71 縊死と絞殺の違い
「妙だよ」
紫蓮がつぶやいた。
「なにか、わかりましたか」
「まず、ひとつ。倚子を蹴ったのだとしたら、彼は地に足がつかない状態で縊死しているはずだ」
「そうなりますね」
「だとすれば、椎骨動脈がいっきに圧迫されるから、血流が滞って顔は蒼白になるものなんだよ。でも、彼は顔が紅潮して膨れあがっている。ここから、彼は窒息死したものと考えられる」
「ちょっと待ってください。縊死というのは窒息死とは違うのですか?」
縄が喉に喰いこむことで呼吸ができなくなり絶命するのだと思っていたのだが、紫蓮は「違うよ」と首を振る。
「縊死は呼吸じゃなくて血が停まるんだ。動脈がせきとめられることで意識が落ちて死にいたる」
紫蓮はみずからの喉もとに指を絡めてみせる。
「それにたいして、窒息死は気道を塞がれることで息ができなくなって、命を落とすんだ。溺死も窒息死に分類できるね。要するに、だよ」
紫蓮はここで声を落とす。絳は身をかがめ、耳を寄せた。
「絞殺の疑いがあるのさ」
自害ではなく殺人――絳は息をのみ、神経を張りつめた。
「もうひとつ」
紫蓮は屍の下眼瞼を引っ張った。もとから剥きだしになっていた眼が眼窩から落ちそうで、絳はひやりとする。
「ほら、ここ、斑になっているのがわかるかな」
紫蓮にうながされて、覗きこむ。
綜芳の結膜には針の先端で刺したような赤い斑紋があらわれていた。
「溢血斑といってね、これは死亡時に椎骨動脈は塞がっていなかった証拠になる」
「つまり、柴 綜芳は自害ではなく、何者かによって絞殺された。自害したと見せかけるため、すでに息絶えた屍が縄にかけて吊るされた――ということですか」
だとすれば、大事件だ。遠縁とはいえども、皇帝の親族が殺されたのだから。だが、重大な事態だからこそ慎重を期さなければ。
「すまないが、女官に声をかけて桶いっぱいの湯をもらってきてくれないかな。先程の彼に頼み損ねてしまってね」
検死を終えて紫蓮は清拭に移る。絳は「承知しました」と退室した。そろそろ異臭で息がつまってきたところだったので、助かった。階段のところにいた女官に声をかけ、湯桶を頼む。絳が得意の愛想笑いを振りまいていたのもあってか、女官は頬をそめて「ただいま、お持ちいたします」と声を弾ませた。
「ああ、ちょっとお待ちください」
絳は女官を呼びとめ、髪に触れる。
「失敬、綺麗な御髪に埃がついていましたよ」
「え、わっ、ありがとうございます……」
女官は嬉しいやら恥じらうやらで目をまわしている。こういうときは容姿に恵まれていて、得をしたとおもう。
「ところでひとつ、伺いたいことがあるのですが」
「な、なんでしょう」
「玄 戒韋は綜芳殿下と親しかったのですか? ずいぶんと参っておられるご様子でしたので」
「戒韋、ですか?」
綜芳の屍の第一発見者は玄 戒韋だ。平旦(午前三時)という時刻に房室を訪ねるというのも不自然な話で、絳は真っ先に玄 戒韋を疑っていた。
現在の法医学でもこの「溢血斑」は自然死、もしくは自死なのか、あるいは殺人なのかの判断材料のひとつとして確認されます。
果たして犯人は戒韋なのか……
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