5 穢された死はある
転落死とおもわれていた妃の検視が始まります。
「その女官の証言は、あながち嘘ともいいきれないよ」
意外な言葉に絳は眉の端をあげる。
「まず、ひとつ。黄妃は背後から突き落とされたのではなく、揉みあってから後ろむきに落ちている」
「現場をみてもいないのに、なぜ、そんなことが?」
「わかるよ。彼女の鼻は、折れていない。もっともやわらかい骨であるにもかかわらずね。割れているのも後頭部から側頭部にかけてだ。うつぶせに落ちたわけではないということだよ。かわりに腰と背を強打しているね。まだ、確かめていないが、尾てい骨を骨折しているはずだ」
紫蓮は静かな声で続ける。
「黄妃の頚をみてごらん」
「折れていますね」
美しい声を紡いできたであろう歌媛の頚は、あらぬ角度にまがって、折れている。頭から落ちたのだろうか。
「いいや、潰れているんだよ」
紫蓮が乾いた布を取りだして、黄妃の喉もとについた血潮を拭う。
「ほら、痣があるだろう。これは鬱血痕といってね、転落死ではまずつかない。頚を絞められた証だよ」
黄妃の肌には赤紫がかった痕が散っている。
紫蓮は細い指をあざにそえて、続けた。
「ここが親指、こっちが人差し指だね。わかるかな、僕ではどれだけ手を拡げても押さえきれない。女では無理だろうね。きみ、頚に指をまわしてくれるかな」
絳が頬をひきつらせる。指を添えるだけとはいっても、死人の頚を絞めるなど、進んでやりたくはなかった。だが、確かめるためにも指をあてがえれば、男が指をまわしてちょうどのところに痣がきた。
紫蓮の推理どおりだ。
指をはずしたときにあたったのか、妃の耳飾りが微かに音を奏でた。
一瞬だけ、絳の意識がそちらにむかう。
隻翼の鳥を模った風変わりな耳飾りだ。だが、何処かで見掛けたことがある。確か、容疑者の女官がそろいの物を身につけていた。妃が女官にあげたのか? だとしても、そろいで身につけるだろうか。
奇妙におもいながらも、いまはどうでもいいことだと視線を剥がす。
「黄妃は男に首を絞められ、殺害されたということですか?」
「黄妃の頚を絞めたのが、女官ではないことは確かだ。ついでに女の握力では気管を潰して、骨まで折るのはとても無理だね」
「ですが、検視官は転落死だと」
検視官とは下級の官職だ。民間の職だが、斉では宮廷に雇い入れて、検視のほか、葬礼にまつわる役割を担わせている。死にまつわる職は不浄とされるため、身分としては奴婢にちかい。
「黄泉の舟が六文銭で乗れるんだ。検視官くらい、一文銭でも黙らせることができるかもしれないよ。もうひとりの容疑者は、大理少卿ということは士族なんだろう?」
「ご明察です」
宮廷で昇進するには、まずは家柄が要となる。大理少卿のような高官になれるのは士族や貴族といった名家のものにかぎられた。
「三階から落ちたら、たいていは脚から落ちるか、咄嗟に腕を延ばすものだよ。彼女は後ろむきに落ちた。それにもかかわらず、腕を延ばした様子がない。落下時にはすでに意識がなかったからだ」
年端もいかない姑娘とは想えないような考察に舌をまく。
絳が黙っていると、紫蓮がことりと頭を傾げた。
「なにをぼうっとしているのかな」
「いえ、感心していました。素晴らしい観察眼です。刑部省は検察を担う官職ですが、遺体をみただけで、ここまで推理できるものは私の知るかぎりではいません」
「……へえ」
紫蓮はなぜか、意外そうに睫をしばたたかせた。
彼女がなにをおもったのか、絳は索ろうとしたが、揺らぎはすぐに静まる。
「しかしながら、どこでそのような知識を。後宮の死化粧妃というには、あまりにも」
「僕は、死に寄りそうものだからね」
何処か謎めいた愁いを漂わせて、彼女は微笑した。
「死の穢れということばがあるけれどね、死に穢れは、ないよ。だが、穢された死というものはある――」
紫蓮は微かな愁いを漂わせた。
「検死」は薬品をつかったり解剖をしたりして死の原因を突きとめることです。「検視」は外側だけをみて調査、推理をして死亡時の事件性を探ることで、このふたつには違いがあると認識しています。
この度、紫蓮が披露したのは「検視」です。
続きは7日19時頃に投稿させていただきますので、今後ともお楽しみいただければ幸いでございます。





