第140話:舞踏会 その3
「準備が整ったようじゃな。それでは諸君、これより一年生の舞踏会を開始する」
コーラル学園長のそんなシンプルかつ短い挨拶を皮きりに、舞踏会は幕を上げた。
こういったイベントでは生徒会長も挨拶をするものだが、今年の生徒会長は一年生のアイリスである。二年生、三年生の舞踏会にも出席して挨拶をすると負担が大きいため、コーラルが挨拶を引き受けていた。
(アイリスが二年生、三年生の舞踏会にも顔を出したら本当に負担が大きくなるからな……)
なにせ王女である。それも婚約者候補がいないフリーの、王位継承権第四位の王女である。
仮に二年生、三年生の舞踏会にも顔を出していたらダンスの申し込みで長蛇の列ができ、大混乱に陥っていたに違いない。挨拶だけしてすぐに下がる、というのは立場的にできないのだ。
王女とダンスを踊ったことがある、なんていうのは男にとって一生の自慢の種だ。婚約者候補がいる男子生徒だろうとダンスを申し込む可能性があるし、万が一にもアイリスと懇意になれれば婚約者候補との関係を破棄してアイリスに乗り換える、なんて者もいたかもしれない。
それほどまでに王女という立場は強いのだ。だからこそ、最初にアイリスと踊るのが誰か、なんてのは注目されるのだが。
(客観的に考えると、角が立たない選択肢にはとこの俺も含まれるんだよな……俺はカリンがいるから受けられないけど、実績があるから文句もつけにくいだろうし)
遠目に、ダンスのための礼服ではなく普段通り制服を着た透輝がアイリスに向かって右手を差し出すのが見える。事前にアイリスから言い含められていたのだろうが、完全にダンス素人だからか、透輝の顔は緊張で強張っていた。
一応、空き時間に簡単なステップは教えておいたし、アイリスも踊り慣れているだろうから上手くリードするだろうが……。
(っと、いかんいかん、そろそろ始まるからカリンのところに……)
軽く、さりげなく身だしなみを整えつつ、カリンの元へと歩み寄る。するとカリンが俺に気付いて目を見開き――。
「えっ、み、ミナト様……ですか?」
「え? ミナトだけど……」
名前を聞かれたので素で答える。何をいまさら……あ、そうか、髪をかき上げてオールバックにしているからか。髪型を変えると印象も変わるよね。
そんなことを思いつつ、俺はカリンの格好を見る。錬金術で作られた燃焼時間が非常に長い蝋燭を何十本と立てたシャンデリアによって照らされた、その姿を。
舞踏会ということもあってドレスを着ているが、真紅にも見える髪色を映えさせるためか補色となる青緑を基調とした色合いのものを着ている。
裾の長さは床にギリギリ届くか届かないか、ダンスシューズを履けば綺麗に足回りが隠れる長さとなっており、現在のカリンの体形に合わせて作られたというのがわかる。
美人は何を着ても美人に見えるものだが、ドレスを着たカリンは普段の美しさをより際立たせているように思えた。
「――美しいよ、カリン。ドレスが実によく似合っている」
だからこそ、俺は直球で褒めた。こういう時に言葉を飾る必要はないだろう。綺麗なものは綺麗だと褒めれば良い。
「っ…………ほ、本当にミナト様でした……」
どういうこと? いつも褒める時は自分なりにきちんと褒めてるつもりなんだけど……あ、褒めたからわかってもらえたのか。いや、ここはちょっとからかってみるか。
「おいおい、ひどいな。少し髪型を変えただけでわからなくなるなんて……悲しくなってしまうよ」
俺が悲しそうな表情を作ってそう言うと、カリンは慌てたようにパタパタと手を振る。
「ち、違いますっ! その、普段にもまして顔立ちが……す、素敵でしたので、つい……」
恥ずかしそうに頬を赤らめながらカリンが言うが、顔立ちが普段より怖かった、の間違いではないだろうか。もしくは俺が先に褒めたから褒め返してるだけ?
