↓ ↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
19/137

19 花嫁はよみがえる

 夜天《やてん》に月が満ちた。

 女官は宿舎《しゅくしゃ》を抜けだし、息を弾ませて、後宮の庭をかけていた。

 李《リ》鈴《レイ》だ。鈴《レイ》には愛するひとがいた。黄《オウ》花琳《カリン》妃だ。身分が違っても、愛し、愛されていた。だが、黄妃は殺された。


 冤罪をかけられた鈴《レイ》は絶望していたが、逢ったこともない妃がきて、話を聴いてくれた。

 妃はいった。罪を晴らすため、再捜査を進めていると。


 とても信じられなかった。


 女官のためなどに官吏が動くとは思わなかったからだ。だが、その後、鈴の無罪が実証され、かわりに大理少卿が裁かれた。


「だから、そのときは、きみが黄妃を葬《おく》ってくれ」


 妃はそういっていた。


 だが、罪が晴れても、それはかなわぬ夢だ。

 葬礼は黄《オウ》家が執りおこなう。奴婢《ぬひ》あがりの女官では葬礼に参列することはできない。

 再びに愛するひとに逢うことは、かなわないのだ。


 だからこそ、最後に三階からみた黄妃の姿が、鈴の眼に焼きついていた。


 割れた頭から血潮を垂れながし、腕も脚も折れまがった悲惨なすがた。歌わなくなって、鳥篭から投げ捨てられた知更雀《こまどり》みたいな。


 きたならしく、みじめたらし、く。


 歌媛は死んだ。


 その事実が、鈴を苦しめ続けていた。

 彼女は幸せになるべきだったのに。


「恨みます。花琳《カリン》様。ずっと一緒よ、といっていたのに。なんで、さきに逝ってしまわれたのですか。私を遺して、なぜ」


 黄妃とそろいの耳飾りを握り締め、ひとり嘆いていた鈴のもとに遣いがきた。靑靑《ショウショウ》という宦官《かんがん》だ。


「婚礼は今晩、鶏鳴《けいめい》(午前二時)に月季花《ばら》の苑《にわ》で」


 どういうことかと尋ねたが、宦官は鈴《レイ》に伝達するように命令されただけだと頭を横に振るばかりだった。


 ひとつだけ、思いあたることがあった。


「あなたの花嫁にふさわしく、よみがえらせるからね――」


 奇妙な妃は、確かにそういった。


 無理だ。彼女《うたひめ》はすでに壊れてしまった。再びには還らない。それでも、もういちど逢えるのならば。


(最愛のひとの死を受けいれ、許すことができるでしょうか)


 鶏鳴《けいめい》の鐘が響きだすなか、鈴は月季花宛《ばらえん》にたどりついた。


 あたりはしんと静まりかえっていた。雪を欺くほどに純白《しろ》い花が月影を帯びて、ぼうとあまやかに夜陰を融かしている。風が吹きつけると噎せかえるほどの香《こう》が漂って、微かだが、眩暈をおぼえた。


「まっていたよ」


 月季花《ばら》に埋もれて、紫の睡蓮《すいれん》を身にまとった妃がいた。


 彼女の傍には柩《ひつぎ》が横たえられている。

 黄《オウ》花琳《カリン》。あそこに鈴《レイ》の愛する女《ひと》が眠っているのだ。たまらなく胸を掻きみだされ、鈴はふらふらと柩に吸い寄せられていった。


「さあ、ふたりきりの婚礼だよ」


 紫蓮は袖を掲げて、踵をかえす。


 最愛の人が、どんなすがたになっていても、受けいれよう。


 意をけっして、柩を覗きこんだ鈴は息をのんだ。


「花琳様」


 最後に語らった時と変わらぬすがたで眠り続ける、最愛のひとがいた。

 穏やかに重ねられた花瞼《かけん》、微かにうす紅を帯びて華やいだ肌。折れてしまったはずのしなやかな指を胸もとで組み、刺繍の扇《おうぎ》をもっていた。


 ああ、そうか。

 つぶれて崩れたあの死に様は、惨《わる》い夢だったのだ――


「……だって、こんなにきれい」


 花琳が身につけているのは経帷子《きょうかたびら》ではなく、紅絹《こうけん》で織りあげられた婚礼《こんれい》の服だった。額には紅紙《こうし》の花鈿《かでん》が施されている。


 斉《サイ》では婚礼のときはかならず、真紅の絹をまとう。紅は斉《サイ》で信仰される火の神を表し、厄を除けて幸福をもたらすとされるためだ。


 幸福な花嫁にふさわしく、艶やかに潤んだ唇はやわらかく綻び、微笑を湛えていた。この唇がどれほど雅やかに歌を紡ぐのか、鈴《レイ》は知っている。


 だが、彼女は喋っているときが、もっとも愛らしいのだ。

 ころころと弾むような声で、花琳《カリン》は喋る。


 鈴だけが、知っていた。

 歌媛《うたひめ》と称えられる知更雀《コマドリ》の声ではなく、どこにでもいる姑娘《おんな》の声を。


 彼女はいつだって、嬉しかったことも、腹がたったことも、さみしかったことも、想ったことを想ったままに声にするのだ。


「ばかじゃないの」「うんざりだわ」

「歌なんかだいきらいよ」


 彼女の唇から紡がれた言の葉は、悪態ひとつでも可愛らしく。


「側にいて、わたくしをさみしがらせないで」

「だい好きよ」「愛してる」


 まっすぐに愛をぶつけてくる彼女が、どれほど愛しかったことか。


「花琳様、花琳様……愛しております」


 鈴が涙をこぼしながら、花琳《カリン》の髪に触れた。耳飾りが微か、揺れる。ふたりでひとつの比翼《つばさ》だといって、花琳がくれたものだ。


「願わくは」


 鈴は歌を諳《そら》んじるようにつぶやいた。


「地にありては連理《れんり》の枝となり、天にありては比翼《ひよく》の雀《とり》となりましょう。天地《あめつち》は変わらずとも、万物は移ろい、つきる。されど、愛《かな》しみは永劫につきせぬと」


 黄花琳が教えてくれた宣誓だ。はるか昔の皇帝が最愛の皇后を娶るとき、この宣誓をしたという。


 黄《オウ》花琳《カリン》は今、鈴《レイ》だけの花嫁だった。


 風が渡る。花が舞いあがった。

 彼女は死せる女《ひと》の唇に接吻《くちづけ》をする。


 月だけが、ふたりぼっちの婚礼をいつまでも祝福していた。



お読みいただき、ありがとうございます。

作中の「願わくば」から始まる婚礼の誓いは中唐の詩人白居易が「長恨歌」からの引用(和訳)です。

続きは21日に投稿させていただきます。


私事ですが、25日に「後宮食医の薬膳帖2」がメディアワークス文庫より発売となります。

こちらも「後宮の死化粧妃」とおなじく中華後宮を舞台とした小説で、「小説家になろう」から書籍化したものです。1巻は出版即重版で、すでにコミカライズも確約しております。

よろしければ、ちらりと公式サイト様を覗いていただければ嬉しいです。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 哀しくも愛おしく美しい婚礼ですね。 花琳様も美しく装っての李鈴とのふたりきりの婚礼を、喜んでくれているのではないかと思いました。命を落としたのは本意ではなかったでしょうけど、命を懸けても己…
[良い点] 死者にむきあう死化粧妃 紫蓮に、腹に一物もっていることがふしぶしに描かれる絳のコンビはエンバーミングというジャンルが重苦しくならない旋律を生み出しています。 ふたりの語られていない過去がど…
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。