第142話:野外実習 その1
舞踏会も終わり、落ち着いた日々が戻ってくる――なんてことはなく、同じ週の金曜日から土曜日にかけ、野外実習が行われることとなっていた。
この野外実習、貴族や騎士、錬金術師など、各科の者達が将来関わることになるダンジョンへ実際に赴き、中に入ってモンスターと戦ったり、錬金術に使う薬草を採取したりと、一応は実戦を想定した実習になっている。
一泊二日ではあるがさすがにダンジョン内で寝泊りはせず、ダンジョンの傍でテントを張って寝泊りするというキャンプみたいな側面もあるイベントだ。
前世でも中学校や高校に入学してすぐの頃、集団生活を学ぶために泊りがけで社会教育施設を利用することがあったが、それと似たようなものだろう。
野外実習で使用するダンジョンは王都から北西方向へ約十キロメートルほど進んだ場所にある、『穏やかな風吹く森林』と呼ばれる小規模ダンジョンだ。
『花コン』でも最初期に登場する固定ダンジョンで、そのダンジョン名が指す通り、非常に難易度が低い優しいダンジョンになっている。
広さは直径で二キロメートル程度と小規模ダンジョンの中でも特に小さく、出現するモンスターも獣系の下級のみ。ホーンラビットやファングウルフといった魔法も使わず、ステータスも低く、特殊な能力もないモンスターだけが出現するダンジョンだ。
森林と名前につくだけあってダンジョンの中は木々が生い茂っているが、このダンジョンでは回復ポーションの材料になる低品質から中品質の薬草が育ちやすいため、常に人の手を入れて管理されている。
ダンジョンが大きくならないようモンスターを間引きし、ダンジョンの中に管理小屋や畑を作って薬草を栽培し、それでいて学園の実習にも使えるよう面積の三分の二程度は自然な状態で残してあるという、ダンジョンと呼んで良いのかわからない状態になっているのだ。
そんな『穏やかな風吹く森林』まで徒歩で移動し、ダンジョンの傍にテントを張って生活の準備を整え、ダンジョンの中に潜って可能ならモンスター相手に実戦を経験したり、薬草を採集したりと、ダンジョンという場所を実際に体験するのが目的のイベントだ。
ダンジョンは学園を出発して街道を進めば徒歩三時間とかからない場所にあるため、金曜日の朝に出発し、昼前に到着して昼食を取り、テントを設営したらダンジョンに潜る。そのあと一晩を明かし、土曜日の午前中にもう一度ダンジョンに潜ったら学園に帰還というスケジュールだ。
一学年全員で行く泊りがけの遠足と思えば間違いはないだろう。いや、ダンジョンでは一応モンスターが出るし、下手したら死ぬから遠足っていうほど気楽じゃないか?
それでも護衛として二年生や三年生の騎士科の中から成績優秀な生徒がついてくるし、ダンジョンに入って単独行動でもしない限りは安全なはずだ。
テントなどの物資は現地に用意されているから、何なら手ぶらで行っても良いぐらいには楽な行事である。さすがに着替えなんかが必要だから本当に手ぶらで行く奴はいないだろうが、俺としては一日ぐらいなら何も物資がいらないと思えるぐらい簡単な行事だ。
(まあ、要は遠足なんだよな)
そういうわけで出発の当日。列を作ってゾロゾロと歩きながら街道を進みつつ、俺はそんなことを考える。
王都が近いということもあって野盗はそこまで警戒しなくて良いし、そもそも一学年だけで三百人を軽く超える数の集団を襲うとすれば、よっぽど大規模な野盗集団になるだろう。
それでも一応、騎士科の先輩達が先行して斥候をしているし、後方にもついて背後からの強襲を警戒している。おそらくは先輩達の実習も兼ねているのだろう。
生徒は全員普段の授業で使用するものとは異なる特別な体操服――実習服と呼ばれる服を着て、着替えや飲み水、携帯食料等が入ったリュックを背負っている。その上で騎士科の生徒や貴族科の中でも戦闘が得意な者は武器を携帯していた。
実習服は道着みたいな頑丈さを維持しつつも着心地を両立させた特別製で、長ズボンに長袖と野外での活動を考慮したものとなっている。防刃とまではいかないが引っ張っても簡単には破れず、戦闘に耐える造りとなっていた。
(しかし小規模ダンジョン……小規模ダンジョンかぁ……しかも『穏やかな風吹く森林』って『花コン』でもダンジョンのチュートリアルで行くダンジョンなんだよな……)
久しぶりにダンジョンで実戦ができる、なんてテンションが上がることもなく、俺はリュックを背負い直しながら街道を進んでいく。
『穏やかな風吹く森林』はゲームでプレイする分には本当に難易度が低く、ゲームオーバーになろうとしても防具を外してひたすらモンスターの攻撃を受け続ける、なんて真似をしないと無理なぐらいには出てくるモンスターも弱い。
