第10話:オレア教と『召喚器』 その2
今から遡ること百年と少し前。
パエオニア王国のとある貴族の家に一人の男児が生まれた。
その男児は幼い頃より賢く、幼くして『召喚器』を発現した才児だった。その男児が発現した『召喚器』の形状は本――それも未来が予知できる予言書だったのだ。
新たなダンジョンが発生する時期、既存のダンジョンからモンスターが溢れる時期、既存のダンジョンが成長して規模を大きくする時期。そして、『魔王』が発生する時期。
それらは人類にとってこの上ない、貴重な情報の数々だった。
もちろん、最初からそれらの情報が信用されたわけではない。それまで一度も現れたことがなかった未来を予知する『召喚器』ということで扱いは慎重を極めた。
新たなダンジョンが発生する場所と時期――全てが的中する。
特定のダンジョンからモンスターが溢れる時期――全てが的中する。
小規模ダンジョンが中規模ダンジョンに成長する時期――全てが的中する。
その全てが正確に、一日たりともズレることなく予知した通り実現した。
一度目は偶然だと思えた。二度目もまだ、偶然だと思えた。しかし三度目、四度目、五度目と予知が的中していくにつれ、パエオニア王国およびオレア教の上層部は男児の『召喚器』がもたらす情報を重要視していくようになる。
数百年も前に発生した『魔王』という脅威。それはアーノルド大陸全土を巻き込んで多くの死傷者を出し、『魔王』を『封印』することができなければ人類が滅びかねないほどの被害だったらしい。
その再来が迫っているとなれば、止める他ない。止めることができずとも、少しでも時間を稼がなければならない。
それはアーノルド大陸に住まう者達共通の目標であり願いだった。時が流れようとも『魔王』の脅威は忘れ去られておらず、予知されたとある情報に着目することとなる。
――パエオニア王国の中央に大規模ダンジョンが発生する。
『魔王』が発生すればダンジョンから一斉にモンスターが溢れ出して人類を襲い始めるが、大規模ダンジョンに生息するモンスターの強さは他のダンジョンのモンスターとは比べ物にならない。
予知された場所に発生を許せば東西南北の大規模ダンジョンに加え、国の内側からも『魔王』が発生した際に強力なモンスターが溢れ出してしまう。
仮に『魔王』の発生を防げずとも、内外から挟撃される危険性は排除しなければならない。そんな目的のもと、パエオニア王国の貴族の中でも武闘派達が精兵を引き連れて集まり、オレア教からも多くの実力者が集まった。
たとえ大規模ダンジョンが発生しようとも、モンスターが少ない初期の状態ならば確実に破壊できる戦力である。
そうして予知に従い、新たな大規模ダンジョンを破壊するべく集まった大軍勢。
それら大軍勢を迎え撃つのは新たに生まれた大規模ダンジョン――では、なかった。
予知の『召喚器』を発現した男児が、『魔王の影』たるその存在が狙ったのは、人類の主力を一ヶ所に集めて根こそぎ消滅させることだったのだ。
大規模ダンジョンが発生するように見せかけるために集めた魔力と負の感情を使い、『魔王の影』は自らをも巻き込んで大規模な爆発を起こした。
その結果、集まった戦力は死者が一万人を超え、負傷者はその三倍。各貴族の兵士だけでなくオレア教も大きな痛手を被ることとなったのだった。
(あ、悪辣すぎる……そりゃ子どもが本型の『召喚器』を発現したら警戒するわ)
牧師さんの話を聞いた俺が思ったのは、そりゃあ仕方ないよなという納得だった。『花コン』では語られなかった情報だったが、用心のため即座に殺されなかっただけ理性的だと称賛する気持ちさえあった。あるいは辺境伯家の嫡男という立場が身を守ったのかもしれない。
「なるほど……事情は理解できましたが……」
なんだろう。こういう時って何を言えばいいんだろう。疑われたことに怒ればいいのか、疑いが晴れたことに安堵すればいいのか。いや、そもそも本当に疑いが晴れたのか?
