27 だから妖妃は化粧を施す
作中の用語は「香粉⇒ファンデーション」「黛⇒アイブロウペンシル」「眼影⇒アイシャドウ」です。中華の世界観を大事にするため、敢えて漢字表記になっています。ご了承いただければ幸いです。
「ちょっと、こちらをむいてごらん」
「な、なになに」
「せっかくだから、施してあげるよ」
乾いた布で濡れていた女官の顔を拭いてから、紫蓮は香粉をはたいた。黛をひいて、彼女が劣等感をもっている一重まぶたに眼影を施していく。
「一重だと眼もとを強調したくなくて、眼影を薄めにしがちだけれどね、じつは濃いめの眼影でも品のいい印象になるのが一重の特権なんだよ。かわりに華やかな緋色とか珊瑚色あたりを取りいれて、暗くなりすぎないように」
息のあるものに化粧を施すのはいつ振りだろうか。
腫れぼったくならないよう、眼もとの紅は目頭の部分にぼかしていれ、下睫のところにはもう一段階、淡めの紅を乗せた。最後に細かな箔を散らす。
「ほら、一重がいっきに華やいだだろう?」
鏡をみせる。
女官が息をのんだ。
「うそ、これが、あたしなの?」
厚ぼったかった一重がすっきりとして、それでいてぱっと雅やかな印象を振りまいている。いっけんすれば近寄りがたい美人感を漂わせているが、微笑すると愛らしく、その落差が魅力的だ。
感激して、女官はきらきらと瞳を輝かせる。
「これだったら、御渡りも夢じゃないかも」
斉の後宮にあがった女官に与えられた道は三通りだ。
年季が明けるまで働き続けるか。女官を統轄する命婦にまで昇級して知命(五十歳)まで勤めあげ、莫大な報酬を貰い退職するか。妻や妾を捜しにきた高官に寵愛されるか。
昇進なんてどうでもいいから、高官の妻になって玉の輿に乗りたいと考えている女官が殆どだと、紫蓮も噂には疎いなりに聞きおよんでいた。
「そんなに嫁ぎたいものかな。よい官職についているとはいえども、どんな男かもわからないのに」
「だって、条件のいい男をつかまえてこそ、後宮にあがったかいもあるってもんよ。胸を張って家族にも報告できるわ。それにどんな男だろうと、働きもせず麻雀ばっかしてる八百屋の親父とか、貧乏でけちくさい農夫なんかに嫁ぐよりも、ずっと幸せだもの」
「……例えがえらく、なまなましいね」
女官は地方士族や役人といった良家の姑娘から選ばれるものだ。正確には親が姑娘を差しだすようなかたちだろうか。器量がよければ、後宮についてから女官ではなく妃妾になることもある。良家とはいっても地方士族や役人たちは貧しいため、姑娘がよい身分の男に嫁がないかと期待を寄せて送りだすのだろう。
「命婦になるっていう道もあるけど、努力に努力を重ねて、やっと昇進できるかどうかだもんね。冉命婦みたいにはとてもなれないわ」
紫蓮が瞬きをする。後宮で有名な命婦なのだろうか。
「あれ、知らないの? 現皇帝陛下の養育係を務めたひとなんだけど」
「残念だけど」
紫蓮は万年離宮にひきこもっているので、後宮の命婦にも女官にも知りあいがいないどころか、係わることがまず、ない。
「ほんとにすごいひとだったのよ。若い時はたいそうな美女だったらしいけど、身持ちが堅くて、男を近寄らせず蹴散らすくらいだったとか。仕事一徹で、男だったら尚書まで昇進していたでしょうね」
「へえ、そんなひとがいたんだね」
女の身で仕事一徹か。よほどに強い信念のもとに突き進んでいったひとだろう。
「五年前かな。華々しく退職されて。最後まで格好よかったわ。憧れはするけど、あたしはいい男をつかまえて楽したいなあ」
できることならね、と女官がため息をついた。
「それはそれで、たくましいことだね」
紫蓮は苦笑する。
「でも、これでなんとかなるかも。ありがと、こんな眼でも可愛くなるんだってわかって、嬉しかった」
女官は頬をそめて、幸せそうに眼もとを綻ばせる。
「それはよかったよ。化粧というものは他人のためじゃなくて、自分が自分を好きになるために施すものだと、僕はおもっているからね」
「あなたって、変わっているのね。喋りかたもそうだけど」
「まあね」
変わっているどころか、後宮の妖妃とまでいわれているのだが、それについては紫蓮は敢えて触れなかった。
「私は珠珠よ。服をみるかぎりでは、あなたは妃妾よね。あ、敬語のほうがよかったかしら」
「お互いに気楽なほうがいいよ」
「そうよね、あなた、まだ幼いし」
みるかぎり、珠珠は十九歳くらいだろうか。
「また会えたらいいわね、あっ、あなたの宮つきの女官にしてくれてもいいのよ? たまにお小遣いくれたら、いっぱい働いたげるから」
ぶんぶんと濡れた袖を振って、珠珠は橋を渡っていく。賑やかな女官の声が蟬みたいに残る。紫蓮は苦笑を織りまぜたため息をついてから、荷をまとめなおした。
離宮に帰ろうとおもったのがさきか、後ろから声をかけられる。
「紫蓮」
お読みいただき、ありがとうございました。
楽しんでいただけているでしょうか。続きは25日に投稿させていただきますので、引き続き、お読みいただければ幸甚でございます。
いよいよに絳が登場します。