間違っても異常成長した中規模ダンジョンや東の大規模ダンジョンみたいな難易度はなく、モンスターが大量に押し寄せることもなく、闇属性魔法を使ってこちらを即死させてくるようなこともない。というか敵は下級の魔法すら使ってこない、物理攻撃一辺倒のダンジョンだ。
ダンジョンの基点となっている大木を破壊するとダンジョンも破壊できるが、『穏やかな風吹く森林』は国が管理しており、基点の周辺は立ち入り禁止になっている。間違っても侵入しないよう、わざわざ壁を築いて兵士が見回りをしているほどの厳重ぶりだ。
そんな簡単なダンジョンだからか、どうにもテンションが上がらない。修行にはならないなぁ、とか、モンスターも弱いしなぁ、なんて思うといまいち気が乗らないのだ。
(いかんいかん……そういう油断が死を招くからな。気を抜かないようにしないと)
それでも、ダンジョンであることに変わりはない。『魔王の影』が何かしら手を加え、『王国北部ダンジョン異常成長事件』みたいなことが起きる可能性もあるのだ。
(いや、本当にその可能性があるか? 『花コン』で言えばダンジョン関係のチュートリアルイベントだぞ? チュートリアルでダンジョンが異常成長してプレイヤーを殺しに来るようなゲームはただのクソゲーだろ)
もちろん現実でそんな配慮がされるとは限らないが、『魔王の影』も学生の遠足イベントに干渉するほど暇ではないだろう。まあ、人数が多いから負の感情を発生させるという点では意味がある……か?
(あるか? いや、ないな。『穏やかな風吹く森林』を異常成長させたとしても限度があるだろ。昔ならいざ知らず、今ならナズナやモリオン、アレクの手を借りれば中規模に成長したダンジョンだろうと強行突破できるしな)
もちろん大人数を連れての強行突破は無理だが、少数精鋭で基点を破壊しに行くのなら余裕を持って実現できる。仮にボスモンスターが出現したとしても、仕留めるための戦力は十分だ。
それに、ダンジョンを管理する兵士なども駐屯しているし、異常成長させたとしても『穏やかな風吹く森林』は王都に近い。半日と経たずに救援が駆け付けるだろう。
『王国北部ダンジョン異常成長事件』の時はダンジョンが広く、町や村の守る範囲も広く、人口も多かったが、ネフライト男爵のような強者を竜騎士に運ばせれば短時間での救援も可能だ。
『王国北部ダンジョン異常成長事件』では救援物資を運んだり、村人等を避難させる必要ができた場合に備えて人手が必要だったり、そもそもダンジョンが広いため少数での救援は厳しかったために軍隊での救援を必要としたが、守るべき民も場所もないのなら少数の強者を投入すればそれで足りるだろう。
そう考えると、『魔王の影』が何か仕掛けてくる意味も利点もなく、今回は本当に遠足になる。そこに何か意味を持たせるとすれば――。
(待てよ? 透輝を連れてダンジョン内を探索して、モンスターと戦わせてみるか? 実戦経験を積ませるって意味じゃピッタリの難易度だしな)
戦えるとすれば下級の獣系モンスターだけだが、生き物を斬る経験を積ませるという意味では有用だ。そういう意味だと亜人系モンスターがいれば人型の生き物を斬る練習にもなったんだろうが。
(いや、人型かどうかは関係ないか。まずは斬ることを教えないとな)
ゲームの主人公らしく追い込めば追い込むほど輝くかもしれないし、天才らしく鍛えれば鍛えるほど強くなるかもしれない。
あとは以前から考えていた、『花コン』で発生するイベントが現実でも発生するかの確認もできる。今回の場合はカリン関係のイベントになるのだが、普通に考えれば起こり得ないし、起きたら何かしらの強制力が働いている、なんて考えた方が良いかもしれない。
俺は周囲を警戒するように見回し、アイリスと並んで歩く透輝をチラリと眺めつつ、そんなことを思った。
そうして徒歩で移動すること三時間弱。
野盗が襲ってくるようなこともなく、天気が崩れるようなこともなく。予定通りに移動して『穏やかな風吹く森林』まで辿り着いた俺達は各科ごとに整列していた。
『穏やかな風吹く森林』から三百メートルほど離れた場所にはいくつもの建物が存在し、ちょっとした村みたいな規模になっている。
ダンジョン内で活動するための物資やダンジョン内で得た物資を保管する倉庫があったり、アイテムを錬金するための工房があったりと、村というよりは工場みたいな雰囲気だ。
テント類が大量に用意されているのも学園だけでなく、王都の新兵がダンジョンという場所に慣れるために利用することがあるかららしい。
