第107話:入学式 その1
王立ペオノール学園はパエオニア王国の王都、ラクティを上空から見た際に王立図書館と同様に北西の方角にある。
王立図書館の敷地とつながる形で王都に隣接しているが、王立学園の敷地に入るためには王都の西門から出て街道に沿って進み、一時間ほど歩かなければ到着することができない。
そのため西門から学園向けに乗合馬車が用意されており、実家の馬車がない者は乗合馬車か徒歩で学園に向かうこととなる。
俺はといえば別邸にある馬車を使い、ナズナやモリオンを乗せて学園まで行く。王都まで一緒に来た寄り子の子達も乗せようかと思ったが、馬車に同乗するのは畏れ多いと遠慮されてしまったので三人だけだ。
王都のすぐ傍……というには少々距離があるが、通学しようと思えば可能な距離である。しかし学園には寮が用意されており、三年間寮生活を送るよう定められていた。
馬車には着替えなどの荷物も積んであるが、必要な物があれば学園の売店で売っているし、休日なら王都にも行けるため後々買えば良い。俺も必要最小限の荷物しか持ってきていない。ここ二年半ほどの生活で不必要なものを持ち歩くのが面倒になってしまったのだ。
(ナズナはもう少し荷物が多くても良かっただろうに……)
俺は対面に座るナズナを見つつ、そんなことを思う。俺と同じで少ない荷物での生活に慣れてしまったのか、必要最小限の荷物しか持ってきていないのだ。
春先ということで冬服――ブレザータイプの紺色の上着に黒と緑のチェック柄が施されたスカートを穿いた姿だが、緊張しているのか表情が硬い。俺をチラチラと見ながら沈黙している。
対する俺もブレザータイプの制服で、色は紺色と女子のものを男性用にアレンジしたデザインとなっている。上着の下はシャツにネクタイ、下半身は灰色のズボンと前世の学生みたいな格好だ。そこに剣帯をつけて『瞬伐悠剣』を携帯している。
『花コン』は学園モノのゲームのため、制服は日本人にとって馴染みがあるデザインにしたとゲーム雑誌の開発者インタビューで見た記憶がある。異世界だからといって奇抜なデザインにすると違和感を覚えるだろうし、納得できる話ではあった。
(しかし……うーん、『花コン』のナズナらしい格好になったなぁ)
俺はこちらをチラチラ見てくるナズナへ視線を返し、その格好を見ながらそんなことを思う。
肩口で切り揃えた緑髪に白いリボンを巻いた剣の鞘、『花コン』の制服で身を包んだその姿は遠い記憶の中で遊んでいたゲームに登場したものとそっくりだ。ようやくここまできたんだとちょっと涙が出そう。
「わ、若様? なんでそんなにじっとわたしを見るんですか?」
「いや、学園の制服が着慣れないようだから大丈夫かと思ってな」
俺は考えていたことをおくびにも出さず、そんなことを答える。するとナズナは落ち着かない様子で膝同士をすり合わせた。
「その、スカートがちょっと……落ち着かなくて……」
「ん? そうなのか? 屋敷だとメイドさんの服を着てたじゃないか」
スカート自体には慣れているはずだが……ああ、メイド服より丈が短いからかな? でも指摘したらセクハラか、これ? スカートは膝丈だけど慣れてないと落ち着かないか。戦闘時はズボンだもんな。
でも、恥ずかしがるナズナを見ると、そういう面でも成長したんだなって感じる。三歳の頃から見てきた子が情緒面でも成長し、大人になっていってるんだな、なんて感慨深く思う。
「こ、こんな可愛らしい服装はちょっと……」
「似合ってるから大丈夫だって。そのうち慣れるさ」
社会人のスーツだって、最初は着られている感じがしても自然と着こなせるようになる。それと同じだ。
ナズナに対して言い宥めつつ、俺の隣に座るモリオンへと視線を向ける。こちらも『花コン』と同様の外見になっており、なんとも感無量だ。
そんなモリオンは何をしているかというと、手に持った小冊子をなにやら熱心に読んでいる。学園に入学するにあたり、新入生全員に配布される案内だ。そこには学園での生活に関する基本的な情報が書かれており、それを丁寧に読み進めている。
「モリオンは……何か気になることでもあったか?」
集中しているところを邪魔するのも悪いが、気になって尋ねた。するとモリオンは案内から目線を上げ、俺を見てくる。
「いえ、学生寮は実家の爵位で割り振りが変わるようですが、ミナト様がどこの寮になるのかと思いまして。辺境伯家は侯爵相当ですし、上級貴族寮でしょうか? それとも伯爵扱いで中級貴族寮でしょうか? それなら子爵家の私と同じ寮になるな、と思いまして」
「……それ、大事なことか?」
「ええ。ミナト様が上級貴族寮に入られるとなると、傍に侍るには部屋をお借りしなければなりませんから」
ちょっと、何を言っているのかよくわからない。でもモリオンが真剣だっていうことだけは伝わってきた。
「わ、わたしも! わたしも陪臣とはいえ子爵家の人間ですし、若様と一緒の寮がいいです!」
「さすがに男女は別だろう……別だよな?」
ナズナも変なことを言い出したためツッコミを入れるが、ちょっと自信がない。『花コン』だとどうだったっけ? 『花コン』の主人公は序盤はアイリスの『召喚器』扱いで、部屋がすぐ傍に用意されていたはずだが……まあ、身分は一般市民と変わらないから部屋というか物置だったけど。
