第134話:お茶会 その2
アレクの部屋を訪れた俺は、出迎えたアレクに通されて室内へと足を踏み入れた。
アレクの部屋があるのは中級貴族寮だったため、俺は気配を消してこっそりと、なおかつ正面から堂々と入らせてもらった。もしも見つかってしまっても、何も疚しいところはないといわんばかりに。
(ま、もし見つかってもモリオンに用がある、なんて言い訳もできるけどさ)
アレクの実家であるオブシディアン家は子爵家だ。そのためモリオンも中級貴族寮に部屋があり、言い訳にはうってつけだ。アレクとは友人だし、そこまで言い訳を準備する必要もないけど。
当のアレクはというと、俺に椅子を勧めて座らせたかと思うと自ら紅茶を淹れてくれる。その手付きは洗練された熟練のもので、俺は礼を言ってからティーカップに口をつけた。
「……さすがだな、アレク。紅茶を淹れる腕前も一流とは恐れ入るよ」
「お褒めに預かり光栄だわ。まあ、これも道化師の嗜みの一つよ」
「道化師ってすごいな……うん、すごい」
食堂で飲んだ紅茶より上手く淹れてあるんだが……いやぁ、道化師ってすごいんだな。
「ふふふ、褒めてもお茶請けのクッキーぐらいしか出ないわよ? はい、これもアタシの手作りだけど、良かったら食べてちょうだい」
「いただきます……うん、こっちも美味い。いや、本当に美味いな。お菓子作りも一流か……」
「ええ。これも道化師の嗜みの一つだから」
「道化師すげぇ……いや、すごいのは道化師じゃなくてアレクか……」
思わず唸るようにして心の底から本音を零す。道化師って逆に何ができないの? 剣術ならさすがに勝てるけど、アレクって『花コン』だと近接戦闘もそれなりにこなすからな。顔良し性格良し頭脳良し能力強し家事万能の完璧超人かな?
夕食の後だったけど、美味いからついついクッキーを食べてしまう。そんな俺をアレクは楽しそうに見てくるが。
「ん? どうした? 何か珍しいものでもあったか?」
「そうね。道化師の出したものを心底美味しそうに食べる、珍しい人がいたからつい、ね」
「? 美味いお菓子と紅茶を美味しく思いながら食べる奴が珍しいのか? オブシディアン家ってのは……その、俺からすると珍しいおうちだな?」
「ふふっ、そういう意味じゃないんだけどね」
うちの実家でモモカにこのクッキーを食べさせてみたら、『美味しいですわっ! めっちゃ美味しいですわっ!』って言いながら食べるぞ。間違いない。そして礼儀作法の先生が白目剥いて倒れるんだ。モモカ曰く俺の真似らしいけど、どういうことだろうね?
「ふぅ……ご馳走様。話を聞く前にすっかり堪能しちゃったよ……あ、紅茶のおかわりもらえる?」
「ええ、もちろん。いくらでも構わないわ」
アレクが食後の紅茶を淹れてくれたため、そちらにも口をつけるが……あ、クッキーを食べた後だからか少し味が軽めというか、口の中を洗い流すような味に変えてある。この心尽くしがにくいね。
「いやぁ、この紅茶も美味い。すごいな、大したもんだ」
「お褒めに預かり光栄だわ……ふふふっ、貴方はこういう時、真っすぐに褒めるわねぇ」
「ん? そりゃあ美味いものを不味いって言う奴はいないだろ?」
どんな天邪鬼だ、そりゃ。少なくとも俺は美味いものは美味いっていうし、作ってくれたことに感謝するし、何ならあまりの美味さに感動さえするぞ。そして食べ過ぎたり飲みすぎたりする。あとで運動して消化するからいいんだけどさ。
そうやって口の中がスッキリしたところで改めてアレクへ視線を向ける。道化師メイクだから表情が読みにくいけど、わざわざこうして呼び出したんだ。何かしらの用があるのだろう。
「正直なところ、もう少しクッキーと紅茶の感想を言いたいところだけど……滅茶苦茶長くなりそうだし、横に置いておくよ。こうしてお茶に招いてくれた理由を聞かせてもらおうかな? もちろん、何の理由もなくお茶に誘ってくれたってだけでも嬉しいけどさ」
わざわざカリンと一緒にいる時に声をかけてきたんだし、さすがに何もないってことはないだろう。そう思って尋ねると、アレクは自分で淹れた紅茶を軽く飲んでから口を開く。
「アタシ達がこの学園に入学して、もう三週間が経とうとしているわ。新しい人間関係ができたり、今までの人間関係がより強固になったり、逆に脆くなったり……アナタはどう思う?」
「そりゃ新生活が始まったんだ。色んな変化が起こるだろうさ」
