イグナイトの独白
これは私、イグナイトの、ある夜会でのできごとからの物語だ。
「最近、夜会でホワイト伯爵が、娘の肖像画を配りながら、自慢話をしているらしいぞ」
「ホワイト伯爵に娘なんていたか?」
「それが、絶世の美少女らしい」
周りにいた貴族達がワインを片手に噂話をしている。
連日の夜会にうんざりしていた私は、そんなに美少女であるなら、一目みさせてもらおうと、壁ぎわから動きだした。
少し小柄な男が、貴族達を集めて話をしている。
「失礼。ホワイト伯爵だろうか」
「はい? ……ひぇ、アメティスタ公爵閣下!」
その男は、私の声に振り返ると、持っていた肖像画を、手から離す。
「おっと」
その肖像画を、床に落ちる前に受け止めた。流れで、描かれている絵をみる。
瞬間、思考が止まった。絵の中の少女は、広い湖を覗き込むように少しうつむき、ともすれば、どこかに消えてしまいそうな、儚い表情をしていた。
たしかにこれは美少女だ。
動悸がする。胸元を握りしめ、肖像画にみいってしまう。なんだこれは、こんなことがあっていいものか。私は一瞬でこの絵の少女に心を奪われた。
ホワイト伯爵の周囲にいる貴族達を確認する。
男爵令息、子爵令息、子爵令息、また男爵令息。それも次男以降。
いずれも、ホワイト伯爵家より格下の家だ。
絵の中の少女と釣り合う歳の貴族達だな。
娘の婚約相手を探しているのか。
「肖像画が、も、申し訳ありません」
「いや、大丈夫だ。こちらの肖像画、いただいても構わないか?」
「そ、それは……」
伯爵は慌てて拒否しようとするが、有無を言わさず、肖像画を懐におさめる。
「ご令嬢の話を聞きたい。別室に移動しよう」
「あ、はい……」
断れないようにしたのは私だが、怖がらせるつもりは無かった。
伯爵の縮こまる様子をみて、少し反省する。だが、後悔はしない。
別室のソファに座り、伯爵を目線で目前のソファに促す。
伯爵がぎこちなく座るのを見届けて、本題にはいる。
「私は、イグナイト・アメティスタだ。ご令嬢の名前はなんというのだろうか?」
「む、娘の名前は、リリーローズと申します」
あの少女はリリーローズという名なんだな。似合っている。
「伯爵はご令嬢の婚約相手を、お探し中とお見受けした。まだ目星をつけた者がいなければ、私が立候補しよう」
ホワイト伯爵家は、北の辺境を守る、王国にとって重要な家だ。私と婚約しても、なんら問題はない。陛下にはむしろ歓迎されるだろう。
「わ、私は、娘を他領に嫁がせるつもりはなくてですね」
ああ、さきほどの貴族達をみていれば、それは分かる。
「伯爵、あなたの家と、私の公爵家が縁続きになることは、国力強化に繋がる重要な意味がある」
伯爵も私の言葉に納得したのか、ゆっくりと頷く。
「ご令嬢を大切にされているのは分かるが、ここは一つ、国の為だと思って呑んではくれまいか?」
「……わかりました……」
伯爵はガックリと肩を落とした。伯爵には悪いが、我ながら上手い説得だったな。
「婚約は承知いたしますが! 娘はまだ子どもですので、結婚はあと一年お待ちください、一年後王都に連れてきましょう」
「……分かった。待とう」
これは、伯爵に一本とられたな。はぁ、一年の辛抱か。
肖像画でみただけだというのに、なぜこんなにも気になるのだろう。自分のことながら、制御できない気持ちにとまどう。
実物に会って話をしてみたいと思いながら、長い一年を堪えた。
「風邪をひいているだと?」
ご令嬢と婚約して一年後。夜会で伯爵に会うと、ご令嬢は風邪をひいて寝込んでいるので、連れてこられなかったといわれた。
「はい……。申しわけありません。そういう訳ですので、来年こそは連れてきます」
風邪であれば、仕方がない。ご令嬢の回復を祈る言葉をかけて、伯爵から離れた。
公爵邸の執務室で、一年前に手に入れた肖像画を机において、ご令嬢の事を考えていたとき、乳兄弟のエルドーレに声をかけられる。
「最近、仕事に身が入っていないときが多くないか?」
「そうだろうか」
