26 妖妃、女官を助ける
お待たせいたしました。ここから第二部がはじまります。
後宮に盛夏がきた。
軒端に飾られた風鈴の音までもが、涼を運ぶどころか暑苦しく感じるほどの酷暑が続き、後宮の華たる妃妾たちもしおれはじめていた。
それでも、ひらかれた後宮に華を欲する男たちが途絶えることはない。
蝶や蜂が舞うかぎりは、咲き続けるのが華の役割だとばかりに妃妾たちは意地でも着飾っていた。だが、女官たちにたいする態度は刺々しく、暑さでいらだっていることは疑いようもなかった。それは女官も同様だ。
「これだから、離宮の外にでると碌なことがないんだよ……」
綏紫蓮はうんざりとしていた。
離宮には月に一度、さまざまな物が支給されるようになっている。食物から死化粧に必要な備品まであるが、今朝は新たな唇紅や眼影などが入荷するはずだった。だが、よりにもよってそれらが荷から抜けており、紫蓮は後宮庁舎まで取りにいかねばならなくなった。
ひきこもり妃たる紫蓮にとっては、昼から離宮からでるだけでも、燃えさかる火を渡れといわれるほどにつらいことだったが、帰りにとんでもない現場にいあわせてしまったのである。
「こんなものつけて、ばっかじゃないの」
「あんたなんか年老いて後宮からつまみだされるまで、御渡りなんかあるわけないわよ、この不細工」
女官たちが寄ってたかってひとりの女官を取りかこみ、嘲笑っている。女官は髪につけていた紐飾りを取られたらしく「かえしてよ」と叫んでいたが、あろうことか、ほかの女官たちはそれを池に投げ捨てた。
女官が「あっ」と杆のない橋から身を乗りだしたところで、側にいた女官が思いきり突きとばす。いじめられていた女官はよろめいて、池に落ちてしまった。
「やだあ、泥だらけできたなあい」
「濡れねずみみたいで、ぴったりだわ」
「溺れちゃえ」
女官たちは笑いながら、その場から逃げていった。
落ちた女官は泳ぐのがにがてなのか、睡蓮に足を取られたのか、水を掻きわけてあばれている。
厄介事には巻きこまれるのはいやだ。さすがに溺死する、なんてことはないだろう。
紫蓮はそそくさと通りすぎようとしたが、水音に後ろ髪をひかれる。
いつだったか、紫蓮も池に突き落とされたことがあった。呼吸ができず、もがくほどに藻が絡みついてもうだめかとおもったとき、通りがかった妃が助けてくれたのだ。
「まったく、やれやれだよ」
紫蓮はため息をつきながら、女官を助けにむかった。
触れてもだいじょうぶなように手套をはめてから、腕を伸ばして声をかける。
「ほら、つかまってごらん」
「なっ、なんで」
「こまっているひとを助けるのに、理窟なんかいらないよ」
微笑みかければ、女官は安堵して腕をつかんできた。
だが、わすれてはいけない。紫蓮は運動神経もなく、腕力も握力も猫の手ほどしかないということを。紫蓮は女官をひきあげるどころか、つかまれたとたんに体幹を崩して一緒に池のなかに落ちていった。
盛大なしぶきがあがる。
女官は声にならない声をあげたあと、絶叫する。
「ほんとになんで、助けようとしたのよおぉぉ」
…………
けっきょく、紫蓮と女官はなかよくずぶ濡れになって、命からがら一緒に池からあがってきた。
夏の真昼だったのが幸いした。冬だったら、ふたりとも風邪をひいていたに違いない。
「その……なんだかごめんよ」
「いいわよ、べつに。それに……助けてくれようとしたのは嬉しかったし……まさか、一緒に落ちてくるとはおもわなかったけど」
女官はあきれながら、ころころと笑った。
一重の眼が弛やかにしなって、あがったばかりの細い月を想わせる。頬にあるほくろといい、愛嬌のある顔だちをしていた。
「それにしても、なんであんなにいじめられていたんだい」
「髪飾りつけてたら、ばかにされてさ。もともと、ほかの女官たちから、なかまはずれにされてんの。ほら、あたし、ぶさいくだから」
女官が自嘲するように笑いを重ねた。今度はひきつれたような笑いかただ。眼もとが強張っていた。
「ぜんぜん、そんなことないけどね」
「やだ、気を遣わないでよ。わかってんの、あたし、眼だってこんな変だし」
「一重なんだね。眼瞼挙筋が枝わかれしていないから、瞼板軟骨に瞼の皮膚が折りたたまれないというだけだよ。変なところなんてどこにもないけれどね」
「がんけんきょきん? がんばんってなによ」
聴きなれない用語の連続に女官がぽかんとなる。
「でも、強いていうならば、化粧があっていないね」
紫蓮は橋におかれた荷を解いた。
「ちょっと、こちらをむいてごらん」
毎日19時から21時あたりに投稿し、連載を続けて参りますので、引き続き「後宮の死化粧妃」をお楽しみいただければ幸いでございます。
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