40 檻のなかの睡蓮
「紫蓮」
服が破れて剥きだしになった背には、傷ましい笞の痕が散らばっていた。青痣だけではなく血が滲んでいる。絳は胸を掻きむしられた。
だが、絳の視線を奪ったのはその項だった。
差しだすように項垂れた頚。蓮芙の花頚を想わせる。浮きでた骨の珠が、数珠つなぎになった真珠に似ていた。帳じみた髪が、項からふたつにわかれて埃だらけの敷石に落ちて、拡がっている。
絳の喉が、ごくりとひきつれた。
弛みかけた口許を咄嗟に隠して、絳は紫蓮の項から視線を剥がす。
魅入られていたのは一瞬だけ、だった、はずだ。事実、獄吏が振りかえったのは絳が冷静さを取りもどした後だった。
「あン? 絳じゃねぇか」
琅邪は荒っぽい身振りで髪を掻きみだして、唇をまげた。
「っと、いまは後宮丞様だったか? 姜家のくせにずいぶんな大昇進じゃねぇか。衣錦還郷だったか。まあ、俺たちに故郷なんかねぇけどよ」
「刑は終わりましたか」
「無視かよ。久し振りに幼なじみと逢ったってのに、つれねぇのな。それか、なんだ、お偉くなったら俺みたいなのとは喋りたくもねえってか」
「終わったのであれば、彼女の身柄をひき取りたいのですが」
琅邪と喋っている暇はなかった。すぐにでも紫蓮を医官に診せなければ。傷に風の毒が入ったら、命にかかわる。
「いや、まだ、はじまったばっかりだ」
絳が眉根を寄せた。紫蓮はすでに息も絶え絶えで、なかば気絶しているというのに。
「牢屋に捕らえて日に一度、五十敲する。これを七日繰りかえして、晴れて解放だ」
「そんな。男ならばまだしも、幼い姑娘の身には酷です」
絳が非難したが、そのとき、紫蓮が呻きながら頭をあげた。
「へい、きだよ。殺されることは、ないからね。風に毒されないよう、ひと通り処置はしてもらえる」
諦めたような言葉を聴くだけでも、これまで紫蓮がこうした事態を繰りかえしてきたのだと察しがついた。
語られたことを、語るだけだ。
彼女はそういっていたが、そのためにどれほどの危険をおかしてきたのか。絳には想像を絶していた。
「琅邪、しばらくふたりにしてくれますか」
絳は袖から取りだした麻袋を琅邪に渡す。なかみは煙管の煙草葉だ。琅邪は金銭の受け渡しをきらう。だが、宮廷で調達できない煙草葉だけは、賄賂のかわりになる。
「はん、しょうがねえな」
琅邪はそれを懐に収めて、退室した。
燈火がひとつだけ燈された昏い耳房のなか、嵐の唸りが響く。絳は紫蓮の側に膝をついて、彼女の細腕を緊縛していた縄をほどいた。
肌がすりきれて、赤い痕になっている。
「なにが、あったのですか」
紫蓮が訳もなく屍を損壊するはずがない。誰よりも屍を愛している彼女なのだから。
紫蓮は身を起こしてから、細々と語りだした。
「死化粧というのは微笑んでいる顔に修復することがもとめられる。遺族が穏やかに葬ることができるようにね。僕もこれまではそうした死化粧を施してきた。でも、胡琉璃の屍だけは」
紫蓮は睫をふせ、言葉を落とす。
「怒りの表情にした」
想像だにしていなかったことに絳は微かに眉の端を動かしたが、なぜ、そんなことを、とは想わなかった。
「怒らずにはいられない真実が、あったのですね?」
信頼ではなく、紫蓮にたいする確かな理解があった。
「琉璃は、病死じゃなかったんだよ。殴られて、殺されたんだ」
お読みいただき、ありがとうございます。
ここからいよいよに琉璃の死にまつわる推理と検視の答えあわせです。検視要素が登場するのは久し振りなので、引き続き、お楽しみいただければ幸いです。





