57「あなたが嫌われものでよかった」
奇人ラブ(?)があります
あらためて、頚を確認する。而立(三十歳)ほどか。妻がいて、家族もいただろう。哀れな男だ。
「稚拙な頚の落としかただね」
「わかるのですか」
絳は眼を見張り、身を乗りだす。
「断頭するまでに五度、剣を振り落としている。頚の骨は意外と硬いからね。熟達したものでなければ、剣一撃では落とせない」
宮廷には首斬役人の一族がいるが、大抵は斧をつかって落とす。とうぜんのことだが、失敗されるほどに受刑者は死ぬに死にきれず、地獄をみることになる。
「彼は、そうとうに苦しんだことだろうね……」
紫蓮は官吏の頬に散る血痕を拭う。後からあらためて清拭するが、まずは頚をつないでからだ。洗髪して髭も揃え、絶叫したかたちで硬直した口も微笑ませてあげなければ。
「ほんとうはね、わかっているんだ」
紫蓮は自嘲ぎみに失笑する。
「なにを、ですか」
「死は死だということを、だよ」
唇に乗せた言葉は重かった。
「いかにあろうと、命を奪われた、という事実に違いはない。それでも、苦痛は人の尊厳を潰す。死に様は、ときに生き様をも穢すものだから」
史実をさかのぼれば、残虐な死などはいくらでもある。敵、罪人、異なる思想を持ったものを、考えつくかぎり惨たらしく死にいたらしめ、これまで築きあげてきた経緯、功績まで陵辱する――これは現実に繰りかえされてきたことだ。
「乱の時にね、とてもきれいな頚をみたよ。骨を砕くことなく、ひと振りで頚が落とされていた」
想いだす。高きから低きに落ちる滝水のような斬撃。骨と骨のあいだをきれいにすり抜けて、絶っていた。あれならば、頚が落ちたこともわからないうちに息絶えることができたはずだ。
「幸福だったとはいわない。救いだともね。それでも、きれいだったんだ」
なぜか、絳が一瞬だけ、呼吸をとめた。たまらなく嬉しいような。それでいて、取りもどせないものを懐かしみ、胸を締めつけられるような。奇妙な揺らぎが、短かな息遣いにまざる。
「そう、ですか。それならば……よかった」
感傷を韜晦するように眼をふせて、彼は微笑した。
「さてと、これではご家族にも逢えないね。彼をよみがえらせてあげないと」
官吏のからだを運んできてもらった。頚を縫い、つなぐ。膝に乗せた屍に語りかけながら針を動かしていると、絳がすぐ背後から覗きこんできた。
「すごいものですね。縫いあともわからないくらいだ」
息が微かに耳にかかる。背筋がぞわりと痺れた。
「あのねぇ、近すぎるよ」
「そうですか? 約束どおり、触れてはいませんよ。紫蓮はおやさしいですから、まさか私が呼吸をすることまで、禁じたりはなさらないでしょう?」
「僕はやさしくないし、呼吸をしないでくれるなら、それに越したことはないよ」
「死んでしまうんですが」
「それがいやなら、距離を取ることだね」
「ひどいです」
そういいながら、ふふと笑いを織りまぜた息が、項に触れる。ぜったいにわざとだ。
「まったく……きみがなにを考えているのか、僕にはちっともわからないよ。こんないやがらせをしてなにが楽しいんだか」
「いやがらせなんてとんでもない。私はただ、あなたのことが好きなだけですよ」
熟れすぎた果実のように絳は瞳を蕩かせる。
「縁もない男の頚をたいせつに扱い、愛しげに縫いあげているあなたが――たまらなく好きです」
ああ、これは、嘘じゃないとわかってしまった。
だから敢えて、紫蓮は指摘する。
「嘘だね」
騙しあいみたいに。
「ふふふ、疑っている振りをするなんて酷い姑娘だ。わかっているくせに」
絳はくつくつと喉を鳴らす。
低い嗤いかただ。お得意の愛想笑いとはあきらかに違った。
「逢ったばかりのときは、あなたほどの技師が侮られ、妖妃だなんて謗られている不条理に憤りを感じていました。ですが、いまは」
背をむけているので、紫蓮からは彼がどんな表情をしているのか、わからない。微笑んでいるのか。真剣なのか。あるいは。
「あなたが嫌われものでよかった」
酷烈な眼をしているのか。
「私は得をしました。屍を扱うときのあなたを、こんなふうに独占できるなんて」
逢ったときから、そうだ。彼の考えていることは微塵も理解できない。
彼はおそらく碌でもない男だ。誠実ではあるが、どこかが致命的に壊れているのだと感じる。
それなのに、拒絶するつもりには、なれない。
彼からは、死を感じるからだ。
紫蓮が死を愛し、死に縛られているように彼もまた、死に捕らわれている。
「……きみというひとは、ほんとにどうしようもないね」
やれやれとため息をついて、黙々と針を動かす。
蝉噪だけが続く真夏の静けさが、奇妙に柔らかかった。
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ふたりの関係がどうなっていくのか。引き続き、お楽しみいただければ幸いです。





