時のはざま
銀座四丁目の中央通りに面した大きな楽器店のシャッターの脇で、街灯の明かりをたよりに占い師が天眼鏡で女性の手相を見ていた。夜の9時頃である。
「私にとって、最愛の男性なんです」
椅子に座った若い女性がそう言って、占い師の顔を見た。占い師は、天眼鏡を組み立て式のテーブルの上に置くと、こんどは女性の名前を書いた紙片を広げ、文字の画数を計算して紙片に書き込んだ。そして女性に言った。
「ごらんなさい、この字画数に陽の数字が複数でている。あなたの前途には、大きな幸運が待っています」
「その彼を信じていいのでしょうか?」
女性が問うと、
「その男性の愛情は真実と思ってさしつかえない」
と占い師は返答した。
女性は、笑顔で礼を言い、紙幣を支払って立ち去った。
「繁盛してるようだな」
黒いスーツを着た男が現れて、占い師の前に座ると、薄笑いを浮かべて言った。
占い師はこわばった表情で、男の顔を見た。
「相談ごとは、なんです?」
「当ててみな」
占い師が黙っていると、男は、言った。
「シリンダーは、どこだ? ドクター」
「さて、何の話しかな」
「とぼけるな。あんたがゾディア社から盗んだ時空機のシリンダーだよ」
「そんなものは、知らない。人違いだ」
男は占い師をなおも問い詰めようとしたが、あたりの雑踏に躊躇し、声をひそめて言った。
「いいか、ここもタイムパトロールの捜査対象の時代だ。捕まる前にシリンダーをこっちに渡せば、礼ははずむ。あんたにとって、悪い話ではないだろ」
黒いスーツの男は闇のブローカーだった。二〇五〇年の未来世界ではタイムマシンは時空機と呼ばれていた。乱用による歴史の混乱を防止するために個人所有は禁止されていたが、シリンダー状の装置は闇で売買され、時空を面白半分に跳躍する人間は後を絶たなかった。
ブローカーの男が決意をうながした。
「どうする、ドクター?」
ドクターと呼ばれた占い師が口を開いた。
「シリンダーは、地下鉄改札脇のコインロッカーのなかだ。いくら出すね?」
「500万、キャッシュで」
「よかろう」
ブローカーはショルダーバッグの中から封筒の包みを取り出し、占い師に渡した。占い師は中の紙幣を確認すると、ポケットから出したロッカーの鍵をブローカーに渡した。取引は一分とかからず成立した。ブローカーは地下鉄の昇降口の階段に消えた。
未来からやって来たドクターと呼ばれた男は、もとより本職の占い師ではない。殺伐とした未来世界よりも、平和なこの時代に暮らすことを望んで住み着いたのだった。知り得た未来の知識を交えて人々の将来を占い、幸福に導くことを日課にしていて、これが当たると評判になっていた。
ドクターは、テーブルと椅子を畳むと近所の雑居ビルの懇意にしている守衛に預け、ネオンの輝く歩道を有楽町駅へ歩いた。
アパートに帰ると、チェストの引き出しを開けた。銀色の金属製の長さ十五センチほどの円筒形のものが十本ばかり収納されていた。シリンダーはまだ保管していた。その表面には現在時刻を表示する画面があり、操作ボタンが並び、筒の下側には固有番号が刻印されている。ゾディア社に不満があって辞めたとき、研究室にあった試作品を持ち出したのだ。
(こいつは、金のなる木だ)
ドクターはそうつぶやくと、札の入った紙袋を引き出しの中のシリンダーの脇にしまった。
翌日の夜、ドクターと呼ばれた占い師は、いつもの銀座の歩道でテーブルを拡げていた。街には心地好い夜風が吹いていた。
「占い師のおじさん!」
そう呼ばれて顔を向けると昨晩の女性が笑っていた。
「わたし、決心して婚約しました。おじさんのおかげです」
女性の隣には、若い男性が立っていた。
「きのうお話しした彼です」
女性がそう言うと、隣の男性は軽く頭をさげた。
「今日は、おじさんに彼も占ってもらおうと思って」
「じゃあ、ここにあなたの名前を書いてごらんなさい」
座った男性は、紙に名前を筆記した。
占い師の顔でドクターは名前を一瞥する。
……芝倉洋一!
占い師は、顔色を変えた。そして目の前の誠実そうな男性の顔を凝視した。
遠い将来、ゾディア社に時空機の駆動理論を売り込んで高額な報酬を手にしたエンジニアの男の名前だった。
「おじさん、どうですか?」
女性が占い師に問う。
「いや、失礼。これから将来、お金持ちになる名前だよ」
「良かった! おじさんありがとう」
女性は無邪気に笑った。
二人が去ると、ドクターはしばらく、その後ろ姿を眺めていたが、この時代から、そろそろ移動すべき時期かもしれないと考えていた。そして、いつものようにテーブルを預け、裏通りを歩いて駅へ向かっていると、後ろから肩をたたかれた。
「ドクター、あんたを捜していたよ」
振り向くと、二人の男が立っていた。二人とも、肩から時空機のシリンダーをさげていた。タイムパトロールの要員だった。
「嫌疑はわかっているね。時空機管理法違反だ」
占い師は、黙っていた。
二人の男は、占い師に身体を密着させて、時空機の転送効果の有効範囲を作っていた。左にいた男が肩から下げたシリンダーのボタンを押して年代を設定した。
歩道の暗がりにいた三人の人影が、淡い光につつまれた直後、ぱちぱちとスパークするような音が聞こえ、人影は消えた。
その歩道から、わずかに離れたところに位置した通りに面したビアホールで、占ってもらった芝倉洋一が婚約者と会話を交わしていた。
「いまいる会社ではできない研究を、ぼくは考えているんだ」
女性は好奇心をみせてたずねた。
「どんなことなの?」
「そのうち話すよ。驚くような技術だよ」
女性は相手の言葉に知性を感じ、将来の幸福を予感した。
一週間後、占い師の住んでいたアパートの大家が、帰宅しない居住者を心配し、警察官と共に鍵を開けて室内に入った。
警察官がチェストの引き出しのなかの奇妙なシリンダー状のものと、紙袋に入った紙幣の束を見つけた。だが、よくみると紙幣は粗悪なコピーだった。
シリンダー状の用途不明の十本ばかりの品物は、しばらくアパートの大家が保管していたが、やがて廃棄された。