幕間 だから奇人官吏は愛をささやく
ネタバレ要素ありなので、本編読了後に読むことをおすすめいたします!
本日「後宮の死化粧妃 ワケあり妖妃と奇人官吏の暗黒検視事件簿」出版を祝し、ここまで応援してくださった皆様への御礼のきもちをこめて特別SSを投稿させていただきます!
(陛下、か)
離宮の廊子に腰かけて晩夏の風に吹かれながら、絳は物思いに耽っていた。
側では紫蓮が死んだ小鳥の骨格標本をつくっていた。屍を真剣に、そして愛でるように眺めている紫蓮の眼をみていると、時々皇帝のことが頭を過ぎる。
皇族だけが持つ紫の眼。
紫蓮の父親にあたるその皇帝は、例えるならば、獅子だった。
勇ましい百獣の王ではなく、木陰で横たわり欠伸をしているような獅子だ。身振り手振りにもゆとりがあり、寛仁で相手の身分にかかわらず親しく声を掛け、竜椅に腰かけているより宦官と一緒に箒を持って庭を掃きだすような皇帝だった。
だが、威厳がないのかといわれればそういうわけではない。
なにより、彼の語る理想は臣たちに華胥の夢をみせた。この皇帝についていけばそんな夢が現実になるのだと想わせるだけのちからが彼にはあった。
姜絳はそんな皇帝がまぶしくて、何処かで憎みながら、慕わずにはいられなかった。
いつだったか、そんな皇帝に連れられて離宮を訪れたことがある。今から七年前、絳が皇帝の期待通りに科挙試験を及第し、官吏になったばかりのころのことだ。絳が報告書を認めていたところ、刑部の庁舎に皇帝が訪れた。かの皇帝が庁舎を視察することはそうめずらしいことではなかったが、皆が畏縮して頭をあげられずにいると皇帝は絳のもとまでやってきた。
「ここにいたか、姜絳」
「陛下」
「そう畏まるな。出掛けたいところがある。供をしてくれ」
「わ、私ですか。はい、承知いたしました」
実のところはまだ仕事が残っていたのだが、後から残業でもして埋めあわせをすればいいと考え、筆をおいて皇帝に随った。
皇帝は宮廷のなかに隠された抜け道を進み、坑道に似た狭い通路を抜けたところで園林にでた。途中までは後宮だとは気づかず、妙に華やかな建物ばかりの区域だとおもっていたが、遠くで妃妾たちが散歩をしているのがみえて肝が潰れた。
「陛下、ここはまさか」
「後宮だよ」
絳は蒼白になった。皇帝以外の男は踏みこんではならない禁域。浄身ならばともかく、絳のような男の身で後宮に侵入したなど知られては大罪だ。
「私がともに連れてきただけだ。誰にも咎められるいわれはないから安心するといい。……後宮のはずれに離宮があってね、私の愛する妻と娘がいる」
「妻、ですか」
妃というべきだろうに、皇帝は敢えて「妻」といった。よく考えれば、後宮には皇帝の妃がごまんといる。その妃にたいして特別な寵愛があるのだと察して、絳は身を硬くした。
絳の緊張を知ってか知らずか、皇帝は石の敷かれた順路から外れ、うす暗い林を踏み分けていく。管理されていないのか、枝は乱雑に伸び、夏草が繁っている。藪知らずといったふんいきだ。
「陛下、私が先に参ります。蛇がいるかもしれません」
「わかった。あの坂をあがったところだ。知られないよう、静かに進んでくれ」
坂をあがったところで、視界が拡がった。やや高台になったところから小さな宮が見おろせる。あれが例の離宮か。ほかの宮から孤絶し酷く寂れていて、宮廷から見捨てられたようなところだ。
「時々こうして妻子に逢いにきているのだ」
絳は戸惑った。逢いにきているというには遠すぎる。相手にも知らせず、遠まきに眺めているだけ。
絳の戸惑いを感じたのか、皇帝は笑いながら続けた。
「妻は、死化粧師の一族だ」
その言葉を聴いて、絳は絶句した。
死化粧師の一族といえば、首斬り役人の一族、獄吏の一族に続く"宮廷の穢れ"だ。ともすれば奴婢にも劣る。
「知っての通り、死にまつわる職は差別されている。死の穢れがつく、とな。だが、死の穢れなどはない。死んでも生きてもひとはひとだ。そして妻はとても聡明な婦女だ。私は妻を愛している。されどいま、彼女を皇后に迎えては宮廷が乱れる。だからこそ、私はこの宮廷から身分の差や職の貴賎というものを排する。意識の革命だよ」
皇帝は離宮に聴こえまいと声を落としていたが、それでも彼の声はよく徹った。信念があるからだ。揺るぎのないものが。
「それまでは逢わぬ。こうして、遠くから眺めるだけに留める。妻と娘の身を危険に晒したくはない」