「おう。今だって……、うわ、なんだこの肖像画! 現実にこんなご令嬢がいるわけない! 多分盛ってる。いや、絶対盛ってるぞこれ」
エルドーレは、私の机をみると同時に肖像画を指さして叫んだ。
失礼だな。そんなことは私だって考えた。だが、これは理屈ではないんだ。
「放っておいてくれ」
「いいか、イグナイト。目を覚ませ。これは幻だぞ。夢をみるな。俺の妹なんて、画家の絵を見ては、こうしろ、ああしろと無茶な注文をして、最終的には別人の肖像画ができあがっている」
実体験だということは分かったが、いい加減にしてくれ。エルドーレをねめつける。
「口を閉じないと、お前の妹に、今の話を一言一句たがわず伝えるが、かまわないな?」
「げぇ、それは勘弁!」
そうこうしながら、二年後。伯爵に会う日がきた。今年こそは、ご令嬢に会うことができるだろう。ご令嬢はどのような性格をしているのか、楽しみだ。
「北の森に行っていて、連れてこられなかった……か」
鋭い目で伯爵をみる。伯爵は目を泳がせた。大分無理のあるいい訳だと分かっているのだろう。
「……う、申し訳ございません」
「来年の王宮舞踏会には連れてきてくれ」
期待を裏切られた。いい加減我慢の限界だ。王宮の舞踏会であれば、そうそう裏切られることはない。もし、連れてこなければ、今度は実力行使にでるだけだ。
「分かりました……」
伯爵は観念したらしく、うなだれながら帰って行った。
婚約してから三年後。国王陛下に、婚約者が舞踏会にくると伝えたところ、王宮の貴賓室を一部屋貸してくれることになった。
ご令嬢に王宮で待っていると伝えるよう、伯爵に手紙で頼む。
やっと王宮舞踏会の日だ。
ここまで舞踏会の日を待ちわびたことはなかったなと、感慨にふける。
王宮に仕える侍従がご令嬢の到着を告げにきたので、貴賓室に行ったが中には誰もいなかった。
侍従が、伝えることを間違えるわけはないだろう。
「部屋を出てしまったのか?」
もしかしたら、一人で会場に行ってしまったのかもしれない。急いで会場に向かう。
「……キャ!」
「おっと、すまない。大丈夫か」
道すがらの曲がり角で、女性にぶつかりかける。
「こちらこそ、すみません。アメティスタ公爵様」
「これは、リリアンヌ子爵令嬢。そんなに急いでどうした」
たしかアレクシス殿下の婚約者候補の一人だったな。
「アレクシス様が、いつまでたっても部屋に迎えにきてくれないので、会場に行こうとしていたところなんです」
会場は反対方向だが……。
道に迷っていたリリアンヌ子爵令嬢を連れて会場に行くと、周囲が騒がしい。
「あれは誰だ」
「見たことの無いご令嬢だな」
「ホワイト家の幻の令嬢じゃないか?」
「なぜ王子殿下と一緒にいるんだ」
皆が見ている方を確認する。
殿下と思わしき人物が、小さなご令嬢の肩を抱いて、ヴィットーリア侯爵令嬢と話していた。
ご令嬢はプルプルと震えながら、泣き出しそうな表情をしている。
あれは、私の婚約者だ! 殿下は何をやっているんだ!! ご令嬢とリリアンヌ子爵令嬢の服が同じだから間違えたのか!? ありえない!
甥には後できつく灸を据えることにした。
その後、私はローズを救出し、念願の会話を楽しんだ。結婚の承諾ももらい、浮かれて日にちまで決めようとした。
ローズに慌てて止められ、我に返ったほどだ。
「イグナイト様? ボーッとしながら、何を見ているのですか?」
ローズが部屋にきた。私が見ている肖像画を覗き込む。
「……こ、これは……! なんでここにもあるのかしら……! は、恥ずかしいので見ないでくださいぃぃ!!」
何かに気づいたローズは、叫びながら肖像画を取り上げようとしてきた。
これは、私の大切な思い出の品なので、いくらローズにでも渡すことはできない。
「いい絵じゃないか」
「私にとっては良くないものなのですわーー!」
慌てる姿も可愛い。他の誰かに取られる前に婚約し、結婚できたのは奇跡だったな。
お読みいただきありがとうございました( . .)"