そんなことを思いつつ表情を元に戻すと、それを見たカリンが何故か安堵したように微笑む。
「やっぱり、本物のミナト様でした……真っすぐに褒めてくださって、それでいてちょっとだけいじわるですもの」
えぇ……俺ってそんな評価なのか? 意地悪……意地悪かな? からかおうなんて思っちゃったし、意地悪か。
「ははは、ごめんごめん」
俺は軽く、それでいて声色には心からの謝罪を込めて謝る。そして音楽隊をチラリと見て、ダンスの始まりが迫っていることを確認した。
「それでは御嬢様。お詫びというわけではありませんが、私めにリードさせていただけますか?」
芝居がかった口調でそう言いながら一礼して右手を差し出すと、カリンは目を瞬かせてから破顔する。
「――喜んで」
俺が差し出した右手に、己の右手を重ねて微笑むカリン。その笑顔を合図としたように音楽が流れ始め、ダンスが始まったのだった。
前世ではダンスなんて縁がなかった俺だが、今世だと貴族としてダンスは必修科目である。前世でやったことがあるダンスなんて運動会のフォークダンスと夏祭りの盆踊りぐらいだよ……盆踊りをダンスに含めて良いのかわからないけどさ。
そんな俺だが今の立場に生まれ、小さい頃から練習を重ねてくればそれなりに踊れるようになる。あくまでそれなりで、ダンスも剣術と同じで凡才なんだろうな、と思える出来だが。
ただまあ、ずっと剣を振って体を動かしてきたから、ダンスのステップはそれなりに見れる形になっていると思う。ステップというより足捌きっていう方が適切かもしれない。
それでもゆったりとした速さで奏でられるワルツに合わせ、カリンの動きと呼吸に自分のものを重ね合わせる。ついでに周囲の気配を探り、他者とぶつかることがないようカリンの動きをリードしていく。
フロアはそれなりに広いが、ダンスを踊る生徒の数も相応に多い。モリオンのように興味がなくて踊らない生徒もいるため生徒全員が躍るわけではないが、ぶつからないように注意しながら踊る方が無難だろう。
かといってそれで動きが縮こまっていると周囲から下手なダンスだと思われるため、周りに注意しつつ、動きにメリハリをつけつつ、動作を時折大きくしつつ、カリンと踊る。
(普段はナズナが練習相手だから、さすがに違和感があるな……)
幼い頃からダンスを練習してきたが、その練習相手はナズナだった。そのため阿吽の呼吸というべきか、ナズナが相手なら目を瞑っていても踊れる程度には慣れているのだが。
ナズナよりも若干高い身長、動きの癖、そして緊張しているのか妙に硬い動き。それらを感じ取りつつも上手くカリンをリードして――っと。
「っ……」
背後からぶつかってきそうな気配があったため、クルリとターンして回避。他の生徒の隙間を縫うようにしてステップ、ステップ、ターン。俺一人なら簡単に回避できるが、踊りながら、カリンをリードしながらとなると中々難易度が高い。でもその難しさが楽しくもある。
そうやって振り回すような動きをカリンに求めていたからか、徐々にカリンの動きから硬さがなくなっていく。俺の動きに身を委ねるような、非常に滑らかな動きになっていく。
「…………」
「…………」
互いに無言で、しかし動きが合って、呼吸が合って。思ったよりも短い時間で息がぴったりと合う。うん、思った通りに踊れると楽しいんだよな。カリンの動きから完全に硬さが抜けたからか、俺も更に動きやすくなった。
「楽しいな、カリン」
肩を抱き寄せつつ、笑いながら言う。するとカリンも笑って……って、なんで動きが硬くなるんだ? どうした? なんか負担をかける動きをしちゃったか?
そんなことを思うが、カリンの動きから判断した感じだと別に怪我をしたとか、足を捻ったとか、そういったことはなさそうだ。
(おっと、危ないな)
大勢で踊っていることもあり、ぶつかりそうになることがちらほらとある。周囲の生徒達もぶつからないよう練習しているはずだが、ここまで大人数で踊ることは滅多にない……というか初めてだからか、勝手が違うようだ。
時に止まり、時にステップですり抜け、時にカリンを抱き寄せ――あ、スペースが狭いからちょっと強めに。
「ひゃっ」
抱き締めるわけではないが、ちょっと強めに肩を抱き寄せたらカリンが小さな声を上げた。少しばかり近かったかな?
