第138話:舞踏会 その1
王立学園へ入学し、一ヶ月の時が過ぎて五月を迎えた。
前世だとゴールデンウィークがどうとか、五月病がどうとか言われていたが、この世界だとゴールデンウィークはなく、五月病に関してもとんと聞かない。
前世ならゴールデンウィークの期間だろうと学園は平常運転で、この世界だと祝日も年末年始に固まっている。『魔王』を『封印』したことを祝い、平誕祭と呼ばれるお祝い事が行われるのだ。平和の誕生を祝う祭りである。
この平誕祭、『花コン』でいえば十二月四週の次の週から二週間かけて行われ、年末と年始が一週間ずつある、という認識でいれば間違いない。そうして年末年始が過ぎれば新年となり、一月一週が始まるのだ。
そんなわけで五月の頭だろうと祝日はなく、普通に授業が行われるわけだが、学園では二つのイベントが行われる予定になっている。
それは舞踏会と呼ばれるイベントと、野外実習の二つだ。
舞踏会は文字通り、踊る。パートナーや婚約者候補、親しい相手を誘い、曲に合わせて踊るダンスパーティーだ。もちろんこれから親しくなりたい相手を誘っても良いし、友人ぐらいの関係で踊るのもアリだ。
『花コン』だと好感度が100以上の異性のキャラクターとダンスを踊るイベントで、その時点での好感度が最大値の半分を超えていることを知らせてくれるイベントである。
一年目だとどう頑張っても好感度を100以上にするのは難しいため、主人公はアイリスだけと踊ることになる。アイリスも特定の相手と踊ると問題になるため、自分の『召喚器』が呼び出した主人公と踊るのは丁度良かったりするのだ。
そしてもう片方のイベントである野外実習だが、これはオリエンテーションの一環というか、一泊二日で学園の近場にある小規模ダンジョンに行き、実際にダンジョンに入ってみるという宿泊研修イベントだ。
ただしこのダンジョン、本当に小規模で狭く、出現するモンスターも下級の中でも弱い部類のものばかりである。それもこれも学園の実習のために徹底的に管理がされているからで、ダンジョンの中では錬金術に使う素材が栽培されているほどだ。
それでもダンジョンということに変わりはなく、一応、このイベントがダンジョン関連のチュートリアルになっている。ダンジョンの探索方法や素材の入手の仕方、モンスターの出現方法など、その辺りをプレイヤーに説明するためのイベントだ。
このイベント以降、主人公の行動の選択肢の中に『ダンジョンに挑む』という項目が増え、実際にダンジョンに挑めるようになる。
イベントで発生する固定マップのダンジョンや、出現するモンスターやアイテム、マップがランダムで決定されるローグライクなランダムダンジョンなど、いくつかのパターンに別れていた。
ちなみにだが主人公がパーティを組んで各キャラをダンジョンに連れていくと、好感度が微増する。普通に交流イベントを起こすよりも少ない上昇値だが、お気に入りのキャラクターでパーティを組むとそのルートに入りやすくなるのだ。
ただし、パーティメンバーのHPがゼロになると戦闘不能となり、好感度が微減する。主人公のHPがゼロになると『宝玉』を消費して復活し、三つの『宝玉』全てを使い切った状態でHPがゼロになると死亡でゲームオーバー、つまりバッドエンドになる。
現実的に考えるとパーティメンバーのHPがゼロ……ほぼ死んでいる瀕死状態と思えば好感度が微減する程度、むしろ優しいのではないだろうか。
ゲーム序盤は回復アイテムが必須だし、回復キャラであるアイリスも必須だが、好きな人にとってはその辺りのやりくりが非常に楽しく思える難易度だった。
そんなわけで舞踏会と野外実習があるわけだが――。
(舞踏会はまだしも、野外実習は主人公の性別が男の場合、連動してカリン関係のイベントが発生するんだよな……ゲームならともかく、今の状況ならどうだろう……)
『花コン』と比較した場合、俺とカリンの仲は良好だ。実はエミリーを斬った件で嫌われていてそれを完璧に隠していた、なんてことがなければ、だが。
いやもう本当に。一緒にお茶を飲んだ時もはにかむように微笑んでいたけど、その裏で恨まれていたらカリンの演技力に戦慄すると共に、膝を突きそうだ。
