぁ、探すつもりだったけど、ホーンラビットの方から来てくれるなんて助かるわ、なんて思いながら。
「アイリス殿下に良いところを見せたいとは思わないか?」
「だからそういう話の振り方やめろって! 退けないじゃんか!」
俺の言葉を聞き、透輝が前へと出てくる。そして意識を集中して数秒かけて剣の『召喚器』を発現したが……。
(うーん……発現が遅いな。せめて一秒は切らないと実戦だと使い物にならんぞ)
透輝の『鋭業廻器』は最上級に分類される『召喚器』だが、当然ながら発現していなければ相手を斬ることはできない。俺の『召喚器』みたいに発現していなくても身体能力を強化する、みたいな効果があれば話は別なんだが。
「透輝、『召喚器』はもっと早く発現できるようになりたまえ。今の状態だと発現するよりも先に斬られるぞ? 少なくとも俺ならそうする」
「お前みたいな達人はその辺にゴロゴロといないだろ! いるの!?」
「俺が達人だとしても腕前は下の方だから、俺以上の達人は多分その辺にいるぞ」
「いるんだ!?」
異世界怖えぇ! なんて叫びながら『鋭業廻器』を構える透輝。多分だからな? 少なくとも学園に限ってもコーラル学園長にメリア、オリヴィアと勝てるかわからない相手が複数いるし。
(……へぇ……決闘した時よりも構えが良くなっているな……)
俺が知らないところで訓練をしたのか、あるいはたった一度の決闘で腕が磨かれたのか。剣を構える透輝の姿が少しばかり堂に入っている。まあ、まだまだ隙があるし素人の域を出てはいないんだが。
「それじゃあ殺気を解くぞ。好きなように戦ってみてくれ」
「殺気を解くって何!? ああもうっ! かかってこいやぁっ!」
開き直ったのかヤケクソなのか、剣を構えて透輝が叫ぶ。するとそれに反応したようにホーンラビットが狙いを透輝へと変えた。
『ガァッ!』
「えっ!?」
ホーンラビットが地を蹴って加速し、透輝に向かって跳躍する――と、いかんな。
「両腕に力を込めて踏ん張れ!」
透輝の反応が思ったよりも遅く、ホーンラビットの突撃を回避する余裕がなさそうだったため指示を出す。
「っ!」
透輝目掛けてホーンラビットが角を突き刺そうと頭から飛び込み、『鋭業廻器』と角が激突する――が、まるで鋭角なものに水を垂らしたように、ホーンラビットの角が綺麗に両断されていく。
(さすが主人公の『召喚器』……まだ『活性』程度の段階だろうに、切れ味がとんでもねえわ……)
ホーンラビットは飛び掛かった自らの勢いで角が両断され、そのまま頭部から胴体にかけて真っ二つになっていく。透輝は必死に両腕に力を込め、押し倒されないように足を踏ん張っているが……これじゃあ実戦とは言えないか。
しかし『鋭業廻器』の切れ味はすごいもんだ。俺が使う『瞬伐悠剣』も名剣だが、さすがにアレに勝るかと聞かれると答えに窮する。いや、『瞬伐悠剣』は唯一無二の愛剣だがね?
「か、勝った……のか?」
結果的にホーンラビットを真っ二つにした透輝が、確認するように呟く。まあ、勝ったといえば勝ったんだろうけど……。
「そうだな、君の『召喚器』の勝利だな。普通の剣だったら弾かれて今頃串刺しだっただろうが……その剣の切れ味に感謝するといい」
俺は透輝が変な自信をつけないよう、そう釘をさす。今のは相手にとっても事故みたいなものだろう。ホーンラビットとしても、まさか『鋭業廻器』にあれほどまでの切れ味があるなんて考えもしなかったはずだ。
「うっ……い、今のじゃ駄目、か?」
「繰り返し逆に尋ねて申し訳ないが、今のできちんと勝てたと胸を張って言えるか? アイリス殿下の目を見て、敵を倒したと宣言できるか?」
「できま……でき、で、でき……できねえわ! でもさすがに今のは事故みたいなもんだろ!?」
うーん、なんだかんだで正直というか、真っすぐというか。アイリスの前だと格好つけたいってだけかな? 俺としては大歓迎だよ。
「と、いうわけで……透輝が悪い例を実演してくれたが、ホーンラビットの正面に立つと今みたいなことになる。透輝の『召喚器』があったからこそ無事だったが、普通の武器なら弾かれてそのまま角が刺さるか、角を弾けてもホーンラビットの体で押し倒されていただろう」
実戦経験がない生徒達に向かってそう解説すると、その多くが無言で頷く。
「ついでに言えば、透輝の倒し方だと返り血を浴びるから倒した後も大変だぞ? 血の臭いでこちらの位置がバレるようになるし、不衛生だ」
「うわっ! 本当だ!? 焦って気付かなかった! あ、アイリス? 水の魔法? で洗い流してくれ!」
「は、はいっ!」
透輝の言葉を聞き、アイリスが慌てた様子で『水弾』を優しく透輝へぶつける。五月だから肌寒いってこともないし、水を浴びてもすぐに風邪をひくことはないだろうが……即断即決すぎるな。
「ちなみに、こうして水をかけても獣系モンスターなら血の臭いを嗅ぎ分けるから注意しろ。臭いを消すならダンジョン内に生えている香りが強い植物を探して塗るか、最悪、泥をかぶれ」
「教えるのが遅くない!? もう水をかぶっちゃったんだけど!?」
「何も聞かずに動く方が悪い。ほら、まだこの辺にいるから今の内に着替えてこい。濡れたままだと風邪をひくぞ」
「へーい……」
俺が苦笑しながら促すと、透輝は肩を落としながら農場の方へと歩いていく。
いやはや、経験を積ませるのも大変だ……なんて、その背中を見送りながら思うのだった。