「そうよねぇ。人によって変化の内容は変わるでしょうけど、アタシ達の年頃だもの。意図せず変わらざるを得ない、なんてこともあるわよね」
「はは、君から見れば周囲は年頃の子ども扱いか。それに違和感がないのはさすがだなぁ」
世間話――では、ないだろう。道化師としての性なのか、遠回りに話をするアレクに俺も付き合う。紅茶が美味しいからいくらでも付き合えるよ、うん。
「アナタもね? それで、アタシがあちらこちらの女子会やお茶会に参加しているのは知っているかしら?」
「当然だとも。大したものだと感心するばかりだよ」
アレクの面倒見が良い性格がそうさせるのか、オネエキャラだからか、その両方か。『花コン』でも女子会にお呼ばれしては恋愛相談を受けて助言をする、なんて話があったほどだ。
それも男女問わずで、持っている情報をもとに助言をしたり、アレクに気になっている異性を伝えて間を取り持ってもらったりと、恋のキューピッドみたいなことをしていたはずだ。外見はピエロのキューピッドだけどね?
まあ、さすがに入学して三週間程度じゃそこまではやっていないと思う。今は顔と名前と道化師って立場を広めて、周囲から相談を受ける方向に持っていく程度のものだろう。
今の段階で恋愛相談まで受けていたら驚くどころじゃない。いくらアレクの手腕が優れているといっても……いや、アレクなら普通にあり得そうで怖いな。初対面でするりと懐に入って、相談事の一つや二つ当たり前のように受けてそうだ。
「それで? 女子会やお茶会で何かあったのかい?」
それでもアレクなら情報を漏らすなんてことはしないだろうし、これは本題の前のちょっとした前振りなんだろう。そう思って尋ねると、アレクはどこか真剣な顔付きになる。
「こういうことってあまり聞きたくないのだけど……ミナト君、カリンちゃん以外の女の子を口説いてたりする? あ、ナズナちゃんは除外してね?」
「…………? え? ごめん、なんて? 俺が女の子を口説く?」
どういうこと? ナンパしたかってこと? へーい、そこの可愛い彼女ー、一緒にお茶しなーい? みたいな? いやこれナンパ男の固定概念すぎるか。
「いや……思い当たる節がないんだが……俺が口説いて回ってる、みたいな噂でも立ってるのか?」
そんなのうちの派閥でも報告が上がってないぞ? さすがにうちの派閥全員の耳に入っていないってことはないはずだけど。
「いえ、そういう形の噂じゃないのだけど……」
アレクはどことなく困ったような顔で眉を寄せる。どう説明したものか、と迷っているようだ。
「アタシってほら、ミナト君と親しくしているじゃない?」
「うん、そうだな」
『花コン』抜きにして、尊敬できる友達だからな。
「女子会にお呼ばれしてね? 色々とお話すると……どうにも、ミナト君狙いの子が多いように感じるのよね」
「…………」
思わず沈黙する。そして思考を巡らせて……いや、これ、どういう反応をすればいいんだ?
「……こう言ってはなんだが、君らしくないな。集めた情報をこうして俺に漏らすなんて、考えもしなかったよ」
プライバシーの保護、なんて概念はさすがにこの世界にはない。もちろん他人の秘密を吹聴しないという考え自体はあるが、少なくともアレクが女子会で聞いた情報をこうやって漏らすとは思わなかった。まあ、誰が言ったかは絶対に言わないだろうが。
「あら、そうかしら? アタシが友人の危機を見過ごす性格と?」
「そうは思わないさ。君は友情に篤い。何かあれば助けてくれるし、俺も助ける。だが、こういう情報を聞かせてくるとは思わなかった……つまりギャップさ」
そう言って紅茶を一口飲む。やや温くなっていたが、苦みは大して出ていない。
「アタシもね、他人の惚れた腫れたには口を出すつもりはないわ。特にアナタは入学早々目立っているし、元々の知名度も高い。でも、それにしては異性からの評価が高いような気がしてねぇ」
「ん……いや、反応に困るな」
モテ期? これが人生に一度ぐらいはあると言われるモテ期なのか? アレクの口ぶりから推察する感じ、モテてるというよりは『あの人ちょっといいよね』ぐらいの好感度っぽいけど。
「しかし俺の危機になるっていうのは……本当にそんなに多いのか?」
「それについてはノーコメント、ということで」
今日、わざわざカリンと一緒にいるタイミングで話しかけてきたのはそういうことだろうか。俺が知らない内にカリンが攻撃される可能性がある?