無論、エミリーを斬ったことに関して謝罪するつもりはないし、そのこと自体を後ろめたく思う気持ちはない。それはエミリーに対する侮辱に他ならないからだ。それに、恨むなら恨めと言って斬ったのは俺である。前言は撤回できないししない。
そんなわけで俺から見るとそれなりに仲が良いカリンだが、『花コン』の野外実習イベントだと主人公との間に俗にいうラッキースケベイベントが起きるのだ。
まあ、ラッキースケベというと語弊があるかもしれない。たまたま躓いた拍子に透輝がカリンを押し倒し、それを見たミナトが立場上透輝に決闘を挑む、なんていうのがイベントの流れだ。
約三週間ぶり、二回目の決闘である。そしてミナトは再び透輝に負け、落ち始めていた評判が更に落ちることになるのだが――。
(ゲームだと気にならなかったけど、そのパターンだとさすがに透輝の方が悪いな……起こると知っていれば防げるタイプのイベントだし……というか、『花コン』だとカリンがミナトの評判を落とすために透輝に決闘を挑ませるんだよな)
『婚約者候補が押し倒されたのに何もしないのですか?』って言われたらミナトとしても決闘を挑まざるを得ないわけで。透輝は申し訳ないと思いつつも自分自身の身を守るために戦い、決闘に勝つわけだ。
そしてミナトは婚約者候補が押し倒されたのにその屈辱を晴らせなかった男として、下がり始めていた評判が一気に下がる。
透輝を弁護するなら本当にうっかり躓いた結果であり、狙ってカリンを押し倒したわけではない。後々わかることだが、押し倒されたカリンの方が即座にこの状況は使えると判断し、透輝を利用した形になる。
(でも現実でそれをやったら、透輝を飛び越えてアイリスが頭を下げないといけない事態だよな……さすがに他所様の婚約者候補を自分が召喚した人間が押し倒したら、なぁ……)
ゲームだからこそ決闘騒ぎで流されたが、実際にはアイリスが謝罪してもおかしくない事態である。まあ、起こるかわからない、未来のことを考えても仕方がないが。
(とりあえず目先の舞踏会を乗り切るか……乗り切るっていっても別にやることはないけどさ)
婚約者候補であるカリンを誘い、ダンスをするだけだ。一応、本命の異性と踊った後にダンスに誘われたら礼儀として応える必要があるが……俺相手にダンスを申し込む子はそんなにいないだろう。いてもナズナぐらいか?
準備に関してはダンス用にタキシードを用意する必要があるが、数少ない荷物の中に礼装があるから問題ない。あとは最近練習していなかったから、事前にダンスのステップぐらいは練習しておいた方が良いかな? って感じだ。
なお、俺は男だから服装に関しては楽だが、女子生徒は実家が貴族なら自分のドレスを持ち込み、そうでなければ卒業生が後輩のために残してくれた使い古しのドレスを着ることになる。
それが嫌なら制服で参加だ。まあ、男女ともに制服姿で踊るのは割と見栄えが良いし、学生らしくてむしろ青春してるなって気持ちになるが。
そんなこんなで、男子生徒は割とのほほんと、女子生徒はダンスパーティに向けて真剣ながらもどこか浮ついたような空気を放ちつつ、日々が過ぎていく――が。
「…………」
「…………」
「…………」
授業が終わって放課後になったが、教室にいるとこう、なんか無言で視線を向けられているんだが……しかもじーっと見てくるわけではなく、時折チラっと視線を向ける感じだ。まるで、何かを期待するように。
(視線は……カリンとナズナはいいとして、なんか他のクラスメートからも見られてる? リネット嬢からも見られているような……)
しかも女子生徒達の雰囲気が男子生徒にも影響を及ぼしているのか、浮ついているというか、誰が誰をダンスに誘うか目線で牽制し合っている。
影響がないのは舞踏会がどういう催しかわかっていない透輝と、こんな時でも我が道をいくモリオン、それとアレクぐらいだ。
モリオン、君は子爵家の次男といっても能力が高いんだから、婿としてどこかの家に入る選択肢もあるんだよ? 舞踏会はそのチャンスを掴むためのものでもあるんだよ? 興味がない? そっかぁ……。
舞踏会は二日後の水曜日、授業が終わってから予定されている。月曜日は三年生、火曜日は二年生が行う予定で、三日間にわけて行うってわけだ。
