19 花嫁はよみがえる
夜天に月が満ちた。
女官は宿舎を抜けだし、息を弾ませて、後宮の庭をかけていた。
李鈴だ。鈴には愛するひとがいた。黄花琳妃だ。身分が違っても、愛し、愛されていた。だが、黄妃は殺された。
冤罪をかけられた鈴は絶望していたが、逢ったこともない妃がきて、話を聴いてくれた。
妃はいった。罪を晴らすため、再捜査を進めていると。
とても信じられなかった。
女官のためなどに官吏が動くとは思わなかったからだ。だが、その後、鈴の無罪が実証され、かわりに大理少卿が裁かれた。
「だから、そのときは、きみが黄妃を葬ってくれ」
妃はそういっていた。
だが、罪が晴れても、それはかなわぬ夢だ。
葬礼は黄家が執りおこなう。奴婢あがりの女官では葬礼に参列することはできない。
再びに愛するひとに逢うことは、かなわないのだ。
だからこそ、最後に三階からみた黄妃の姿が、鈴の眼に焼きついていた。
割れた頭から血潮を垂れながし、腕も脚も折れまがった悲惨なすがた。歌わなくなって、鳥篭から投げ捨てられた知更雀みたいな。
きたならしく、みじめたらし、く。
歌媛は死んだ。
その事実が、鈴を苦しめ続けていた。
彼女は幸せになるべきだったのに。
「恨みます。花琳様。ずっと一緒よ、といっていたのに。なんで、さきに逝ってしまわれたのですか。私を遺して、なぜ」
黄妃とそろいの耳飾りを握り締め、ひとり嘆いていた鈴のもとに遣いがきた。靑靑という宦官だ。
「婚礼は今晩、鶏鳴(午前二時)に月季花の苑で」
どういうことかと尋ねたが、宦官は鈴に伝達するように命令されただけだと頭を横に振るばかりだった。
ひとつだけ、思いあたることがあった。
「あなたの花嫁にふさわしく、よみがえらせるからね――」
奇妙な妃は、確かにそういった。
無理だ。彼女はすでに壊れてしまった。再びには還らない。それでも、もういちど逢えるのならば。
(最愛のひとの死を受けいれ、許すことができるでしょうか)
鶏鳴の鐘が響きだすなか、鈴は月季花宛にたどりついた。
あたりはしんと静まりかえっていた。雪を欺くほどに純白い花が月影を帯びて、ぼうとあまやかに夜陰を融かしている。風が吹きつけると噎せかえるほどの香が漂って、微かだが、眩暈をおぼえた。
「まっていたよ」
月季花に埋もれて、紫の睡蓮を身にまとった妃がいた。
彼女の傍には柩が横たえられている。
黄花琳。あそこに鈴の愛する女が眠っているのだ。たまらなく胸を掻きみだされ、鈴はふらふらと柩に吸い寄せられていった。
「さあ、ふたりきりの婚礼だよ」
紫蓮は袖を掲げて、踵をかえす。
最愛の人が、どんなすがたになっていても、受けいれよう。
意をけっして、柩を覗きこんだ鈴は息をのんだ。
「花琳様」
最後に語らった時と変わらぬすがたで眠り続ける、最愛のひとがいた。
穏やかに重ねられた花瞼、微かにうす紅を帯びて華やいだ肌。折れてしまったはずのしなやかな指を胸もとで組み、刺繍の扇をもっていた。
ああ、そうか。
つぶれて崩れたあの死に様は、惨い夢だったのだ――
「……だって、こんなにきれい」
花琳が身につけているのは経帷子ではなく、紅絹で織りあげられた婚礼の服だった。額には紅紙の花鈿が施されている。
斉では婚礼のときはかならず、真紅の絹をまとう。紅は斉で信仰される火の神を表し、厄を除けて幸福をもたらすとされるためだ。
幸福な花嫁にふさわしく、艶やかに潤んだ唇はやわらかく綻び、微笑を湛えていた。この唇がどれほど雅やかに歌を紡ぐのか、鈴は知っている。
だが、彼女は喋っているときが、もっとも愛らしいのだ。
ころころと弾むような声で、花琳は喋る。
鈴だけが、知っていた。
歌媛と称えられる知更雀の声ではなく、どこにでもいる姑娘の声を。
彼女はいつだって、嬉しかったことも、腹がたったことも、さみしかったことも、想ったことを想ったままに声にするのだ。
「ばかじゃないの」「うんざりだわ」
「歌なんかだいきらいよ」
彼女の唇から紡がれた言の葉は、悪態ひとつでも可愛らしく。
「側にいて、わたくしをさみしがらせないで」
「だい好きよ」「愛してる」
まっすぐに愛をぶつけてくる彼女が、どれほど愛しかったことか。
「花琳様、花琳様……愛しております」
鈴が涙をこぼしながら、花琳の髪に触れた。耳飾りが微か、揺れる。ふたりでひとつの比翼だといって、花琳がくれたものだ。
「願わくは」
鈴は歌を諳んじるようにつぶやいた。
「地にありては連理の枝となり、天にありては比翼の雀となりましょう。天地は変わらずとも、万物は移ろい、つきる。されど、愛しみは永劫につきせぬと」
黄花琳が教えてくれた宣誓だ。はるか昔の皇帝が最愛の皇后を娶るとき、この宣誓をしたという。
黄花琳は今、鈴だけの花嫁だった。
風が渡る。花が舞いあがった。
彼女は死せる女の唇に接吻をする。
月だけが、ふたりぼっちの婚礼をいつまでも祝福していた。
お読みいただき、ありがとうございます。
作中の「願わくば」から始まる婚礼の誓いは中唐の詩人白居易が「長恨歌」からの引用(和訳)です。
続きは21日に投稿させていただきます。
私事ですが、25日に「後宮食医の薬膳帖2」がメディアワークス文庫より発売となります。
こちらも「後宮の死化粧妃」とおなじく中華後宮を舞台とした小説で、「小説家になろう」から書籍化したものです。1巻は出版即重版で、すでにコミカライズも確約しております。
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