「すまない。人が密集しているからぶつかりそうでな」
「い、いえっ、だ、大丈夫……ですよ?」
本当? なんか大丈夫じゃない言い方じゃない? まあ、普段はこうして手を取り合って息がかかる距離まで近付くことがないからか? あるいは、やっぱり普段の態度は演技で、こうして一緒に踊ったり近付いたりするのが嫌とか……。
しかしそれを本人に聞くわけにもいかず、俺は笑顔を浮かべたままでカリンをリードして踊っていく。
ワルツは一曲当たり五分もかからず、三分から四分程度。最初に本命の相手と踊ったら、あとは続けて踊ったり休憩したり別の人に誘われたら踊ったりと、休憩する人が入る分、ここまでぶつかりそうになるぐらい人が溢れることはなくなる。
これが学園以外での舞踏会ならここまで穏やかではないというか……踊りながら会話して相手を見定めてと、お見合いみたいな側面があったりする。
今回の舞踏会も婚約者候補がいない場合、将来結婚したい相手をダンスに誘う生徒もいるだろうからお見合いか婚活か。舞踏会という華々しそうなイメージとは裏腹に、ちょっと、いやかなり? ドロドロとしそうな要素を秘めてもいる。
それでも今はきちんとカリンをリードして踊り切ることに集中し、一度も周囲と接触することなく、最後まで踊り切る。うん、体は鍛えているつもりだけど、剣術とは違った疲れがあるな。
一曲踊った俺は少し息を切らしているカリンと目線を合わせ……うん、どうする? もう一曲踊る? 同じ人と何度も繰り返して踊り続けるのはマナー違反だったりするけど婚約者候補同士だし、その辺は緩い。
「では、その……もう一曲、お相手いただけますか?」
「いくらでも」
どこか恥ずかしそうに頼んでくるカリンに、俺は笑って返すのだった。
カリンと二曲続けて踊ったが、さすがに息が乱れてきたのかカリンはギブアップ。俺の方はまだまだ余裕があるが、カリンが離れるとすかさずナズナが距離を詰めてきた。
「若様、次はわたしと踊っていただけますか?」
そう言って右手を差し出してくるナズナ。カリンと同様にドレスを着込んだその姿は、普段の格好を見慣れているからか非常に新鮮に見える。
きちんとダンス用に仕立てられた濃い赤紫色のドレスを身に纏い、足元もダンスシューズを履いたその姿はどこからどう見ても貴族の御令嬢にしか見えない。いやまあ、子爵家の娘だから貴族の御令嬢で合ってるんだけどさ。
(馬子にも衣裳……は褒め言葉じゃなかったな。鬼に金棒? なんか違うなぁ……)
褒め言葉を脳内で探すが、いまいちピンとくるものがなかった。そのためナズナの手を取りつつ、飾ることなく言葉をぶつけることにする。
「普段と違い過ぎて見違えたな……綺麗だよ、ナズナ」
「ぁ……ぅ……」
直球で褒めると、ナズナは小さく呻くように声を漏らしながら固まってしまった。別に固まるようなことは言ってないだろ。
「わ、若様も! その、普段以上に……素敵です、よ?」
「ははっ、ありがとう」
疑問形で言われると本当かと疑ってしまうが、ナズナの様子から判断する限り本心で言ってくれたのだろう。顔が真っ赤だ。
(髪をオールバックにすると胡散臭いというか、より悪役っぽい感じがしたんだけどな……)
鏡を見た個人的な感想だが、普段が強面ならオールバックは胡散臭さが加わり、怪しさ満点だ。これが物語なら裏で暗躍して主人公を誘導したり、罠に嵌めたりしそう……あっ、俺のことじゃん。主人公を誘導してたわ。
そんなことを考えつつ、音楽が始まったためナズナをリードしていく。といっても昔からダンスの練習相手だし、特に意識することなく踊ることができて――って硬い硬い。なんでナズナの動きがこんなに硬いんだ? 俺とのダンスは慣れているはずなのに、カリンより踊りにくいぞ。
「どうした? ずいぶんと動きが硬いが……緊張しているのか?」
ナズナの肩を抱き寄せつつ、周囲に聞こえないよう小声で囁くように尋ねる。するとその声が聞こえたのかナズナの顔というか、耳が真っ赤に染まって……どういう原理でそうなるの?
「よ、よくよく考えてみると、若様と練習以外で踊るの、初めてだなって……そう思ったら緊張が……」
そう言って上目遣いで見上げてくるナズナだが、その表情は言葉の通り緊張で硬くなっていた。
えぇ……そっちから踊りたいって言ったのに、いざ踊ると緊張するの? なんて思ったが言葉にはしない。まあ、そういうこともあるよね、なんて心持ちでナズナをリードしていく。
結局、ナズナの緊張をほぐすのに一曲使い、カリンと同じくもう一曲踊ることでなんとか普通に踊ることができたが……。
(昔から数えきれないぐらい一緒に踊ってるんだし、本番だからってあそこまで緊張しなくても良いと思うんだけどな)
そう思ったものの、ナズナは俺の初陣の時もそうだったが、いざ本番というタイミングになると緊張する傾向にあった。戦闘に関してはそれもなくなったが、こういったダンスなどの衆目に触れる行事は慣れないのだろう。
(でもまあ、これでなんとか乗り切った……ん?)
カリン、ナズナと二人とも二曲連続で踊り、さすがに少し疲れた。それでも次に俺と踊ろうとする子はいないだろう、なんて思ったら俺の前に予想外の人物が立つ。
(…………なんで?)
俺は眼前の人物を見て、思わずたっぷりと時間をかけて内心でそんな呟きを漏らしてしまった。
「…………」
そこには、無言で俺の前に立ち、自分と踊ろうといわんばかりに右手を差し出すメリアの姿があったのだった。