第13話:連鎖する問題 その1
目が覚めたらランドウ先生とのやり取りが夢だった、なんてこともなく。
疲れていたのか丸々一晩ぐっすりと眠った俺は翌朝、ランドウ先生に練兵場へと連れ出されていた。本当に容赦がないわこの人。
「疲れは残ってねえな? 今日からしばらくの間戦い方を教えていく。本当は朝から夜中までやりてえがレオンがうるせえし、他に勉強することもあるからな……ほどほどに教える」
俺、知ってる。そのほどほどって、普通にきついやつだって。下手すると死ぬやつだって。
「ほどほど、ですか?」
でも一応は確認しておく。俺の勘違いって可能性もあるからね。一縷の望みだろうけど。
そんな風に考える俺をどう思ったのか、ランドウ先生は俺の目をじっと見る。
「ミナト、お前ら貴族が戦場に出て直接戦ったり、ダンジョンに挑んでモンスター相手に剣を振ったりする機会は多くない。というか、普通の戦場で貴族が直接剣を振るう事態になってたら既に負け戦だろう。ダンジョンに関しては……」
そこで一瞬、ランドウ先生は何かを思い出すように遠い目をした。
「何が起きても不思議じゃない場所だ。お前の家で管理しているダンジョンを潰すこともあるだろうし、戦場よりもダンジョンの方が剣を振るう事態に遭遇する可能性が高い」
「それは……はい、そうですね」
『花コン』だと王立学園の授業の一環としてダンジョンに挑むし、条件を満たせば大規模ダンジョンに挑むこともできた。
だが、それ以外でとなると仮にも貴族で指揮官になるであろう俺が直接剣を振るう時っていうのは、敵にそこまで接近されている状況なわけで。たしかにそれは負け戦か、よっぽどのイレギュラーな事態に遭遇したか。
ただし『魔王』が発生したら大量のモンスターが襲ってくるから、個人の武勇も必要なんだよな。
「お前みたいに武を揮う貴族ってのは厄介な立場でもある。部下を率いる立場上ある程度の武勇や統率力を求められたり、暗殺されたり、あとは決闘を挑まれたりだな。一対一、あるいは少数相手に戦う機会ってのはそれなりにあるだろう」
はい、『花コン』でも主人公相手に一対一で戦う機会があります。そして仮に主人公に勝っても、その後のストーリーイベントで逆転勝利されます。
「だから俺が教えるのは死なないための戦い方……つまりは防戦の技術だ。勝つことよりも負けないこと、攻撃をしのぐことを念頭に置いた戦い方を主に教える。お前は立場上、護衛が近くにいることも多いだろうから、負けずにいれば周囲の助けがあるだろうしな」
俺の性には合わねえが、とランドウ先生が呟く。でもちょっとだけなら攻め方を教えてもいいよな、なんて追加で呟いてる。怖い。絶対にちょっとじゃない。
「そういえばお前、『召喚器』を出してたな。能力はわかってるのか?」
「それがわからないんですよね。本型なので魔法系か補助系だと思うんですけど」
俺は自分の『召喚器』を出す。『花コン』だと剣だったのに、なんで本になったんだろうか?
そんなことを考えながら何気なくページをめくる――と、あれ?
「また絵が増えてる!?」
「あん? 何があった?」
首を傾げるランドウ先生に俺の『召喚器』を開いて見せる。そこには昨日、ランドウ先生を相手に啖呵を切った俺の姿が描かれていた。
「なんだこりゃ? 昨日の試験の時の……絵?」
さすがのランドウ先生も困惑した様子である。そのため俺は以前のナズナの時の出来事と共に、『召喚器』の白紙のページに絵が現れることがあると説明していく。
「聞いたことがないタイプの『召喚器』だな……絵が増えるとどうなる?」
「よくわかってないんです。以前より体が動かしやすくなっている気がするので補助系の効果だと思いますが、魔法が苦手だからそっちを補う効果かもしれませんし……この本、頑丈なのでこの見た目で盾かもしれませんし」
絵の枚数が増えていけば詳細にわかるのかもしれないが、増える条件がわからない。
ナズナにリボンを渡した件は『花コン』でもあったことだ。しかし、ランドウ先生に弟子入りを認められたのは『花コン』ではなかったことである。
俺の印象に強く残ったことが『召喚器』に記されている可能性もあるが、それならコハクやモモカとのあれこれも載りそうだし、今のところ本当によくわからない『召喚器』だ。
「身体能力を向上させる補助系の可能性……つまり、予定より仕込んでも大丈夫か?」
待って、ランドウ先生がまた怖いこと言ってる。予定より仕込むってなに? そこはかとなく不安を煽られるんですが?
