42 夫の暴力で殺された妃
「せめて、彼が妻に暴力を振るっていたと証言してくれるものがいたら」
そうすれば、紫蓮は検視によって殺人を暴いていたのだとして、晴れて免罪にすることができるだろうに。
「相手は中都督だよ。権力のある武官に楯つこうとするものは、そうはいないだろうね。まして妻にたいする暴力というのは家庭のなかでおこなわれるものだ。目撃していたとしても家につかえる女官か、親族か。親族は隠すだろうし、告発するだけの度胸のある女官がいるとも考えにくいね」
万事休すだ。
「なんとか、あなたを助けられたらいいのですが……」
考えこんでいると、紫蓮がとつと声を洩らした。
「ねえ、尋いてもいいかな。きみはどうして、僕に構うのかな」
紫の眼が、絳を覗きこんでくる。
「僕にかかわっても、碌なことにはならないよ」
奇妙なすごみがあった。それを振り払うように絳がわざと明るい声をだす。
「好きだと御伝えしたではないですか。好いた姑娘がこのようなところに捕らわれているのに、助けたいと想わないはずがないでしょう」
「嘘だね」
紫蓮はにべもなかった。拒絶するでも責めるでもなく、静かに微笑んで睫を瞬かせる。真実だけを言いたまえとうながすように。
「……そうですね。それだけではないのは事実だ」
紫蓮には特殊な技能がある。
絳の望みを遂げるために彼女の技能が必需だ。重ねて、彼女の罪を迅速に晴らしたいという裏には、堀からあがった骨の検視を依頼したいという打算もある。
「ですが、惚れたというのは嘘ではありませんよ。自業自得とはいえ、疑われているなんて哀しいですね」
「自業自得という自覚はあるんだね」
嘆いてみせれば、紫蓮はあきれてため息をついた。
「そろそろいいか」
煙管をくわえて、琅邪が戻ってきた。
「なんだ、縄をほどいてやったのかよ。まあ、いいさ。逃げられねえことはわかってるだろうからな」
縄で縛りなおすことはせず、琅邪は紫蓮を牢屋に連れていった。
独房に吸いこまれていく紫蓮は、最後に絳を振りかえり「きみが懸念することはないよ」と微笑んだ。
「医官はちゃんとくるのですか」
絳が琅邪に尋ねる。
「あとでな。綏紫蓮は、《《特別》》だ。そうかんたんには死なせられないからな。それより、おまえ、あいつには明かしてないんだな?」
絳は瞬時に琅邪の意を察して、眼をとがらせる。
「取りたてて言う必要もないことですから。隠しているわけではありません」
「はっ、ずいぶんと都合のいい言葉だなァ」
琅邪は嘲笑をまぜて、ふはっと紫煙をはきだした。
「おまえは知ってるよな。後宮のどん底ってのは宦官じゃねえ。屍の腹を掻っさばく死化粧師と、俺たち獄吏と――」
「言われずとも、わかっていますよ」
まだ、紫蓮が聴いているように感じて、咄嗟に割りこむ。
「だったら、底の臭いをわすれんなよ。これはおまえにもしみついてる臭いだ」
琅邪が脂臭い煙をまき散らす。獄舎の臭いとまざりあって胸を焼いた。絳は肯定するかわりに黙して、背をむける。
格子窓の外では日暮れがせまっている。
嵐はまだ、やまない。
お読みいただき、ありがとうございます。
果たして事件の真実を知らしめ、暴力夫を告発して裁くことができるのか……引き続き、お楽しみいただければ幸いでございます。
ブクマをいただくごとに喜びの舞を踊っています。よろしければ、ぽちっとお願いいたします!