ちなみに婚約者候補や意中の相手が別の学年にいる場合はそっちに参加しても良いし、その辺りは割と緩やかだ。男子生徒の中にはナンパ目的で三日間全てで参加する者もいるみたいだが、そういう男子生徒は女子生徒の間で情報共有が行われ、結果として全員から拒絶されるらしい。
そのため基本的に本命の相手は一人に絞るのだが、貴族といっても思春期の男女である。きっかけさえあれば声をかけられるのだろうが、先陣を切る者がいなければ動きにくいようだ。普段なら動けるんだろうが、今回は女生徒達の雰囲気が普段と違い過ぎて気圧されているのだろう。
それを察した俺は仕方ないなぁ、と椅子から立ち上がり、カリンの元へ足を運ぶ。
「美しいお嬢さん。今度の舞踏会で私と踊ってくださいませんか?」
そして片膝を突きながら右手を差し出し、カリンを舞踏会のパートナーとして誘う。婚約者候補同士だが、それを表に出さずに誘うのが一種の礼儀だ。関係的に俺が誘うことに問題は何もない。これで周囲も動き出すだろ。
「は、はい――喜んで」
カリンは目を見開いた後、頬を朱色に染めながら照れた様子で俺の右手を取ってくれる。良かった、これで『花コン』みたいに『お断りですわ』と言いながら右手を弾かれていたら、本気で凹むところだった。
そうやって俺がカリンをダンスに誘ったのが影響したのか、教室のあちらこちらで男子生徒が女子生徒に声をかけ始める。
こういうのは早い者勝ちで、女子生徒側が承諾したらそれで終わりだ。中には女子生徒の方から誘っている子もいるが、それは男子生徒と婚約者候補同士なのだろう。
「…………」
だからナズナ? 俺の背後に立って無言で視線を向けてくるのはやめてくれ。さすがに婚約者候補を置いて誘えるわけがないからな?
「わたしの後で良ければナズナさんもミナト様と踊られますか?」
おっと、カリンがナズナに対して声をかけた。えーっと……それは善意からの発言だよな? 婚約者候補と踊った後ならナズナと踊っても問題はないし……善意だよな? カリンの前で俺の方からナズナを誘うわけにはいかないし、気を利かせて声をかけてくれたんだよな?
「いえ、わたしは本番の前に若様のダンスの練習の相手を務めようと思い、お声がけしようと思ったところでして……どうか、お気になさらず」
カリンの言葉ににっこりと笑顔で答えるナズナ。うん、そうだね、幼い頃からダンスの練習相手だったし、本番前に練習をするっていうのも妥当な提案だよね。でもその笑顔、何か含むところがあるよね? え? ない? 本当?
「まあ……わたしと一緒に踊るミナト様のために、そんなことをしていただけるなんて。お気遣いに感謝いたしますわ」
うふふ、あはは、と朗らかに……これ朗らかって言っていいのかな……カリンとナズナが言葉をぶつけ合っているけど、立場上、この場から離脱するわけにもいかない。
ある意味で貴族らしい会話をする二人だが、直接問題のある発言をぶつけ合っているわけでもなし。婚約者候補と幼馴染みが言葉のナイフを突き付け合っているだけだ。
「あら……モテモテねぇ、ミナト君。アタシもダンスのお誘いを申し込んじゃおうかしら」
助け船を出してくれるのか、アレクが近付いてきてそんな言葉をかけてきた。そのため俺はすぐに反応する。
「それは構わないが、その場合どっちが女性側で踊るんだ?」
「アタシ、女性側のステップもバッチリよ?」
「さすがだなぁ……」
本当に踊れるんだろうけど、普通に感心しちゃうわ。
「ダンスは何よりも相手と息を合わせることが大事だもの。アタシ、その辺は自信があるわ」
そう言ってウインクをしてくるアレクだが、その言葉は俺ではなくカリンとナズナに向けてのものだろう。一緒に踊る俺が置き去りになっている、と指摘しているのだ。
それに気付いたのか、カリンとナズナはぶつけ合っていた言葉を止める。そして気まずそうに視線を逸らした。
「はっはっは、女性に取り合っていただけるなんて男の本懐だよ。舞踏会が楽しみというものさ」
アレクの言葉に感謝しつつ、軽口を叩いてみる。ここは冗談でもいいから軽めに流す方が吉だと思ったのだ。そうしないと長く引きずりかねない。
ただし、そんな口の軽さとは裏腹にズキリと胃が痛み、俺は大きなため息を吐き出すことなく飲み込むのだった。