(でも、カリンは実家が侯爵家で北部貴族の派閥の中でも上の方だ。それに俺の婚約者候補だし……この場合それが足を引っ張るのかもしれないけどさ)
侯爵家の生まれといっても次女だし、家督を継ぐ予定の嫡男と比べればカリンの立場はやや劣る。それでも実家のデカさは一種の力だ。カリンにちょっかいを出すのは中々に難易度が高いと思うが。
(でもなぁ、女性同士のアレコレだとどうしようもないか? 俺が庇うと逆効果になるかも……)
カリンもそうだが、俺に対しても何かが起こる危険性があるとアレクは心配しているわけだ。そのためこうしてお茶に誘って忠告してくれているのだろう。漏らせるギリギリまで情報を漏らしてくれる友情に感謝である。
(しかし、異性に人気があると言われるのは男として嬉しいけど、『花コン』だけに集中したいこの時期に……まだ実害はないし、放っておくか?)
そもそも実害が出るかもわからないのだ。俺としては余計なことにリソースを割きたくないんだが。
(……仮に何かあるとすれば、派閥の誰かの情報網に引っかかるか。他人からの印象とか噂の話だし、対策をするにも限度があるから……うん、今は待ちの一手だな)
人の噂も七十五日。あの人良いよね、みたいな雰囲気もすぐに消えるだろ。俺はそう判断したが、アレクが真剣な表情を崩していないのを見て首を傾げる。
「他にも何かあるのか?」
「ええ。こちらが本題というか……二年半ほど前、王都で『魔王の影』と戦ったのは覚えているわよね?」
「もちろんだとも」
忘れられるような話じゃないし、あの時に稼いでしまった追加の風評で押し潰されると判断したからこそ、大規模ダンジョンで修行に励んでいたのだから。
「あれ以来、アタシの方でもリンネちゃんに関して調べていたんだけど、何も情報が出てこなかったのよね」
「へぇ……君でもか」
「ええ。アタシでもよ」
まだ当主でこそないが、アレクの道化師としての才能は『花コン』での描写しかり、実際に顔を合わせての実感しかり、大したものだと思う。道化を演じるために必要な情報を集めるのもアレクの得意技だが、そんなアレクでさえリンネについて何も情報を得られていないとは。
先ほどの女子生徒からの噂云々は放置できるとしても、リンネに関してはそうではない。いつ、どのタイミングで襲ってくるかわからない相手なのだ。
だからこそ俺は常に『瞬伐悠剣』を携帯しているし、頭の片隅で一定の警戒を保ったまま生活している。まあ、これはリンネ関係なく、ランドウ先生の教えがそうさせているって面もあるが。
「完全に姿を隠せるのか、人間社会に関与せず生きていけるのか……『魔王の影』ならダンジョンにこもって生活している、なんて線もあり得るか。あとは関係した人間の記憶を消している可能性もあるが……」
「アタシ達の記憶がそのままだし、その可能性は薄いと思うけど……それが可能ならお手上げね」
引き続き警戒が必要な相手だが、こちらから探しようがないということがわかっただけでも収穫だ。なにせアレクでさえ影も形も掴めないのだから。
「さっきの情報といい、リンネの件といい、助かったよ」
「どういたしまして。目立つのはほどほどにすることをおすすめするわ」
「け、決闘の半分は向こうから申し込まれたやつだから……それ以外だと目立ってないから……」
いや本当、決闘は挑みたくて挑んだわけじゃないから。
透輝の件は『花コン』のためだし、南部貴族の件はランドウ先生の名誉を侮辱されたからだし、ジェイドの件は……うん、振り返ってみると多いな。でも南部貴族の先輩達の件はこっちから決闘を挑んだわけじゃないからセーフ……セーフ? だ、多分。
それでも断言できるほど心が強くない俺は、最後に言い訳じみた言葉を残してからアレクの部屋を後にするのだった。




