第133話:お茶会 その1
王立ペオノール学園の貴族寮。
そこでは学園に雇われた使用人が掃除や洗濯、料理といった家事を担当しているが、掃除は学生が授業を受けている間、洗濯は部屋に備え付けの洗濯かごから衣類を回収して行い、料理は食堂で用意される。
決められた時間、場所以外での家事の提供についても、交渉して別料金を渡せばやってもらえる。
中には使用人ではなく技術科に通っている派閥の人間にやらせる者もいるようだが、その辺りは金を払って使用人に任せる者が多い。ただ、俺とナズナみたいな関係の者もいるし、将来の就職先を探して自分の腕を売り込みに来る生徒もいるため、そういった場合は生徒に任せることもある。
寮生活とはなんぞや……と言いたくなる充実ぶりだが、貴族科にいる多くの生徒が実家では使用人やメイドさんに傅かれ、家事その他を依存して生きてきたお坊ちゃん、お嬢ちゃんだ。
前世で一人暮らしをしていたし、大規模ダンジョンに潜っての修行中は身の回りのことを全部自分でやっていた俺や、貴族の令嬢ながら俺の従者として教育を受けたナズナが例外で、使用人が家事をしてくれることに疑問を覚えている生徒は多くない。
まあ、ここで一人暮らしが可能なぐらい技術を身に着けてしまうと、実家に帰ってから従者や使用人、メイドさんに頼ることを忘れてしまって全部自分でやり始めてしまうから仕方ないんだが。
(本当は自分でやった方が早いってこと、案外多いしな)
しかしそれを他人にやらせるからこそ貴族なのだ。そしてそれが仕事となって他者の働き口になっている以上、余計なことは極力しないのが貴族側の礼儀である。
何故そんなことを考えているか? それは今、食堂で金を払って時間外のサービスを受け、カリンと一緒にお茶をしているからだ。
貴族寮の食堂では食事の際、基本的にバイキング形式で食べたいものを取って席に座り、思い思いに食べるスタイルになっている。
しかし放課後や朝昼晩以外等、定められた食事を提供する時間帯以外の時間、軽食や甘味、飲み物を有料で提供するカフェのようなこともやっているのだ。
そのため学生生活にも慣れ始め、今日は生徒会室に行かなくても大丈夫かな、と思えたタイミングでカリンをお茶に誘い、食堂へと来たのである。
その理由は単純至極――俺がカリンの婚約者候補だからだ。
俺もカリンも婚約者候補同士だが、互いにその旨を記して首から下げているわけではない。かといって自己紹介の場で『俺がカリンの婚約者候補だ!』なんて宣言したわけでもない。事実ではあるが、それをやるのはさすがに貴族としてみっともないのだ。
だからこうして、機会があればお茶に誘って仲が良いということを周囲に知らしめる。露骨に匂わせて婚約者候補同士なんだ、とわかるようにする。
逆に、仲が悪かったり婚約者候補という関係を疎んでいたりする場合、お茶に誘ったりはしない。露骨にはやらないがそれとなく破談にならないかな、と動く。『花コン』でのカリンがこれに当たる。
まあ、俺の場合は派閥のトップだし、派閥の人間を使ってカリンが婚約者候補だって噂を流すのは簡単だ。それでも実際にお茶をして談笑をして、仲が良いアピールをするのも大事って話である。
今回の場合も、数が少なかろうと食堂に来た者達が俺とカリンの姿を見て周囲に話をするだろう。そのため派閥の人間は連れてきていないし、自然な形で情報が広まるはずである。
なんでそこまでして俺とカリンの仲をアピールするのかというと……うん、ほら、うちは祖父母がね? 奇跡的に丸く収まったけど、婚約者候補が別にいるのに好き合っちゃって、『真実の鐘』を盛大に鳴らしながら告白かましてゴールインのハッピーエンドしちゃったからさ……。
レオンさんも在学中は苦労したらしいし、俺も他人の婚約者候補に手を出す可能性がある、なんて思われると危険なため、こうしてカリンとお茶をしているのだ。婚約者候補はこの子ですよ、他の子に目移りしていませんよ、という保身である。
入学早々何度も決闘を繰り広げた俺だが、さすがに痴情の縺れで決闘するのは御免こうむりたい。決闘関係なく、いきなり刃物を持ち出されて刺しに来るかもしれないし……その場合、反射的に相手を斬っちゃうかもしれないのだ。
まあ、そんな事情抜きにしても、カリンとお茶をするのは悪くないのだが。
「…………」
「…………」
俺もカリンも互いに無言でティーカップを傾け、静かに紅茶を飲む。話題がないのではなく、別に会話をしなくても気まずさを感じないからだ。