俺はごくりと唾を飲み込み、恐る恐る尋ねる。
「『魔王の影』じゃないと判断されたのは喜ばしいですが、その事件から百年近く経っているのならもう一度似たようなことを仕掛けてきた、という可能性もあるのでは……」
警戒されるだろうし同じ手口が二度通じるとは思えないが、それを逆手にとってのことかもしれない。『魔王の影』だと断定されたいわけではないが、かつてのやり口がえげつなさ過ぎて俺はそんな可能性を示唆する。体が震えるのを感じながらも、必死にそれを抑えて。
『花コン』でも『魔王の影』がダンジョンを急成長させたり、モンスターを操って主人公を襲わせたり、わざとダンジョンの外部へとモンスターを放出したりと、様々なイベントがあった。
予知の振りをして人類の主力を集めて自分もろとも吹き飛ばすその過激さ、用意周到さを思えば、俺自身が気付けていないだけで実は『魔王の影』だった、なんてこともあり得る。
(ミナトは『魔王の影』に操られたり、殺されて成り代わられたりする立場だからな……)
当然ではあるが、死にたくなどない。何が悲しくて前世で二十余年、今世で七年と合計しても三十年程度の短い人生に幕を下ろしかねないことを聞かなければならないのか。
今世では結婚してみたいし、自分の子どもを自らの腕で抱き締めてみたいし、叶うなら大往生したい。生きていられるのなら辺境伯家の嫡男なんて地位は必要ないし、大変だから極力押し付けるような形にはしたくないけどコハクやモモカに譲ってもいいとすら思える。
だが、それでも――それでもだ。
死にたくはないが、自らがこの世界の脅威となり得る危険な存在だというのなら。自ら命を絶つ度胸はないけれど、今際の際にみっともなく泣き叫ぶと思うけれど、それでも――。
「御懸念は御尤も。ですが、今回の件はあくまで万が一に備えてのことでした」
牧師の男性は目を細めるように俺を見ながら、そんなことを言う。それはどこか柔らかく、宥めるような口調だった。
「と、言うと?」
「先ほどの話の捕捉になりますが、未来予知の『召喚器』だと騙った『魔王の影』だけでなく、これまでに確認された『魔王の影』にはある特徴があるのです」
特徴と聞き、俺は首を傾げた。まさか角でも生えているわけでもあるまい。仮にそうだったとしたら、見抜けなかった百年前の人間が節穴過ぎて逆にビックリするわ。
「彼奴等は人間のふりこそ可能ですが、人間ではないのですよ。そのため長く接している人間ほど違和感を覚えるのです。暴論ですが、昆虫に人間のふりが可能だと思いますか?」
「それは……無理でしょうね」
「ええ。それに彼奴等は人間を対等に思ったり、愛し慈しむようなこともしない。ミナト様、あなたのように弟や妹を心から愛して可愛がることはなく、家臣を大事に思う心もないのです」
牧師さんの言葉を噛み砕くのに数秒。その意味を察した俺は思わずレオンさんへと振り返る。今回の件を全部知ってたの? とか、何を話したの? という疑問や抗議を込めてだ。
「そんな目で見るな。私とてお前が本当に『魔王の影』だなどと思ってはいなかった。だが、こうして疑いを晴らすことも貴族の務めの内でな。とりあえず疑いは解けたし、お前の『召喚器』に何か変化があればすぐさま私に報告するようにしなさい。いいね?」
レオンさんの返答が早口で言い訳っぽく聞こえるのは俺の気のせいだろうか。
「百年前の『魔王の影』の言動も演技ではなく、未来を予知する特殊性からくる浮世離れしたものだと捉えられていたようです。まあ……後世の我々だからこそ言えることでしょうがね」
俺とレオンさんのやり取りを見ていた牧師さんは、そう言って苦笑と共に締め括るのだった。
「あー……疲れた……」
「お、お疲れ様です、ミナト様」
尋問と呼ぶべきかわからない問答から解放された俺は、同じように解放されたナズナと共に夕暮れ間近のラレーテの町を歩いていた。
どうやらナズナも似たような質問を受けたあと、人間であると証明されてからは俺がどんな人間か聞かれていたらしい。俺の性格や人間性、俺のことをどう思っているか等々……どんな風に答えたかまでは教えてくれなかったけど、それなりに大変だったみたいだ。
ちなみに徒歩で帰っているのは俺のワガママである。精神的に疲れたから気分転換したかったのだ。当然護衛の兵士も一緒だが、傍目にはナズナと二人で歩いているように見えるだろう。
屋敷までは馬車を使わずとも、子どもの足でも二十分とかからない。それでも俺が徒歩で帰ることを許したのはレオンさんなりに負い目を感じているのだろう。
日本ではないというのに何故か四季があるパエオニア王国だが、秋ということもあって日が落ちるのが早い。徐々に傾いてきている太陽がラレーテの町を照らし、俺やナズナだけでなく道行く人々を茜色に染めている。
町で働く人々もそろそろ仕事が終わる時間ということで中央市街地も賑わっており、店じまい前の最後の一稼ぎと言わんばかりに商人の声が響いている。
(ん? あれは……)
そこでふと、俺は一軒の店に目を向けた。大店というわけではないが中央市街地に出店しているだけあり、小奇麗かつ品良く建てられた商店である。どうやら服や装飾品を扱う店のようだが、その店先で白いリボンが売られていたのだ。
