15 屍は腐るものだから
いよいよエンバーミングに突入です。
死体描写、手術描写がふえますので、苦手意識がある読者様はご注意ください。
「素晴らしいですね。あれほど酷かった傷がすっかりと塞がって。いやはや、感服いたしました。処置はすでに終わったのですか」
ひとのかたちを取りもどした黄妃の屍をみて、絳は感嘆の息を洩らす。
「いいや、まだだよ。これからさ」
復元。修復。それだけでは、屍をよみがえらせた、とまではいえなかった。
てっきり報告を終えてすぐに帰るものだとおもっていたのに、紫蓮が箱から様々な薬剤や器具を取りだしていると、絳がついと覗きこんできた。
「側でみていても、構わないでしょうか」
「僕は構わないけれど……」
紫蓮は眉の端をあげて、あらためて傍らの男をみる。
微笑を絶やさないが、眼睛は陰を孕んで昏く、さわやかに振る舞いながら唇には時々嘲りめいた嗤いがよぎる。男にしては骨が細く、腰といい、肩幅といい、ほっそりとひき締まっていた。植物ならば、柳を。動物ならば、豺を想わせる。
「逢ったときからおもっていたけれど、きみはちょっとばかり変わった男だね?」
だが、紫蓮がもっとも奇妙に感じたのは、彼には死を畏れる素振りがないことだ。
「大抵のものは、死の穢れをいやがるというのに」
「はっ……」
絳が嗤った。彼らしからぬ荒っぽい嗤いかただ。あるいはこれが素なのではないかと紫蓮はおもった。
「死の穢れですか。そんなものは、生者のほうが上等だとおもっているものたちが造りだした幻想にすぎませんよ」
窓から差す夕日が陰る。
絳の声が喉にかかるように低くなった。
「人の腹を斬ると収まっていた腸があふれだすのですが、破れた腸というのはね、非常に臭うのです。まだ息があってもね。腸の噎せかえるような臭いこそが、人の本質だ」
「違いないね」
想像するだけで酸鼻をきわめる話にも、紫蓮は臆さず唇を綻ばせた。
「死んでいるものが穢れているのならば、生きているものだっておなじくらいに穢れているさ。いいや、死者のほうがよほどにいいね」
横たわる黄妃の頬をなでる。
「彼女らは悪意をもたず、ひとを欺かない」
指は踊るように頤をたどり、頚のつけ根にある血管を捉えた。
「ああ、ここだね」
絳が奇妙そうな視線をむけてくる。
紫蓮は黒曜石の医刀を執り、頚筋を僅かに切った。
絳が一瞬だけ、眼を見張る。紫蓮が屍を切りつけるとは想わなかったのだろう。傷に鑷子を挿しこみ、動脈、静脈をつまんで取りだす。
「いったい、なにをなさるのですか」
「血は腐る。だから、抜きとって、腐らない秘薬と換えるのさ」
お読みいただき、ありがとうございます。
血を入れ替えるのは腐敗から御遺体を保護するための最も有効な処置で、かの有名なレオナル・ド・ダヴィンチもこうした研究に取り組んでいました。
続きは17日19時頃に投稿させていただきます。
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