『王国北部ダンジョン異常成長事件』で一週間以上共に過ごし、リンネの件で共に戦ったのは伊達ではない。いわば戦友の間柄でもある。
『花コン』のことや透輝にグランドエンドを目指してもらうことを意識から外せば、俺とカリンは婚約者候補同士として相応以上に仲が良い……と、思える。
俺がそう思っているだけで、カリンの従者だったエミリーを斬った件などを恨まれている可能性もゼロではないが……その恨みは俺が受けるべきものだから、仕方がない。
「食堂で出されるものですから、どうなることかと思いましたが……香りも味も十分に楽しめますね」
「ああ、たしかに。これはクレヴァリー子爵家が作っている茶葉だね。十分に味と香りを引き出せているし、君と共に飲むのに相応しい逸品だよ」
ふと、カリンが話しかけてきたため微笑みながら答える。何回も飲んだことがある茶葉だし、この辺りは貴族として教養の内だ。
「リネット様のご実家の……ふふっ、クレヴァリー子爵家は昔から銘茶で有名な家ですものね」
「王国の中でも最東端にあるうちの領地にも、噂と実物が届くぐらいだ。しっかりとした名産品があってリネット嬢のご実家が羨ましい限りだよ」
お世辞ではなく本音からそう答える。サンデューク辺境伯家は領地の規模が大きいし産業も相応に発展しているけど、名産品が何か、と聞かれると困るんだよな。精強な騎士団はいるけどね?
領地を運営する側としてはこれが地味に大きくて、これだっていう特色は容易に作り出せるものじゃない。その点クレヴァリー子爵家は銘茶で知られているからなぁ。
前世でたとえると、京都に旅行に行ったら定番のお土産がある、大阪に行ったらたこ焼きを食べる、みたいなイメージだ。クレヴァリー子爵家の領地に行ったら茶葉を買って帰る、といった具合いに。
もちろん各地の領で特産品の開発に勤しんでいるけど、それが他の領までしっかりと知られているものとなると案外少ない。日本の小さな地方都市に寄ってお土産を買おうとしても、全国区で知られているような代物があまりないようにだ。
サンデューク辺境伯家は高い武力がある、みたいな風聞も大事ではあるが、領主の一族としては名産品も何か欲しいなぁ、なんて思ってしまうわけで。
その点、俺とテーブルを挟んで紅茶を楽しんでいるカリンの実家では、錬金術に使う良質な魔力石が多く産出している。これも立派な特産品だろう。
そんな会話をしつつ、俺もティーカップを傾け、チラリとカリンを見る。
(昔っていうほど昔じゃないけど、以前と比べるとだいぶ大人びたというか、落ち着きが出てきたな……)
今みたいに貴族の令嬢として振る舞う時はどもることも迷うことも少ない。それが『王国北部ダンジョン異常成長事件』の時やリンネと戦った時みたいに、正常から外れると自信がなさそうになってしまうが――。
(まあ、それは貴族の令嬢としては普通のことか。いきなり鉄火場に放り込まれたら大抵の令嬢はそうなるよな)
そうならない令嬢なんて、知り合いでいえばカトレアぐらいじゃないだろうか。あとは俺と一緒に修行をした後のナズナぐらいか。
「ミナト様? わたしをじっと見てどうかされましたか?」
おっと、視線を読まれてしまった。カリンが不思議そうに首を傾げたため、俺はティーカップをテーブルに置きながら笑う。
「以前の君を思い出していてね。大人びてより美しくなった、なんて思っていただけさ」
「んんっ……あ、あの、ミナト様? 以前から思っていたのですが、その、突然お褒めになるのは一体どういう……?」
「どういうも何も、本音だとも」
嘘じゃないよ。褒めて誤魔化しているわけでもないよ。誤魔化す時もあるけども。
「お、お褒め頂くのは嬉しいですが、し、心臓に悪いのでほどほどにしていただけますと……」
うっかり褒めたらカリンが以前のもじもじカリンに戻ってしまった。大人びたと思ったのは本当だったんだけど、こうして見るとまだまだ子どもだな、なんて思う。
「ハハハ、赤く色付いた華を愛でたいと思う男もいるってことさ」
頬を赤らめたカリンについ、アンヌさん仕込みの軽口が出てきてしまった。我ながら気障ったらしいとは思うけど、女性を褒めたり歯の浮くようなセリフを言ったりするのは貴族としての礼儀というか、条件反射の域まで叩き込まれているから最早癖みたいなものだ。
ただ、カリンも貴族の令嬢としてこういった褒め言葉は言われ慣れているはずだが。
「み、ミナト様はいじわるです……」
「ごめんごめん。なるべく気を付けるよ」
いかん、俺の軽口で余計に赤くなってしまった。そのため謝るが――っと?
