31 真実の顔で葬って
「恥じることはないのよ。胸を張って。死化粧師は素晴らしい役職なのだから」
これまで、紫蓮は一度たりとも、他人からそんな言葉をかけられたことはなかった。
見張られた紫蓮の瞳からほつり、涙がこぼれた。菫の露を想わせる雫がひとつ、ふたつと地を濡らす。とめどなくあふれ続ける涙を、琉璃はそっと拭いてくれた。
「うらやましいわ。あなたは涙が流せるのね。死んだひとのために涙を流してあげることも、できるのね」
紫蓮は瞬きをする。
「まさか、あなたが微笑みを絶やさないのは」
「……そうなの、微笑むことしか、できないのよ」
どこまでも穏やかな声で、彼女は言葉を紡いでいく。
「わたしってなんにもできないでしょう? 舞もできなければ、筝も弾けない。機を織れば縒れて縮れるし、詩はちっとも風情がない。無理して動いたら、咳がとまらなくなって迷惑ばかり」
彼女は、女らしいことが、なにひとつできなかった。
「でも、ほら、器量だけはいいのね」
人差し指を頬にそえて、彼女は華の貌を誇る。
透きとおるような珂雪の肌にぽてりと潤みを帯びた唇。樹氷のような睫に縁どられた瞳は微睡むようにあまやかで、いやみにならない艶めかしさを漂わせていた。完璧だ。佳人のことを物言う花と譬えるが、彼女はまさにそれだった。
「だから、微笑んでいれば、殿方に可愛がってもらえるはずだって教えられたの。身分のある男に嫁がせるために産んで、育ててやったんだから、恩をかえせってね。それからというもの、ちょっとでも微笑を絶やすと、微笑むまで殴られるようになった」
紫蓮が絶句する。こんなに酷い話をしているときまで、彼女は幸せそうに微笑み続けている。それがたまらなく紫蓮の胸を締めつける。
「咳が続いて死にかけた朝も、大事に飼っていた猫が死んだ晩も、一瞬でも笑顔を絶やすことを、母親も父親も許さなかったわ」
「それは」
魂魄を殺して華になれと強いることだ。
「五男坊だけが「僕と一緒の時だけは涙を流してもいいんですよ」って許してくれたのだけれど」
罅割れていたものが砕けて、壊れるように彼女は笑った。
「ふふふっ、もう、おそかったの」
嬉しくてしかたがないとばかりに彼女は鈴の声を奏でる。だが、それは次第に咳にかわる。喋りすぎたせいか、琉璃は噎せこみ、咳がとまらなくなった。
「つらかったね」
ほかにかける言葉が、なかった。
紫蓮は震える琉璃の背をさすりながら、ありふれたなぐさめをかけることしかできないみずからを恥じた。
「つらかった。でも、つらくても、哀しくても、腹だたしくても、わたしにできるのは微笑むことだけなのね」
青ざめて紫になってきた唇から、咳と一緒に血潮がこみあげてきた。それでも、幼いときからすりこまれた微笑が崩れることは、ない。
「だから、ねえ、紫蓮にお願いがあるの」
琉璃は縋るように紫蓮の手を握り締めて、訴えてきた。
声も、唇も、眼も、微笑んでいる。だが、紫蓮にだけは彼女が今、泣き崩れているのだとわかった。どれほど真剣に願いを託しているのかもまた。
「あなたがいつか、死化粧師になるときがきたら、そのときは。紫蓮がわたしのことを葬ってね――わたしの真実の、顔で」
回想は終わりです。明日からは現実軸になりますので、引き続き、お楽しみいただければ幸甚でございます。
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