59 妖妃、刺客に襲われる
夢が、破れる。
「っ……は」
眠りからさめた紫蓮は胸もとを握り締めて、なんとか呼吸する。
臥榻から身を起こして、彼女は壁にかけられた鏡に視線をむけた。
髪を伸ばした姑娘の姿が映っている。
幼かったせいもあってか、紫蓮は男として育てられることに抵抗はなかった。それは母親が死に、紫蓮が後宮の死化粧妃という称を受け継ぐまで続いた。襦裙を渡されて妃らしい格好を強いられたとき、紫蓮は言葉にできない空虚感をおぼえた。男だとか、女だとか、くだらない。こんなやっかいな呪縛に誰も彼もが捕らわれ、息もできずにもがき続けているのか。
「女は微笑んでいなくては」「男なのに、涙をみせてはいけない」
そこにどんな違いがあるだろうか。
女も、男も、強いられるものではない。紫蓮はただ、紫蓮として――
「いまさらだね」
母親は死んだ。
夢は毎度、母親の顔が崩れるところで、終わる。いつかは崩れた顔しか想いだせなくなるのではないかと怖かった。
心細くて身を縮めていると暗がりでなにかが、きらりとひかる。
「ああ」
猫の眼だ。正確には猫の死骸にはめられた玻璃珠だった。
「心配してくれるのかい。だいじょうぶだよ、なんでもないさ」
臥房にならべられた猫の死骸たちに声をかける。みけ猫に縞猫、白猫もいた。どの猫もまるくなって、穏やかに微睡んでいるような格好で飾られている。
誰にも哀しまれることなく、後宮の端で命を落としていたものたちだ。宦官に回収されてごみと一緒に棄てられるのは哀れで、連れて帰ってきてしまった。いまでは眠れない夜に寄りそってくれる、たいせつな友だちだ。
「ちょっとだけ、風にあたってくるよ」
臥榻からおりて、廊子にむかった。
月が満ちているが、風は強く微かに遠雷が聴こえる。まだ遠いが、嵐がやってくるのではないかと紫蓮は感じた。
月明かりの院子では芙蓉の花が、ぽつぽつと落ちていた。まるく縮こまって落ちる芙蓉はまるめられた紙細工を想わせる。あるいは人の頚か。
拾いあげようと背をかがめたのがさきか。
背後から人の息が聴こえた。同時に殺意を感じ、総毛だつ。紫蓮が振りかえろうとする。だが、間にあわない。
紫蓮は地にたたきつけられ、組みふせられた。
見知らぬ男だ。宦官ではない。かといって、後宮の客でもなかった。
刺客、という言葉が頭をよぎる。
「っ――ふふ、僕が、耳障りなのかな。僕の語る、死者の、声が」
衝撃に息をつまらせたが、紫蓮は無理して声をしぼりだした。
想いあたることはいくらでもある。紫蓮は死化粧を通じて、権力が葬ったはずの罪をあばき、真実をさらしてきた。
いつかは殺されると理解していた。
母親と同様に。
紫蓮が落ちついていたせいか、刺客がわずかに戸惑った。だが、刺客はすぐに紫蓮の顎をつかみ、口に指を挿しこんできた。舌をつかまれ、紫蓮はこれからなにをされるのか、咄嗟に察する。
刺客は紫蓮の命を奪おうとしているのではない。
舌を、斬り落とそうとしているのだ。
ぞっとした。紫蓮は刺客の指をかみ、あばれたが、籠手をつけているのでどうにもならない。
紫蓮の眼に絶望がよぎる。
風が吹きつけた。
刺客の頚が、横薙ぎに刎ねとばされる。血しぶきが噴きあがった。男の背後には細身の男がいた。
「絳」
急転。
続きは明日の晩です。どうぞお見逃しなく。