「ま、わからねえもんは仕方ねえ。まずは訓練を始めるか」
俺の不安に気付かなかったのか、あるいは無視したのか。ランドウ先生は二本用意していた木剣のうち一本を俺に渡してくる。
「まずは様々な状況、体勢での剣の振り方、体の動かし方を教えていく。つまり基本的な動作だな。お前はまだまだ体が小さいし、筋肉も少ない。だからまずは徹底的に基本を仕込む。俺が軽く打ち込むからそれを防ぐ訓練も必要だな」
真剣な表情でランドウ先生が言うけど、俺としては驚いている。基本から仕込むなんて、まさかそんな真っ当なことを言われるとは思わなかったのだ。
体一つでダンジョンに放り込まれて、一週間ぐらい一人で生き延びろ、なんて言われても驚かない自信があったんだが。
「どんな技でも基本の延長線上にあるからなぁ……あとは組み討ち術や体術、それと柔術と投擲術だ。剣がないと戦えない、なんてのは甘えだと思え」
え? あの、剣術だけじゃないの? あれ? 剣術ってその辺も含むんだっけ?
「それと夜間や雨の中、室内だろうと問題なく戦えるようにする。そこまで仕込めばその辺の雑魚にゃあ負けねえだろ」
それって必要? いや、ランドウ先生の基準で言えば必要なんだろうし、本気で戦い方を学ぶのなら必要だとは思うんだけど……。
「先生、俺、他の勉強もあるんですが」
「安心しろ。時間が限られている分、密度を高める」
「安心の要素がないですよ!?」
思わず叫ぶと、ランドウ先生は少しだけ口の端を緩めて笑う。
「冗談だ。レオンからもほどほどにしてくれって言われてるからな。俺もこの屋敷にずっといるわけじゃねえから、基本を叩き込んだあとは空き時間を使って自己鍛錬に励め」
「な、なるほど。そういうことですか」
どうやら冗談だったらしい。いやですよもう先生ったら、冗談が下手なんですから。
「納得したな? それじゃあ早速始めるとするか」
「はいっ!」
俺は気合いを入れて木剣を構える。眼前のランドウ先生は間違いなく人類の中でも屈指の強者で、そんな人物から教えを受ければ将来生き残ることができるかもしれないのだ。
死にたくないから強くなる。そんなシンプルな理由だが、それぐらいで丁度良いのかもしれない。
そう思った俺だったが、先ほどの冗談が『密度を高めて短時間で訓練を行う』という部分だけが冗談で、それ以外の話は全部本当だったと知って地獄を見るのはまだ先のことだった。
冗談が下手なランドウ先生との訓練が始まり、一週間の時が流れた。
充実こそしているものの痛みと疲労と筋肉痛に悩まされる毎日だったが、それ以外にも俺の頭を悩ませる問題が勃発している。それも複数だ。
まず一つ、ナズナの様子がおかしい。
普段から一緒にいることが多いナズナだが、ここ最近、俺と目が合うと申し訳なさそうに逸らしたり、悲しそうに表情を歪めるのだ。今もまた、俺の部屋で束の間の休息を共に過ごしていたら悲しそうな顔をしている。
ちょっと待ってほしい。君はランドウ先生と比べれば『花コン』でミナトを殺す機会が少なかったけど、そんな意味ありげな反応をするのはやめてくれ。心臓に悪い。
「ナズナ? 最近様子がおかしいが……ど、どうかしたのかナ?」
最後に少し声が震えたのは恐怖からである。いつの間にか知らない死亡フラグが立っていたとか勘弁してくれよ?
「……いえ……なんでも、ありません……」
何かあるやつだろ。その反応、絶対に何かあるやつだろ。俺は騙されんぞ。ここで『あ、そうなんだ。俺の気のせいか』って納得するわけにはいかない。
「そう、か……すまない、俺が相手じゃ話せない内容か……何か悩んでいるのなら、せめてアンヌ母さんには話してやってくれよ?」
だから俺は、アンヌさんに話すよう促しつつも寂しそうに言う。俺が相手じゃ話せないってのがミソだ。
ここは主君らしく、あるいは原作のミナトに倣って『いいから話せ』とでも言うべきかもしれないけど、それで拗れたら困る。だからなるべくナズナから話してくれるよう促した。もし俺に話してくれなくても、何か問題があるならアンヌさんから俺の方に話が来るだろう。
「い、いえっ! そういうことではありませんっ!」
そんなことを考えていたら、なにやら焦った様子でナズナが声をあげる。それまでテーブルを挟んで一緒に紅茶を飲んでいたが、勢いよく立ち上がったかと思うと服の裾を力強く握り、涙を浮かべながら俺を見詰めてくる。
「若様……わ、わたしは、若様のお役に立てているのでしょうか?」
そして、そんなことを聞いてきた。その問いかけが予想外だった俺は手に持っていたティーカップを音を立てずにソーサーへと置き、首を傾げる。
「質問の意図がわからんが……本当にどうしたんだ?」
いや、本当にどうしたんだ。なんでそんなことを気にしているんだこの子。普段から色々と手伝ってくれるし、この紅茶だってナズナが淹れてくれたものじゃないか。
