79 男の願いは棺に櫛ひとつ
「大家から遺書を預かった」
皇族ともなれば、いつなにがあってもいいよう、信頼できるものに遺書を預けておくものだ。ほとんどは遺産等にかんすることだが、側近である戒韋に宛てられた別紙があったという。
「納棺するときはこの櫛をともに収めてほしいと」
銅の櫛を差しだされる。勿忘草の彫刻が施されていた。
紫蓮は微かに眼を見張る。
「……わかっている。男が、櫛を副葬するなんて妙におもったんだろう」
埋葬する時、屍と一緒に納棺する物を、副葬品という。
故人の愛惜の品物や身分を表すもの、あるいは死後の旅で役だつ路銀、馬の像などを収めることもあった。男の副葬品は刀剣、玉佩、あるいは釉薬の施された器などだ。櫛、簪や笄、耳飾り等の装身具は女の副葬品だった。
「いいや、ちっとも変だとはおもわないよ」
戒韋はあからさまに安堵した様子をみせた。他でもない彼が、どこかで恥ずべきことだとおもっていたのだろう。
「よほどにたいせつなものだったんだね。誰かからもらった櫛なのかな」
言うべきかどうか、ひと握りの葛藤を覗かせてから、戒韋がつぶやいた。
「俺が、差しあげたものだ」
「へえ」
意外だった。好いた女にならばともかく、彼があるじにたいする贈り物に櫛を選ぶ男にはみえなかったからだ。
「大家が幼学(十歳)になられた誕生日にご両親が大家を連れて、都にお出掛けになられた。殿下は大家に「欲しい物はあるか」と尋ねられた」
殿下ということは柴 綜芳の父親のことか。先帝の弟だ。確か、柴 蘇朴といったか。噂によれば、武官として功績をあげたとか。
「殿下は息子に剣を与えるよい機会だと考えておられたらしい。だが、大家は剣ではなく、細工の施された櫛を欲しがった」
紫蓮が微かにため息をついた。どうなったのか、想像がついたからだ。
「殿下はたいそうお怒りになられた」
「そうだろうね」
男はこうあるべき、女はこうあるべきという縛りは幼少から始まるものだ。親は息子に男を強い、娘に女を強いる。あげく、親がきめた道を進まなければ、恩知らずだの、期待を裏切っただのと責めたてるのだ。
幸せのかたちまできめつけて。
「大家は眼を腫らして、泣き続けていた。せっかくの誕生日だったのにな。俺はそれがおかわいそうで」
さながら兄貴分だ。 綜芳は享年二十一歳、戒韋は三十六歳になるのだとか。十五歳差ということはその頃から養育係もかねて側にいたのだろう。
「大家が欲しがっておられた櫛を、後から手に入れて、こっそりとお渡しした」
「それが、この櫛なんだね」
「もう、とっくに処分されたとおもっていたんだが」
戒韋が苦笑する。彼に逢ってからはじめてみた、心からの笑みだった。
高値な物ではあるまい。だが、綜芳は十年経っても、この櫛をだいじにしていたのだ。
「想いかえせば」
櫛を握り締めた戒韋の手が震える。
「大家は幼い時から変わらず、争いを好まない穏やかな心根の御方だったのに。俺が、追い詰めたから、こんな」
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