2 死骸だらけの宮
妖妃の殿舎は後宮のはずれにある。
眠らない後宮でもこの一郭だけは燈火もまばらだ。もとは心が壊れた皇帝の姑娘をここに軟禁していたという。ひらかれた後宮とはいえども、こんなところまで渡ってくる男人はいない。
「ほんとうにいくんですか。わざわざ後宮丞である絳様が赴かずとも、使いの者をむかわせれば。そ、それに妖妃かどうかはわからないですが、その」
靑靑は青ざめ、言い難そうに続けた。
「死の穢れ……があるのは事実ですし」
「は、くだらない」
絳は鼻さきで嗤った。
死は穢れている。
それは斉を含めた、大陸に等しく根づいた認識である。
死は不浄なるものであり、死の穢れにふれてしまうと身を患ったり不幸に遭うと考えられてきた。死穢はうつる。だから、死にまつわる職は身分が低く、葬るためであれ屍に触れることはいとわれる。
「死の穢れなどをおそれていては、刑部省の任は勤まりませんよ。殺人事件を管轄することもあれば、死刑にたちあうこともあるのですから」
「そ、それは……でも」
「ほら、つまらないことを喋っていないで、提燈を」
肩を縮ませていた靑靑が慌てて提燈に火をいれた。燈司の官人が怠っているらしく、ここからさきは燈火が絶えている。
「今頃は妃に例の依頼物がひき渡されているはずですが」
離宮の殿舎がみえてきた。重々しい扉の側に荷を積んだ荷車が置きっぱなしになっていた。薦がかけられているので、なかに積みこまれているものがなにかはわからない。ただ、妙に腥い臭いが漂っていた。
搬送した官吏が妃に声をかけることを怠り、後からくる絳たちに負託したらしい。靑靑のいうとおり、死の穢れをきらったのだろう。
(どいつもこいつも)
絳は胸のうちで毒づきながら、扉をあけて殿舎にあがる。
「失礼いたします。綏紫蓮妃に折入って依頼があり、参りました」
声をかけたが、殿舎はあかりもなく静まりかえっている。月明かりだけを頼りに、うす昏い殿舎を進んでいく。
「こっ、絳様、おいていかないでくださいよぉ、ってぎゃあああっ」
後から提燈をさげておっかなびっくりについてきた靑靑が絶叫をあげた。
尋常ならざる声になにごとかと振りかえれば、牙を剥いた虎が靑靑に襲いかからんとしていた。絳が腰に帯びていた剣を抜きかけたが――
「――造り物か?」
その虎が動かないことに気づいた。
どこからどうみても、本物だ。もっとも、これは。
「死骸ですね」
腰を抜かした靑靑が眼をしろくろさせる。
「死んで、いるんですか? ほ、ほんとうに?」
奇妙だ。死骸にしては綺麗すぎる。毛艶もよく、腐臭も漂ってこない。まるで死せぬ屍――だった。
あらためて、宮のなかをみれば、いたるところに死骸がおかれていた。
鹿の死骸、猫の死骸、鴉の死骸、鵲の死骸。どれも美しく静寂を湛えている。
「屍をよみがえらせる妃、でしたか。なるほど……」
噂とは頼りにならぬものだ。
だが、嘘からでた実のように真実が隠れていることもある。
お楽しみいただけましたでしょうか?
続きは5日18時頃に投稿させていただきます。ちょっとでも「面白そう」と感じていただけたら、引き続き、お読みいただければ幸いでございます。なにとぞよろしくお願いいたします。