「スギイシ……様、が若様を試された時……わたしは、若様をお守りする立場だったのに何もできませんでした……」
そう言って、くしゃりと表情を崩すナズナ。瞳に浮かんでいた涙が零れて頬を伝い、テーブルへと落ちていく。
「若様がわたしをかばって、『召喚器』を取り出して、スギイシ様と言葉を交わす間も……わたしは何が起きたのかすらわかっていなくて……もしも、もしも彼が若様を害する者だったのならって考えたら、何もできなかった自分が許せなくて……」
「…………」
そう語るナズナを、俺は無言で見ることしかできない。
レオンさんがランドウ先生の行動を認めていたし、二人の会話から推測した感じだと俺が『魔王の影』かどうかのチェックをランドウ先生目線でされていた。
俺の『召喚器』が謎の画像表示機能を発揮したばかりだったし、もしも俺が『魔王の影』だったとしてもランドウ先生なら簡単に斬れたはずだ。
それらの事情を考えると、ナズナにできることはなかった――という正論は意味がないだろう。正論だけで納得できるほど感情というものは単純ではないのだ。
「……俺から言えることは、そんなに多くない」
それでもこれまでの長い付き合いがある、前世での年齢を含めて考えれば娘のように思える女の子が悩んでいるのだ。俺は必死に言葉を探し、落ち着かせるようにゆっくりと話していく。
「ナズナ、君が俺の従者兼学友として来てくれて、もう四年が経つのか……これまで色々なことがあって、色々なことで世話になった。君に『自分が役に立っているのか』、なんて悩ませたのは俺の態度が悪い。だからまずは謝らせてくれ。すまなかった」
俺はナズナに向かって頭を下げる。公的な場でやるとまずいが、今は俺の私室だしアンヌさんもいない。見ているのはナズナだけだ。
「わ、若様!? 一体何を……頭をお上げください!」
ナズナが驚いたように言うが、普段からもっと感謝しておくべきだったのは事実だろう。ランドウ先生と違い、ナズナは傲慢なミナトに愛想を尽かして裏切るタイプの人間だ。
それなりに見栄を張る必要がある立場だが、『花コン』ではどうだったとか、そんなことを抜きにしてこういう私的な場で頭を下げるぐらいなら構わない。本心から頭を下げる。
「君が傍にいてくれて助かっているよ。コハクやモモカが一緒の時は世話をしてくれるし、常に俺と一緒にいてくれる。ランドウ先生の件は……うん、あれは先生と父上が悪い。君は悪くない」
正論だけでは納得できないだろうから、他の要素を混ぜて断言する。ナズナはそんな俺の言葉に目を見開くけど、それを確認した俺は小さく苦笑した。
「でも、君が納得できないならそれでもいいさ。今回は駄目だった。でも、次こそはどうにかする……そんな風に成長のきっかけになるかもしれないからね」
ナズナは悪くないし、ナズナが引け目を感じている俺も許す。それでも納得できないならそれを糧に奮起するしかない。
七歳の女の子に諭すことじゃないかもしれないけど、ナズナは聡い子だ。今はわからなくても、いつか理解して飲み込める日が来るだろう。
「……はい……わかりました、若様」
静かに、それでいてしっかりと頷いたナズナを見て、俺はそう思った。
次に起きた問題は、ナズナの件と比べればまだマシだった。
訓練で俺をボコボコにするランドウ先生を見て、モモカが怒り狂って突撃しただけである。『お兄様をいじめるな!』と叫びながら殴りかかったのだ。いや、普通に大問題だわコレ。
お兄ちゃんとしては心配してくれて嬉しい。でも貴族の御令嬢が拳で語らないでおくれ……コハクもモモカも去年、五歳になってから本格的に礼儀作法の習得が始まっているけど、礼儀作法の先生が話を聞いてその場で卒倒したからね。
なお、ランドウ先生は殴りかかってくるモモカを軽くいなしつつも、『ふむ……体術の才能があるな』と感心したように呟いていた。
お願いですから体術を仕込むのはやめてくださいね? 可愛い妹の嫁ぎ先がなくなったらさすがに怒りますよ?
ちなみにコハクは殴りかかったモモカを援護するべく、遠距離から魔法を撃っていた。火属性魔法で一番簡単な『火球』っていう、その名の通り球体状の火の塊を飛ばす魔法なんだけど、双子ならではの連携で攻める二人を見て本気で驚いたよ?
でもコハクも俺の扱いに怒ってのことだし、俺が未だに使えない魔法を使ったんだ。優秀だし立派だ。偉い子だ。うん。
人を傷つける魔法を安易に使ったことに関しては真剣に怒ったし、『火球』はあっさりと斬られたけどね。ランドウ先生、平然と魔法を斬るあたり人間辞めてるわ。
『花コン』でもそういう技を使うって知ってたけど、実際に目の前で実演されると何が起きたのかわからないぐらいビックリしたよ。
そして最後の問題は。
「何やら色々と気に入らない事態になっているようですな」
そう言って、サンデューク辺境伯家の騎士団長にして筆頭武官。ナズナの父親である男性が俺を訪ねてきたことだった。