『穏やかな風吹く森林』の周囲には起伏がないだだっ広い平原が広がっており、そこにキノコでも生えたようにダンジョンが生えている。生徒達はそのダンジョンを見て、口々に言葉を交わし合っていた。
「わたし、ダンジョンに入るの初めてなんだけど……」
「強いモンスターは出ないんだよね?」
「安心しろって。何が出ても俺が守ってやるからさ」
「野外で宿泊するのって初めてなんだけど、虫とか出ない?」
ダンジョンに関する興味八割、テントでの宿泊に関する興味二割といったところか。こうして興奮気味に話すあたり、貴族科だろうと年頃の子どもだってことだなぁ。
「なあなあミナト、ちょっといいか?」
そうやって周囲を観察していると、透輝が話しかけてきた。その表情はどことなく浮かれているように見える。
「俺、ダンジョンって初めて入るんだけど、ミナトは大規模ダンジョン? っていうヤバいところにも行ったんだろ? 何か気を付けることってあるのか?」
「気を付けること、か……」
ふむ、と俺は思案する。こちらから話しかけて誘導しようと思っていたが、透輝の方からせっかく話しかけてくれたんだ。この機会を活かすとしよう。
「これから入る『穏やかな風吹く森林』は……まあ、正直なところそこまで危険じゃない。出てくるモンスターは弱いし、小規模だから宝箱からミミックが出てくることもないし、基点を破壊するタイプのダンジョンだから強いボスモンスターが襲ってくる、なんてこともない」
話していて、なんて簡単なダンジョンなんだ、なんてことを思う。ミミックも即死魔法もボスモンスターが襲ってくることもないなんて、お手軽過ぎるわ。いやまあ、どちらかというとそれが普通なんだけどさ。
「ただし、出てくるモンスターが弱いといっても油断すれば怪我をするし、最悪、死ぬかもしれない。このダンジョンだけに限らないが、ダンジョンでは気を抜かない、油断しないことが大切だ」
「気を抜かない、油断しない……」
「そうだとも。透輝、君はアイリス殿下に召喚された、彼女を守る盾であり、剣でもある。油断は禁物だ」
そう言って、俺はニッコリと笑う。
「ただ、個人的な意見としてはこのダンジョンは初陣にはうってつけの難易度だ。透輝、君さえ良ければモンスターと戦ってみないか?」
「えっ? モンスターと?」
「ああ。事前に調べたところ、このダンジョンに出るモンスターは下級の獣系モンスターだ。しかも下級の中でも弱い部類しか出てこなくてね。生き物を相手に戦う経験を積むには丁度良いだろう」
「事前に……調べた? ミナトって本気で戦えば滅茶苦茶強いんだよな? それなのにわざわざ調べたのか?」
うん、前世に調べたんだよ。ゲームで何周もしてね?
「透輝、よく覚えておくといい。精査する必要こそあるが、正確な情報っていうのはいくら持っていても困らないんだ。逆に情報がないと苦労するからね……これは実体験さ」
『王国北部ダンジョン異常成長事件』の時は本当に苦労したからな。出てくるモンスターの種類、ダンジョンの広さ、ダンジョンの破壊方法等々、全て手探りだった。その上で防衛の指揮を執っていたんだから本当に大変だった。
「そ、そうなのか……なんかすげぇな。俺、ピクニックの延長ぐらいにしか考えてなかったよ」
「まあ、今回の場合はその認識でも間違ってはいないさ。難易度的にはピクニックの延長だよ。ちょっと危険な場所に立ち入って、時折人を襲う猛獣が出てくる程度のピクニックだからね」
「……そう聞くと、やっぱり危なくないか? え? このダンジョンって本当に大丈夫か?」
おっと、今の話を聞いて楽観するんじゃなくて警戒するのか。おかしいな、透輝の性格なら楽観すると思ったんだけど。
「なあに、本当に危険ならこうして実習の場に選ばれたりはしないさ。それに、貴族科には実戦経験を積んでいる者が複数いる。今しがた提案したように、君に実戦経験を積ませられる程度には余裕があるとも」
そう言いつつ、俺は透輝と一緒にいたものの会話に入りにくそうにしているアイリスへ視線を向けた。
「はとこ殿、貴女もどうですか? 貴女が召喚した、貴女の剣が戦うところ……見てみたくはないですか?」
「あっ、ちょ、やめてくれよミナト! そんなこと言われたら俺、退けないじゃんか! 可愛い女の子の前だと格好つけちゃうだろ!?」
うん、君のそういうところ、『花コン』云々関係なく好きだよ。見ろよ、可愛い女の子なんて直球をぶつけられたアイリスが素で照れてるぞ。もっと照れさせてくれ。そして好感度を上げてくれ。
「ははっ……それなら是非、格好をつけてもらわないとな?」
そう言って笑いつつ、思った。
――俺、やっぱり悪役っぽい立ち回りしてるな、なんて。