これが皇帝の愛か。
「陛下の御心、感服いたしました」
絳は宜った。
感銘を受けたというのは嘘ではない。
それでいて、なぜだろうか。どこまでも綺麗なその愛にたいして、絳の胸に荒んだ風のようなものが吹いた。
(そんなにもすぐ、意識の変革などできるものか)
差別を根絶してから皇后として迎えるのだと彼は理想を語るが、いつまでかかるのか。
染みついた観念というものはそう変えられるものではない。その頃には妃と娘はいくつになっているだろうか。新たな嫡男を産むことはできるのか。そもそもこのようなところに捨ておかれては心身を病むのではないだろうか。
その時だ。七歳ほどの幼童が中庭にでてきた。ちいさな箱を胸に抱き締めている。
「私の娘だよ。紫蓮という」
「彼女が皇姫ですか? しかしあれは男物の服では」
皇帝はおおらかに微笑むだけで、なにも語らなかった。
なにか事情があるのだろう。踏みこんではならないのだと察して、絳はそれいじょうは尋ねずに視線をもどす。
幼い娘――紫蓮は土を掘っている。
箱のなかには死んだ雀が収められていた。そうか、彼女はこれからあの雀を埋葬するのだ。子どもがするには暗い遊び。いや遊びといっていいのかもわからない。
紫蓮は土のなかに雀を横たえ、青い絹の布をかけた。喪の布ならば白のはず。
そこまで考えて絳は理解した。死後も青空を舞えるように青空のいろを一緒に葬るつもりなのだ。無意味な祈り。
だが、何故だか、無性に胸を掻きむしられた。
「こうして逢うことがかなわずとも、愛があればつながっていられる」
皇帝がつぶやいた。その声が聴こえたわけでもないだろうに、不意に紫蓮は視線をあげる。
紫の眼。
こんなに遠く離れているのに、なみだに濡れた紫だけが、絳の視界に飛びこんできた。
「どうだ、可愛いだろう」
「……陛下に似ていらっしゃいますね」
絳は微笑みながら、心にもない嘘をつく。
彼女の眼は荒んでいた。
なにもかもを諦めることを強いられた眼だ。
皇帝は娘をまえにしてもなお、理想だけをみている。可愛い娘。愛する娘。いつか、理想を実現して迎えにいったとき「お父様、信じていました」と微笑んで抱きついてくる娘。なぜ、そんな夢を疑わずにいられるのだろうか。
(このひとは娘に理想を押しつけている)
絳がこの皇帝を敬愛しながらも時折憎いと感じるのはこういう時だ。なにも疑わず、理想を信じ続けられる強さ。そんなもの、絳にはない。
(哀れな娘だ)
あの時、絳は彼女からみずからと似たものを感じた。
(まさか、あの時、雀を葬っていた小さな娘に惚れるなんて想わなかった)
絳は苦笑する。
紫蓮が骨格標本から視線をあげ、首を傾げる。
「さっきからずっと僕のことばかりをみているけど、なにかあったのかな」
「なんでもありませんよ。私があなたのことを見つめるのはいまに始まったことではないでしょう?」
「まあ、それはそうなんだけどもね。よくも飽きないねぇ」
紫蓮はため息をついた。
(彼女はちっとも陛下には似ていない)
紫蓮が皇帝を怨んでいると知ったとき、絳は嬉しかった。彼女は絳が想ったとおりの娘だったからだ。それでいて絳などには到底哀れむことができないほどに彼女は強く敏く、誇り高かった。
泥のなかにいてもなお。
「あなたはやはり、きれいですね」
絳は紫蓮の髪に指を絡め、接吻を落とす。
「紫蓮、愛しています。とてもとても愛していますよ」
言葉にしなくても、逢わなくても、想っているだけで伝わる愛なんて、ない。そんなものは、男にとって都合のいい《《夢想》》だ。
だから絳は愛をことばにする。
「愛しているんです、紫蓮」
お読みいただきまして、ありがとうございました。
書籍化の夢は果たしましたが、人気次第では今後とも続刊につなげられるかもしれません。もっともっと紫蓮や絳の活躍をみたい、とおもってくださった読者様はぜひとも応援いただければ嬉しいです。
また今後とも特別SSを投稿するかもしれませんので、ブクマは外さずそのままにしていただけると幸甚です。応援のお星さまをいただいた日には夢見里は天まで舞いあがります。
それでは今後とも「後宮の死化粧妃」をよろしくお願いいたします。
アース・スタールナ様による特設ページはこちらです▽
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