貴族寮は上級、中級、下級とわかれているが、貴族寮は従者を連れてきた者用に平屋建ての一軒家みたいな間取りになっていたはずだ。等級によって部屋の広さが違うし、アイリスに召喚された主人公目線の話だし、俺が入る貴族寮だとどうなんだろうか。
なお、騎士や一般市民の場合は一般寮と呼ばれる寮に振り分けられ、こちらはワンルームの部屋だったはずだ。しかもトイレや風呂が共用で、本当に学生寮って感じである。
一応、王立学園の運営に貴族の家から寄付が贈られているからその見返りで貴族寮がある、みたいな設定が『花コン』にあったはずだが……ダンジョン内でもあるまいし、モンスターがいなくて屋根と壁があってベッドがあれば上等だと思うんだけど。
(辺境伯家の嫡男として、そんなことはできないんだけどさ)
さすがに修行の場合は例外扱いだが、俺にも立場があるし、相応の場所に寝泊りしなければ家の格が落ちてしまう。面倒だが貴族というのはそういった体面も大事なのだ。
そんなこんなでナズナやモリオンと会話をしつつ、馬車に揺られて一時間弱。窓の外に学園の外壁が見えてきて心臓が早鐘を打ち出す。
ナズナとモリオンに悟られないよう、静かに深呼吸を一つ。それだけで長年訓練してきた体は落ち着いてくれるが、精神まで落ち着くのは難しい。
(これが、王立ペオノール学園……『花コン』の舞台……)
この感情を言葉に表すには、なんと言えば良いのだろうか。感動か、焦燥か、興奮か。それら全部を混ぜ込んだようなこの感情を、なんと呼ぶのか。少しばかり涙が出そうで、心臓が締め付けられるようで、プレッシャーで胃が痛い。
学園の敷地は広く、小さな町ぐらいある。外部と内部を隔てるように建てられた石造りの壁は高く、分厚く、防衛戦ができそうなぐらいだ。学園も王立図書館同様、『最深ダンジョン』に備えた場所だから間違いではないが。
学園は端から端までは一キロメートル近くあり、敷地の造りは正方形に近い。入口は正門、裏門、東門、西門の四カ所に設けられており、それとは別に東南方向に図書館につながる門が造られている。
今日は入学式ということで正門が開け放たれ、俺達と同じように馬車で訪れた者が正門をくぐっていく。他にも王都から歩いてきた一般生徒もいるが、それぞれ緊張した面持ちだ。
正門をくぐると何台もの馬車がすれ違える広さの煉瓦造りの道が真っすぐに伸び、学園の中央へとつながっている。たしか上から見ると『田』の字みたいに煉瓦造りの道が造られていたはずだ。
『田』の字の右下部分に学生寮があり、右上部分に教室棟、左下部分に教職員や使用人の寮、闘技場や倉庫、左上部分に訓練場があって『花コン』だと行き来できた。
しかもそれぞれの場所で更に細かく施設が分かれており、たとえば教室棟は貴族棟、騎士棟、学術棟、技術棟の四つに分かれていたはずだ。訓練場も第一から第三、それと屋内訓練場の四つがあったはずである。
通う学生の数も多いが、教職員や施設を維持するための使用人はそれ以上に多い……それが王立学園という場所だ。
そうやって学園の様子を確認していた俺だが、馬車が進む先に巨大な鐘楼が見えて思わず目を見開いてしまう。
(おお……あれが本物の『真実の鐘』……でけぇ……ジョージさんがアイヴィさんに告白したのもここかぁ……)
たしか一時間おきに鐘が鳴るようになっていたはずだが、真実を告げても鐘が鳴るはずだ。つまり一時間おきに鳴るタイミングで何か告白すれば、真実だと思わせることも可能かもしれない。
(でも、鐘が鳴るタイミングを把握されてたら嘘だってバレるか……さすがに使えないな)
学園で生活していれば鐘が鳴るタイミングも自然とわかるようになるだろう。つまり、『真実の鐘』を使った詐術は難しいってわけだ。いや、誰かを騙す予定はないけどさ。
そうして馬車が進むことしばし。馬車が向かうのは教室棟の一つ、学術棟だ。
学術棟は全生徒が使用する場所で、入学式みたいな集会も行えるよう最上階に大きなホールが造ってある。そのため馬車もそこへ行き、俺達を下ろしたらUターンして去っていく。そのまま帰るのではなく、持ってきた荷物を寮の方まで運んでくれるのだ。
(……ん? なんかやたらと見られてるな)
馬車から降りると周囲からの視線を感じた。服装におかしなところは……ないな。帯剣しているから? でも他にも帯剣している者がいるというか、貴族の男子は大抵帯剣している。していないのはモリオンみたいに魔法が得意な生徒ぐらいだ。
「さすがはミナト様。どうやら周囲の者達にも武名が知れ渡っているようですね」
ねえモリオン、何がさすがなの? 『花コン』での関係から考えると君にヨイショされるの怖いんだけど。もちろん、今のモリオンに俺を罠に嵌める気なんてないとは思うけども。
「大勢に知られているとなると身が引き締まる思いだよ。まあ、今の俺はみんなと同じくただの学生になるんだがね」
当たり障りのないことを言って苦笑し、案内係が促すまま進んでいく。入学式が行われる大ホールは学術棟の最上階だ。さすがにエレベーター等はないため歩いて登っていく。
(モリオンの話じゃないけど、周囲からの視線が多いな……え? そんなに知られてるの? それとも自意識過剰なだけ?)
