93 先帝の愛と娘の不信
本日二話投稿です!
斉の後宮では蟬も眠らない。
真昼ほどではないが、蟬の声があちらこちらから聴こえてきた。夜通し燈されている燈火が蟬を狂わせるのだろう。
だが、後宮の喧騒が聴こえないぶん、離宮はそれなりに静かだ。
「柴家では一睡もできなくてね」
そうつぶやいた紫蓮にうっすらと隈ができていたせいか、絳は「今晩は離宮の臥房で眠りましょう」と気遣ってくれた。幸い離宮には女官のための臥榻があまっていたので、紫蓮の臥房に運ぶ。離宮でも絳が一緒にいれば、安全だろう。だが、どうにも神経がたって眠りにつけず、紫蓮は寝がえりばかりを繰りかえしていた。
「まだ、起きているかな」
「もちろんです。紫蓮こそお疲れでしょうに、眠れないのですか」
紫蓮が声をかければ、臥榻をならべて眠っていた絳が微かに身を起こした。
「寝つけなくてね。ねえ、きみはなんで、先帝が母様を愛していたと知っているんだい」
それほどまでに先帝にちかいところにいたのか。武官や文官程度では、皇帝に拝謁することもかなわないのがふつうだというのに。
「有難いことに先帝陛下は事あるごとに私に御声をかけ、護衛として側においてくださっていたので。陛下は愛する御二人の身を危険にさらさぬよう、敢えて遠ざけていましたが――逢わなかっただけで、時々離宮までは御越しになられていたんですよ。私も二度ほど御供させていただきました」
「まさか」
「意外ですか。いつも遠くから、愛しげにおふたりのことをみておられましたよ」
おどろいたが、続けて怒りがわいてきた。母親がどれだけ逢いたがっていたことか。だが、最後にはため息だけが残る。
「遠くから想われても、ただただ、惨めなだけだよ」
「違いない」
言葉にせず、想いがつたわるはずもない。そんなものは想いあがりだ。
「陛下は理想だけで酔える男だった。人は産まれながらに平等であるべきだという夢を実現できると疑わず、信念を貫き、理想に殉じた。私は、そんな陛下の姿がうらやましくて」
「うらめしかった、のかな」
声もださずに絳が嗤ったのが息遣いでわかった。
「御側にいってもいいですか」
お読みいただき、ありがとうございます。
三部は残すところ、あと一話になりました。
皆様の応援をかてに連載を続けることができております。三部終了後は四部の連載準備に掛かりますので、今後とも応援していただければ幸いです。