(リボン……リボン……あっ、そうだ。ナズナにリボンを渡しておかないと)
何か忘れているような、と記憶を漁った俺は軽く手を打ち合わせた。
ナズナはリボンをつける位置によって俺を裏切るタイミングがわかるため、いつか渡そうと思っていたのだ。
ただ、『花コン』では子どもの頃に戯れで渡しただけで、いつ渡したか明言されていなかった。そのため先延ばしにしていたが、これも何かの縁だろう。
「ナズナ、ちょっとこっちに来てくれるか?」
「はい? どうされましたか?」
俺は進路を変えて服飾店へと向かうと、店先で呼び込みをしていた男性へと声をかけた。
「すまない、少しいいだろうか」
「はい、いらっしゃ――ってサンデュークの若様!? い、一体なんでございましょう!?」
俺が声をかけると男性は驚いた様子で目を見開く。これまでに何度かラレーテの町に来てるけど、すぐにバレるぐらいには顔が知られているらしい。
「そこのリボンを買いたくてな。いくらだ?」
「ぎ、銀貨三枚になりますが……お呼びいただければ屋敷にお伺いいたしますよ?」
俺とナズナ、そして護衛の兵士達の姿を見て焦ったように男性が言う。
辺境伯家の嫡男って何か買う物があれば御用商人を呼びつけて買う立場なんだけど、それって味気ないし一々呼びつけるのは申し訳ないんだよね。
ちなみにだが、『花コン』の世界と同様にこの世界では通貨として金貨、小金貨、銀貨、小銀貨、銅貨の五種類が使われている。
前世の感覚でいうと金貨が十万円、小金貨が一万円、銀貨が千円、小銀貨が百円、銅貨が十円ってところだ。金貨が大量に必要となる買い物だと大変だけど、貴族や商人の場合は信用手形で払えるから俺の場合はそこまで困らないから助かる。
『花コン』だとゴールド、シルバー、ブロンズの頭文字を取ってGSBって略して表示されてたっけ……金貨六枚銀貨二十枚銅貨三十五枚なら6G20S35Bって感じだったけど、実際に使ってみるとどの貨幣が何枚か、という形になる。消費税はないから計算も楽だ。
「よし買った。銀貨三枚だ。確認してくれ」
そう言って懐の財布から取り出した銀貨を渡す。教育の一環としてラレーテの町に出かけた時に実際に買い物できるよう渡される小遣いの一部だ。
銀貨三枚を日本円で考えると三千円程度で、貴族の買い物としては安いが七歳児の買い物としては少し高いか。俺はリボンを受け取るとナズナの傍に歩み寄り、そっと差し出す。
「今日は俺のせいで迷惑をかけた。詫びと言っては味気ないが、受け取ってくれるか?」
本当はナズナが欲しがるものを選ばせてあげたいんだけど、『リボン式好感度発見器』の名を実現するにはこうして押し付けるしかない。そんな下心込みでの贈り物だったが、ナズナは目を白黒とさせながら困惑した様子だった。
「え、と……その、いただいてもよろしいのですか?」
「そのために買ったんだ。普段から世話になっているしな」
だったら好きなものを選ばせろよ、という自分自身へのツッコミは棚に上げる。それでも俺がリボンを差し出すと、ナズナは目を輝かせて受け取ってくれた。
「わ、若様っ! ありがとうございます! ずっと……ずっと大切にします!」
「お、おう。そうか?」
あれ? 思ったよりも反応がいいな。大事そうにリボンを抱き締めるナズナの姿を見て俺は首を傾げるけど、演技には見えない。本心から喜んでくれている……と、思う。仮に演技だったら俺の目が節穴かつ女性は生まれながらの女優ってことだろう。
でも演技だったらそれはそれで嫌だなぁ、と思う男心。いや、精神の年齢差的に親心に近いか。
俺がそうやって悩んでいると、リボンを抱き締めていたナズナが上目遣いで俺を見てくる。
「若様、その、一つだけわがままを言って……いいですか?」
「ん? なんだよ改まって」
なんでもは無理だけどある程度のことなら聞くよ? そんなニュアンスを込めて首を傾げると、ナズナは自分の髪を指先で弄りながら言う。
「わ、若様にこのリボンを結んでほしいな、なんて……」
「……それだけか? 別に構わないけど」
髪を結うのはモモカにもしょっちゅう強請られるし、大した手間でもない。
俺はナズナからリボンを受け取ると、一言断ってから髪に触れる。そして手早く、それでいて丁寧に髪を編むと、最後にリボンで留めた。
「よし、っと。こんなもんだな」
左の肩口に垂れるようにして結わえたリボンが揺れる。ナズナはそれを見て頬を緩めているが、そういえばいつの間にかナズナの髪も伸びたなぁ、なんて俺は思った。
「ありがとうございます。大事にします――ずっと」
さっきも似たようなことを聞いたよ。そう言おうと思った俺だったが、夕日に照らされながらリボンを揺らすナズナの笑顔を前に、開きかけた口を閉ざして小さく笑うのだった。
その日の晩のこと。
「ち、父上! 父上ー! 『召喚器』に何か増えてる!?」
寝る前に『召喚器』の確認をしていたら、一ページ目に夕日に照らされながら微笑むナズナの姿が描かれていて絶叫する俺がいた。