ある程度名前が売れていてもおかしくないが、さすがに周囲からの視線が多い気がする。名前が売れていることと外見に関する情報が広まっていることはイコールじゃないはずだが。
理由はいまいちわからないが、その辺の生徒を捕まえて尋ねるわけにもいかない。『君、今俺を見てたよね?』なんて話の振り方で近付いたら自意識過剰のやばい奴である。
いや、王国東部出身の生徒――つまりうちの派閥の生徒なら答えてくれるかもしれない。まあ、現時点だと誰がうちの派閥かそこまでわかってないから無理なんだが。
(今は気にしていても仕方ない、か。とりあえず入学式を乗り切らないとな)
学術棟は四階建てで、一階が一年生、二階が二年生、三階が三年生が使用する形になる。入学式が行われる大ホールは最上階である四階で、学術棟の中を横目で確認しながら階段を登っていく。
さすがに前世の学校のようにリノリウムの床ではなく、コンクリートや石材で造られているが躓くことがないよう段差などはない。階段も一段ごとの高さが一定で揃えられており、建築技術の高さをうかがわせた。
そうやって階段を登ること少々。四階に到着して案内係に促されるまま大ホールへと入る。大ホールは俺の感覚で言うと前世の学生時代、何度も利用した学校の体育館だ。
実際にスポーツをやるための構造にはなっていないが、板張りの床に大勢が座れるよう木製の椅子が並べられ、床から一メートルほど高くなっているステージには演説をするための机が置かれている。
『花コン』が学園モノということもあり、この辺りも前世の日本の学校をモチーフにしてあるのだろう。それでいて貴族社会でもあることを示すよう、机や椅子、壁や柱などは日本らしくない西洋風のデザインが施されている。
並べられた椅子には既に多くの新入生が座っており、それを不自然にならない程度に眺めながら自分の席へと案内される。
(まだ出会っていない『花コン』のメインキャラは……さすがにパッと見じゃわからんな。ん? あれはアレクか。さすがに道化師の服じゃないんだな。顔は道化師メイクのままだけど……)
座っている生徒の中に道化師メイクのアレクを発見。向こうも俺に気付いたのかウインクを送ってきたため軽く手を振って答える。
そうやって自分の席に案内され……えーっと、多分、東部貴族ばっかりですねぇ……で、俺を見て一斉に立ち上がっちゃったんだけど……。
「諸君、楽にしたまえ。それと諸君らの敬意は嬉しいが、入学式の前だ。着席して素直に待つとしようじゃないか」
俺は貴族としての仮面を被り、薄く微笑みながらそう伝える。すると周囲にいた生徒達が一斉に座るけど……君達練習でもしていたのかな? え? 俺ってたしかに東部貴族の旗頭みたいな家の人間だけど、こうして出迎えないと怒るように思われてる? ストレートに侮辱されない限り割と温厚だよ?
(あっ、もしかして東部貴族は派閥として一つにまとまっているぞっていう周囲へのアピールか? でも中には滅茶苦茶緊張しているというか、ガチガチになってる子もいるんだが……)
えぇ……俺ってそんなに怖がられてるの? たしかに顔は強面の方だけどさ……初陣こなして『王国北部ダンジョン異常成長事件』で勲章もらうような活躍して、『魔王の影』と戦って、修行で大規模ダンジョンに挑んでいたって考えると……あれ? 割と妥当か?
俺はガチガチに緊張している男子生徒の肩に手を置く――と、雷に打たれたかのようにビクッと体が跳ねた。
「いくら入学式で緊張するといっても、今からそれだけ緊張していては身がもたないだろう。もう少しリラックスしたまえ」
「は、はいっ!」
うん、入学式が原因じゃないわ。俺が声をかけたのが原因だわ。おかしい、貴族として教育を受けているはずなのに何故ここまで俺にビビる……いくら実績があるといっても限度があるぞ。
(思った以上に名前が売れてるのか、それが原因で必要以上に怖がられているのか……うちの派閥の人間だし、怖がられても困る……というかちょっとへこむ……)
肩を叩いた男子生徒だけじゃなく、男女問わず他の生徒達からも向けられる態度が固い。東部貴族の中でリラックスしているのはナズナとモリオンぐらいだ。
(ま、まあ? これから打ち解けていけばいいんだし? 大丈夫だろ……大丈夫だよな?)
俺は自分にそう言い聞かせ、入学式の開始を待つのだった。