「ハァイ、こんにちは、お二人さん。素敵なデート中にお邪魔してごめんなさいね?」
そう言って話しかけてきたのは、制服姿に相変わらずの道化師メイクをしているアレクだった。珍しい……というか、こうして他人のデート中にわざわざ声をかけてくるような無作法、礼儀を知らない真似をする奴じゃないんだが。
(つまり、そうするだけの何かがあったか?)
疑問に思いつつ、俺はわかりやすく首を傾げてみる。
「やあ、アレク。君らしくない無作法だが……どうかしたのかい?」
「ごめんなさいねぇ。例の件で共闘したあなた達が一緒だったから、つい、声をかけちゃったのよ」
「……ふぅん?」
リンネの件で何かあったのだろうか? だが、それならもっと早いタイミングで声をかけてきそうなものだが。
「ミナト君ったら、あまり女の子を恥ずかしがらせるものじゃないわよ? 特定の殿方以外がいる場所だと見せたくない顔っていうのもあるんだから」
どうやら俺がカリンを褒めて照れさせた件についてツッコミを入れに来たらしい。さすがはアレクだ。この外見と性格がそうさせるのか、あちらこちらの女子会に御呼ばれして参加するだけのことはある。
「おっと、これは俺の方が無作法だったか。すまないね、カリン。つい、君が普段見せてくれない顔を見たくなってしまったんだ」
俺の軽口については勘弁してね? 子どもの頃から徹底的に叩き込まれたからか、考え事をしていたり頭を空っぽにしていたりするとポロっと出てくるんだ。
「ん? つまり、プライベートな空間でお茶会をすればカリンを照れさせても良いってことか?」
「ミナト君? 別にあなた達の関係に口を出す気はないけど、それをやると今度は別の噂が立っちゃうわよ?」
そう言って胸を指先で突かれ……ん?
「冗談だよ、アレク。そんな噂が立ってはカリンに申し訳が立たないからね」
「せめて卒業してからにしなさいな。まあ、学生時代にイチャつくのも青春だけれどね?」
「イチャつくって死語じゃねえかなぁ……」
俺が苦笑すると、アレクは話は終わった、といわんばかりに俺とカリンへ手を振って去っていく。その背中を見送っていると、ふと、カリンが呟いた。
「ミナト様はアレク様と仲が良いですよね……あれ? 警戒しないといけないのは女性ではなくアレク様……?」
小声で、心底深刻そうに呟いているけど……カリンさん? 俺、普通に女性が好きですからね? そりゃアレクは友人だと思っていますけどね?
そんなことを思いつつ、カリンを眺めて苦笑して、紅茶をゆっくりと楽しむのだった。
そして、その日の晩のことである。
夕食を食べ終えていつも通りの訓練を始める前に、俺は貴族寮のとある部屋の前に来ていた。
まあ、とある部屋の前といっても、アレクの部屋の前なんだが。
カリンとお茶をしている最中、胸を指で突いた拍子にメモ書きを懐に入れてきたのだ。そこには『いつもの訓練前、お茶会をしましょう』と書いてあったのだが。
(お茶会をしましょう、ねぇ……)
わざわざこうして回りくどい提案をしてきたことに警戒する。もちろんそれはアレク個人に対する警戒ではなく、アレクがするであろう話に対する警戒だ。
(ま、聞いてみなきゃわからんか)
警戒していても始まらない。そう思った俺はアレクの部屋をノックするのだった。




